第6話 完全犯罪

 一部を除き、人々の喧騒が夜の闇に消え入るような時間帯。壁近くの比較的治安の良い地区や通りから離れた、不衛生な空気が蔓延る路地の一角に、その男の姿はあった。


「ロアの野郎の分際でこの俺をコケにしやがって……。この落とし前はしっかりとつけなきゃならねぇからな。フヒヒ」


 僅かに狂気を滲ませた声音で不気味な笑いを発したのは、昼間にロアからタカリを行った男ベイブだった。彼はロアへの恐喝行為に失敗した後、同業の探索者から嘲笑されるのを恐れ、また自らが被った恥辱の対価と己の小さなプライドのために、ロアへの襲撃を決断した。

 探索者という人種は、暴力行為を生業とする環境に身を置いている。そのため物事の解決手段に、過激な手法を取ろうする者は少なくない。ただそれは、無計画に場当たり的な行動を起こすことを意味するのではなく、大抵は慎重を重ね、損益をしっかり見極めた上で最終的な決行に移すことがほとんどである。あくまでも探索者にとって、暴力というのは手段の一つでしかないためだ。

 ベイブの場合、標的のロアが自身よりも実力が劣るとの認識があり、加えて深夜に寝込みを襲うため、決して無謀とは言えない決断だった。更にロアの寝床が存在するのは、治安のいい場所から離れた貧民街とも言うべき場所である。人気は少なく、誰かに見咎められる可能性も低い。都市の支配圏内での殺人はご法度であるが、半ば無法地帯の区域に死体が一つ二つ増えたところで誰も気にしない。殺害を実行するにあたっての差し障りはなかった。

 だが彼は、既にしてロアが自分の戦闘力を遥かに凌駕していることを知らなかった。そして無知とは、探索者として生きるにあたり、最も致命的なことの一つだった。




『馬鹿な男ですね。ロアなんかを襲わなければ、少なくとも今日死ぬことはなかったですのに』

『なんかってなんだよ。そりゃあ俺を襲っても得られるものなんか何も無いんだから、その通りだけどさ』


 自分を襲って来たベイブをあっさりと返り討ちにしたロアは、この襲撃を容易く感知したペロの感知能力に感心しつつ、軽口を交わすだけの余裕を取り戻していた。

 就寝中にいきなり起こされたロアは、寝起きの不機嫌さを露わにするよりも早く、起き抜けにペロから襲撃を告げられた。突然の事態に、困惑から急速に焦りへと感情を変えたロアは、慌ててペロに状況を確認した。そして焦る自分とは対照的に、落ち着き払った様子のペロから簡潔に説明を受けると、相棒からの指示を受けて冷静に状況の対処に当たった。

 結果として昼間の言葉通り、襲撃者の撃退はあっさりとなったのだった。


『それにしても、ロアって殺せる人なんですね』

『なんだそれ。どういう意味だ?』

『私の中には使用者のメンタルケアを兼ねた、精神調整用のプログラムもあります。人によっては、同族を殺すことに強い拒否感や悔悟の念を持つ者がいるから、その為ですね。それの使用も場合によっては考慮していたのですが、ロアの図太さを見るに必要なさそうだと思ったのです』

『……言っとくけど、俺だって人を殺すのは嫌だからな。気分だって良いわけじゃない。でも向こうから殺しにきたら、こっちも殺しにかかるしかないだろ。だって殺されるかもしれないんだから』


 至極当然という風にロアはそう言い放った。それに対しペロは『ロアが良いなら私もそれで構わないんですけどね』と軽い調子で答え、話はそれで終わった。

 なんとなく気まずさを感じたロアは、風の通りを変えるように話題を変える。


『そういえばさ、ペロって俺が死んだらどうなるんだ?』

『ロアが死ぬのと同時に消滅するんじゃないんですかね』

『……マジ?』

『消えたことないので正確には不明ですが、間違っていないと思いますよ』


 何気なく聞いたことで明かされた重要な事実と、それをあっけらかんとした雰囲気で語るペロ。ロアはそれに対して二重の意味で驚く。

 いつのまにか自分以外の命も背負っていた事実を知り、重々しく呟いた。


『……それは、余計死ねないな』

『いえ、支援対象を死なせた時点で私に存在価値なんてありません。だからそのことでロアが気負う必要は微塵もありません。第一その時にはあなたも死んでますから、お互い様と言えるものです』


