第5話 黒辻劇場

 メールで報告した数日後、黒辻が遊びにきた。


「こんにちは。おめでとう。あがってもいいかい」

「どれから返せばいいのかわかんねえな。上がってくれ」


 妹がリビングで昼寝をしているので、自分の部屋に通した。ペットボトルのお茶と煎餅だけ持って行くと、黒辻はリュックから封筒を出して軽くふった


「まさかとは思うが」

「大丈夫。受かっているとも」

「やっぱりそうか! すげえ! すげえな黒辻!」

「落ち着きなよ。リアクションがはじめちゃんとそっくりだな」


 一は黒辻と遊ぶと、ゲームでもなんでもそうやって喚くらしい。俺たちに自覚はない。


「実はね、ききたいことがあって来たんだ」

「何でも言ってくれ。飯いくか?」

「いやそうじゃない。なんできみはご飯のことばかり……」


 彼女は煎餅を持ったまま、上目づかいに俺を見た。


「実はね、大学では一人暮らしをしようと思っていたんだが、家族に反対されてしまったんだ」


 黒辻家はちょっとした名家である。安全と社会生活を身につけるためにも寮にしなさいと叱られたそうだ。


「でもどうしても一人暮らしがしたくてね。仕送りをもらう身で贅沢だとは思うが、憧れるじゃないか」

「そういうもんか。俺なんか寮じゃなくて一人暮らししろって言われたよ。一がするときの予行だってさ」


 なにがどれほど必要なのかをまとめて報告しなくてはならない。両親にだってそのノウハウはあるだろうけど、それも勉強のうちだと押し切られてしまった。


「珍しい理由だね。もう場所は決まったのかい?」

「まだだけど、ネットで探したら大学の近くにいいのが何件かあったよ」


 黒辻はその場で携帯をいじり、「ここだな」と確認し、さらにいくつか新しい物件も探してくれた。


「こことかいいんじゃないか? 安いし、あ、でもワンルームなのか」

「父さんがいうにはワンルームで十分らしいけどな。結構どこも安いし、商店街もあるしいいところっぽいよなあ」


 予定地は三階建てのアパート、十二畳のワンルームで五万五千円だ。大学からも最寄りの駅からも徒歩十分である。


「ふむ、なるほど。他の候補はどこだい」

「母さんが印刷してくれたのがあるよ」


 渡すと食い入るように見つめ、写真まで撮った。よほど一人暮らしがしたいらしい。


「きみはアルバイトとかするのかい」

「しろって言われたよ。自由に使っていいけど、一のお年玉だけは残しておけってさ」

「自信はあるのかい」

「え? バイトの? わかんないけど、できるんじゃないかな」

「そうか。自信があるのか」


 それからも質問は続き、洗濯や掃除はできるかとか、道は覚えられるかとか、そういう一般的なことまで訊かれた。メモ帳を三ページほど黒くして、


「また連絡するよ」


 と日暮れに帰っていった。妹はその見送りに立ち会ったが、九郎はいいけど黒辻さんがいなくなるのは寂しいと別れを惜しんでいた。


 高校卒業を数日後に控えたタイミングで黒辻がまた遊びに来た。荷造りも終わっているから部屋は殺風景で、すでに妹の私物が置いてある。


「一人暮らしを認めてもらったよ」

「おー、良かったなあ」

「それでだね、ちょっと謝りたいことがあって」


 いつになくモジモジしていいるのは、隠し事を打ち明けたいときの癖だ。


「あの、一人暮らしについてなんだけど、ちょっと、手伝ってほしいというか」

「手伝う? 荷解きとか?」

「あ、それもあるね。予定を調整しないと」

「……それもってことは、他になにかあるのか」


 黒辻は煎餅を割って口に入れた。噛み砕く音がうるさいくらいに響いて、飲み込んで意を決した。


「頼む! 手伝いというのは生活のほぼ全てなんだ!」


 両手を合わせ拝むように頭を下げた。それほどの覚悟が必要なほど、生活の全てというのがよくわからないけど、重要なことなのだろう。


「どういうこと?」

「実は両親を説得する際にきみの名前を使いまくったんだ。銀城も一人暮らしをするとか、銀城は家事のプロとか……まあ色々と」


 あることないこと言ってしまったんだ。


 うなだれながらも後悔を拳に込めてあぐらの膝を叩いた。どこかコミカルで演劇のようだった。


「もちろんあまり銀城くんに迷惑をかけるなと叱られたよ。彼も初めてのことが多いだろうから負担をかけるなとね」


 そりゃそうだ。それに俺が家事のプロであるはずがない。自炊せよとの母からの通達に戦々恐々としているのくらいだ。


「でも私は、私は」


 どういうスイッチが入ったのかは不明だが、黒辻は拳を震わせて、膝立ちになって演説した。


「やってしまったんだ。銀城の方から協力を求められたのだと言った、言ってしまったんだ! 物件も自らのアパートから近いところを探してくれたし、事前に大量のメモまで準備して要穴を授けてくれたと!」


 そのメモとは彼女自身があの時に書いたものだろう。圧倒されていると、終幕が近いのか彼女は正座に落ち着き天井を見上げた。


「父も母もきみを気に入っている。私の友人というのがまず珍しいし、きみは礼儀正しい。落ち着いているし、母がいうには爽やかな好青年だ。その銀城が私を頼っていると説明をすると、だんだん態度が軟化していったから、その、あの、またあることないことを……」


 俺を見るでも見ないでもなく、手持ち無沙汰の指で煎餅を弄んでいる。「ごめん」としおらしくするその姿は、叱られるとわかっていながらもいたずらをしてしまった猫のようでもある。


「俺を使うのはいいんだけど、そのあることないことってのが気になるんだけど。なんて言ったんだ?」


 自分の知らないところで妙なことを言われるのは好きじゃない。ましてや黒辻の両親は素晴らしい人格者で、遊びに行くといつも歓迎してくれる。夕飯をご馳走になったこともあるし、そういう人たちにろくでもないことを囁かれていたとしたら、もうこいつの家に遊びに行けなくなってしまう。


「……きみが私を、えっと、とにかく私のことが心配でしょうがないと」


 ……嘘じゃないけどさあ、また否定しづらいことを言ったものだ。


「心配っつーか、そりゃあするよ? 友達だし、同じ大学だし。自分ばっかりが大変じゃないから助けあいは考えるさ。でも——」

「そうだよな! やっぱりそう言うと思ったんだ、きみのそういうところが美点だよ、持つべきものはきみだ! 銀城だ、こと有れば銀城だ!」

「妙な格言をつくるなよ」


 二の句を継がせてくれなかったのは本心からの喜びがあったからだろう。「これで問題はなくなった!」とニコニコしているその前で、生活の全てを手伝うなんて無理じゃないか、などとは言えなかった。


「よかったよ、せめてもう一度銀城くんに了承をもらいなさいと言いつけられて来たからね、いやあ緊張した。こんなに汗をかいたのは久しぶりかもしれないな」

「了承、したのか? 俺は」

「え——?」

「したな。いいよ。手伝う手伝う」

「ほらね! さすがだ銀城、恩に着るよ!」


 正直、何が起きているのかよくわからないけど、黒辻の喜怒哀楽の舞台が見れただけでもよしとしよう。生活には何の不安もないが、彼女の期待を裏切ることが少しだけ怖かった。

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