第28話


 何日が経っただろう。校長の一件から数日は、俺も纏愛も警戒をしていたが、あの中年エロおやじから、二人に対するコンタクトは何もなくなっていた。


 学校の方も相も変わらず『個を大切に』し、少年少女の学び舎として堂々としている。


 そう、学び舎。

 ここは学校だ。


 俺と纏愛は、彼女が愛される人になるため、悪戯を受けたり実験をしたり、はたまた校長からの脅迫を乗り越えたりと、私立高校の教師と生徒とは思えない日々を過ごしてきた。


 しかし、もう一度繰り返そう。ここは学校だ。

 テストがある。


 纏愛は、これに悩まされていた。


「なんでテストこんなにあんのー……」

「高校生になったら学ぶ分野も増えるからだ」

「そーいう話じゃなーい!」


 ぶー、と纏愛が頬を膨らませた。

 時期はまだ梅雨前、といったところだろうか。

 纏愛には、中間テストが待ち構えていた。


 そう考えると、今までのことが短かったような、長かったような。自分の教師歴の中で、一番時系が狂った年だろう。もう夏休みじゃない? くらいのズレがある。


「ミッチーなんで文系じゃないのー!」

「俺が化学の教師っていうことは、そういうことだろ」

「ハイブリットな人いるじゃん! 理系も文系も全部できる人!」

「悪かったな、ハイブリットじゃなくて」


 俺だって教免すごく苦労したんだぞ。

 そんなことは言っても仕方がないか。


 と言っても、纏愛がもし赤点となってしまうと、うちの学校では重いペナルティが発生する。それは他校とは比にならない。場合によっては一発アウト。中間テストで赤点を取っただけで退学になった生徒を、何人も見てきた。


 うちの校則は緩い。派手髪、ピアス、刺青も自由。その代わり、勉強面はとても厳しいのだ。そのため、サボタージュする生徒は見捨てるし、きちんと学びたい姿勢のある生徒にはしっかりと教える。


 しかし、纏愛に関しては別問題だ。このまま彼女が赤点を取り、そして退学になってしまえば、きっと夜遊びを再開してしまうことだろう。


 そうならないよう、俺も協力し、こうして一緒に準備室で勉強をしているわけだが。


 理系科目はこの間の沈殿反応の実験のおかげか、纏愛は興味を持ち始め、生物という別分野ではあるが、教科書の問題をほとんど暗記しているレベルまで達していた。


 どうやら、文系科目が難所のようだ。


 それも、国語。漢字などの暗記系はほぼ完璧。生物と同じく、暗記は得意なのだろう。しかし、どうしても突破できないのが、文章問題だ。


 小説や説明文。

 答えは本文中に載っている。


 そう伝えても、本人は全く理解ができないようだ。


「だから言っているだろ。ここはそっちと同じことを言っているから――」

「なんで同じこと二回も言うの! 一回でいいじゃん!」


 こんな感じで、彼女の理屈が邪魔をして、勉強が進まないのだ。


「本当に意味が分からない! なにこの、『下線部と同じ意味の文章を〇〇字以内で答えなさい』って問題! 下線部がその意味なんだから、別の文章に同じ意味のある言葉なんて、書いてあるわけないじゃん!」

「あのなぁ」

「それに『下線部の文章を書いているときの作者の気持ちを答えなさい』って問題! そんなん作者に聞いてよ! なんで私に訊くの!! 知らないよそんなん!!」


 国語の問題に対して、こんなにも怒鳴る生徒は初めて見たかもしれない。

 まあ、言いたいことはわかるけどさ……。


「あのな纏愛、一回じゃ伝わらないから二回書くんだよ」

「一回でわかるもん!」

「人間はそんな簡単じゃないんだよ。ほら、最初に怪我させた子。あの子も何回もお前の苗字のこと、誤解してただろ?」

「あー、あれはー……」

「仕方ないって? なら、この問題でも同じことが言えるよな?」


 纏愛は、俺と目線を逸らして答えない。


 なんでもかんでも、自分の理屈に置き換えてしまうところは、治してやらないとなあ。

 そんなことを考えつつ、俺は説得を続ける。


「一回だけじゃ伝わらないことがある。だから何回も伝えるんだ。それで相手が理解してくれたら、次に進める。それが人間ってもんだ」

「でも――」

「でもじゃない。このまま駄々こねるなら、夢葉さんに言いつけるぞ」

「ちょ、ママを出すのは卑怯でしょー!」

「お前もちょくちょく夢葉さんのこと出してくるだろ!」


 諦めてるとか諦めてないとか、そういういじりで。

 内心で付け足しつつ、俺は腕組をする。


 さすがに観念したのか、纏愛は問題文と向き合う姿勢に入った。よし、とりあえず駄々っ子モードは終わった。


 しかし、だからといって解決したわけではない。どうやって、纏愛に国語の苦手意識を克服してもらうか。


 ここを考えなければ。

 だが、俺も大して国語が得意というわけではない。


 ふむ、どうしたものか。

 そんなことを考えていると。

 ふと、纏愛が。


「そーいえばさ」

「勉強に戻れ」

「ちょっとだけ! 休憩も大事でしょ? ね?」


 とお願いポーズをされてしまう。

 これ、断ったらあとで夢葉さんに密告されるんだろうなぁ。

 はぁ、とため息を吐いてから。


「なんだ」

「やった」


 纏愛は小さくガッツポーズをした。どんだけやりたくないんだよ国語の問題。


「で、なんだ」

「いやさ。ミッチーってママにどーやって告白したの?」

「……」


 な。


「……」

「ねーミッチー教えてよー」


 な、なんだ急に。


 なんでそこで、夢葉さんとの馴れ初めが気になりだしたんだ。


「ミッチー?」

「いや、ちょっと待て。なんでお前にそんなことを教えないといけないんだ。だいたい、もうカンタと結婚しているのにそういうのを訊くのはよくない」

「でも、一回じゃ伝わらないってすごい熱弁してたから、何回かアタックしたのかなーっておもって」


 ぐぬ。


 どうして作者の気持ちがわからないのに、俺のそういうところだけ見抜けるんだこいつは。


「お、俺と夢葉さんのことはいいだろ。今の国語の問題とは関係ない。そ、それにあれだ。熱弁したからといって、俺が夢葉さんに何度もアタックしたとは限らないだろ? 一発でオーケーしてもらえた可能性だってあるわけだ。それをわざわざ聞くなんて――」

「ミッチー、癖出てるぞー」


 くっ。

 またやってしまった。


「ねーねー教えてよー。教えてくれたら、ちょー国語やるから! 得意になるまでやるから! ねーお願い!」


 うむぅ。

 言えるには言えるが……。


 苦手を得意にするのは並大抵のことではない。とてもとても困難なことだ。それを女子高生が口約束で達成できるとは思えない。


 だが、夢葉さんに密告されてしまう可能性がある。


 それも、嘘まで盛り込まれてしまったら、俺にどんな仕打ちを用意されるのか、恐怖で身が震える。


「……約束できるのか。国語」

「うん。一日で克服して見せよー!」


 本当なんだろうな……。

 なんだか怪しい勧誘に引っかかったような感覚だ。


「……本当の本当の本当に、頑張るんだな?」

「しつこいなー。そんなにしつこいと、ママに直接聞いて、それカンちゃんにバラすよ? そしたらカンちゃん、嫉妬するかなー。あ、家族崩壊の危機!?」

「わかりました言います」


 なんて脅迫をしてくるんだこの女子高生は。

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