第25話 生き方の代償

『ったく……あんな室内で爆発系の魔術符使うとか、何考えてんだよ』


 一棟の建物内から自分を狙っていた一団を排除して、また建物の影に隠れ潜んだロアは、呆れ気味に愚痴を吐いていた。


『混乱したのでしょうね。あれが覚悟の決まった自爆攻撃なら私も感心したのですが』

『……そんなのに感心しなくていいよ』


 殺し合いの最中だというのに、ズレたことを言う相棒に対し苦笑する。そして敵のいない場所で一度落ち着くと、自分の行動を軽く振り返った。

 最初のやり取りで二人を仕留め、続いて一つの建物内にいた二人の死を確認した。一人はペロの言う通り自爆であったが、これで実質四人を殺したことになる。

 短時間で四人の人間を殺したロアは、胸の内の想いを相棒に向かって吐露した。


『もし俺が大人しく殺されてたら、あいつらは死ななくて済んだんだよな……』


 自分が殺したも四人のことを考えて、そう思わずにはいられなかった。


『俺が殺されれば、死ぬのは俺一人で済んだ。でも俺が生き残って殺せば、その分だけ死ぬ人間の数は増える。……なあ、これって正しいのかな?』

『殺人における善悪の判断は、古来より人類が幾度となく議論を交わしています。それによると一定の正しさなどはありませんが、悪意や害意の有無よりも、所属する共同体にて自己の利益のみを追求して他者を殺傷せしめる行為こそを、人は悪だと断じています。それを適用するなら今回は相手が悪でしょうね。ロアの反撃行為に正当性があるかはまた別問題ですが、悪党を殺しても悪党になることはないと思いますよ』


 聞きたかったこととは微妙に違うが、その内容も自分の行為を正当化できる一因にはなる。ロアはそれで自分自身を納得させようとして、直後にペロが続けて言葉を紡いだ。


『後悔はしていますか?』


 短く問われた内容に、ロアは首を横に振って答えた。


「してないよ」


 それが全てだった。相手が死のうと自分が死のうと、したくないことはしなければいいだけだ。例え相手が一方的に自分を殺しにきたとしても、人を殺すのが嫌なら他に選択肢はあった。黙って殺されても良かったし、さっさと逃げるでも良かった。そのどちらも選ばなかったのは自分だ。相手を殺すと決めたのは自分だ。そこに後悔を抱いていないのも自分なのだ。

 それを自覚して、またその場から移動する。自分の意思で、自分のために相手を殺すと、そう決めて。刃を振るう手も、引き金を引く指も、抱いた殺意も、緩める気は一切ない。ロアはそうすることを選択していた。




「くそっ! 何がどうなってんだよ! なんでこっちが攻撃受けてんだ!!」


 潜んだ建物の一室で、ダーロは現況への不満と不安を声を大にして叫んだ。

 今回オルディンがロアへ襲撃を仕掛けたのは、ダーロが彼に齎した情報が起因した。遺跡と都市を往復する輸送車の中で、ロアとロディンたちの会話を聞いていたダーロは、点数稼ぎを目的として、会話の内容をリーダーであるオルディンに伝えた。襲撃の準備を着々と進めていたオルディンは、それを聞いて急な計画変更を余儀なくされた。

 それで話は終わりだと思っていたダーロだが、その会話を伝えたオルディンからある提案を持ちかけられた。それは今回立てられた襲撃計画への参加だった。いきなりの内容にダーロも初めは躊躇を見せたが、この計画に参加すればチームリーダーの立場を与えられると聞かされ、最終的には快く提案に頷いた。更にその襲撃で活躍すれば幹部に引き立ててやると言われ、ますますやる気を漲らせた。こうしてダーロは見事にオルディンの思惑通りに動かされた。

 オルディンの言葉に嘘はない。襲撃に参加するだけで、事後にリーダーの地位を与えるつもりはあった。仮に彼がトドメでも刺せば、本当に幹部待遇にしてやるつもりもあった。だがそれはダーロの能力を評価してのことではない。人数の水増しと肉盾代わりが理由だった。ロアを少しでも削ってくれればいい。自分たちへの攻撃を一発でも防いでくれればいい。その程度の認識であり扱いだった。生き残れたなら約束の分だけは優遇する。オルディンにとってはそれ以上でも以下でもなく、ダーロが死のうが生き残ろうがどちらでも良いし、そもそもどうでもよいことだった。オルディンは彼に、手駒以上の価値を見出してはいなかった。

