第36話 絡まる糸

曼珠マンジュリコ HP:200%→80%



「……はは、なんだ。なかなかやるじゃねぇか、おまえ」


「それは、どうも」


 風穴は彼女の胴体を抉った。もし人間であれば胃や肺やら多数の臓器が原形を留めていない。9割方吹き飛んでいる。普通、肺が大きく損傷すれば喋ることも難しいはずだが……


 風穴からは血が漏れている……いや、違う、血にしては色が黒ずみ過ぎている。あの、澱んだ血のような液体は怪異を倒した時に飛び散る物と全く同じだ。


「うっ……ごふっ」


 彼女は血と共に口から何かを吐き出した。


(粒子?)


『……解析完了。対象は“マスターの左腕”の“概念”を吐き出しました』


 何を言っているのか理解できなかったが、つまりどういうことなのかは一目で分かった。



・アサタニ レンLv.4 HP:80%→81%



 失った左腕の断面が泡立ち、再生が始まった。


 となると、私の予想は正しかったわけか。私の左腕は彼女に食われたために再生せず、吐き出したから再生した。原理は不明だが、どうやらそのような力が彼女にはあるらしい。


 ひとまずは……彼女を祓わねばと思い、釘の生えた妖刀をさらに強く握りしめる。


「ふふっ……くくくっ……」


 不気味な笑いが岩肌に反響する。こんな目に合ってなお、笑えるのだから末恐ろしい。彼女が“曼珠リコ”であることも、どうして学校の地下にこのような空間があるのかも解明できていないが、それ以上の危険を秘めている。


 彼女は笑い続けている。不気味さを感じながらも、妖刀を振り被り――


「ふふっ……ははっはっははは!! 本気で行くぜぇ!」


 眼が、開いた。


 一、二、三、四――首筋に四つの、血走った紫色の眼がぬるりと開いた。


 眼は彼女の肌の上を這い回り、その全てが首筋の前面に移動し、そして、私の全身を睨みつけた。


『回避してください』


 メディアさんの指示は、少しだけ遅かった。


(ねじ、まがっ……!)


 蛇に睨まれた蛙。彼女に睨まれた私。どちらも、一歩も動けないことが共通している。


 蛙はその気になれば動けるだろう。しかし、私はそうではない。外界から物理的――? 物理法則に反した力――? いや、それは論ずるべきことじゃない。


 首、右手首、両足首、そして胸元に渦が巻き込まれ、それに必死に抵抗しようとし、私の身体は宙に浮かび上がる。


(海流に、巻き込まれたみたいだ……荒波に揉まれるとはこういうことか)


 渦に喉を押さえつけられているせいで息もできない。陸上で、宙に浮かび上がっているのに酸素が足りない。このままでは窒息してしまう。


(何か、手は……)


『計算中、計算中……』



・アサタニ レンLv.4 HP:86%→80%→74%



 本日何度目だ。意識が朦朧とするのは。


 思えば、色々あったなぁ、今日……ルインさんと遊んだと思ったら死にかけの曼珠さんと出会って、助けたら耳切られて、陰陽師の正体を探ろうとしたら毒盛られて、取引したら怪異が現れて、そしたら死にかけて、〈最適化〉が起動して、頑張って風穴開けたと思ったら、本気出すとか言われてまた死にかけて……



・アサタニ レンLv.4 MP:42%→37%


・アサタニ レンLv.4 HP:74%→68%



 流石の回復魔法も酸欠まではどうしようも無い。せいぜい、無くした左腕と失った血を再生する程度に留まっている。視界の左上に配置したHPの値が徐々に減っていく最中、私は自らの死を間近に感じ取った。


 ああ、死ぬのか……死ぬ? しぬ? しぬ……しぬって、何だ? 


 いやだ。死ぬのは、いやだ。


「うぅっ! あぁっ! ……はな……せぇっ!」


「おまえ、強かったぞ。安心しろ。おまえの身体は全部食って、おれの力にしてやる」


……そうだ、妖刀。


 釘から、もっと、血を吸わせて……放つ!


