天野陽子②

 時計の針は二十二時を差していた。

 今日はもうあの男は来ないだろう。決まって二十一時を過ぎてしばらく様子を見ないと安心はできない。だいたいその時刻にやって来るから。

 私はテレビをつけたまま部屋着でベッドに横になっていた。

 西山に犯されてから私は何回蹂躙じゅうりんされたんだろう。そのうちノイローゼになってしまうのではないか。今は固定客や新規のお客で忙しくなってきているから、何とか自分を保っていられるが、いつ何時にやって来る事に脅えるのは流石にこたえてしまう。

 今日の昼時にだって西山は私の身体を好き放題に犯していった。幾度と果てても、またすぐに身体を求めて犯す。あの男の性癖というか性欲というのか、計り知れないものがある。限られた時間の中で五回か六回は犯された。身体を舐め回され、そのままの状態で午後の営業に店は開けられないからシャワーを浴びる。その浴室でもあの男は私を犯す。

 天井を見ながら溜息をつく。これから私はずっとこんな生活を送らなければいけないのだろうか。やはり今日は来ない。おおかた近くのスナックにでも行っているのかもしれない。警察に行く事も出来た。しかし行ったらこんな小さな街だ。例え西山が捕まったとしても、噂が噂を呼び開店したばかりのこの店に悪影響を及ぼすに違いない。きっと客足も減る。だから我慢するしかない。

 こんなはずじゃなかったのに。

 世間体を気にするばかりでこの有様だ。

 はっきりといって、これは婦女暴行・強姦だ。私の意思とは無関係だ。

 和姦でもない。

 私は合意などしていない。

 あの男の性欲の捌け口に過ぎないのだ。

 四十手前の私を犯して何が楽しいのだろう。

 いや、多分関係ない。

 誰でもいいのだ。

 あの男は女性を舐めている。

 完全に見下している。

 そうだ、同窓会。思い出したかの様に、グループLINEでの出欠アンケートに答えていない事に気付いた。慌ててスマホに手に取って画面を開く。

 『出席』をタップする。

 グループLINEには懐かしい名前が並んでいた。

 それを見ながら私は中学生だった自分に言ってやりたい。


 こんな恥ずかしい大人になるな、と。


 本当にそう思う。私は恥ずかしい大人だ。こんな事をされて何も逆らう事が出来ない。



 思い返せば、私という女は二面性を持っていた気がする。

 皆の前では外面が良く、面倒見のいい姉御肌の様によく見られていた。

 しかし本当の私は夢見る夢子ちゃん。

 好きな人が出来たら、その人と付き合って、結ばれて、その人と一生を添い遂げたい、などと恋愛漫画にありがちな事を夢に見ていた。

 でもこれが本当の私なのだ。

 そのせいなのか、紆余曲折な二十四年を送ってきた。そう思うと振り返ってみれば、私の過去の男性遍歴に至っては散々だったと思う。男を見る目が無いとは、こういう事だという典型的な良い例だと。

 そもそも中学を卒業して、高校入学から全てが狂い始めた。今まで部活漬けで化粧っ気がなかった私は、高校に入ってから出来た友人からメイクの仕方を教わった。部活以外の休み時間はずっと友人達とメイクの練習をしていたと思う。