 こうしてオルディンに都合のいい駒として扱われ襲撃計画に参加したダーロは、この襲撃で自分が死ぬとは微塵も考えていなかった。彼もロアの実力は知っているつもりだ。オルディンの念入りな計画もあり、実質的に中級探索者に近い脅威があると認識していた。しかし、作戦の内容と集まった戦力から予想して、相手が生き残れるとはカケラも思えなかった。自分がやるのはただ囲んで引き金を引くだけ。戦う前から勝利は決まっており、そんな楽な仕事であると考えていた。

 しかし、その確実視された未来は訪れなかった。気づけば戦闘は始まっており、訳も分からないうちに仲間が複数人殺された。所定の位置で武器を構えていたダーロは、そこから呆然と状況を眺めていることしかできなかった。

 その後ダーロは、自分と同じように配置された仲間が爆発に巻き込まれて死ぬのを目にして、与えられた持ち場から逃走した。このままでは反撃の機会なく殺されると思い、同じ建物内にある一室へと命惜しさに逃げ込んだ。


「お、俺はこんな所で死ぬ気はない……死ぬ人間じゃない。俺はチームリーダーになって、幹部になるんだ……。だから死ぬわけにはいかない……」


 ダーロは微かに眼を血走らせ、震える手で銃を構える。そしてそれを一つしかない入り口に向ける。


「来るならこい……俺が殺してやる……!」


 本心では来るなと思いつつ、威勢のいい言葉を口にして、少しでも抱く恐怖を和らげようとする。

 己を殺しにくる敵を待つダーロの耳に、建物内に何者かが踏み込むような音が届いた。

 壁が破壊されたような音を聞いて、ダーロの心臓は急速に鼓動を早めた。体内の血流が流れを早め、それに呼応するように呼吸の音は激しく荒くなっていく。緊張と恐怖による震えで手元がガタつくのを必死に抑えて、ダーロはその時が来るのを辛抱強く待ち続けた。

 数分にも数十分にも感じられる時間の中で、彼の耳はその音が響くのを確かに知覚した。部屋のすぐ外から聞こえる足音を耳にしたダーロは、物音を立てないよう気をつけて、手の中にある唯一の拠り所をしっかりと構えた。呼吸すら邪魔になると息まで殺して消し去った。

 ダーロは死地に立ったことで、かつてない集中力を発揮した。その状態のまま、獲物が罠にかかるのを待ち続けた。部屋に足を踏み入れた瞬間、寸分すら遅れず引き金を引く。自分を殺すつもりでいる相手に、余さず銃弾を喰らわせる。その瞬間が訪れるのをじっと待ち続けた。

 しかし彼は忘れていた。戦いにおいて獲物とは、常に狩られる側であると。狩る側とは常に強い方であり、それはおおよそ戦う前には決まっていると。

 ダーロの聴覚はある音を捉えた。何かが激しく叩きつけられ、それによって壁が瓦礫となって崩れ去るような音を。聞こえたノイズに反応して、ダーロの顔は反射的にそちらへ振り向いた。

 直後、彼の瞳に映ったのは、砲口を自分に向けるロアの姿だった。

 視界で青白い光が瞬いた瞬間、彼の意識は永久に失われた。


 


「おい、ダーロ、ムガル、応答しろ」


 オルディンの仲間の一人が、ビル内に配置された者たちの安否を無線で確認しようとする。しかし、呼びかけに応じる声が返ってくることはない。

 男は舌打ちして、オルディンの方へと振り返る。


「駄目だな。B棟の連中もヤられちまったらしい。これでこっちの被害は九人だ。無事なのはそこのA棟だけ。予想以上に動きが早い」

「そうか。こんなことなら内部に罠でも……ってそれも無駄だな。流石は魔力活性者と言うべきか」


 告げられた悪い報告に、オルディンは平然と対応する。現状は想定を大きく外れている。自分たちの生存を考慮するならばとっくに撤退すべき状況だ。だがそれでもオルディンに引く気はない。自グループの戦力を削られるのは彼にとっても大損害であるが、まだ用意した奥の手は残っている。それを使うまでは、生じる犠牲は全て必要経費であると見なしている。未だ自分の信用する幹部が一人もやられていないのも大きかった。


「探知機はどうだ? やっぱり奴の居場所は特定できんか?」

「ああ。どういうわけか、あいつの情報だけは全く映らん。たまに現れたかと思えば、全く別の場所で戦闘が起こっている。はっきり言ってお手上げだ」


 オルディンの想定外は他にもあった。それは相手の位置を全く特定できないことだった。自分たちの使っている探知機の性能なら、そこそこの迷彩でも一切看破できないというのはおかしい。それこそかなりの高ランク帯装備でなければ、ここまで翻弄されることなどあり得ない。


