第32話 告白

 有田は、険しい口調で、合院の言うことをはねのけた。


「日本の羊会を、いついかなる時でも、平気で殺人を犯すようなグループにするつもりはない!シープアイの本部の方針と違うんじゃないのか?羊会の仕事は、いなくなってしまった人間を、かっきりよみがえらせて、もう一度、役に立つようにするだけだ!お前のように、人間を駒のように扱って事を運べば、しまいには、化けの皮がはがれて失敗することになるぞ!」


 合院は、有田の言うことなどには耳を貸さず、しびれを切らして言った。


「ふん、シープアイの本部だって割れてるじゃないか。おれがついた新グループとは了解がとれてるよ。いずれ、古いグループはお払い箱さ。あんたたちは、そろいもそろって、ほとほと、気が小さい人間だからな。何があっても西日本へ戻らないなら、とうてい、これ以上話してもムダだな」


「どうするつもりだ!」


 三原は、のっぴきならない恐怖を感じて、口をついて出た。


 三原の危惧した通り、合院の右腕である飯成通利と数人の男が現れ、有田と三原に襲いかかり、力まかせに押さえつけ、二人をロープでふんじばった。


「こんなことをしたら、どうなるか分かってるのか?」


「これっぽっちも怖かねえよ!さっさと、連れていけ!」


 合院は、挑むような言い方で、捨て台詞を吐いた。


 真夜中の静寂なしじまを、目隠しと猿ぐつわをされ、にっちもさっちも行かなくなった二人を乗せた車は、道の両側に白く残る雪が案内するかのように、横州市の隣、宝物市の山あいに、ひっそりとたたずむ木津根湖に向かって走り続けた。


 暗闇の中に、人っ子一人いない湖が見えてくると、運転している男に向かって、地理が頭に入っているような口調で、飯成がさりげなく指図をした。


「その先の信号を左に入って、まっすぐ突き当りまで行ったら、草むらに入って止めろ!」


 運転手は、おそるおそる言われた通りに進むと、何やら、道は途中で切れ、その先には、二、三台の車しか停められない、こじんまりした広場と崖っぷちが現れた。


「降りて、車を押すぞ」


 有田も三原も、車に乗ったときから、後ろ手のまま、しきりにロープをほどこうと、指先を動かしていたが、飯成の言葉が、凍りつくように冷酷な響きで耳に入って来ると、頭に血が逆流するような恐怖に襲われていた。


 もはや、数人の男たちで押された車は、二人を乗せたまま、ゆっくり動き出し、最後に、どんと一突きすると、車体は傾き、そのままずるっと、四、五メートルの高さから、真っ逆さまに湖に落ち、けたたましく水がはじける音だけが鳴り響いた。


「誰も聞いちゃいないだろう……」


 飯成たちは、薄明かりの中、辺りを見回しながら、湖の底をのぞきこむようにかがみこむと、ずぶずぶと沈む車を見届けて、要らぬ神経を使うこともなく、もう一台の車に乗り込んで、走り去って行った。


 一方、水中に沈みゆく車の中では、間一髪、縄をほどいた三原が、座席のヘッドレストを引き抜いて、尖った部分をウィンドウの隙間に差し込み、強く引っ張った瞬間、こなごなにウィンドウが割れた。


 二人は、流れ込んでくる大量の水が限界になったとき、息を溜め、三原が有田をひっつかんで、割れた窓から脱け出すと、忍耐強く泳ぎ上がって、ひょっくり、水面に顔を出した。


 岸辺まで泳ぎ着くと、いっときは、とうてい助かる見込みはないとあきらめかけた二人だが、こうして無事に生きていることを自覚して、寒さにわなわなと震えながらも、合院の恐ろしさに慄然とした。


「有田さん!合院は骨の髄まで殺人鬼ですよ!おまけに、シープアイが火付け役になってしまっているなら、手の打ちようがありませんね。かりに俺たちが生きていることが判ったら、ただじゃすみませんよ。もう一度、命を狙われるに決まってます!こうなるともう、警察に出頭して守ってもらうしかありませんよ!」


 有田は、狂気じみた合院の顔を頭に思い浮かべて、三原に行った。


「お前の言う通りだ。合院は手のつけられぬ、腕っこきの悪党に変身してしまったようだ。合院は、自らもそうだったくせに、成り済ましを選んだ人間の苦しみやつらさがまるっきりわかっちゃいなんだよ。だとすると、わらにもすがる思いで羊会に入って来た会員を恐怖のどん底に突き落とすだろうな。だが我々が警察に出頭すれば、成り済ましをひたかくしにすることはできないぞ」


「それは仕方がありませんよ。命あっての物種ってやつですよ」


 二人は、ずぶ濡れになった身体が、氷のように冷えてきて、体温を維持するために、話が途切れることがないように喋り続けながら、やっと舗装された道路まで出ると、車が通らないものか、民家はないものかと今か今かと待ちわびながら、とぼとぼと歩みを進めた。


