2-2 村娘の初任務

 晴れた空のもと、王都の整然とした道を場違いな羊の群れが歩んでいく。メェメェと騒ぎ立てる金色の毛の羊たちは、たしかに好奇心旺盛で、目を離すとしょっちゅう列を抜け出して街へ走って行ってしまう。

 それを追いかけて捕まえるのを繰り返し、私たちはまだ王宮まで何マイルもあるのに疲労しきっていた。


「なんでオレたちが荷物の輸送なんかしてるんだよ。商人が馬借でも手配するべきだろ……」

「仕方ないぜ、この羊は毎年、王宮の特別な式服を新調するために毛を刈られるんだ。そうなると王都騎士団の管轄だろ。普通の羊毛とは違うから、王都の職人にしか扱えないし、そのためには連れて来なきゃならない」

「だからって……あっ、また!」


 群からはみ出た一匹の羊が、意気揚々と裏の通りへ走って行ってしまった。それを引き金に、また羊たちがあちこちへ散らばりそうになったので、それを抑えながら誰かが私に叫んだ。


「ここはオレたちでなんとかするから、お前、裏通りに行った羊を追いかけろ!」

「あっはい! 分かったよ!」


 指示をしてきた同期は、この間の訓練で私に負かされてさんざん嫌味を言っていた奴だ。しかし、この惨状では個人的ないさかいなど気にしていられない。相手も私も必死で仕事にあたる。

 駆け出した私の後ろで、また誰かが「羊飼い君、お前も行ってきてよ! 本職でしょ!」と言われて「本職は騎士だわ!」と怒りながらついてきた。


 裏通りに入った私は、狭い道を超特急で駆け抜けていく羊を追いかけながら、周りにいる街の人たちに呼びかけた。


「すみません、金の羊が通ります! ぶつからないように注意して! 被害がありましたら、王都第一騎士団まで連絡を!」


 何の騒ぎかと驚いて見ていた人々は、「ああ、あの時期か」と納得したように頷くと、道を開けてくれる。お店は表に出していた商品を中へ避難させ、吊り下がっていた洗濯物を回収する。彼らの手慣れた様子を見ると、この辺りの恒例行事なのかもしれない。


 私がなかなか羊を捕まえられないでいると、後ろからやってきた仲間が「俺が行く!」と叫んで私を抜いた。どうするつもりだろうと思って見ていたら、彼は雑貨屋から勝手に借りてきたらしい傘を手にしていた。そして、逆向きにそれを掴むと、勢いをつけてスライディングし、羊の足に持ち手の部分を引っ掛けた。


 ひっくり返った羊にすばやく首輪をつける。これで逃げられないはずだ。作業を終えた彼に、追いついた私は言った。


「あなた、すごい! 羊飼いって呼ばれてたっけ? さすがの手際だね」

「それ、からかわれてるだけだから、忘れて」


 相手は疲弊した声でそう言い、どっこいしょと身体を起こした。精悍な顔つきの、いかにも騎士らしい実直そうな青年。青みがかった髪に黒い目の彼は、たしか同期の……。


「オリバー・グレイ。呼び捨てで構わない。よろしくどうも」


 私が名前を思い出せないで唸っていると、彼……オリバーがため息をつきながら名乗って、手を差し出してきた。私はその手を握り返して答えた。


「どうぞよろしく。ええっと、私はね……」

「ルイーゼ・スミス。言われなくてもみんな知ってるよ、木こりさん」


 あら、私ってば有名人なんだ。おおかた、よくない噂の方でだろうけど。この人も私のことが気に入らないのだろうか。

 そんな私の警戒が雰囲気に表れていたのか、オリバーは焦ったように、


「あ、ごめん! 悪い意味で言ったんじゃないんだ。ただほら、俺も羊飼いくんなんて呼ばれてるから、親近感が湧いたというか」

「ああ、そう……」


 そこで、首輪につながれた羊が「いつまで喋ってんだ」と言うようにメェメェと鳴いたので、私たちはいったん会話を切り上げ、表の街道に戻ることにした。


 が、その前に、オリバーが無断で借りてきた傘を雑貨屋に返さなければならなかったので、お店に立ち寄る。気のいい店主のおばさんは咎めもせずに「今年も大変ねえ」と労ってくれたので、やはりこれは紅騎士団の新人が受ける毎年恒例の洗礼でもあるのだろう。

 考えてみれば、羊を守り、追い、捕まえるという一連の流れは、要人を守り、犯罪者を捕まえる騎士の仕事のいいシミュレーションだ。仲間と協力することで団結力も高まり、街の人たちにも新人の顔を覚えてもらえて、一石二鳥といったところか。


 そんな風に、店の外で待機しながらひとりで納得していると、足下からコンコンと音がした。足下? どうして地面から音がするんだろう?


