第22話 羊会

 新しい家政婦の岡井は、淡人の名前はちらと聞いていたので、淡人と名乗られると、何のかの言わずに、むかえ入れた。


 淡人を知る人間は、今や、帰ってきている大留と妹の日奈子、数名の社員だけだったが、淡人は、何かと理由をつけて、顔を合わせようとはしないのだ。


 その一方、淡人が出現したおかげで、大留に成り済ました五朗は、万事休す、練馬家の財産に、一切、手をつけることができなくなってしまったのである。


 そればかりか、目まぐるしく、ことをかき乱すような出来事が起きた。


 なんと、正真正銘の大留本人が、ひょっくり、舞い戻って来たのだ。


 おどろいた五朗は、本物と出くわす前に、大あわてで、逃げ出し、さっそく、桐生にいきさつを話し、哲子が調べてみたところ、帰ってきた淡人というのは、こともあろうに、成り済まし人であって、西日本系の詐欺グループ、「羊会」が、練馬家に投入した男であることがわかった。


 何しろ、豊かになった日本は、個人主義が家族主義や親族主義を上回るようになると、その隙をつくように、家族間、親族間のコミュニケーションの薄いところへ、赤の他人が入り込んで詐欺を働くようになっている。


 まさしく、桐生たちの拝見寄グループをはじめとして、詐欺師たちが、山ほどはびこる日本では、こうした詐欺グループが全国に立ち上がっていたのである。


 四倉は、ここまで口にすると、一息入れた。


「俺が五朗から聞いたのはここまでだ。危ない目にあったようだな。自分じゃ、手に負えないところまできているって言ってたよ」


「ああ、羊会のことだろう。このままだと、いずれ、羊会という奴らと対決することになるな。今までにない状況になったよ。へたをするとこっちも危険なことをひっかぶっちまうからな」


 桐生が、苦々しげな顔で言うと、四倉もにんまりして返した。


「だから、俺も、お前に協力したいし、ついでに、俺と冠太の舞台も作りたいからな」


「わかった!俺は、お前と康二は信用している。それじゃ、場所を変えて話そう。俺たちの本部を見せるからついて来てくれ!」


 桐生と康二は、すっくと立ち上がると、四倉と仕舞を案内した。


 ホテルの地下に降りると、別館まで続く秘密の通路がある。


「ここは従業員も知らないんだ」


 通路は、まっすぐ進むと、扉に突き当たり、その扉の向こうには、ギリシャ産のアルゴスブラックの大理石の床に、中央には円形に並べられた高級そうなソファーが置かれ、端にはバーがあって、突き当りの先にはもう一つ部屋があった。


「座ってくれ!」


 四人が座るやいなや、伝東哲子が、奥の部屋から出て来ると、四倉と仕舞を見て、一瞬、おどろいた表情を見せたが、落ち着きを払って言った。


「飲み物でも」


「出してくれ!ところで、四倉、気になっていたんだが、ちょっとした、優れわざっていうのは何なんだ?」


「はははっ!今、市内で起きてるスプレー事件を知ってるか?あれは俺と冠太の挑戦的な芸当だ!」


「えっ!えらい騒ぎになってるぞ」


 にっこりした仕舞が、満を持したようにしゃべり始めた。


「俺が、アメリカで研究開発したのは、人間の顔を粘土のように細工して、他人と同じ顔を作る技術でね。そいつを日本で、明に頼んで実験したのが、あの事件というわけさ。で、実験の結果、細工した顔は、五時間ほどはもつことがわかったが、もっと時間を延ばしたいんだ。この技術は、桐生さんたちの仕事にも役立つはずだ」


「そりゃ、同じ顔が作れるなら、成り済ましても、疑われなくてすむな」


 桐生と康二は、顔を見合わせて、うなずいた。


「どうぞ」


 哲子は、各自の前に飲み物を置くと、端に座って話に加わった。


 今度は、四倉が、しみじみした口調で喋り出した。


「覚えてるかな?少年院のとき、おれにいやがらせをする奴がいてさ、そいつがスズメバチに刺されてたいへんな目にあったことがあったのを。あれは、偶然じゃなくて、おれの能力の始まりだったんだよ」


「ああ、おぼえてるよ。アナフィラキシーをおこして死にかけたんだろ」


「そうそう、あれ以来、信じられないだろうが、俺は、昆虫と意思を通じ、操ることができるようになったんだ」


 桐生たちは、文字どおり、空想的な話としか、理解できなかった。


「なにせ、昆虫は、哺乳類や爬虫類のように大きくはないからな。何処にでも入り込めるだろ。もし、昆虫に自分の目や耳の代わりとなるものを取りつければ、自らの知らない世界を見させてくれるのさ。アメリカじゃ、麻薬の取引の情報を探って、マフィアを脅してカネを手にいれたよ。日本でも一社、脅してカネになったな」