「あいつが情報戦にもここまで強さを発揮するとはな。そういう知識や技能には疎いと思っていたが……これも遺物の為せる技か?」


 ロア自身がそれだけの専門技術を有してるなら、相手が偶然遺物を手に入れただけの素人という前提情報が覆る。それは魔力の扱いに関しても同様だ。仮にそうであるならば、もはやロアにこだわる理由は何一つない。早急に撤退すべき状況である。その場合、相手にかなりの賠償を払ってでも手打ちにしなければならない。

 オルディンはその可能性も考慮して、やはりあり得ないと切り捨てた。それはロアという人物の根底が崩れる仮定だ。だからオルディンはこれも遺物の力と判断した。そうでなければ辻褄が合わなかった。


「どうする? このままだと後手に回るばかりだ。アレを披露する前に趨勢が決まっちまうぞ」


 最も信頼する仲間の問いかけに、オルディン顎に手をやり考え込む。確かにこれは良くない戦況だ。相手は未だ五体満足でありながら、その位置は常に不明。対して自分たちの居場所は完全に把握されており、散らばして配したのが仇となって、各個撃破されている状況にある。時間が経つごとに、形勢は相手有利に傾いていく。

 しかしオルディン側にとって、一概にそれが不利とも言えなかった。ロアは常に魔力による強化や感知を使用しており、使う魔導装備の魔力消費も馬鹿にならない筈である。加えて殺し合いにおける肉体や精神の消耗は着実に蓄積する。時間は間違いなくオルディンたちに味方している。それに殺されているのは主力ではない。ロアと対峙できる面子はしっかりと残っている。それも大きな加点要素だ。


「いや……ここで一つ、相手を挑発してみるか?」

「何をする気だ?」


 その問いにオルディンは小さく笑って答える。


「あいつのアキレス腱を狙うのさ。乗ってくるかは判らんがな」




 顔見知りの男を殺しても、ロアの心には何の動揺も乱れも生まれない。モンスターを倒したときのように、いつも通りに平然としていた。そもそも殺すと決めたオルディンからして、ロアにとっては知人と呼べる間柄にある。その彼を殺せるロアにとって、ダーロの存在など胸を痛める要因にはならなかった。


『残りはあそこにいる連中くらいか? 他に隠れてるのはいないかな』

『いてもそれなりに離れた場所でしょうね。予備か、逃亡阻止か、人払いか。どのみちこの戦いの戦力として考慮する必要はない筈です。あの者たちを殺して終わりでしょう』


 ペロの予想にロアは『そうか』と首肯する。現在ロアが視覚ではなく存在感知で見ているのは、崩れた建物の正面に陣取るオルディンたちの姿だ。仲間たちに庇われながら狙撃を警戒する彼らを、ロアは離れた建物の裏側から把握していた。まだ倒すべき相手は十人以上いるが、固まっているならまとめて倒すことも可能である。当初は絶望的な人数差であったが、それも終わりが見えてきた。


『あそこにドカンと一発でかいの叩き込めれば終わるんだけどな』

『それをすれば魔力収束砲マナゲインとは完全にオサラバですね』


 そこまでの覚悟はまだ決めきらなかったために、ロアは苦笑した。十倍以上の人数差がある上に、装備も充実した者たちを相手にして、自分は数百万程度の装備を惜しんで戦おうとしている。

 命の瀬戸際と言える状況なのに、金や装備など俗物的な思考が離れない事実に、自分もそういう人間になってしまったのかと笑うしかなかった。もちろん余裕のない戦いならそれは考慮に値しないが、今はそこまで切羽詰まっていない。

 これが強くなるということなのか。自身の現状に対してなんとも言えない気持ちになった。


『まあ、そういうのはまた終わってから考えよ──』

「────聞こえるか! ロア!!」


 響き渡った声に、ロアは思わず思考を停止させた。


「──突然襲ってきた俺を殺したい気持ちはあるだろうが! 俺から話したい事がある! 取り敢えず聞いてくれ!」


 今更何を言うつもりなのか。命乞いか和解の要求か。どちらにしても、ロアはまともに聞くつもりなどない。どうせまた自分を嵌める罠の一つだろうと見なしていた。ロアの中でオルディンの評価は、もうその程度のものと定まっていた。