 不思議に思って、その場を退く。すると、道に敷かれたタイルの一つが、ゴトゴトと動いて浮き上がった。中からひょっこり現れたのは、十歳そこらの小さな子供。飛び出してきた二、三人の子供たちは、じっと見つめる私に気付いて、うわっと驚きの声をあげた。

 雑貨屋のおばさんがそれを聞きつけ、店から顔を出して怒鳴った。


「くおら、あんたたち! また変な地下道を歩いてきたね!」


 バレたー、ばーちゃんかんにんしてー、とバタバタ逃げていく子供たちを見送り、おばさんはやれやれと肩をすくめた。


「最近、ああやって子供たちが地下の隠し通路みたいなのを使うようになっちゃって。探検ごっこか何かで見つけたみたいだけど、狭いし暗いし、危ないわよねえ」


 探検ごっこは、私の村でもよくやった。しかし、王都の子たちは、遊ぶ場所も秘密の通路だなんてハイカラだなあ。


 店から出てきたオリバーが、私のベルトを指差して、


「やっぱり斧、持ってきたんだな」


 と言った。私の腰のところには、騎士の象徴である剣の代わりに愛用の斧がさしてある。


「何かまずい?」

「いや、まずくはないが、つくづく大した度胸だなと思って。それのせいで謗られてるのに。しかも初任務だぞ」

「初任務だからこそだよ」


 私は胸を張ったが、ちょっぴり、この重い斧のせいで足が遅くなっていたかな、と考えてもいた。戦う任務な訳でもないんだから、置いてきてもよかったかも。

 そんな私の内心はつゆ知らず、オリバーは褒めるでも貶すでもなく、ただ羨ましそうに「すげえなあ」と呟いた。


「だったら、オリバーも好きな武器を持ってくればよかったのに。羊飼いの道具を持てばいいんじゃないの?」

「だから羊飼いじゃないって……。でも、さっきの傘は、たしかにシェパーズ・クルークの代わりで使ったけどな。羊飼いが持ってる、先端が曲がった杖、分かるか? あのフックで、崖から落ちかけた羊の首や足を引っ掛けて助けるんだよ」


 羊飼いのことはしっかり否定しておきながら、説明はいやに詳しい。オリバーの顔も心なしか生き生きとしている。私は相槌を打ちつつ、羊を連れて道を進んだ。

 オリバーは羊を優しく撫でて、なおも解説を続けた。


「武器という観点から見たら、羊を狙う肉食獣どもを追い払うこともできるし、シェパーズ・クルークだって負けてないぜ。多目的に使えるのがこの杖のいいところだ。棒高跳びって競技があるだろ? あれも、もとは羊飼いが杖をついて柵を乗り越えていたことから来てるんだ。俺、棒高跳びだけなら、王都騎士学校でも一番だった」

「騎士学校?」


 思わず聞き返してしまった。なんだか、オリバーは話しやすくて、私に偏見もないみたいだったから、てっきり庶民だと思っていたのだ。でも、騎士学校出だということは、おそらく名家か裕福な商人の子供なのだろう。


 オリバーは頭をがしがし掻いて、「あー、それっぽく見えないだろうが、俺は田舎領主の家の出身だよ」と言った。


「じゃ、なんでそんなに羊飼いの話に詳しいの」

「ああ、それは、俺んちの領地、羊の方が住人より多いのどかな所で、よく小さい時に堅苦しい家を抜け出して、羊飼いの人たちに遊んでもらってたからだよ。今思えば、領主の子なんて面倒な存在だったろうに、みんな歓迎してくれてさ」


 だから羊の扱いが上手いのか。首輪をつけられた金の羊はすっかり、オリバーに懐いて周りをうろちょろしている。


「へえ。でも、王都に出てきて、騎士になったんだね」

「まあ、家族もさすがに、どんな邪魔者の三男坊だろうが、領主の子を羊飼いにはさせられなかったんだろ。そうなると、あとは騎士になるくらいしか道もないし」


 けっこう上流階級もドライな社会なんだな。ただの村人でしかなかった私には、騎士だけが唯一、出世して王宮に近付くのに開かれた門だった。しかし、それも名家の人たちにしてみたら違うようだ。


「だから、俺はほどほどの人生を歩んで、穏やかに死ぬんだろうなって思ってたんだ。それがどういう運命のいたずらか、紅騎士団に入れて……。奇跡としか言いようがない」

「ずいぶん謙遜するんだね」


 紅騎士団に入るため、私だって並じゃない努力をしたし、奇跡で来られるところではないのに。そう言うと、オリバーは困った顔をして「いや、謙遜じゃなくて……」と口ごもったが、ふと、足を止めて辺りを見回した。


