第5話 過去

「あの……本当に行くんですか?」

「行く」

「別に関係ないじゃないですか」

「お前のトラウマ克服になる」

「なりません。絶対なりません」

 僕達は、住宅街を結生も含めた四人で歩いていた。いつも思うけれど、何で部員じゃない結生がいるんだろう。結生は何故か緊張した面持ちだ。

 道の突き当りに公園があった。その隣に、黒ずんだ不気味な家が立っている。

「お お お お」

 ずっと泣き声を立て続けるタテモノ――僕が去年取り込まれたタテモノだ。

 長年放置され続けて伸び放題の雑草に、今にも倒れそうなほど傾いた家。しかも不気味に泣き続けるときたものだ。誰も近寄ろうとしない。

 そんなタテモノの目の前に立った先輩は、ふうと息をついた。

「入るか」

「何で⁉」

 こんなのに入ろうという神経がおかしい!

「お前はここに入って取り込まれたんだろう、こいつを理解するには同じ方法を取るのが一番早い」

 そう言うやいなや、立て付けの悪そうな扉をぎいっと押して開けてしまう。鍵はかかっていない。先輩はさっさと中に入ってしまった。

「ほら行くよ」

 結生にも急かされる始末。……何で皆こんなにアグレッシブなんだ……。

 家に入るとまず重たい埃が舞った。少し咳き込むが、中はそんなに狭くない。先輩がすたすたと進んでいくので僕達もその後を追って中へ入っていった。

「散らかってるな……」

「前は女の子が住んでたのかな?きゃっ」

「そうかも知れないですね……」

 僕は床に落ちていた人形を跨ぎつつ言う。廊下まで散らかって汚部屋というのが相応しい家である。泣き声だけが延々と耳元で反響していて、不気味さに拍車がかかっていた。

「こっちがリビングみたいだな」

 あっ、という間もなく、先輩が居間へ繋がる扉を開けてしまった。

「――!」

 中には、女の子がいた。物が散乱した部屋の中に一人でちょこんと座っている。髪を高い位置で二つに結び、真っ白なお姫様のようなドレスを着ていた。

 しかし、その子は半透明だった。

「幽霊だ!先輩、幽霊!」

 先輩の袖を引っ張るが、反応がない。

「早く帰りましょうよ!」

 振り返ると、まるで逃げ道を塞ぐかのように実月先輩が僕の後ろに立っていた。結生も険しい目で女の子を見ている。

 どうなってるんだ、何で帰してくれないの?と、その瞬間、バッと女の子が顔を上げた。まずい――

「あっ――人だ、お願いです、助けてください!」

「ちょっと――」

「僕です!西です!こんな格好だけど西野樹です、そこにいる僕はなんです!」

 女の子は――この僕、西野樹を、まっすぐに指さした。

「なっ――」

「去年からずっとここに閉じ込められてました、体を乗っ取られて!それで――」

「大丈夫だ」

 はっとする。しかし先輩は、僕を冷たい目で見下ろした。

「もうお前の正体は分かってるんだ。そろそろ諦めろ――みどり

 名前を、呼ばれた。

 周りを見回す。実月先輩も結生も僕をじっと見ていた。悲しいような怒っているような、複雑な目で。

 ここから逃げることは、できなさそうだ。

「もう……お手上げみたいね」

 僕――いや、私は小さく肩をすくめた。先輩の目が険しくなる。

「そう、当たり。私はこのタテモノの主、緑よ。樹と体を交換して入れ替わったの」

 私はつかつかと樹に歩み寄った。彼はびくっと身を竦ませる。

「昨日のうちに確認しておいたんだけどなあ。結界も壊れてなさそうだから上手く騙しきれると思ったのに……樹が上手くやらなかったんだからね。それでバレたのよ」

「お前は、ずっと俺たちを騙そうとしていたんだな」

「そう。バレない限り遊べると思ったんだけど……いつ気がついたの?ここに連れてきたのもわざと?」

「私が最初に気付いたの」

 前に歩み出たのは結生だ。

「貴方、私が誰か最初判らなかったんでしょ?咄嗟に思い出したみたいなふりしてたけど、忘れるわけないんだよ。私と樹は小学校から同じ学校に通ってた幼馴染なんだから」

「浩二さんの件のあとで相談を受けたんだ。樹がおかしいってな。相談して、今はこいつを監視しておこうという結論になった。今の所普通に学校生活に馴染んでいるし、下手に動いて本物の西野になにかされちゃ困るからな。それでずっと神田さんにも張り付いてもらって、お前がおかしなことをしないか監視していた」

 私はくるりと目を回した。

「そんなに前から気づいてたの?私、初っ端からミスってたんだ……」

「だが状況が変わった。咲の件でお前が怒ったのを見た。人間を殺しかねない様子だったからなにか起こす前にと思ってここへ連れ戻しに来たんだ」

「……別に殺しはしないわよ。ちょっと暴れてやろうかとは思ったけど」

 阿辺が眉根を寄せる。結生は私を睨んだ。

「早く樹に体を返して!」

「言っておくが返す以外の選択肢はない。西野はずっとここにいたから、お前の核の場所くらい分かってるだろう」

 脅された。私はむぅっと唇をとがらせる。

「わかった。これでいいんでしょ?」

 樹の額に指を当てる。ぱっと小さな光がひらめいたときには、私たちの体はもう元に戻っていた。

 さあ、またここからになってしまった。私は自分の白いドレスを眺めながら溜息をつく。一方の樹はと言うと、ほっとした様子はなく、何故か私を不安げに見下ろしていた。私は視線を振り払うように手をふる。

