第23話 誘き出し

「今日だな……」


 借りた宿の一室で目覚めを迎えたロアは、誰に言うでもなく、一人静かに呟いた。

 ネイガルシティ最後の遺跡探索から、今日で二日が経とうとしていた。旅立ちに必要な物資の買い込みは昨日に終えている。今日のレイアやカラナとする会話の内容次第では、そのままこの都市を出立しようと考えていた。


 都市から都市を個人が移動する手段は、主に三つある。一つ目は自力での移動だ。個人所有の移動車両を買い、それで都市間を移動する。車両を買わず徒歩でもそれは可能であるが、その場合、道中でモンスターと遭遇すれば逃走はほぼ不可能となる。ロアの存在する第一境界線内では、安全な交通経路はある程度開拓され切っている。そのためモンスターと遭遇する可能性は、その経路に従えば低確率なものになるが、それでも0%ではない。徒歩での移動を選ぶなら、モンスターとの戦闘は覚悟して進む必要がある。


 二つ目は都市間の流通に混ざることだ。境域では年に一度の感覚で、都市と都市との流通が活発になる時期がある。六大統轄主導のもと、境域指定都市連合に加盟する全都市は、この時期に抱えた物資と人材を一斉に交換する。この大規模流通の時期は、人や物の流れを活発化するために、個人における移動もしやすくなる。

 ロアにもこれは経験がある。この時期になると輸送路確保のため、壁外には立ち入り禁止区域が増える。そこを通過する三桁を超える大型車両の往来は圧巻であり、ロアはそれを間近で見るため近づこうとしたこともあったが、同じことを考えた者が警告を兼ねて攻撃されたため、それは敢え無く断念されることになった。ロアはそれを遠くから眺めたのをよく覚えている。

 この定期的に行われる大規模流通とは異なり、当然不定期な流通や移送というのも存在する。都市や企業が自組織のみで行うものだ。こちらは一般の参加はほぼ不可能となっている。関係者にコネがあるなら別だが、外部の人間の相乗りはどこもお断りが基本である。


 三つ目は探索者のみが可能な方法だ。それは二つ目の不定期な流通に、護衛として同乗することである。都市間の移動は時に大きな危険を伴う。それはモンスターの襲撃だけでなく、人間からのそれも同様である。寧ろ多くの地域では、こちらの方が危険視されている。モンスターの強さは出現地域によってほぼ定まっている。たまにその傾向を外れる例外も存在するが、基本的にそれが大きく外れることはない。だからその地域に生息するモンスターに対応可能な護衛さえ用意できれば、都市間の移動は比較的容易で安全なものとなる。

 その予測を覆すのが人間だ。境域には反社会的な組織や勢力が数多く存在する。中でも特に危険視さているのが、反体制を標榜するテロ組織だ。このテロ組織は複数する存在する上に、それぞれ主張する主義や思想は異なっているが、そのどれもが六大統轄の支配に対して否定的な立場を取っている。それ故に、実質六大統轄統轄の下位組織となっている境域指定都市連合と、そこに加盟する全ての都市に対して、彼らは度々テロ行為や破壊活動を仕掛けている。流通の妨害や物資の強奪もその一環である。そういった反体制的なテロ組織や、それに便乗して襲撃を企てる無法者どもから荷を守るため、都市や企業は高い金を払い護衛を雇っている。

 その護衛依頼であるが、これは受注のための最低必要ランクがCランクとなっている。これは求められる実力の水準が高いのが理由だ。それに加えて探索者としての別途実績や、協会からの信用評価なども重視される。万が一にも、犯人側の協力者を宛行わない措置である。そのため護衛依頼を協会から斡旋されるということは、探索者としての実力だけでなく、信用度も非常に高いと協会側から評価されたことを意味する。これは探索者を引退して企業などに雇われる際、大きなプラスポイントとなる。そのため護衛依頼を受けたがる中級探索者は多い。専門の探索者チームもあるくらいである。

 しかし今のロアには、それを受ける実力もランクも信用度も、どれも全く足りていない。この三つ目は、選択肢として真っ先に外されることになった。

 その主な三つ以外にも、自分で護衛を雇ったり他の探索者や個人商人の移動に混ざったりなど、移動手段は複数あるが、その何れもそれなりの対価が必要となる。


 結局、ロアが選んだのは一つ目だ。それ以外に選べる選択肢が無かったというのが理由である。しかし元よりそうするつもりであったので、それ自体には何の問題も無かった。問題はそのための移動手段だった。

