第27話 謎のアメリカ人

「実は、香澄さんって、八草沢興業の三女で、私の高校の親しい先輩なんです。だから、辰夫さんのことは、じかに相談を受けて知っていたんです。香澄先輩は、正直なところ、非の打ちどころのない頼もしい先輩でしたから、慕っている人もざらにいましたよ。辰夫さんと香澄さんが、付き合い始めたのは、同じ大学の頃からだったって言ってました」


 都真子は、八草沢興業と聞いて、どうこう言う筋合いではないけれどもと前置きして、ふと心配になって口に出した。


「八草沢興業って、横州市の交通機関や観光業を牛耳る地元の有名な企業だけど、権三市長とは、いろいろと尾ひれはついてるでしょうけど、犬猿の仲ってもっぱらの噂よね。約束までした二人の結婚が、さぞかし邪魔されて、おじゃんになったことに合点がいくわ」


「ええ、文字どおり、父と八草沢興業は、折り合いが悪いのは、みなさんも、ご存じでしょう。当然のことながら、二人の交際を知ったとたんに、うちの父親も、八草沢家も目くじらを立てて反対して、躍起になって結婚をぶちこわしたんです。結局のところ、泣く泣く別れたそうです」


「そりゃ、かわいそうだったな」


 俊介は、目にあまる話に、同情するように返した。


「父は、辰夫さんに姉さんを押しつけ、嫌と言えない辰夫さんは花華さんを選んだため、香澄さんは、精神的に病んでしまって、治療のためヨーロッパで最先端の医療を受けようと、日本を離れたそうです。だから、香澄さんは父や辰夫さんのことを、格別、恨んでいると思います」


「そりゃ、絶望のどん底に突き落とされた香澄さんの気持ちは、想像もつかないわね」


 都真子は、矢も楯もたまらない気持ちになった。


「姉は、この話は詳しくは知りません。辰夫さんも、香澄さんのことで、心ならずも、父を恨んでいるとしたら、まさしく殺人の動機になりそうな気がして、私がお知らせしないといけないと思ったんです。でも、辰夫さんは謎の多い人だと思いますけど、私が見る限り、人殺しをするような人とは決して思えません」


 里哉香は、父親の不慮の死への悲しさと別に、心の中のもやつく心情を、いっとき、吐露することができて、せいせいした気持ちになった。


「よく知らせてくれた!大事な情報だよ!聞いてよかった!」


「そうよ!必ず、真実を見つけるわ!心配しないで!」


 俊介も都真子も、初めて聞く、のっぴきならぬ辰夫と香澄の関係に、この事件には、一筋縄ではいかない、こみいったお膳立てがあるように感じたのであった。


 翌日、朝から刃条署長の部屋には、俊介や都真子をはじめとして、鼻田係長とその部下が全員集まっていた。


 刃条は、つねづね、署長室を署長の権威をひけらかす部屋にしたくはなかった。


「この部屋は、部下が作戦を練る参謀室であり、また、署員が個々の心情を語り、任務遂行の原動力とする部屋だ。そして、さらに、市民の治安を守る原点の部屋にしたい」


 そのため、毎日、おおぜいの訪問者が、困った顔をしては、ひっきりなしにやってきては、刃条に相談し、指示を仰ぎ、解決の見通しを得て、晴れ晴れとした顔で部屋を出て行くのである。


「集まってもらったのはほかでもない」


 刃条の隣に座る副署長の那佐池が、口火を切って説明を始めた。


「最近の事件をざっと整理してみたい。まず、第一に、スプレー事件だ。犯人の仕舞冠太を逮捕したものの、冠太の脱獄によって振り出しに戻ってしまった。第二に、練馬淡人の殺害事件だ。弟である大留の逮捕で解決したが、そこに浮上した第三の事件が疑われる練馬淡人の成り済まし事件は、捜査が始まったばかりだ。そして、第四に、仕舞権三の殺人事件だ。犯人として羽交辰夫が自首してきたが、何ぶん、自白による訴えだから、客観的な証拠固めはこれからだ。こうして、現段階では、言わば、四つの事件に直面し、荷が勝ちすぎると、青筋を立てたところで、しょせん、解決しなければ市民の信頼は得られない状況だ」


 那佐池が奥歯にもののはさまったような言い方をすると、鼻田がほぞをかむような思いを口にした。


「だとすれば、仕舞冠太の事件では、冠太は刑務官に化けて脱獄しましたが、現場の映像分析で、間もなく足取りがつかめそうです。どのみち、逮捕は時間の問題です。一方、成り済ましの件は、概要さえつかめていません。腑に落ちない点も多く、時間がかかりそうです」