「うおっ!」


 渦で巻き込み、防がれた。だが一瞬、目線が逸れ、私の身体を巻き込む渦が減った。


 一、二、三、四、五……そして、防御のための六。


 おそらく視線だ。彼女は、視線を合わせたところに渦を生み出せる。だから今まで、二つの眼しか無かった彼女は風の渦しか生み出さなかった。万が一攻撃された時、渦の鎧を生み出せるように。


 六つも目がある。だから六つも渦が生み出せる。だったらもっと攻撃を増やして、視線を消費させればいい。


 もっと、効率的に血を吸わせろ。


 一瞬、手から力を抜き、ずり落ちた妖刀の刀身を再び握って刃に指を這わせる。少し握り方を変え、刃が手のひらに当たるようにし、全力で握り締める。


 雑巾を絞るように手のひらから血がとめどなく零れる。刀は私の血を吸い赤く染まった。十分吸えただろう……今度は視線一つで防げないよう、複数の方向から放つ。


「おぉ! いいぞ! もっと抗え! 抗う獲物を仕留めんのが一番楽しいからな!」


 獲物、か。


 首筋に開いた眼が肌の上を移動し、前後左右、360度から小さな渦を作って血を防いだ。



・アサタニ レンLv.4 MP:37%→32%



(血は、いくらでもある……!)


 妖刀に吸わせた分、回復魔法で再生させる。そしてまた吸わせ、血を放ち続ける。それを何度も繰り返すと、私の身体を締め付ける渦の数が減った。彼女の両目は喉と右腕にのみ視線を合わせている。


 もう少し、もう少しで……!


「……鬱陶しいな、それ」


 彼女の左目が赤く充血する。


「くぅっ!!」


 渦が収束し、私の右腕を切断した。回復魔法で繋げようとしたが渦に遮られ、私の右腕が遠くにポテンと、妖刀ごと転がってしまった。


 新しい右腕だけが、何も握れないまま、空しく生えた。


「……もう、なんもねぇのか?」


 全ての眼が私を捉え、渦が全身を締め上げる。


『計算中、計算中……』


 終ぞ、答えは出なかった。


 人間は抵抗することすら意味を為さない本当の死が眼前まで近づいた時、諦めたかのように全身から力が抜けていくことを初めて知った。


 走馬灯が流れるかと思ったが、私にはそんなに思い出が無い。あったとしても、既に風化してしまっている。全て遠く、そして脆く崩れ去ってしまった。


 様々な思い出が闇に飲まれていく……辿り着いたのは、最近の思い出。ゴールデンウィークに帰省して、久しぶりに会った両親の顔と、弟の顔、弟の嫁さんの顔、弟の子、つまり甥っ子の顔……料理、おいしかったなぁ。


 結局、異世界からの侵攻を阻止するための組織作りは何一つ上手く行かなかった。せいぜい、ジギナさんを仲間に引き入れることが出来ただけだ。まあ、目的は既に伝えてある。あとは丸投げしよう。


……最後に思い出したのは、ルインさんの顔だった。


(……口座の預金、全部現金にしておけばよかった)


 できれば、何かを遺してあげたかった。お金の他には、例えば友達……彼女は、この世界において天涯孤独だ。頼れる人間は皆、世界の隔たりを超えた先にしかいないんだよな。


 今となっては全てが遅い。


 もう、諦めることしか出来ないと思いつつ、喉を激しく捩じり締める渦の力に屈そうとしたその時、ローブ姿の男が地面に下りてきた。


「――防げ!」


 その言葉の意味は、すぐさま頭上から降り注いだ。


 赤熱し、融解する天井。岩肌は一瞬のうちに溶岩へと変わり、そして、燃え盛る紅蓮の光線が彼女の下に収束した。


「なっ、あつ――熱い、燃える! 燃えちまう!」


 燃える――? いいや、そんなに生易しい物ではない。


『解析完了。炎のドラゴンブレスです』


 ドラゴンブレス。


 神話や幻想、空想上に存在する伝説の生物が放つ吐息を防ごうと視線を全てそちらに向けるも、紅蓮は渦を貫いて彼女の身体を――滅ぼそうとしている。


 私の身体が地面に落ちる。酸素が一気に体内へと流入し、荒れた喉を刺激して少しむせた。


 光が止んだ。目の前に太陽があるが如く眩かった洞窟の中は、すぐさま暗闇に染まった。


 彼女の焦げ跡は、闇よりもなお、黒かった。


「が……ふっ」



曼珠マンジュリコ HP:80%→0%



 彼女は死んでいた。これ以上無い、確実な死を与えられていた。


……今の光線は誰が、なんて考えるまでも無い。彼女は天井の穴より落下し、風の呪符を用いてふわりと着地する。


 私が最後に想った彼女はこれまでに無いくらい優しい顔をして、地面に倒れ伏す私の背に手を回し、上体を支えてくれた。彼女の姿を見て喉が震えるが、この喉は何も発することが出来なかった。