 ロアは当初駄目元であるが、足代わりとする車両の購入を検討した。しかし、すぐにそれは無理だと判明した。手持ちの金が全く足りなかったのだ。二輪車や四輪車を始め、売られている車両はどれも最低数百万からが基本であった。今のロアはまた新しい装備を買ったため、所持金はほとんどなかった。中古や整備不良品でさえ買うのは厳しかった。こんなことなら返り討ちにした探索者たちの装備を持ち帰ればとも思ったが、それも今更の話だとため息を吐いた。

 他の選択肢として、探索者協会による車両の貸出という選択もあったが、こちらも借りるのに高額な保証金を必要とした。だから消去法的に、徒歩での移動しか残っていなかった。


 ロアはこれらの知識を情報端末から得ていた。ペロのサポートも受けて、勉強も兼ね色々と機能を使い込んでいたのである。その中で知った情報の一つに、『元B探索者による境域一人歩き旅』というものがあった。これは徒歩での都市間移動方法を調べていた際に、ネット上で見つけたものである。元Bランクの上級探索者が、文字通り徒歩で都市から都市を転々とするという内容だ。参考になるかと思い、ロアはこの活動記録を読むことにした。

 内容としては特別なことはない。タイトル通りのものだ。だが、今までまともな娯楽に触れてこなかったロアにとっては、とても魅力的で刺激的な読み物だった。ペロに助けられながら、ロアはこの個人ブログを読み漁った。

 結局その日のうち全てを読み終えることはできなかったが、内容自体には非常に満足していた。これを読み終わるまで、都市に残る期間を延長するか考慮したほどだった。しかしそうはしなかった。別に予定を絶対に崩さないという、強い意志を発揮したからではない。ブログを読む気が一切なくなったからだ。

 その活動記録であるが、ある時を境に全く更新がされなくなっていた。日付が大分前で止まっていたのである。ロアはその理由が気になって、何気なくそれをペロに聞いた。ペロの予想は単純だった。その活動報告者が、死んだのではないかというものだった。それを聞いてロアは固まったが、考えればそれも当然であると思った。

 境域には人を襲うモンスターが存在する。更にそこへ人を襲う人間までもが加わる。都市の影響圏内から出れば、そこはもう命の保証がない危険地帯となる。ロアはその過酷な現実を、この情報から思い知ることになった。そして同時に不安に駆られた。元Bランクの実力者でもあっさりと死ぬのだ。Dランク程度の自分が同じことをして、無事に目的地へ辿り着けるのか。

 ロアはそう思考して、すぐに考えるのはやめた。同じだと思ったからだ。都市にいて人間に襲われるのも、都市の外でモンスターに襲われのも。そこに大した違いはない。

 だから下した決定を翻すことはしなかった。ロアは都市を出ることを決めていた。


 余談であるが、ロアが目にしたブログの執筆者は別に死んでなどいない。炎上したので雲隠れしただけである。炎上した理由はタイトルが嘘だったためだ。このブログの追っかけであるファンの一人に見つかり、そこで全く一人旅でないことが発覚した。最後の記事は謝罪文であったのだが、それを確認する前にロアはページを消したためそれに気づかなかった。ペロにしても、タイトルに重大な報告と書かれていたのは把握していたが、それが炎上に関する謝罪だとは思っていなかった。

 ペロは能力自体は高いが、この辺りの人間の事情や機微には疎い。そのためロアに質問された際、自分が予想できる最も高い可能性を適当に述べただけであった。それをロアは信じてしまった。ネットリテラシーの低い二人による、些細な勘違いが原因で生まれた出来事だった。

 



 昨晩にロアは、ロディンから連絡を受け取っていた。内容はレイアとの話し合いの場が無事持たれることが決まったというものだった。時間は午後に設定されたため午前中は暇であるが、ロアは特に何かをすることはなく、自室で過ごすことを決めていた。するべき事は昨日のうちに全て済ませた。だから外出予定は特になかった。