「──今回お前を呼び出した本題! さっきは嘘と言ったが、あれは本当だ! レイアたちについて、お前に話しておきたい事がある!!」


 話してる最中に一発くらい不意打ちでも喰らわそうと考えたが、またも出た知り合いの名前に、ロアは行動の躊躇を余儀なくされた。


『これも罠じゃないですか? 攻撃していいと思いますけど』

『……そうかもしれないけど、一応聞いてみる』


 その返しに呆れた様子を見せるペロは無視して、ロアは何もせずにオルディンの話を聞くことにした。


「──以前お前に話した、レイアを追い出すかもしれないという話! アレは全部嘘だ! 俺はあの娘を手放すつもりは一切ない!!」


 そんな話をされたかとロアは首を傾げるが、すぐに思い当たる内容を思い出した。その辺りは彼女が自分で決めることなので、さほど興味を抱かなかった内容だ。

 話したいことはそんなことなのか。他に狙いがあるのか疑い始めるロアに、更にオルディンの声が届けられる。


「──あいつはちゃんとグループの役に立っててな! 自分の役割はしっかりとこなしてるんだ! だからあいつは間違いなく俺たちの仲間だ!」


 そんなことを殊更強調されなくても既に知っている。それが今更なんだと言うのか。ロアにはオルディンが何を言いたいのか全く分からなかった。


「──そんなあいつが何をして俺の役に立ってるか! それを今から俺が聞かせてやろう!」


 聞きたいか聞くたくないかで問われれば、聞きたいとロアは思った。それでもやはり今は殺し合いの最中であるので、早く聞いて終わりにしたいという思いが強かった。


「──グループとして成り上がるにはな! 他の組織との繋がりや協力も重要なんだ! 俺はそいつらに支援を求める代わりに対価を差し出して、その役目をレイアが引き受けてくれてたってわけだ!!」


 ここで始めて、ロアの表情に険が浮かんだ。対価を差し出す。組織としての、グループとしての対価になぜ彼女が関わるのか。ロアは、次の言葉を決して聞き逃さないように耳を傾けた。この時点でオルディンの策は半分成功していた。


「──他のグループのお偉いさんや都市職員の中には少女趣味の変態もいてな! 大々的にそういうのはやれないからと、そいつらをウチに招いて接待させてたんだよ! それで俺は支援を引き出してたってわけだ! あいつは見目がいいから特に評判が良かったぞ!」


 都市の治安組織に見つかれば潰される違法な売春行為も、本人たちが自発的に行うとなれば問題にはならない。そのため、接待と称して都市の有力者相手に、個人的なもてなしを受けさせる壁外組織は少なくない。

 ただオルディンが口にした行いは微妙なケースだ。壁外には人権らしい人権は定まっていないが、それでも壁外の人間は境域に住む一個人と認識されている。法的な市民権は無くとも、事実上の人権は誰しも持っている状態にある。壁内で成人年齢と定められている年齢に満たない者は、壁外でも基本的に子供として扱われる。

 その子供に売春行為を行わせるのは、連合に加盟する管轄指定都市では明確な倫理違反に該当する。個人的な接待の幅を逸脱するものだ。しかしそれを裁く法自体は存在しない。裁ける者も、明確な証拠が無ければ手出しはしない。する理由もない。だから違反ではあるが、目が届かないからと実質黙認されている状態でしかない。当人らが訴えてもそれは変わらない。彼らを守る法も権利も、やはり存在しないからである。


「──あいつが成長したら身柄を渡すって話もある! それで俺のグループを、一層贔屓にして取り立ててもらおうってな!」


 オルディンはこのグレー行為を上手く利用していた。発覚すれば自分にとっても致命的になるこれを、同時に相手の弱みとすることで、相互黙認状態を作っていた。オルディンの協力者は壁内の有力者であるが、それより上位の立場の者などいくらでもいる。公になれば尻尾だけでは済まされず、後追いで詰め腹も切らされる立場に過ぎない者たちだ。そのため互いの利害を一致させ、協力を取り付けるには格好の相手となっていた。更に彼は接待役の人身売買にも着手していた。行為の口止めと組織の利益のために、壁内にその者を売り渡していた。もちろん売られる側にもメリットはある。危険で寂れた壁外から、安全で発展した壁内に行ける。カバーストリーは必要であるが、これは売られる本人にとっても明らかな利点である。壁内に行ければ都市の法的権利も得ることができる。口封じされる懸念も消える。そのため後ろめたい過去を話す者は一人もいない。まさに三方よしの取引となっていた。

 ただしこれには本人の意思が重要となる。仮にそれを無視して強行すれば、手痛いしっぺ返しを受ける羽目になる。管轄指定都市、無法都市問わず、境域では当人の意思が介在しない人身売買は原則禁止とされている。仮にこの禁を犯せば、それが都市長であろうと裁判なしに処刑されることになる。これは境域における絶対禁則の一つであった。