 刃条は、決然とした響きで、ものものしい内容を発表した。


「実は、このあと紹介するが、二つの事件について、極秘捜査をすることになった。仕舞冠太の件と成り済ましの件だ。なんと、アメリカから特種捜査官が来ることになったのだ」


「えっ!アメリカから?そりゃ、たいへんなことになったぞ!」


 突拍子もない話を耳にして、遠山は、雷に打たれたように目をまるくした。


「何しろ、極秘捜査だからな。日本警察での研修という建前でやって来るんだがね。鼻田係長と行動を共にしてもらう予定だ。つまり、仕舞冠太はアメリカでも注意人物だったということだ」


「ひょっとすると、ずいぶん危険な男を相手にしていたのね」


 紫蘭も、マンションの件では危ない目に遭わされたのを思い出して、肝を冷やした。


 刃条は、何もかも、包みかくしなく説明を続けた。


「われわれは、スプレー事件の際に、冠太が被害者の顔を、遊び半分に細工した程度にしか考えなかったが、同様の事件を起こしたアメリカでは、きわめて重大な事件として扱われているんだ。こうした技術は、まかり間違うと、世間を騒がすだけでなく、国際社会で悪用された場合、国と国を揺るがす出来事に発展するおそれがあると分析しているようだ。おまけに、冠太が脱獄したときに、スズメバチを利用した件があったが、人間が昆虫を操る能力を手にしたならば、兵器として利用される可能性があって、そうなると、軍事的な戦略の見直しに影響することになるんだ。実は、この件でも、冠太はアメリカで事件を起こしており、そのため、冠太は日本に逃げて来たのだ」


「すでに、アメリカでしでかして来たわけ?恐ろしい男だわ」


「さらにアメリカからの情報では、こともあろうに、冠太には、共犯者がいることが判っている。そいつは、四倉明という男で、そいつこそが虫を操る男だって言うんだ」


「何よ!仕舞って単独犯じゃないんですね?」


 都真子は、たちの悪い奴がもう一人いると聞いてげんなりした。


「それというのも、この共犯という点では、またぞろ何やら、とんでもないことが起きていたんだ。冠太は、高校生のとき、事件を起こして少年院に入ったことは、寺さんも知っての通りだが、おどろいたことに、冠太自身の身代わりのために、四倉明を入所させているんだよ。それでいながら、とうの冠太は、知らんふりをして、海外に留学しているんだ。つまり、この目論見は、父親の権三の仕業で、わが子可愛さに、指紋や顔写真を偽造して、万事ぬかりなくすりかえたんだよ。権三は、ほとぼりが冷めるまで、冠太を四倉明としてアメリカにいさせて、日本に戻ってきたら、文字どおり、仕舞冠太にもどす予定でいたんだ」


「そんなバカな!あのとき、まぎれもなく、冠太を少年院に送ったはずだ!まてよ、ひょっとして、一度、面会に行ったが、体調が悪いと言って会えなかった記憶があったな」


 寺場は、だまされたことに、今になって気づかされ、腹の中が煮えくり返った。


「それじゃ、まさしく、日本の失態じゃないですか?それこそ、極秘にしなきゃ、発覚したら、取り返しのつかない大騒ぎになりますね」


 俊介は、とても表に出せる問題ではないと、大きくため息をついた。


「その通りだ。アメリカ側では、二人の幼いころからの行動を、追跡調査したんだな。つまり、二人の能力を、ひときわ、抜き差しならないものとして恐れたとも言えるわけだ」


 俊介は、あべこべに、二人の能力に興味をいだいたアメリカ側が、なんらかの目的に利用しようとする意図さえ感じた。


「でも、これを仕組んだ権三は、死んでしまっているから、もはや、詳しい事実は闇に葬られてしまったことになりますね。後にも先にも、冠太と四倉、この二人を何としても見つけ出すことが先決ですが、われわれだけじゃ荷が重すぎる気がしますが……」


 鼻田は、眉をひそめて険しい表情で言った。


「そこが極秘捜査の肝心なところだ。うかつに話を広げるわけにいかんのだよ」


 そのとき、刃条に連絡が入った。


「アメリカからの研修生が到着されました」


「とうとう、やって来たぞ!」


 一同に凍り付くような緊張感が走った。


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