 暇になったロアは、また情報端末でも弄ろうかと考えた。あまりいい思いをしなかったこれであるが、得た情報自体はタメになるものが多かった。困ったときになんでもかんでもペロに頼るのではなく、自分一人の力で解決できるようになる為にも、端末から得られる知識は貴重であった。


 そう思い端末を手に取ろうとするロアに、宿側から連絡が入った。それに何事かと首を傾げて、室内に設置された情報伝達板に音声の読み上げを行わせた。内容は、またしても自分に来客が訪れたというものだった。

 それでロアはますます困惑を強くした。心当たりがまるで無かったのだ。レイアやロディンたちである可能性はほとんどない。彼らならばまず、端末の方に連絡を入れる筈だからだ。そのような連絡はロアも受け取っていない。だからその線は消えた。あと考えられる可能性としては、他の知人ということになるが、わざわざ自分を訪問するような人物は、もうガルディくらいしか残っていない。それ以外とは関係が薄いか、険悪と言っていい仲の者たちばかりである。

 来客の予想が全くつかないロアだったが、暇であったのとせっかく自分を訪ねてくれたという理由から、その謎の来訪者に会うことに決めた。一応警戒することも忘れず、荷物や武器はまとめて持って行くことにして、その人物に会うため部屋を出た。




「……なんでお前がここにいんだよ」

「そんなもん、お前を呼びに来たからに決まってんだろ」


 無愛想な声音で話すロアへ応じたのは、以前ロアを自分のチームへと勧誘した少年。エルドだった。

 そういえば、こいつと会ったのはあの買取所が最後だったなと、ロアは自分が一端の探索者になったことを随分昔に感じて懐かしむ。そのロアに、エルドは本日自分が訪れた要件を告げた。


「オルディンさんがお前に会いたがっている。急用だそうだ。だから今すぐ俺と一緒に来い」


 憮然とした態度で言い放つエルドに、ロアは怪訝に眉を寄せて聞き返した。


「いや、そんなこと急に言われても意味が分からん。なんで会いたいかそれを言えよ」

「それは会ってから教えるそうだ。少なくともここで話すような内容じゃない」


 ロアが抱いた疑問を、エルドはあっさりと切り捨てた。訝しげだったロアの表情が、警戒や嫌悪の感情が混ざったものへと変化していく。


「……事前に連絡を寄越すこともなく、その内容についても一切教えない。そんなんで俺がホイホイ着いて行くと、本気でそう思ってんのか?」

 

 露骨な不機嫌を雰囲気から読み取ったエルドは、気圧されつつも、強がりからなんとか反論を口にした。


「お、お前、オルディンさんからの指図に従わない気か! あの人を敵に回すことになるぞ!」

「そんなのはもう通り過ぎた後だよ。俺を脅したいなら、もっと別の常套句を身に付けてこい」


 それだけ言うと、話すことはもうないと踵を返した。


『ロアも言うようになりましたね。以前は雑魚探索者に襲われそうだってだけで、ビクビクと不安そうにしてましたのに』

『それだけ俺も成長したってことだよ。もちろんお前のおかげでな』

『当然です。ですが先にそれを言われてしまうのは、なんだか持ち芸を奪われた気分です』


『なんだよそれ』と苦笑しながら去ろうとするロアの背中に、「待て!」と呼び止める言葉がかけられる。一瞬無視して行くことも考えたが、ここで待ち伏せされるのも嫌なので、仕方ないと諦め対応することにした。


「なんだよ。お前の要件は断っただろ」


 心底うんざりといった様子でロアは振り返る。まともに取り合う気を見せない相手に、エルドは歯ぎしりしながら表情を歪めた。

 エルドはオルディンの名前を出したのに、相手がここまで興味を持たないとは思っていなかった。エルドの中でロアという人物は格下か、どんなに高く見積もっても同格程度の存在だった。それは相手が強くなった今でも変わらない。エルドはロアが強くなったのを知っている。そのことは自身のグループ内でもそれなりに話題となった。自分より強いロディンのチームを手強いモンスターから助けたと。それが切っ掛けでオルディンに一目置かれることになったと。所属するグループ内でも明らかに認められたということも。それらをちゃんと認識している。

 しかしエルドは、それらは全て相手の実力ではなく、運によるものだと思っていた。偶然何か強力な遺物を手に入れて、それで強くなれただけだと。それだけが理由だと考えていた。運という偶然の要素だけが相手に味方しただけで、自分は決してロアという人間には劣ってない。だからこそ、例え相手が本当に強くなっていたとしても、このように自分が侮られる態度を取られるのは我慢ならなかった。

