第6話 蜘蛛の巣の恐怖

「男がガスマスクをはずしたわよ!」


 ガスマスクの男は、わなわなと泣いていた女児を、くり返し手招きしたが、男のガスマスクを怖がって、まんじりともしなかったことに気づき、わざわざ、マスクを脱いで、むきだしな素顔を見せた。


「予想を上回るほどの手掛かりよ!犯人が、おめおめと顔を見せたのよ!とんだ収穫ね!」


「おおっ!こいつなのか?とうとう尻尾をつかんだぞ!」


 俊介も、声をはずませ、勝ち誇ったまなざしで男の顔をひたと見つめた。


 どうやら、効き目があったのか、女児が寄って来ると、男は、女児を助手席に乗せて、何事もなかったように走り去った。


「待って!あの児を、いったい、どこへ連れて行ったのかしら?」


「親が女児に暴力をふるっていたからな。ことによると、虐待が疑われるな。そうなれば、せいぜい、病院か児童関係の施設だな」


「そりゃ、顔を知られるから、どのみち、警察には行かないわね。ひょっとすると、虐待の疑いとなれば、受け入れた方は、そういう際の常として、署に通報してるかもしれないわ!」


 俊介は、即刻、署に連絡を入れると、まぎれもなく、通報の記録が残っていた。


「昨夜、市立病院から通報が入ってます。名を名乗らない男が、五歳の女児を夜間診療に連れて来て、女児が親から虐待を受けていることを告げたあと、こつ然と姿を消しています」


「してみれば、奴にも、いくぶん、人間らしい心情のかけらが残っているようだ!」


 俊介が、要らぬ同情を口走ると、都真子は、有無も言わさぬ口調で言い返した。


「奴に、人間らしさもへったくれもないわ!何をしようと、被害者からしてみれば、文字どおり、手加減する余地は見当たらないわ」


 いずれにせよ、犯人の素顔を記憶に焼きつけた二人は、やにわに車に乗りこむと、さしずめ、署へ急ぐ道すがら、男の発見にけりをつけるすべは無いものかと、むさぼるように知恵をしぼった。


「紹介している暇がなかったが、二課から応援が入ったぞ。以前、ここにいた青竹紫蘭だ。今は遠山と組ませて医療センターに行かせてる」


 署に戻ったとたんに、鼻田係長が切り出した。


「あの娘なら、誰にもひけをとらないわ!」


 それというのも、紫蘭の父親は剛腕の警察官で、もっぱら、紫蘭も、気の強さでは、右に出るものはいないだろう。


 都真子は、行動力のある点では評価していたが、無鉄砲さでは、手のつけられない、おてんば娘だと途方にくれた経験がある。


 以前、都真子と組んだ事件では、荒くれ男たちの巣窟に、勢いこんでなぐり込みをかけ、がたいのいい奴らを相手に大暴れだ。


《こっちが、助け船を出さなかったら、あやうく刺されていたかもしれないわ》


「思いのほか、楽勝でしたよ!」


 鎮圧後に、同じ班の男たちからも、危なくて見ていられないと、お墨付きをもらっているくらいだ。


 都真子は、紫蘭の記憶にかかづり合っている場合ではないと、肝心な要件を、鼻田に訴えた。


「係長!犯人の顔写真が手に入りました!ドラレコに、偶然、撮られたものがあって、奴に間違いありません!」


 なにぶん、TS1の映像から取り出した画像だから、証拠として堂々と示すわけにはいかず、そこで思いついたのがドラレコだった。


「こいつが犯人か?よくやったぞ!これだけはっきり映っていれば、おそらく捜し出せるはずだ!まてよ、昨日もらった似顔絵の顔とは似ても似つかないが……」


 都真子も、大鳥の事情聴取から作った犯人の似顔絵を鼻田に送っていたが、むやみと、ある俳優に顔がそっくりだったため、やけに怪しいとは思っていた。


「大鳥も、あの俳優に似すぎていると、内心、不思議に思ったと証言してましたが……おまけに、もう一つ、蚊の話をしてたんです」


「蚊?」


「ええ、話によると、そいつの顔に、しばらく蚊が止まって血を吸っていたんですが、払いのけようともせず、そのあと、その蚊が大鳥の方に来たもんだから、気になって潰したら、血が一滴も出なかったそうです。つまり、犯人は、顔を加工する過程で、皮膚が特殊な状態になっていたのかもしれません」


「まるで、現代の怪人二十面相だな!こうなったらもう、似顔絵の顔は無視だ!ドラレコの顔で、防犯カメラの顔認証システムに潜り込まそう!こうなりゃ、AIという膨大な数の捜査員が加わったのと同じだからな」