「──まあ、そういうわけだ! お前が仲間になっても、どのみちレイアはお前にやるつもりはなかった! すまんかったロア! 俺の話はこれで終わりだ!」


 それを最後にオルディンの言葉は聞こえなくなった。相手の話が終わったのを理解して、ずっと沈黙していたロアがようやく会話を再開した。


『……結局あいつは何が言いたかったんだ?』


 オルディンの話に対して、まず最初にロアが抱いた感想がそれだった。ロアは相手が何を目的として今の話をしたのか、全く理解できていなかった。


『ペロは分かるか?』

『おそらくですが、彼の狙いは挑発でしょう。ロアの怒りを引き出したかったのだと思います』

『俺が怒る? なんで俺が怒るんだ?』


 ペロに説明されても理解は及ばず、またも首を傾げた。


『断定はできませんが、レイアはオルディンに望まぬ行為を強要させられているのではないでしょうか。彼女と旧知の仲であるロアなら、それを聞けば怒るに違いないと考えたのだと思います』

『……なんであいつがそんなことするんだ?』


 ペロの見解を聞いたおかげで、オルディンの発言の意図は一応把握できた。だが、頭には次なる疑問が噴出した。

 望まぬ行為をさせられたと言っても、そうすることを選んだのはレイア自身である。嫌なら断ればいいことであり、立場的に断れなかったとしても自分には無関係な話だ。それで怒る理由はやはりなかった。

 しかし次にペロから出た言葉で、その考えは改めさせられることになった。


『以前会話した際にあの男が言っていた、ロアをグループに入れるために彼女がなんでもすると口にした条件。それが理由ではないですか』


 何気なくペロが答えた内容。その意味をだんだんと理解したロアは、背中を建物の壁につけると、息を吐きながら座り込んだ。


『……そうか、俺が原因か』


 自分をグループに入れるために、彼女は骨身を削っていた。それは自分が頼んだことではない。彼女が勝手にやったことだ。それに、もしかしたらそれも違うかもしれない。彼女自身がグループに留まるために、敢えてそうしていただけかもしれない。だからそれを気にする理由はない。……しかし、気にせずにはいられない。自分を思ってしてくれたかもしれない行動を、自己満足で自己犠牲な行いと割り切れるほど、ロアは彼女との関係を浅いものだとは考えられなかった。


『もしかして、カラナが言ってたのはこういうことだったのか……?』


 最後にカラナと会話した際、彼女が吐き出すように口にした言葉。 レイアから自分を遠ざけようとしたあの発言は、これが理由ではないかとロアは思った。同時にもう一つカラナが口にした内容。彼女はロアに何かを変えて欲しいのだと、そう期待しているようであった。それが何かは分からない。しかしその何かは、今自分が置かれているこの状況と繋がっているのではないか。

 そこまで考えが及んだロアは、もう一度深く息を吸うと、それを言葉とともに吐き出した。


『……なあペロ。頼みがある』

『なんですか?』

『この戦い──』


 ロアはある希望を口にした。ペロは呆れながらもそれを了承した。




「さて、これで頭に血をのぼらせたあいつが出てきてくれれば、万々歳と言えるんだがな」


 挑発行為を終えたオルディンが、張り上げた声で消耗させた喉を摩りながら言う。


「あいつはガキだが、こんな見え見えの挑発に乗る奴とは思えんぞ?」

「どうだかな。あいつはレイアたちと最低でも数年は生活を共にしていた。家族と呼んでもいい間柄だ。そんな相手を侮辱されて冷静でいられるほど、大人とも思えんよ。案外冷静さを失って、馬鹿正直に突っ込んでくるかもしれないぜ?」


 笑いながらオルディンは言うが、それが希望的観測に近いものであると自覚していた。ロアが殺意を高めても、それは身の内に燻らせて戦意に変えるだけかもしれない。あるいは全く意に介さずに攻勢を仕掛けるだけかもしれない。逆にこの場は一旦引いて、後日に手段を選ばず殺しにくるかもしれない。相手の反応は正直に言って未知数だった。

 それでもオルディンはこの策を実行した。今彼が欲しいのは変化だ。流れを変えて、少しでも自分の方へと引き寄せる。そんな変化が欲しかった。悪い方向へ働く可能性よりも、事態が好転する目に賭けたのだ。命を賭けた博打である。この選択に悔いも惜しみもない。ただ勝つための一手を打つのみ。それだけの理由だった。