やがて部活動もおろそかになり、化粧品欲しさに部活を辞めてアルバイトを始める。

 アルバイト代は化粧品に消えていく。

 メイクで自分が綺麗になっていく快感が堪らなかった。

 今まで素肌は浅黒かったのに、部活を辞めアルバイトに勤しむ様になると、いつの間にか色白になっていた。

 元々私の肌は色が白かった。部活を辞めた事で元に戻っただけ。

 だけど元の肌に戻ったというのが嬉しく、それに拍車が掛かって、よりメイクの仕方にのめり込んでいった。

 それでも一応学生だから高校三年になると大学受験の為に、予備校に通うようになった。ナチュラルメイクで通っていた。

 その頃から男子達の視線が、私に向けられている事に気付き始めていた。

 自分でいうのも何だが、顔の作りは悪くない方だ。

 すっぴんでも綺麗だとか言われる事が多かった。

 それと身長もあるから尚更だったと思う。

 元々バスケをやっていたから、他の女子に比べたらそれなりに高身長ではある。

 部活とアルバイトで身体が絞られているから細身でもあった。

 だからそんな状態でヒールなんて履いた日には、一七〇センチは簡単に超えてしまうぐらいだった。

 だから自分の容姿にそれなりの自信はあった。けれど予備校に行く際には必ずメイクはしていた。

 その頃からすっぴんで外に出るなんてありえない、という概念が生まれたんだと思う。


 そして希望していた体育学科のある希望の大学に合格、入学すると最初に待っているのはサークル勧誘だった。私は久しぶりにバスケがしたくなり、迷わずバスケ部に入った。

 そこでバスケ部の先輩と親しくなり、やがて付き合う様になった。見た目も身体も私のタイプだった。もちろん性格も優しい人だったから毎日が幸せだった。

 彼は一人暮らしをしていたから、私は彼の部屋に転がり込むようになり、そのまま同棲生活が始まった。彼の為に料理をする事も覚え、家庭的な自分を演出した。

 しかし私は今思えば、この時に既にやらかしているのだ。致命的な事を。

 彼氏に夢中になり、自分を完全に見失っていた。そのツケが回ってきた事は、今でも後悔している。

 彼に夢中だった私は大学の単位を疎かにしてしまっていた。このままでは留年確定になってしまう。彼や友人に恥ずかしくて、相談なんて出来るはずがなかった。

 わらにもすがる思いで、私は慌てて担当の教授のもとに行って、何とかしてもらえないか相談をした。だが相談したその教授、人の良さそうな顔をして、平然と金銭を要求してきた。しかも学生が払える訳がない金額を。

 当たり前だがそんなお金を持っている訳がない。かといって実家に相談は出来ない。困り果てていると、教授は私に近づいてきて、耳元で、

「分かっているよね? 単位が欲しいんだろう?」

 と、太腿を撫でてきた。

 すぐに私は理解出来た。

 身体を要求してきたのだ。

 私には大好きな彼氏がいる。

 裏切る事なんて出来ない。

 でも単位がないと、このままでは留年が確定してしまう。

 選択の余地なんてあるはずもなく、私はそのまま身体を許し、預けてしまった。それも何度も。

 抱かれている間は彼の事を思い出し、ずっと心で謝っていた。

 

 

 しかしその彼が突然、別れようと私に切り出した。単位の事も、留年の事も彼には話していないし、それこそ教授との関係はバレるはずもなかった。

 私は突然の告白に気が動転していた。しかし、彼は平然と言ってのけたのだ。


「大学までの関係だろう? 俺達の関係ってさ」


 正直、耳を疑った。

 確かに彼は終活をしていて、内定を何とかもらえたと言っていた。

 そしてこのまま付き合っていって、ゆくゆくは結婚するものだろうと私は勝手に思っていた。

 彼の言葉から、ふと大学の食堂で他の女子が話していた事を思いだした。

 大学四年間だけの、割り切った恋愛を考えている男女達が中には存在する、っていう会話。

 まさに目の前にいる彼がそれだった。

 彼は当たり前のような表情をしていた。今まで見せたこともない様な表情。

 どうしたらそんな考え方が出来るのか、私には全く理解が出来なかった。

 いや、出来るはずがない。それじゃあ、今までの彼との甘い思い出は何だったのか? 幻でも見ていたのか? 彼からもらったアクセサリー。これは一体何だったのか。頭が追いついていかない。

 私はそのまま彼の部屋を飛び出し、その日は女友達の部屋に泊めてもらった。

 そして翌日から彼がいない時に私物だけをまとめて、もう二度とこの部屋に戻ることがなかった。

 それからしばらくして、私の留年が決まった。

 もう身も心もボロボロだった。留年に関しては自分が悪かったと今でも思っている。

 彼の価値観に踊らされていた事にも気付かず、このまま続く恋愛は束の間の夢だった様な気もした。

 だとしてもその夢はあまりにも身勝手で残酷すぎる。

 そして最初の汚点、単位欲しさに教授に身体を許してしまった事。冷静に考えたら、それで単位がもらえる訳がない。全て私自身の過ち。

 単位もそうだが、今にして思えば、同棲までしていた彼に本当に恋をしていたのか、それとも恋愛に依存していたのか。それすら分かっていない。

 大学に入っても、勉強が出来ても、スポーツが出来ても、致命的な点がただひとつ。

 私はただの世間知らずの、夢見る馬鹿に過ぎなかった。

 それが今でも続いている。

 強姦されても引っ越す資金もない、世間体を気にして警察に行く事も出来ない。ただ泣き寝入りをして、あの男の言われるがままになっている。

 何も成長していないのだ。

 それでも私は、心のどこかで、女としての幸せを欲している。

 こんな最悪な状況下の中でも、まだそれを願っている。そうでもしないと私自身が壊れてしまいそうだから。

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