第52話 麻酔

 破れかぶれの一撃が、こつんとマレイルの頬にあたった。防戦ばかりじゃ残りの一分間をしのぎきれないと思い、手を出したのだが、それだけで会場中から歓声があがった。

 もちろんその後にはやり返されて地面を転がり、ほとんどダメージを与えることはできなかったけど、まだ立ち上がることもできたし、会話も続けられた。


「まだまだぁ」

「俺がこんなことを言うのもなんだが、お前おかしいよ。今の、加減はしたが、普通だったら死んでるぞ」

「わはは。体があったまってきてるからだな、なんかすげえ調子いいんだ」


 彼は黒辻を横目で伺い、ため息に苦言を乗せた。


「残り二十秒。最後の一撃は手加減なしだ」


 くらってみねえか。と彼は子どもの純真さで力比べを望んだ。


 断りたい。だが肉体はそれとは真逆の考えを持っているかのように熱い。


「俺はお前のルールを呑んだ。全てだ。そっちもこれくらいは乗って欲しいがね」

「痛いところをついてくるなあ。でも、そうだな。それもそうか」


 きっと後悔に直結するだろう判断である。が、止められない。

 止められないことは多々あったのだ。心が何かを望み一方を向いた時、その舵を別な方向へと切るのは難しく、心そのものをへし折られない限りは、そのさきに何があっても進んでしまう。


「じゃあ、腹にしてくれ。顔は怖い」

「あっははは。この後に及んで馬鹿だな、どこだって変わりゃしないのに」

「俺が死んだら、まあいろいろな人が俺を見るだろ? その時にぐちゃぐちゃだったら、いやじゃん。腹だったら、まあ、整えてもらえるんじゃないかな」

「わかったわかった。腹だな、ようし、そんじゃ時間ギリギリにいく」


 いくと言われても用意のしようもない。待ち合わせのようにポケットに手を突っ込み、なんとなくたたずんでいると、セコンドの魔女からは罵声が飛ぶ。


「こら! こっちの魔力にも限度があるぞ、きみも防御くらいはしなさい!」

「あ、うん。する」


 かたちだけそうすると、マレイルは雄叫びをあげた。それは勝鬨ではなく面罵でもなく、紋章の龍独特の笑声だ。


「参る」


 彼の姿が消えた。そして視界がぶれ、胃の上がムカつき出す。


「即死させたつもりだが、俺も鈍ったな」


 マレイルと目があった。聞くべきことは一つだけ。


「き、傷口を見たらまずいかな」

「どっちでもいいさ。現状を知りたければ見ればいい」

「知りたくない。だんだん痛くなってきてるから」

「引き抜かなくちゃならないから、もっと痛くなるぞ」

「現状を教えないでくれ」


 あまりのことで、体と脳がそのことを認めていないため、俺はまだ胃もたれ程度の違和感だけですんでいるが、早いところ試合終了のアナウンスをしてくれないと手遅れになる。


『わー……いやもう言葉もねえわ。人間すげえな。つーかギンジョーがすげえのか? わっかんねえけど、ともかく試合は終了! 勝者は——』


 何百といる龍が一斉に騒いだため、耳が聞こえなくなった。鼓膜が破れたのだろう。


 マレイルは俺の聴力異常に気がついて、ニコニコしながら下を指差す。


「見せようとすんなよ。俺はみないぞ」


 次は上。それには従うと、彼の空いた拳が俺の顎をかすめ、意識を失った。後できいたが、痛み止めと麻酔の代わりに気絶させてくれたらしい。

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