「ほう、そりゃ、すごいな」


「とは言え、こいつには、カネと設備が、それなりに必要なんだ。何よりかにより、誰にも知られずに、研究や実行の準備をできる場所が欲しいのさ」


 桐生は、もしかして、四倉や仕舞を味方にすれば、羊会との争いに勝つことができると、閃光のようにひらめいた。


「おもしろそうだな。それじゃ、ここへ、お前たちの設備を移したらどうだ。連絡も取りやすいしな」


 結局のところ、両者の目的が、遠からず一致したのだろう、手を結ぶことで話はついたが、その矢先、四倉が俊介たちによって逮捕されてしまったのである。


 だが、仕舞は、少しも動ずる色を見せず、桐生に言明した。


「心配することはない。明が戻ってくるのは時間の問題だよ」


 やがて四倉は、いとも簡単に刑務所を脱獄してホテルに帰還し、仕舞が口にしたことは証明された。


「いやはや、俺が脱獄犯として指名手配されたわけだ」


 仕舞が、冗談でそう言うと、哲子は仲子との約束が気になった。


「仲子の言うことを聞いて、仕舞冠太が、のこのこ、公の場に顔を出そうものなら、たちまち警察を呼ばれるわね」


 哲子がほぞを噛んだように言うと、四倉が目をきらつかせて言い放った。


「いい考えがあるぞ!冠太が行かなくたって、名代を行かせればいいんじゃないか?」


「なにっ?名代って?」


「何しろ、冠太の権利だけ主張すりゃいいんだろ!俺の弁護をやってくれた団田弁護士に頼んで、まるで、冠太がそこにいるように行ってもらうのさ。依頼人の秘密はしっかり守ってくれるのが弁護士だ。あの弁護士はギャンブル狂で、借金を、しこたま、こさえてるしれ者だ。必ずやってくれるぞ」


 四倉が、脱獄犯の身でありながら、しゃあしゃあと連絡を入れると、文字どおり、カネに困っている団田弁護士は、けろりと了解した。


 哲子は、四倉の妙案を仲子に伝えると、どういうわけか、仲子もおもしろがって承諾することになったのは、ことのほか意外だった。


 ところで、さらに付け加えておくが、練馬家のごたごたは、五朗の話だけに終わらず、その後も、桐生たちの知らないところで、あれよあれよという間に、予期せぬ方向へと進み出していた。


 どうにもこうにも、大留は、淡人が家にいることを聞いてぎょっとした。


 大留の頭の中では、時の流れは、ろくすっぽ、止まっていることが多かったが、とたんに動き出すと、止まっていた時間に何もしなかった大留は、あわてて、時間に追いついて行かなければならなかった。


 なぜなら、大留は、淡人が失踪した理由を、誰よりも、よく知っているにもかかわらず、いないはずの淡人を見たのだから、雷に打たれたように、おどろいたに違いない。


 大留は、部屋に閉じこもる淡人のもとに駆け込むと、すさまじい剣幕で問い詰めた。


「お前は、いったい何者だ!兄貴だったら、俺がこうしてカネをせびりに帰ってきたら、有無も言わさず、ぶん殴って追い出したよ!お前は兄貴じゃないな!」


「何を言うんだ!俺も色々な目に遭って、前とは性格が変わったんだ!」


「ふざけるな!実の弟なら、お前が本物か偽者かの区別くらいはつくに決まってるさ!別人だってことは、俺が、いちばんよく分かっているんだからな!兄貴に成り済ましやがって!出て行かないと殺すぞ!」


 ところが、先に動いたのは羊会の方だった。


「私は何も失敗はしていませんが、弟の大留は恐ろしい男です」


 淡人に成り済ました、羊会の加木隆司は、大留がしつこく脅すため、逃げたいと報告したところ、羊会の副代表、合院杉男はこれしきのことで、うろたえ、引き下がることは許さなかった。


「おい!大留が、お前を淡人じゃないとして、のっけから信じようとしない理由は、何と言ってるんだ?」


「いやっ、淡人がどうなったか、本当のことは、俺しか知らないの一点張りで、しまいには、とっとと、出ていかないと殺すと、ものすごい勢いで捨てぜりふを吐かれたんです。さしずめ、淡人の失踪について、何か知っているのは間違いありません!」


 合院は、大留の一語一語を天秤にかけるように考えてみた。


「きっと、大留ってやつは、淡人の生き死にについて知ってるんだな。もしかすると、やつの気性なら、まさにその通り、殺してしまった可能性もあるぞ。だとすりゃ、死んだ人間が生き返ったんだから、疑うのは当たり前に決まってる」


 あとになって分かったことではあるが、合院が察し取ったとおり、かねてからの素行を叱責されて、淡人を恨んでいた大留は、かっとなって淡人を殺してしまっていたのだ。


 大留は、大胆にも、淡人の死体を裏山に埋めた後に、昭次郎を脅しつけて金を手に入れると、即刻、行方をくらまして、殺人がばれないように実家に寄りつかなくなっていた。


 もともと、羊会の事前調査でも、大留の存在は、厄介な人間として報告が上がっていたが、家に寄りつかないとの情報だったため、不安要素から取り除かれていたのであるが、まさか、そんな事情があるとは、さすがに、合院にとっても、大きな誤算であった。


「そんなやくざ者は、死んでも誰も気にかける者はないだろう。始末するか」


 合院のことばを聞いた隆司は、まるで、底なし沼に、無理矢理、足を取られたような気がして肝を冷やした。


《羊会のルールでは、気づかれたら、跡を残さず処理して、すみやかに撤退のはずだったが、いつの間にか、殺人の話まで出るなんて!こうなると、羊会のやり方を批判したら、自分の命も危険だぞ!》


 やがて、ほどなく、その通りのことが起きた。


「今だ!飛び込むぞ!」

 

 屈強な三人の男たちが、家で寝ていた大留を襲ったのだ。


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