 相変わらず軽い様子のペロであるが、言われた内容は真っ当であり、ロアは『それもそうだな』と苦笑した。自分一人の命ではないが、死ぬ気は無いのだから死んだ後のことを心配しても仕方ない。そういう心境だった。


『それで……どうしようかなこの死体……』


 先の事実よりも一層表情を苦々しくさせて、地面の上に転がる自分が殺した男の死体を見る。


『死体の処理業者か何かに任せればいいのではないですか。私としてはこれを機会に、こんな縁起も治安も立地も環境も最悪の場所とはさっさとおさらばしたいので、これを放置したまま移動することを推奨したいです』

『……そういうわけにもいかんだろ』


 ロアもペロと全く同じ気持ちであったが、常識的な考えからそれを否定した。

 貧民街において、朝起きれば死体が増えているということは珍しくない。食うに困る者や病気や怪我などで毎日人は死んでいる。しかしそれでも、誰かに殺された死体というのは別である。例え都市に見放された人間が集まる地区だとしても、無法の中にも法はあり、人が集まればルールができる。殺人者が平気で彷徨くような環境は、そこに暮らす誰にとっても許容できることではない。だからこそ、治安の悪さから暴力沙汰が起きることはしょっちゅうであっても、通常殺しまではいかないものである。そして仮にそれが起きれば、直ちに身を隠すか事態の隠蔽を図るというのが、無法地帯なりの常識であった。


『死体処理といっても、頼むのに金かかるんだよなぁ。300と数十ローグしか持ってないのに……』

『世間の荒波を渡るにはお金を代価にしなければいけないんですね。丸ごと赤く染めでもしない限りは』


 相変わらず意味不明なことを口にするペロを放っておき、ロアは頭を悩ませる。しかし足りない自分の頭では、妙案と呼べるものは全く浮かんでくるものではない。


『やっぱここを移動するしかないか……? でも昼に俺とベイブが言い争ってるのは他の奴も見てたし、俺がやったって思われるよなぁ。いや、俺の家の前だからせいとうぼうえいってやつが認められるのか? ペロはどう思う。何かいい案はないか?』

『あるにはありますけど』

『あるのか!?』


 相棒からのあっさりとした肯定に、ロアは一にも二にもなく食いついた。やっぱりペロはすごい奴であると、内心で感心しながらそれを聞いた。


『それってどんな方法なんだ?』

『私に搭載されているサポート機能の一つですね。今は割と違いますけど』


 割りと違うとは何が違うのか。ロアは一瞬気になったが、それよりも先に事態の解決策を聞きたかった。


『それって力が強くなったり、視界が広がったりするやつだよな。……まさか、それで死体をバラバラにするとか言わないよな?』

『言うわけないでしょう。まあ、部分的には間違いとも言い切れませんが』


 その発言を聞いて嫌そうに顔を歪めるロアに、ペロは構わず死体へ触れるように求めた。それをまた嫌悪を隠さない表情でロアが従うと、死体に触れた瞬間、ペロが魔力を使用し始めた。


『コード:トランスフォーメーション起動』


 起動句とともにペロが何かを実行する。それだけで、死体や飛び散った血液がまるごと消失した。その場には残されていたのは、死体が身に付けていた物のみだった。まるでここにいた人物がそっくりそのまま消滅してしまった。そんな錯覚を見ていたロアに対して与えた。