「どうしたの?」

「……あのさ、ルイーゼ、お前すごい自信満々で先導してくれたけど」


 私も歩みを止めて、暗く入り組んだ路地を見渡した。さっきまでいた道は人々で賑わっていたのに、ここは王都の中でも静かな場所らしい。

 オリバーが廃れた廃墟の看板に記された住居ナンバーを確認して、あっと声を上げた。


「やっぱり、全然道が違うじゃねえか!」

「ええっ。うそォ、私ちゃんと来た道を戻ったよ」

「まるきり反対方向だぞ。むしろどうしたらこんな迷い方できるんだよ……」

「メェ……」


 じとーっとした目を向けてくるオリバーと羊。いやあ、ほら、私って森育ちじゃない? 未だに王都の迷路みたいな街並みには慣れないっていうか、目印にできる花とか植物がないと、まともに道も覚えられないというか……。

 ただ笑ってごまかすしかない私を、まるで頼りにならないと判断したらしいオリバーは、ため息をついて「木こり娘相手に遠慮していた俺が馬鹿だった……」などとぶつぶつ言いながら、表の街道へ出る道を探し始めた。手持ちぶさたになった私は、羊に向かって愚痴をこぼす。


「だって、ねえ、この一ヶ月ちょっとの間、街へ遊びに行くことなんてなかったし? 私ってば真面目な騎士ですから」

「メェメェ」

「あら。分かってくれるの、羊さん? よし、きみを心の友として、名前をつけてあげよう。いたずらっ子で、ぴょんぴょん跳ね回るから……ハネルだ!」

「メェ~?」

「カッコ悪いって? 仕方ないでしょ。私、ネーミングセンスは壊滅的なの。文句があるならオリバーに名付けてもらいなさい」


 もふもふと金の毛を撫でる。主に王宮で働く人々の式服に使うこの羊毛は、実は紅騎士団の制服の、金の薔薇の刺繍にも使われている。この子も私たち騎士団のための功労者なのだ。だったら、ちょっと王都巡りにはしゃいでしまうくらい、許してやらなければ。


 私だって、紅騎士団入りが決定した日の午後は、嬉しくて羽目を外してしまったものだ。入ったカフェが、カペラ・アイスの大食いチャレンジを行っていて、優勝したら賞金がもらえると言うので参加したりして。結局、ラストの二人までは残ったけど、白熱した競り合いの末に、巨大な剣を担いだ謎の大男に負けてしまった。でも、粒々で口溶けが爽やかな王都名物のカペラ・アイスをたっぷり堪能できて満足だ。優勝者の大男は「明日の入団試験、大丈夫かな」とかなんとか呟きながら、お腹をおさえていたけど。


 カペラ・アイスは美味しいけれど、お腹にあたりやすい。翌日には、私も案の定、少しお腹を壊して下宿で寝ていた。親切な大家さんが「お花が咲いたので窓辺に置いておきますね!」とお見舞いに来てくれたのはいいんだけど、おっちょこちょいな大家さんは何もないところで足を滑らせ、窓の外に花瓶を投げ放ってしまった。その後、階下で騒ぎが起きていたから、もしかして通行人の誰かにその花瓶が当たったりしたのでは……。


 回復した次の日、私は騎士服を受け取りに王宮へ向かった。手続きをして帰ろうとした時に、妙な光景を見た。物陰で、私と同じ新人騎士と思われる人が、官僚に金貨を小袋に入れて渡していたのだ。私も何か手間賃などを払わなければならないのかと思って、窓口に戻ってそれを聞いたら、官吏の人たちがバタバタと慌て始めて、大騒動になった。……後で聞いたら、受験者と官僚が手を組んで行った筆記試験での不正行為が発覚したとか。故郷の村にはテストなんてものはなかったので、私はカンニングという行為があることをそこで初めて知ったのだ。


 もの思いにふけっていると、暇つぶしにそこらを歩き回っていた羊のハネルが「メェ?!」と悲鳴を上げて姿を消した。私も、首輪につけた手綱が引っ張られたので、驚いて地面を踏みしめ、体勢を保った。

 道にさっきまで無かった穴が空いている。どうやらハネルは、歩いているうちに足下のタイルが抜けて、下の空間に落ちてしまったみたいだ。私はオリバーに助けを求めた。


「オリバー! ハネルが地下に落ちちゃった! 引き上げるの手伝って!」

「はあ? ハネルってなんだよ」


 駆けつけたオリバーは、タイルが抜けて出来た穴を訝しげに覗き込む。私も一緒に覗きながら、ふと、雑貨屋での出来事を思い出した。これって……。


「地下の隠し通路?」

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