「──だが、どうやら賭けには勝ったようだ」


 前方から現れる一人の姿を見て、オルディンは僅かに唇の端を釣り上げた。




 オルディンたちの前に、ロアは正面から堂々とその身を晒した。


『本当にやるんですか? 負けたら死にますよ?』

『ああ。死ぬ気はないけど、死んだらそれはそれだ。そんなことより、俺はあいつを正面から叩き潰してやりたい。そっちの方が俺にとって大事だ』


 ロアがペロに頼んだ内容は単純だった。正面から戦ってオルディンたちを打ち負かしたい。それだけだ。

 どうしてロアがこんな希望を口にしたのか。それに確たる理由があるわけではない。ただロアは許せなかった。弱いだけの自分も。仲間を見捨てた自分も。仲間を利用して、平気で使い捨てるような男のことも。ロアにとってオルディンは、自分の生き方や価値観が全く合わない存在だった。理想とする自分とは正反対の人間だった。だから正面から倒して、踏みにじって、お前の築いた強さはその程度だったと、お前の数年間はここで終わるのだと、そう否定してやりたかった。それだけが、かつての仲間と呼ぶべきレイアに対して、ロアが唯一報いれる方法だった。自分の弱さと過去と、決別する生き方だった。


『これに何の意味があるかは知りませんが、私は止めません。あなたの好きにするといいですよ』

『うん、好きにする』


 ペロの立場としては、正直この選択には否定的だった。相手を殺すのに手段を選ぶ理由は見当たらないし、手段を選んで無駄に傷つくなど不毛であるし不利益だ。はっきりと意味不明な行いである。

 しかしペロは反対しない。言うなれば実利的な面がないだけで、被る不利益も許容の範疇だからだ。ペロは存在感知から得た情報で、既に相手の戦力分析を完全に終えていた。相手側に魔力活性者はゼロ。脅威となる武装も魔術媒体も持ち合わせていない。警戒に値する対象はあるが、それもロアの戦闘力と自分のサポートがあれば問題なく勝てる相手に過ぎない。ペロにとってこの戦いは、もう決着がついたものとの認識だった。

 もちろんそれをロアには伝えない。その情報が油断や慢心に繋がり、自分の予測に崩れが生じるかもしれないからだ。しかしロアに好きな戦い方を選ばせる程度には、状況に余裕があるとの認識でいた。

 ロアも何となくそれを感じ取っていた。ペロにしても、なんでもかんでも自分の好きにさせるわけではない。本当に自分が危険であると判断された場合は、その行いを制止してくれるだろう。そう相棒に対して信頼を置いていた。だからペロが止めないならば、あとはもう自分がどうするか、どうしたいか。ロアにとってはそれだけが重要だった。


 その身を堂々と晒したロアに、そこにいる者たちから多くの武器が向けられる。攻撃の合図を待つ仲間たちを尻目に、オルディンが気安くロアへ話しかける。


「どうしたロア? 正面から堂々と姿を見せて。何か俺と話したいことでもあったか? あっ、もしかして命乞いでもしに来たか?」

「そんなんじゃねえよ。お前ら程度の雑魚にコソコソ隠れて戦うなんて、時間の無駄だって気づいただけだ」


 ロアの罵倒に、オルディンの周りにいる者たちが殺気立つ。オルディンは手を挙げてそれを制した。


「なるほど、大した自信だな。俺たちの仲間をたくさん殺してくれただけはある。偶々手に入れただけの力でそこまで言えるなら、お前はもう立派な探索者だよ」

「なんだろうと俺の力だろ。お前にとやかく言われることじゃねえ」

「くくっ……まあ、その通りだな」


 オルディンの目が細められる。今の発言で九割だった確信が十割に変わった。ロアが強くなった理由は間違いなく遺物にある。それが今のやり取りで確定的となった。咄嗟に乾いた笑い声を出したのも、吊り上がる口の端を誤魔化すためだ。このタイミングでロアが姿を見せたことといい、確信を得られたこといい、完全に状況はオルディンの都合のいいように回っていた。それ故に出た笑いだった。

 それを相手に悟らせないよう、オルディンは必死に己を自制する。そして望む展開への誘導を試みる。


「それで……お前は隠れず戦うと言うが、このまま正面切って殺し合いでも始めるか?」

「そのつもりだ」


 ロアは既に肉体や武器を強化済みである。収束砲にも最大まで魔力を込めている。こうして会話する最中でも気は抜いていないし、警戒も怠っていない。この一秒後に戦闘が開始されても、なんの問題もなく戦いを再開できる態勢を保っている。会話に付き合っているのは、相手がそれを求めてきたからだ。言葉には言葉で、暴力には暴力で。そうするからこそ、相手を正面から叩きのめすことに意味がある。奇襲も不意打ちも必要としていなかった。


「ふむ……それもいいが、せっかくこうして言葉を交わしたんだ。ただ殺しあうだけじゃ味気ないな。そうだな、どうせならここで余興代わりに決闘でもしないか? こっちから一人を出すから、お前はそいつと一対一で戦う。面白い案だと思わないか?」