「助けに来たぞ、レン……さて、お前が元凶か?」


 ルインさんが、来てくれた。


 私を抱き留めたまま、ルインさんは目の前の不審な男にそう訊ねた。だが男はルインさんに目もくれず、炎に焼き滅ぼされたはずの彼女の隣で印を組む。


「陽の術、〈此岸招シガンマネき〉」


 あの屋敷で丑野さんも「陽の術」を使っていた。あの時彼女は、折り鶴に仮初の命を与えていた。


 命を、与える。


「……えっ」



曼珠マンジュリコ HP:0%→1%



「ほら、起きろ。お前に与えたそのボディは非常に貴重なんだ。こんなところで死んでんじゃない。陽の術、〈息吹イブ生命セイメイ〉」



曼珠マンジュリコ HP:1%→101%



「――ふっ、ざけんな! クソ!」


 炭が砕け、中から裸となった彼女が現れた。その身体には一切の傷が付いていない。


 蘇った彼女は、まず一番に自らを蘇らせた男の胸倉を掴み、怒号を浴びせた。


 何を言っているかはメチャクチャで聞き取れなかったが、なんで蘇らせた――おれは負けたんだ――断片ながら、そんな言葉が聞こえた。


「あーはいはい。死ぬんだったらこっちの目的を果たしてから死ね」


「……そうかよっ」


「お喋りは終わりか? それでは再び聞くぞ。これは、お前が元凶か? レンを……吾輩の相棒を傷つけたのは、お前なのか?」


「そうだ、と言ったら?」


「今ここでお前を捕らえ、全ての情報を吐かせてから殺す。言っておくが、拷問も辞さない」


「そうか……いいぞ。やってやろうじゃないか」


 二人の間に、緊迫した空気が流れる。お互いにお互いの一挙一動を観察しあう、戦いの始まる雰囲気を感じ取れた。





「――だが、それはまた今度だ。ほら、陰の妖力を貸せ」


「……チッ」


「陰陽の術、〈間隙カンゲキ指針シシン


 手と手を合わせた彼らは、瞬きする間に姿を消していた。透明化したわけでもなく、左右を見回しても何処にもいない。


 まさか、瞬間移動?


「逃げたか」


「あのっ……ルインさん」


「どうした?」


「助けてくれて、ありがとう、ございました……」


「……なぁに、相棒を助けるのは当然のことだ。それより、舌を噛むなよ」


 ルインさんは私の妖刀を背に括り付け、私の身体を軽々とお姫様抱っこで抱き上げた。


 そしてローブの中から風の呪符と炎の呪符を取り出し、水分がすっかり蒸発してしまいカラカラになった地面の上に置く。


「飛ぶぞ」


「う……わぁぁぁぁぁぁ!!」


 二つの呪符を用いて推進力を生みだし、人間ロケットが飛翔する。頭上には思ったよりも非常に大きな穴が開いており、風を受けながら私はルインさんの腕の中で安心して、脱力した。



 長い夜は終わりを迎える。


 陰陽師に怪異、ダンジョン。ローブの男と、曼珠リコ。謎だけが残る結果に終わったが、何も成果が無かったわけではない。


最適化オプティマイズ〉。私の新たな……と言っていいのだろうか。本当は一番最初からあったのだが。ともかく、このスキルはこれからも私の力になってくれるはずだ。


 そういえば、いつの間にかあらゆる表示が消えている。メディアさんの声もしない。効果時間が切れてしまったのだろうか……?


 この力についても謎だらけだ。なぜ私はこんなスキルを持っているんだ? もしかしたら、性転換したのと何か関係があるのかもしれない。


 一応、彼女にも報告しておこう――


「ルインさん」


「うん? どうしたレン」


「……いえ、ルインさんは綺麗だなーって」


「ふふっ、そうか」


――口にする寸前で、やはり彼女に伝えないことにした。


 念の為、この力の存在は、隠匿しよう。


 彼女もまた、多くのことを隠匿している。私だけが一方的に情報を明かし続けるのは、フェアじゃない。


 それに――


 数日前、ジギナさんと携帯を買おうとしたときに出会ったあの男は――「河川クリーク」は、私にこう言った。


『ああそうだ。親切な少女に聞きたいんだが……ルインっていう女を知ってるか?』


 彼は身振り手振りでその女性の特徴を教えてくれた。獣耳――赤茶けた髪――鋭い目つき――小柄な背丈。私の知っている彼女の特徴と、全てが一致していた。


 その時、私は「知らない」と答えた。


『そっか、知らねぇか……ルインと出会ったら気を付けろよ。特に、“手助けしてほしい”とか“仲間になってほしい”とか言われても、絶対に聞くんじゃねぇぞ。なんてったってあの女は――』



 全てを騙し、戦争を引き起こした大罪人だ。

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