 視界で起きた一瞬の出来事に、ロアは驚愕を隠せず、口からは無意識に疑問の言葉がこぼれ出た。


「……一体、何をしたんだ?」

『レイネスをアルマーナに変換したのです。つまりは肉体を魔力に変えて吸収したというわけです』


  返ってきた答えに、ロアは意味がわからず半ば呆然とした。そしてなんとなく理解が追いついたところで、恐る恐る問いを重ねた。


『それって、死体を取り込んだってことか……?』

『合ってるようで違います。肉体と魔力は相互作用を起こし、また互いに相転移を可能とします。肉体は魔力となり、その逆も然りというわけです。以前話した紋章魔術を使用するために、魔力の代わりに肉体を消費するというのはこういう意味です。その機能を私も変換効率を上昇した上で有しているのです。死体になった時点でアルマーナは抜け始めるので、この場合全くの等倍とは行きませんがね』


 全てを正確に理解できたとは言いがたいが、ペロから聞かされた紋章魔術の話を思い出すことで、辛うじて理解に及ぶことができた。そして僅かに鼓動を早め、緊張した面持ちで更に核心をつくことを聞いた。


『……それって、生きてる相手にも使えたりするのか?』

『もちろん使えますよ。でなければ使用者はどうやって自分の肉体を消費するのか、という話になりますからね。ただ、未承諾の個体に強制的な存在変換を使用しても相当な抵抗にあいます。結果として割に合わないか、無意味なことがほとんどです。おそらくロアが懸念することはないと思いますよ』


 内心をペロに見透かされていたが、その説明にロアはホッと胸を撫で下ろした。生きている人間を別の何かに変質させる。その言葉は、字面以上に形容し難い恐怖と気持ち悪さを感じさせた。だから無理やりではなく、ある程度本人の意志でそれを防げると分かって安堵した。


『何はともかく、無事に死体を処分出来て良かった。……改めて考えると結構ヤバいことやってるけど』

『その辺は気にしないでいきましょう。悪いのは全部、逆恨みで殺しにかかったあの男なのですから。その体はペロッと頂いて私たちの力にしたので、それで手打ちとしてこの件は終わりです』

『そうだな……って、それも大分ヤバい発言だな。なにか吸収するたびにそれ言うのはやめてくれよ。死体を食べたみたいで気持ち悪くなるから』

『むぅ、そうですか。上手いこと言えたので決め台詞にでもしようと思っていましたのに』


『絶対にやめてくれ……』と相棒に念押して、ベイブの残した遺品の証拠隠滅を図り、完全犯罪を成し遂げるロアであった。




 新しい日を迎えるために夜が明け、いよいよ今日から遺跡に挑戦しようとロアが意気を高めていると、ペロが待ったをかけるようにあることを宣言した。


『これから最低でも一ヶ月は基礎訓練を行います』


 出鼻を挫かれる形になったロアは、当然のごとく発言の意図を尋ねた。


『なんでだ? 武器の補充は済んだし、これから遺跡に行ってモンスターをたくさん狩るんじゃ駄目なのか?』

『今のあなたでは無理です』


 いつもの調子で軽く聞いたつもりのロアであったが、ペロには硬い口調で否定されてしまう。自分が今までに得た知識と、昨日ペロから聞いた話を合わせた上で、ロアは改めて疑問に思う。


『あの魔力で強化するやつって、その辺の探索者じゃ出来ないすごい技なんだろ。それがあればモンスターなんて楽勝なんじゃないのか?』

『確かに、私の知る限りでは魔力による強化すら未習得の半素人が探索者なるものとして幅を利かせているようですが、ロアはあんな者達を参考にしてはいけません』


 どういうことか首を傾げるロアへ、ペロは更に説明を付け加える。


『この時代ではともかく、私の生まれた時代では魔力なんてものは使えて当たり前だったんです。それこそ肉体の強化から物質の循環形成まで様々にです。確かに私たちの倒したモンスターはクソ雑魚でした。しかし、他もそうである筈がありません。先史文明……私が生まれた時代の遺跡というなら尚の事です。私の記録が確かならば、そこには人類を守護するためのあらゆる自律兵器が揃っています。中には千年という耐久期間にすら軽く耐えられる物も多数存在します。そしてそれだけの年数を問題なく活動可能とする物は、大抵が今のロアを一瞬で殺害できます。それは私のサポートがあっても変わりません。だから探索者として遺跡に挑むつもりなら、それらに対抗するための最低限を身につけなければならないのです』