「さ、もう用事は済んだでしょ。とっとと出てって」

「……待って」

 私は顔を上げる。

 声を上げたのは、実月だった。

「私は……貴方といて、こんなことをする子じゃないように思った」

「現にしているでしょ。もう帰って」

「阿辺たちのことを心配していた貴方も、貴方の一部だと思うの。どうしてこんなことをしたの?」

 私はぐっと黙り込む。しかし、控えめな声が横からかかった。

「あの。僕ならわかります。緑さん、寂しかったんですよね?」

「何で……そういう事言うの……」

「分かるんです。僕はずっとここにいたから。緑さんの気持ちが、苦しさが、僕には毎日襲ってきた」

 樹がすっと私に目を合わせる。ああ、こういうところが駄目なんだ。私は目を逸らすに逸らせず、樹の瞳を真っ直ぐに見ていた。

「僕は、貴方が悪いタテモノのまま終わるのは嫌です。貴方の口から説明してもらえませんか」

 許されない思いだとは、知っていたのに……。

 私はぽつりとつまらない話を語り始めた。


 始まりは、もう何十年も前。私がまだ生きていた時の話だ。

 私は母と二人でこのボロ屋に住んでいた。でも、生活は地獄そのもの。私の友達は人形だけで、母はだらしがなくてすぐにものを散らかすし、料理もしない。気に入らないことがあればすぐに私を殴る。食事を抜かれることなんて日常茶飯事だった。

 だから、私は死んだのだ。きっと死因は餓死だと思う。それで誓った。どんな事があってもここに居座って、母を呪ってやろうと。

 しかし母は、私の遺体をさほど悲しまずに山に埋めて、すぐに引っ越しをしてしまった。私は取り残された。この家で地縛霊になってやろうと思っていたから、動くことができなかったのだ。

 私の怒りは肩透かしを食らってしまった。もう母がどこにいるかは分からない。何もできないまま怒りに任せて家をボロボロに壊していき、気がついたらこの家は幽霊屋敷として誰も近づかず処分も億劫だと放置されるようになった。私はタテモノになったのだ。

 そうして何十年とたった。私はその間、ずっと一人ぼっち。寂しかった。だから、周りにいた強い思いを残して死んでいった人達を私と同じようにタテモノにしてあげたのだ。私と同じようなモノが増えればきっと寂しくない。そう思ったのに、私がタテモノにした人たちは皆、自分の大切な人のためにこの世に残ることを選んだのだった。私にそんな人はいない。結局また、一人ぼっち。この汚い家の中で、一人取り残されているのだ。

 そんなある日のことだった。私の前で、何度も立ち止まる男の子を見かけた。

 それが樹だったのだ。

 樹は毎日のように私のところへ来た。物珍しくて見ていたら、彼はこんな事を言ったのだ。

「そこに一人ぼっちで、寂しくないの?」

 心臓を掴まれたような気がした。

 誰にも見せられなかった部分を、この子は少し私を見ただけで探り当ててしまったのだ。

 きっとこれは、恋だ。

 許されない思いなのは知っている。だけど、何十年もの寂しさに退屈していた私は、雪の日、彼をタテモノの中に呑み込んでしまったのだ。

 来たばかりの彼は、私を幽霊だと思って泣いてばかりいた。

「そんなに泣かなくてもいいじゃない」

「だって、君、僕をどうする気なの?」

 そこではたと気がついた。私は後先考えずに樹を攫ってしまった。でも、このチャンスを逃すことはできない。

「なら、私と体を交換してくれる?」

 そう言って私は、返事も聞かずに樹の体を乗っ取ったのだ。私は樹になり、樹はタテモノになった。私はタテモノに樹を縛り付けたまま、無事に生還したと装って外に出た。

 生きている間もタテモノになってからも、一度も出られなかった外の世界へ――。


「そこから先は、あんたたちも知ってる通り。私、一度でいいから部活をしてみたかったし、先輩がいるのも楽しかった」

「タテモノ研究部を選んだのは何で?」

「どうせなら、世の中が私の作ったタテモノをどう思ってるのか知りたかったのよ」

 家中がしん、と静まり返った。私は見慣れた天井を眺めて、はぁと息をつく。こんなことなら、早く核を持っていってもらって消滅した方が良かったかも知れない。

 樹はまだ私の前を動かなかった。

「僕は、貴方に感謝しないといけない」

「……はぁ?」

 何言ってるの?しかし樹は大真面目に答える。

「僕、実は去年までずっといじめられていたんです。だから逃げるようにこの学校に入った。緑さんはそんな僕に、先輩と後輩を連れてきてくれたんです」

「何を……」

「確かに、お前は越えてはいけない一線を越えたがな。その間危害を加えるようなことは一切しなかった。俺は、お前を見逃すよ」

「そんな」

 それじゃあ、私はまたここにいなくちゃいけない。それはある意味、許されないよりも重い罰だった。

「その代わり」

 は、と顔を上げる。

「またここに来るよ。お前が一人にならないように。俺は咲の件で失敗した。二度と同じことを繰り返さないように、部員全員を連れてまたお前に会いに来る」

 な……私は皆の顔を見回した。樹は大真面目な顔をしていたが、先輩二人は優しく微笑んでいた。結生一人だけが信じられなさそうな顔をしている。

「どうして?」

 思わず問うと、阿辺がくっと笑った。

「そりゃあ愚問だ。俺たちはタテモノとの共生を目標にする、タテモノ研究部なんだから」

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