 歯ぎしりをやめたエルドは、目つきを睨むようなものに変えて、再度口を開いた。


「……お前がこっちの話し合いに応じない姿勢を見せたとき、オルディンさんからはこれを言えと言われた。話の内容は……レイアさんとカラナに関するものだそうだ」


 エルドの口から出た二人の名前に、ロアの眉はピクリと反応する。

 二人とロアの関係は少しだけ知っているエルドだが、それがどういう意味を持つのかは計りかねていた。ロアの僅かな反応を見ても、それは変わらない。

 不可解から少しだけ視線を緩くしたエルドに、態度を真剣なものへと改めたロアが聞く。


「……それだけか? 他に何か言っていたことは?」

「知らねえよ。俺が聞いたのはそれだけだ。後はオルディンさんに直接聞けよ」


 嫌悪までは紛れていないエルドの返答に、ロアは短く「そうか」とだけ応じた。そして表情を少し険しいものに変化させ視線を落とすと、考え事をするように唇を噛んだ。

 態度の変化が気になるエルドだったが、ここで自分が何かを言って相手の気が変わるのも嫌だったので、このお使いを無事終えるためにも黙ってそれを見守った。

 やがて、視線を上げたロアが口を開いた。


「話し合いに応じる。オルディンの所へ案内してくれ」




『いいんですか? 多分これ罠だと思いますよ』


 エルドに案内を任せたロアは、いつかロディンにそうされたように、その後ろを大人しく着いていく。違いは二人の間に雑談が生じないことと、前回とは行く先が異なっていることである。

 前に赴いたグループの拠点とは明らかに別方向だと判断したペロは、自分の立てた予想を共有する意味でもロアに確認をとった。


『……まだ罠だと決まったわけじゃないだろ』


 相棒からの忠告に、ロアは少し溜めてから応じる。自分でも些か苦しい言い分だとは感じている。だがこうも堂々とした誘き出しのせいで、罠だと断じることができなかった。


『そうは言いますけど、それ以外にこんな人気の少なそうな場所へ向かう理由ってあります? 私にはこの先で罠を張り巡らせて、待ち構えているとしか思えませんが』


 それはロアも同意見であった。しかし、それでも他の可能性を否定しきれなかった。

 だから自分たちはどこへ向かっているのか。この場で唯一知っている者に聞くことにした。


「おい、こっちってお前たちの拠点とは違う方向だろ。どこに向かってんだよ?」

「あ? ……最貧地区だよ。人気のない所で話したいから、そこで待っているらしい」


 エルドは不機嫌な様子を見せつつも、ロアの質問に対して律儀に答えた。ロアの方からその顔を見ることはできなかったが、答えるときのエルドの表情は苦々しいものに変わっていた。

 彼も薄々とは察していた。今回の目的を。しかしそれを口に出すことはしなかった。もしかしたら本当にただの話し合いかもしれないし、それだけで終わるかもしれなかったからだ。

 この違和感にロアが気づいていない筈がないというのも大きい。普通相手が罠を張って待ち構えていると考えれば、途中で逃げるか何かするのが当たり前だ。なのにそうしないのは、それをしないだけの根拠か理由があるときだけだ。だから自分がわざわざ口に出して、それをロアへと伝える必要性は全くない。エルドはそう判断した。


『監視されてますね』


 ペロから唐突にそんな報告を受ける。ロアは頭の中で静かに首肯した。

 エルドの後ろを歩くロアは、人気の少なさを感じた時から存在感知を発動していた。周囲数十メートルに渡って広げられた魔力の膜は、ロアにそこへ映る者たちの姿や姿勢を鮮明に把握させていた。

 それは本当にさりげない動きだった。こうして存在感知を使わなければ、違和感に気づくことはなかったほど手慣れた監視であった。まるでここの住民に成りきったようにして、ロアとエルドの二人を見ている者たちが、道中ではポツポツと存在していた。それをロアとペロはしっかりと見極めていた。