 いきなり言い出された内容に、ロアは眉間に皺を寄せて目を細める。発言の意図が見えなかった。

 相手の提案など一顧だにせず、このまま殺し合いを再開しても良かったが、正面から姿を見せたのは自分の方である。ロアは一応、提案に乗るだけの理由があるかを尋ねた。


「……俺がそれを受けるメリットは?」

「ウチの最大戦力と一対一で戦えることだ。ランクはDだが、能力的には中級探索者に届くかどうか、それくらいの力はある。そいつとサシでヤれるんだ。他の連中ごとまとめて相手にするよりかはマシだろう?」

「最大戦力を使い捨てにでもする気か? お前本当に頭がおかしいのか?」

「いやいや、ちゃんと言ったろ。ただの余興だよ。殺すにしても殺されるにしても、詰まらん殺し合いより面白い方がいいだろ。どうせどっちかは死ぬんだ。ならせいぜい楽しもうぜ? な?」


 言っている内容は理解できても、込められた意味はまるで理解できなかった。ロアは相手の頭のおかしさを本気で疑いそうになった。だが、オルディンが無意味にこんなことをするとも思わなかった。狙いは別にあると考えた。

 だからこそ、その誘いに乗ることにした。ロアはオルディンを正面から叩き伏せると決めた。それには相手の狙いや目論見もまとめて潰す必要がある。相手を否定するとはそういうことだ。ロアはそれが罠だと理解して、自らそこに飛び込むことを選んだ。


「分かった。その提案を受ける。それで、その決闘ってのはどうやるんだ?」


 ロアがあっさりと誘いに乗ったことに、内心で少し驚くオルディンだったが、これはこれで不都合はないと笑みを浮かべた。


「そうか、受けるか。別に特別なことはない。ただ一対一で戦って勝敗を決めるだけだ。──出番だ、ヨルグ」


 オルディンに呼ばれ、すぐそばに立っていた大柄な男が前に出てきた。憮然とした面持ちの男は、ロアにも見覚えのある顔だった。


「こいつがこっちの代表だ。じゃあヨルグ、頼んだぞ」


 軽い口調でそれだけ言うと、オルディンとその周りに者たちは、一塊になって決闘をするロアたちから離れていった。取り囲まれるのをロアは警戒するが、意外なことにその心配はなかった。ヨルグの後方離れた位置に、彼らはまとめて陣取っていた。

 そちらへの警戒は続けつつも、一旦オルディンたちからは意識を外して、ロアは目の前の男を注視する。ヨルグと呼ばれた大柄の男は厚みのある黒いスーツに身を包み、右手には先端部が太い棒を持っている。左手には透明度のある盾を構えていた。


『あの棒と盾、あれが何か分かるか?』

『はい、内部の機構を読み取りました。それによると右手の棒は打ち付けた対象に衝撃波を浸透させる武器のようですね。魔力砲の接触版のようなものです。盾は防具ですね。ロアのブレードのように魔力で強化加工がされています。やわな攻撃は通じませんが、強化されたブレードなら十分通ります。特に問題はありません。それとその二つ以外に、スーツの方にも仕掛けがあります。あれは強化服ですね』

『ああ、あの高いやつか……』


 探索者向けの専門店で防具も見漁っていたロアは、強化服という装備についても知っていた。魔力強化を使える自分には必要なかったが、身体能力を上昇させる効果がある優れた装備品だ。その価格は恐ろしく高く、下級探索者の自分では手が出せないものだとも記憶していた。

 高価な装備を身に纏う相手に、ロアは警戒を少しだけ強くする。装備だけなら自分は明らかに劣っている。魔力強化がなければ勝負にすらならないだろう。しかし勝算自体は十分にある。まともに戦えば負ける理由は見当たらない。

 それ故にロアはこの状況に訝る。これだけの装備を整えているなら、間違いなく目の前の男は相手側の主力である。言葉通りならば、一番強いという話だ。そんな人物を決闘に出して一対一で戦わせる。その行為はあまりに不可解だった。

 やはり狙いは別にある。ロアの思考がそこに及ぶと、前方から大きな声が聞こえてきた。


「準備が整ったかいお二人さん! じゃあ始めてくれ! よーいスタート!」


 気が抜けそうになる合図を耳にし、ロアは反応遅れず初手から収束砲を放った。予め最大チャージされた魔力弾が前方に向かって発射される。

 自身へ迫る攻撃に対し、ヨルグは一瞬回避の兆候を見せるも、結局それを正面から受け止める。彼の構えた盾に魔力弾が直撃する。接触と同時に魔力の塊は弾けて、内に溜め込んだエネルギーを解放した。機械型モンスターすら容易く屠る威力が盾に炸裂する。左手に受けた衝撃に、ヨルグは歯を食いしばって体を仰け反らせた。しかし盾の性能もあり、その一撃は無傷で防ぎきった。

