10話 秋風の前触れ

 


 「三つ葉葵、徳川……?どうゆうこと?」


 優希は隣に座るふみに問いかける。


 「それは……」


 皆の視線を感じ少し戸惑いながらも難しい顔をして、ふみは説明し始めた。

 ふみの話によると、この時代、徳川家の象徴である三つ葉葵の紋は厳重に使用が制限され、かかげることが出来たのは極一部に限られたとのこと。江戸の徳川将軍家の他には、御三家の尾張おわり徳川家、紀州きしゅう徳川家、水戸みと徳川家と松平家の一部のみであった。

 他のものがこの紋を使用すると捕らえられるケースもあり、死罪になる事もあったそうだ。



 「じゃあどうしてこれを私に……?」

 「それは俺たちが聞きてぇよ」



 高杉は掴んでいた手をようやく離し、風呂敷を取り上げた。


 「私も、なぜそれを姉上に渡したのかはわかりませんし、私が春様とお会いしたのもこの時が2度目でした。姉上とどうゆう関係なのかも私は詳しくは知りません。ですが、それを見た時に母や父達には言わない方がいいと思い、隠し持っておりました」


 ゆうの父や義理の母は、お金と権力に敏感である。そんな彼らが徳川家との繋がりを知れば、内通者として国(長州藩)にゆうを差し出し地位を得ようとするか、あるいはこれを機に徳川家へ取り入ろうとするか、どちらにせよ血眼になってゆうを探すのは目に見えていた。泰時の判断は間違っていなかったと皆がそう感じた。



 「そういえば、少しいきな噂話を聞いたことがある」

 「噂?」


 重苦しい空気を振り払うかのように、高杉が風呂敷を眺めながら口を開いた。目に見えない鉛のような空気に潰されず、雰囲気を良い意味でも悪い意味でもぶち壊せる高杉ははかっているわけではなく天性の物であろう。

 そのまま話を続けた。



 「あぁ。江戸や京で流行っているらしいんだが、男が女に自分の家紋の付いた物を贈ると、それは好意を表す意味になるらしい。少し前まではかんざしくしを贈っていたみたいなんだが、それに家紋を入れて贈ったりもするんだとよ」

 「へぇ、さすが高杉さん、お詳しいんですね」

 「さすがって何だよ!!まぁ、要するにずっと自分の事を想っていてくれ、っていう意味で家紋を入れるんじゃねぇのか」

 

 高杉はふみの物言いたげな視線にやや不服そうにしていたが、ふみと優希の側に腰を下ろしたあと、広げていた風呂敷を優希へと返した。


 「これにそんな意味が……」


 優希は赤みの強い紫色のそれを眺める。赤紫色が上品な光沢を放ち、丁寧に刺された白い刺繍とのコントラストもその美しさを一層際立たさせているようだった。

 


 「そろそろ私は失礼致します。長く家を空けるわけにもいきませんし」


 泰時が一礼し立ち上がると、優希とふみで見送りに出た。別れの挨拶の時まで、当然ではあるが他人行儀のままだった。それでも、少しゆうの事が知れた気がして、優希の胸に霞めていた暗い雲が一筋、取れた気がした。




 ・


 泰時を見送りふみと共に部屋へ戻ると、松陰や高杉はその場には見当たらなかった。



 「あれ?兄上は?」


 不思議に思いふみが問いかけると、梅太郎が顎で庭の方を指した。

 塾の方からは、何と言っているのかは聞こえないが、皆が集まり大切な話をしているような空気がここまで伝わってきた。


 「じゃあ私たちも……」

 「待ちなさい」


 ふみの動きを静止させたのは母の滝だった。手には綺麗に畳まれた、先ほどの風呂敷が収められていた。

 そのまま座るように指示され、ふみと優希は言われるがままその場に静かに正座した。



 「これはきっと、優さんにとって大切な物でしょう」

 「……」

 

 前に座った滝は優希の手に風呂敷を握らせた。


 「大事に持っていなさい」

 「はい……」

 「ただ一つ、気をつけて」


 滝の優しい口調が、突然険しくなる。


 「これは決して人に見せてはいけません。いいですね?他の人が見たら、誤解を招くかも知れない……約束してくれますよね?」



 いつになく真面目に激しく言うものだから、一瞬体が強張った。しかしそれだけ重要な事であるのだろうと察して、優希は大きく頷いた。



 「わかりました。約束します」

 「うん……忘れないで、私たちは皆、貴方の味方だからね」

 「えっ!お滝さん!?」


 滝が温かく優希を抱きしめた。

 なぜ皆がここまで心配するのかイマイチ理解が追いつかない優希だが、自分を心配してくれていると思うと目頭が熱くなった。



 「(ありがとう、お滝さん)」


 優希も細く頼もしい背中に腕を回し、母の温もりを感じていた。






 ***


 



 松下村塾の中では松陰、久坂、高杉、そして庭で様子を伺っていた吉田栄太郎と亀太郎も加わり神妙な面持ちで集まっていた。



 「高杉くん、君はどう考える?」

 「考えられるのは二つ。だが、どちらも結果は同じこと……優は危険だ」

 



 鋭く光る眼光を松陰へと向ける。

 松陰の瞳が一瞬揺らぐ。

 


 秋風が、紅く染まる葉を揺らしながら、寂しい音を立てていた。

 

 





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