『これで罠である可能性が一層高まったわけですが、まだ逃げないんですか? このままだと行く先で、ほぼ間違いなく殺し合いになりますよ』


 その予感はロアもヒシヒシと感じていた。おそらくオルディンは自分を誘き出し殺そうとしている。そして自分の持つ強さを剥ぎ取ろうとしている。実際にはそれが可能なのかは不明であるが、それを知らない相手がそう考えていても不思議ではない。

 ロアは先日のことを思い出す。直接会って感じたオルディンという男の印象。気さくで話が上手く、仲間を思いやれて指導者としても優れている。それが彼の本性であるとは、ロアも全く思っていない。しかしそれでも、その全てが嘘だとも考えてはいない。そこには確かに、彼という個人の性質が反映されていた筈だった。言葉はともかく、態度までもが嘘であるとは思えなかった。

 だからロアは選択する。もう一つの可能性に賭けようと。相手がそれを選ばないという可能性を試そうと。なぜなら自分は既に、それを選んでいるのだから。


『……ああ。でも、もしかしたらそうならない可能性もまだあるから』

『あなたの判断で、それを避けられるとしてもですか?』


 可能性が外れていたら、待ち受けるのは互いに命を懸けた殺し合いだ。自分が殺される覚悟も、相手を殺す覚悟も必要となってくる。そんな僅かな可能性に期待して、無意味なリスクをとる必要があるのか。そうペロは聞いた。だがロアの意思は固かった。


『例えそうなったとしても……それを選ぶのは俺じゃない。あいつらだ』


 殺し合いになったとして、それは相手が選んだからであり、自分が選択した結果ではない。疑って可能性を切り捨てるのは簡単であるが、自らそうすることはしたくない。これがただの見知らぬ他人ならともかく、仮にも顔を突き合わせ、会話をし、飲み物を飲み交わした相手であるのだ。その義理と人情の分だけは、相手を信じようと思っていた。


『そうですか。ならせめて、心構えはしておきましょうか』


 この先でどうなるとしても、足を翻す気のないロア。その判断を淡々と受け入れ、備えるだけのペロ。覚悟と準備を済ませた二人は、エルドの後ろを動じることなく続いていった。




 やがて二人は、老朽化した四階建ての建物の前にたどり着いた。


「ここが目的地か?」


 簡素なロアの疑問に、エルドも短く「そうだ」と答える。エルドはそれだけ言うと、先に建物の中へと入っていった。ロアはそれを不用意に追うことはしない。というより、今の状況にはっきりと困惑していた。それはペロも同様であった。


『待ち伏せと思いましたが、これはどういうことでしょうか。建物内に人の気配がありませんね。ここを見張っている人物は四人いますが、それにしても少なすぎます。相手の意図が読めませんね』


 両脇の建物が崩れているため、四方がある程度空くことになっている目の前のビルは、周囲からは丸見えの状態となっている。そのため待ち伏せに格好の場と言えるのだが、予想に反して周囲に隠れた者たちはほとんどいない。ペロの言った通り四人だけだ。この四人だけでもロアを相手取るには十分だという可能性もあるが、自分を十人近い仲間とともに部屋で待ち構えていたオルディンからすると、らしくないものだと感じられた。この四人も、ただの見張り役程度にしか思えなかった。

 困惑から立ち往生しているロアに、先に中へ入ったエルドが苛立ち交じりに告げてくる。


「おい、何やってんだ。さっさと入って来い」


 呼びかけられたロアは、いつまでもこの場で立ち止まっていても仕方ないので、今一度覚悟を改めて建物の中に入っていった。老朽化でボロボロな建物内は殺風景であり、物らしい物は全くない。まさしく廃墟という有様だ。

 その中を何もないなと思いつつ、警戒心から注意深く視線を巡らせてロアは進み、二人はすぐに一つの部屋にたどり着いた。


「ここだ」

「……ここって言われても、誰もいないんだが?」


 案内された部屋には、ボロボロの机が一つ置かれただけだ。誰の姿もなかった。


「そこにあるだろ。その端末から連絡がかかってくるらしい」


 エルドに言われ、ボロボロな机の上にポツンと置かれた、この場に似つかわしくない情報端末が目に入る。それを目にしたロアは、呆れたようにため息を吐いた。


「なあ……これで連絡寄越すなら、ここに来る必要なかっただろ。なんでここに来たんだよ?」

「……知るか」


 ロアの至極真っ当な疑問は、同様にエルドも抱いたものだった。だがエルドとしては、自分に与えられた役割をしっかりとこなすこと。それだけが重要である。だから疑問に思っても、行動を変えることはしなかった。