 鼻田は、さっそく、手続きに則り、顔認証システムにガスマスクの男の顔写真を上げる手はずを進めた。 


《ぬけぬけと、大鳥に振り回されてしまったが、文字どおり、奴の逮捕に近づいたわ!》


「このセンターは、わけても、地域医療の中心として、面目を維持してきたけど、最近では、最新の医療機器は完備されているわりに、若手の医者が多くて、設備と医者の腕前が吊り合わないって、SNSでも揶揄されるようになって、評判がぱっとしないわね。被害者は大丈夫なの?」


「本当のところ、呆れるようなうわさ話ばかりですよ」


 遠山と紫蘭は、てこ舞医療センターに被害者の事情聴取に来ていたが、紫蘭は、被害者のおぞましい様子を聞いて、しきりに心配していた。


「ですから、昨夜も、大変な騒ぎだったんですよ。何しろ、センターに、顔の件は言わないようにって依頼したら、情報を隠ぺいするのかって文句を言われ、市長の娘だから仕方ないにしても、市長がやって来て、娘に合わせろとくってかかられるし、マスコミにも何か隠してないかと、しつこく質問されるわで、息つく暇もありませんでしたよ」


「まぎれもない異常な事件だから、センターも協力してくれなけりゃ困るわね」


 病室に入った遠山は、二人の顔が元に戻ったのをしげしげと見つめると、つくづく胸をなでおろした。


「痛みはありませんか?昨夜の件を話せますか?」


 被害に遭った二人は、顔全体を包帯でぐるぐる巻きにして、不気味で痛々しい姿にされていたが、今日は、その包帯も取れて、ぎょっとするほど加工されていた顔は、都真子の言った通り、一晩たって、元の顔に戻っていた。


 恵麻は、顔面の皮膚の表面に、まだしびれが残っていたが、そんなことより、自分が運ばれたのが、てこ舞医療センターだと知ると、病院の評判の悪さを耳にしていたこともあって、顔が元に戻らなかったらどうしようという不安に襲われていた。


 花華も、顔の表面が鈍感になって、何も感じない違和感に襲われながらも、挙式を前にして、ひどい目に合わされたが、犯人に殺されなくてよかったと安堵していた。


 そのくせ一方では、犯人は自分のことをよく知っていたのではないか、その上で犯行に及んだストーカーではないかと、ふたたび襲われる気がして仕方ないので、早く犯人を逮捕してもらう以外に、安全を保証してもらう方法はないと訴えた。


 こうした犯罪に、ひょんなことから巻き込まれた被害者は、受けた暴力もさることながら、何はさておき、犯罪行為のターゲットになったことで、犯人の頭脳の中に自分が入ったことがもっとも心配になる。


 まるで蜘蛛の巣に引っかかった、身動きが出来ずにいる昆虫の様に思えてならない上に、やがて、腹を空かせた蜘蛛の親玉が、容赦なく自分を喰らいに来るという恐怖心にまざまざと襲われて、一刻も早く、その地獄から抜け出したいという切なる願いが心に渦巻くのである。


 紫蘭は、いくつか質問を繰り返したが、結局のところ、二人の事件へのトラウマが激しく、事件解明につながる情報を引き出せる状態でないと判断した。


 そこへ、都真子から遠山に連絡が入った。


「事情聴取、終わった?そのあと、煙町の男のマンションに行って証拠を押さえてくれる?噴射機を制作するための機器や薬品類があるはずよ!ついでに蝙蝠団地の屋敷もね!」


 遠山は、煙町に行くように指示を受けたことを紫蘭に告げた。


「煙町?なつかしいわ」


「煙町で事件があったんですか?」


「前にね、傷害事件を起こして逃げた番田という男を捕まえたのよ。番田って奴は、家賃を折半にして共同生活をしていたんだけど、払いが悪く相手から出て行けって言われて喧嘩になってさ。ビール瓶で相手の頭を殴って大怪我をさせて、逃げていたのよ」


「すいぶん、勝手な奴ですね」


「まあ、逃走中もコンビニで店員を脅して金を奪ったり、女性からバッグをひったくったりして犯行を繰り返したから、躍起になって捜したら、煙町の知り合いのアパートで見かけたという情報が入ってね。だけど、煙町は細い路地が多くて、パトカーも途中までしか入れないじゃない。結局、人海戦術で番田を追い詰める作戦を立てたのよ」


「そうなんですよ。まったく迷路ですよね」


「私たちが番田を見つけた時、ちょうど、かくまってもらった知人のバイクを奪って、向かって来ると、いっしょにいた警官を跳ね飛ばしたのよ。それで、私も一気に頭に血が上ってさ。そばにあった物干し竿を槍投げのように投げたら、番田の後頭部に命中して、脳震とうを起こしバイクごとひっくり返ったから、造作もなく番田の腕をネジあげて逮捕したんだけど、そしたら、やりすぎってことで異動になっちゃったってわけ」


「す、すごいですね……」


 






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