 ロアの持つ収束砲は二度に亘る限定解除により、その性能を少々劣化させていた。以前の八割ほどの威力しか出せなくなっていた。

 想定とは違う結果にロアは少し呆けるが、すぐさまブレードを構えて駆け寄った。現在ロアが持つブレードは返り討ちにした探索者が持っていたものではなく、新しく自分で買ったものだ。50万ローグしたそれに特別な性能はないが、以前のものと比べて耐久性や斬れ味が純粋に向上している上位互換品だ。

 そのブレードが魔力で強化されて、己の敵へと振るわれる。



 ヨルグは知っていた。相手が魔力で身体能力だけでなく、装備する武器も強化していると。その強化率は不明であるが、強化後の威力は数ランク上のものと遜色なくなる程であると。そして強化されたブレードの刃は、自分の持つ盾では決して受け切ることができないだろうことも。彼はそこまでをちゃんと理解していた。オルディンに指示され、自分がこの決闘に駆り出された理由と、その意味を、彼は正しく把握していた。

 だからこそ、その決断に迷いはなかった。



 自身に死を与えるブレードに対して、ヨルグが取った行動は明快だった。防げないなら防がなければいい。彼は振るわれるブレードと打ち合うように、左手に構えた盾ごとロアを殴りつけた。

 相手の予想外の行動にロアの目が見開かれる。しかしブレードを振るう手は止めなかった。相手の盾ごと腕を切断するつもりで刃を振り切ろうとした。

 ブレードと盾が接触する。両者は一瞬だけ拮抗する。だが、ただ丈夫なだけな盾では魔力で武器強化されたブレードには及ばない。一瞬後に刃はあっさりと盾を斬り裂いた。それを持つ腕ごと。

 しかして、腕を斬られてもヨルグは一切怯まなかった。斬られた盾と腕が落ちる前に、全身と上腕を使って力任せにそれを前へと押し出した。

 斬られた盾がロアの体にぶつかる。またしても想定とは全く違う相手の行動に対し、ロアの意識は虚を突かれる。だが強化された肉体にその程度の攻撃は通じない。勢いと衝撃に押されるだけで、ダメージらしいダメージは受けなかった。

 若干たたらを踏まされたロアは、振り抜いた刃を返す形で振り上げる。その一撃で、相手の腕は二の腕から切断された。左腕を喪失したヨルグは、腕を失ったことにも動じず繰り出した左半身を引く。右手の魔力衝撃棍を頭上に振り上げた。

 その動きはロアには決して早くない。強化服で身体能力が上昇していようと、それは素早さが急激に上昇する訳ではない。体力補助的な面が強いだけだ。ましてやヨルグの身につけるそれは、強化服の中でも低性能な部類に入る。強化服自体が強力な装備であっても、ロアの魔力強化には全く及んでいない。


 相手の動きを完全に読み切ったロアが二歩横にズレる。それだけで相手の攻撃は自分の横を素通りして、そのまま自分はカウンターとなる攻撃を加えられる。ロアは数手先の、自分が勝利する未来を幻視した。

 そして実際に横にズレようとした瞬間、ロアの意識は何かを感じ取った。直後に、腹部に強烈な違和感を覚えた。


『いけません!』


 頭の中で焦る相棒の声が響いた。

動きが一瞬だけ止まったロアに、頭上からその一撃が振り下ろされる。魔力衝撃棍が、避けきれなかったロアの左肩に直撃した。強化されたロアの肉体の内部に魔力の衝撃波が浸透する。内側から破壊する魔力の波は、咄嗟にペロが防御力を高めたために防ぎきれた。しかし、打ち据えられた衝撃までは消せなかった。

 ロアは膝を折ってその場に崩れた。同時に腹部には覚えのない痛みを感じた。左肩と腹部。両方に異常を負ったロアは、即座に立ち上がることができなかった。

 そのロアを、ヨルグが強化服の性能を全開にして、この場から弾き飛ばすように蹴り上げた。ペロが魔力強化を維持したことによりダメージはなかったが、敢え無くロアの体はそこから弾き飛ばされた。

 蹴り飛ばされたロアは、少し離れた場所に強制的に背面から着地する。受け身を取ることもままならず地面の上に転がった。しかし、本能の発する強い警戒感に従って、腹部に感じる強い痛みにも耐えながら、必死にそこから立ち上がった。

 そして、なんとか体に力を込めて身を起こしたロアが目にしたのは、いつのまにか自分に向けて武器を構える、オルディンたちの姿だった。


「撃て」


 オルディンが無情な命令を下す。直後、そこに大量の銃弾と魔術が炸裂した。それは大きな爆発と衝撃波を引き起こして、ロアの体をボロ屑のように吹き飛ばした。

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