 本当に理由を知らなそうなエルドを見て、ロアも仕方なく彼から視線を外す。頭の中で相棒へと愚痴を吐いた。


『これは本当になんなんだ? 実は俺たちの予想は全部外れてて、オルディンの奴に揶揄われているだけなのか? あいつ何考えてんだよ』

『どうなんでしょうかね。そんなことはないと思いますけど』


 何が目的か判断つかなくなったロアと、オルディンの行動には何かしらの意味があると疑うペロ。もはや帰ろうか考え始めたロアの耳に、机の上の端末に連絡が入る音が聞こえてきた。

 それに視線を送ってもロアは動かず、代わりにエルドが通話のために画面を操作した。


『お? 繋がったか?』


 端末から聞こえてきたのは、確かにロアが知る男の声だった。


「『繋がったか?』じゃねえだろ。こんな場所まで人を呼び出しておいて自分は来ないって、一体どういうつもりだよ。言い訳次第じゃすぐに帰るからな」

『悪い悪い。こっちにもそれだけの理由があってな。謝るから許してくれよ』


 苛立つロアに、いつかと同じように軽い調子で謝罪を述べるオルディン。それに少し毒気を抜かれて、ロアは舌打ち一つで済ませることにした。


「……まあいい。それで話ってなんだ。レイアとカラナのことで何かあるって聞いたが?」

『レイアとカラナ? ああそれか。すまん。それは嘘だ。普通に呼び出しても来ないと思ったからな。二人の名前を利用させてもらったんだ。だから話の内容は全然違う』


 そうだとは思っていたが、こうもハッキリ嘘だと言われることに、ロアはもう会話する気力が削がれる気分だった。疑っていたことを馬鹿らしくすら感じていた。


「……次変なこと言ったら、もうそこで帰るからな」


 ただしそれとこれとは話が別である。嘘の要件で自分を呼び出したオルディンに、ロアは無慈悲に告げた。


『だから悪いって。でもそれは問題ない。今から話すのはちゃんとした真面目な話だ』

「そうか。ならさっさとそれを話してくれ」


 前置きの長い男の言葉に、ロアも雑な態度で応じる。エルドがそれを見て嫌悪を露わにするが、ロアはそれを無視した。


『あー、話す前に一応聞くが、今ってお前一人か?』

「いや、俺を案内したエルドが一緒にいる。こいつに聞かせてもいい話なのか?」


 ロアの疑問に、珍しくオルディンが迷いを見せるように唸った。


『うーん……まあいいか。その前にちょっとエルドと代わってくれるか? そいつと少し話したい』

「勝手に話せばいいだろ。お前との会話、そいつも一緒に聞いてるぞ」

『そうか』


 通話の向こう側で、相手が居住まいを正した気配をロアは感じ取った。


『エルド。お前に今回の件を任せたのは、お前がロアと知り合いだったからだ。それは解るか?』

「は、はい」

『お前とロアが決して仲睦まじい関係じゃないのは俺も知っている。他でもないお前の口からそう聞いたからな。それなのにお前は俺の指示に従って、無事に目的を果たしてくれた』


 リーダーが仲間を褒める。そのありきたりの光景も、今この場では不自然に感じられた。


『初めはダーロに任せようと考えてたんだ。でもあいつじゃおそらく無理だと思った。あいつはお前ほど思慮が深くないからな。悪知恵はあるがそれじゃあ意味がない。だからお前が適任だった』

「え、えっと、オルディンさん……?」

『お前のこれまでの働きにリーダーとして感謝を述べる。ご苦労だった』


 労いではなく、まるで別れを告げるかのような言葉。それになんとなく意味を悟ったエルドは絶句した。対照的に理解できなかったロアが、今のオルディンの発言について考えていると、唐突に爆発するような衝撃音と、足元が強く揺れる震動を感じ取った。

 一体何事かと、倒れないよう足腰を踏ん張るロアに、相棒からの気の抜けた声が聞こえた。


『あー、そういうことですか。やられましたね』


 言葉の直後、ロアの視界には、自分のいる部屋が潰れる光景が入り込んだ。

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