「シープアイの本部はともかく、日本の羊会は、合院が牛耳る前につぶすしかありませんよ」


「ああ、三原の言う通りにちがいない……おい!車の音がしないか?」


 有田は、はるか前方の光る目が二つ、車のヘッドライトが近づいて来ることに気がついた。


 二人は、一生懸命、両腕を宙に挙げ、力まかせに振り回すと、それに気づいたワゴン車の運転手が、ありがたいことに車を急停車させた。


「どうしたんです?あっ!びしょ濡れじゃないの!乗って、乗って!車の中はあったかいよ!」


 大工道具を、ぎっしり積んだ車の後部座席に乗り込むと、地獄で仏に遭ったようなにんまりした顔つきの三原が、即興で言い訳を口にした。


「いやあ、助かります。真っ暗で道に迷ってしまって、あげくの果てに、気がついたら運転を誤って湖に落っこちてしまったんですよ。どこか、最寄りの警察署まで乗せてくれませんかね」


「お安い御用だ!横州市の警察署なら、一時間もあれば着きまさあ!」


 二人は、暖房のおかげで、冷えた身体がぽかぽかしてくると、とたんに眠気が大波のように押し寄せてきて、運転手の問い掛けにも、かろうじて最低限の受け答えをするのがやっとだった。


「あの、もしもし!警察署に着いたよ!」


 運転手が大声で、呼びかけると、ぐっすり眠っていた二人は、おどろいて飛び起きた。


「ほんとに助かりましたよ。名刺でもありませんか?お礼をしたいんだけど……」

 

「お礼なんていりゃしないよ!役に立ってよかったよ!こういうことはお互い様だから!かぜを引かないように気をつけな!」


 気前のいい男は、そう言って二人を降ろすと、さっさと行ってしまった。


 時刻は、夜中の一時を回っていた。


 二人は、警察署の建物をにらみつけるように見上げると、崖から飛び下りるような気持ちというか、言わば、やけっぱちで署内に入った。


「あの、刑事さんはいますか?」


「どうしたの?こんな時間に?」


 うとうと、船を漕いでいた職員は、目をぱちくりさせて、正気に返ると、当直の刑事に連絡した。


 その日、藪から棒に、事件の中心人物に会うことになろうとはつゆ知らず、どういうわけか、当直だったのは俊介だった。


「私は、有田東樹といいます。こっちは三原島夫です」


 俊介は、名前を聞くやいなや、とたんにはっとして胸をどきつかせた。


《聞き覚えがある名前だ!そうだ!まぎれもなくトムの資料に載っていた男たちだ!》


「こんな時間にやって来るなんて、さぞかし、せっぱつまった要件ですか?」


「ええ、その通り、我々は、ある男から、命を奪われそうになったものですから、矢も楯もたまらずに、こりゃ、警察に命を守ってもらうしかないと考えましてね。それには、自分たちがやってきた犯罪を告白しなくちゃならないんだが、命には代えられませんからね。と言うのは、ほかでもない、我々は、行方不明者がいる家をさがしては、その家に成り済まし人を入れて、財産を手に入れるような詐欺をしていたんですよ」


「もしかして、羊会か?」


「えっ!どうしてその名前を?」


「ちょっと待ってくれ!」


 俊介は、取調室を出ると、鼻田係長とトムに連絡を入れた。


「おお!ラッキー!またとないチャンスだ!捜していた相手が、向こうから飛び込んでくるとは手間がはぶけたね!」


 トムからは、狂喜乱舞しているような嬉し気な声が返って来た。


 鼻田も、寝ついたところを、俊介の電話でとび起きた。


「そいつはおったまげた!すぐ行くから、聞き取りを始めていてくれ!」


 俊介は、何食わぬ顔で部屋に戻ると、二人は、俊介の顔をじっと見つめた。


 有田と三原は、俊介が、とりわけ、自分たちが羊会であることを知っているのか、不可解で仕方がなかったが、それは後回しにして、成り済ましグループとしてやってきたことを、洗いざらい俊介に喋った。


《こんなにも多くの人間が、成り済ます側に回っているのか?》


 俊介は、おどろきを隠せず、思わず口からほとばしり出た。


「人生をやり直したいって思うことは、誰だって、確かにありますよ。そういう人間がたくさんいることも分かりました。そこにつけ込んだ方も悪いし、良しとする彼らも彼らです。別人になってまで、自分を簡単に捨ててしまう気持ちを理解することは難しいな」


三原は、熱っぽい口調で、俊介に言い返した。


「当然のことながら、人生が上手くいっている人間はそう思わないに決まってますよ。ところが、人生は思いのほか理不尽ですよ。努力しても報われない人間は大勢いるんです。財産を手に入れたことは弁解の余地はないが、私は人生をやり直したいという人間の手助けをしただけだと思ってますよ」

 

 俊介は、こり固まった三原の考えを聞いて、さとすように言った。


「往々にして、今の境遇や自分から逃げたいと思うことはあるでしょう。だからといって、人生を過去にもどって、もう一度、やり直すことは絶対に不可能でしょう。成り済ましは詐欺だからダメだが、犯罪以外のまっとうな方法で、今からやり直すならそれは筋は通っている」


 有田も、三原の考えを正当化するような口調で言った。


「世の中、何をやってもダメな場合はあるんですよ。真面目に合法的にやることなんてのは、そういう人間には意味はないんですよ。捕まったら諦めるだけです。だから自分の人生に満足できない彼らのために、この方法を始めたんです。こういった人生が合っているんですよ。きっと感謝していると思っていますがね。人生が上手くいっている人にはわからないと思いますよ」


 俊介は、有田のことばは、詭弁であることは十分わかっていたが、本人たちが信じ込んでいる以上、頭から否定するのは止めにした。


「アメリカのシープアイとの関係を聞きたいんだが?」


 いきなり、トムが凄みをきかせて、部屋に入ってきた。


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