 自分の知らない世界の話を聞いて、浮かれと恐れが混同する中、ロアは一層自分の知る常識との乖離が気になった。


『でも……だったらなんで、他の奴らは生き残れてるんだ?』

『それは知りません。全ての兵器が強力というわけではありませんし、偶々彼らが遭遇しなかったか、あるいはそれらを意図的に避けているのかもしれません。若しくは、私やロアが知らないだけで強力な兵器を有しているのか、対抗可能な人材が存在するのかもしれません。既に危険度の高い兵器は破壊された後という可能性も考えられます。どれにせよ、他人の基準を今のロアに当てはめることは良くありません。その情報は、一切あなたの生命や安全を保証してくれる訳ではないのですから』


 ペロからの本気の篭った忠告に、ロアは音を鳴らして唾を飲み込んだ。確かにその通りだと思った。仮に周囲からの信用が厚い探索者とペロからの助言だったら、自分は間違いなくペロの方を信じる。自分の命と安全を、世界で一番案じてくれるのは間違いなくこの相棒だからだ。

 ペロへの信頼をこれまでより一段と強く自覚したロアは、そういえばと、思いついたようにあることを言ってみた。


『……そうだな。だけどさ、実はもう昔の兵器ってやつは全部破壊されている可能性は』

『あり得ませんよ』

『ない、か……』


 ロアの言葉に割り込むように断言するペロ。その声音はいつになく真剣であった。


『少なくとも私の知る限り、あの文明の兵器が亡び去ることは想像できません。何らかの理由で活動を停止させている可能性は多分にあり得ます。ですが破壊というのは到底現実的ではありません。それよりも世界そのものが滅びていた方が、まだ蓋然性が高いと思われます』

『そんなにペロの生まれた時代ってヤバいのか……』


『あくまでも対外向けに開発された物ですけどね』と、ペロは苦笑気味に付け足した。旧文明の想像を超えた技術力の高さに驚くロアは、なぜそれ程の時代が過去のものになったのか、話を聞いて余計に気になった。


『……それならなんで、そんな文明が滅んだんだ? 昔はペロみたいなのが沢山いたんだろ?』

『私が存在するのは私だけですが、それはそれとして、その疑問は私にも分かりません。そもそもこの時代における遺跡というものが私には想像し難いのです。旧時代の建造物が残ってそこに住む人々が居なくなった。ただ居住地を変えたというだけなら理解できます。その人々の子孫がロアを含む現代を生きる者達であり、技術の継承が途絶えたから遺跡から過去の知識を取り戻している。そう考えることは出来ます。しかし、それなら何のために居住地を変えたのでしょうか。仮に当時起きていた上位存在との争いが理由なら、遺跡として形を残しているのは不自然です。物理的に消滅する方が自然です。それ程までに上位存在との争いは激化していました。魔物とモンスターの関係性含め、この時代は私には腑に落ちないことばかりです』

『……』


 長いペロの説明と考察であったが、その半分もロアには理解出来なかった。話の後半はほとんど聞き逃すように聞いていた。とりあえず、分からないことだけは分かった気がした。


『ま、まぁ……分からないことを考えても仕方ないしな。今を生きてるならその為に何かしよう。な?』

『ロアの頭の残念さは既に知るところですので理解は求めませんけど、これからの訓練に前向きなのは結構なことです』


 本音を的確に指摘されたロアは、若干引き攣った笑いを浮かべながら、街の外へと移動するのだった。

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