第1章 遭逢ノ時

1話 因縁の糸、をかし



 優希はゆっくりと目を開けた。ぼやけた視界に入るのは見慣れない天井。


 「生きてる……」


 ゆっくりと体を起こす。見慣れない部屋、古民家のようなつくりだが、柱も窓もやけにリアルで、掛け布団も着物のような形をしている。まるで時代劇に出てくる小道具のようだ。


 自分の体を見て、手を前にかざして動くことを確かめたあと髪を触る。肩まで伸ばした後ろ髪に、前髪は目にかからないほどに短かった、はず。



 ーーこんなに髪、長かったっけ……それに、この服……。



 しかし、手に纏わりつくのは腰までありそうな長い髪。着ていたはずの紺色の浴衣ではなく、見慣れない薄黄色の着物が目に入る。

 訳が分からず、何度も瞬きを繰り返した。




 「失礼します。」


 すると、突然扉の外から声がする。ゆっくりと扉が開くのを眺めていると、そこにはまだ幼さの残る少女が着物姿で座っていた。


 「あら、目が覚めたんですね。」


 にこりと笑う彼女は部屋に入ってきてゆっくり扉を閉めた。


 「初めまして。私はふみと申します。あなたのお名前は?」


 「え、あ。」


 言葉に詰まる優希を問いただすことはせず、また優しく笑いかけてくる彼女に、どこか安心感を覚える。


 しかし、着物を着てまるで時代劇の女の子の様な彼女に違和感を覚える。夢か現実か、悩むうちに一人百面相をしながら一気に頭を働かせる。これは夢なんだと結論付けた後、自分の頬を思いっきりつねった。


 ギュッ


 痛みが強かったのだろう、涙目になりながら自分の頬をすりすりと撫でた。

 


 「ふふ。まだ疲れているんですから、休んでいてください。もうすぐ兄上も帰ってきます。」

 

 去ろうとする文を優希は引きとめた。


 「あ、あの!私はどうしてここに…」


 優希の問いかけに驚いた顔をした彼女は、こう続けた。


 「夜の海で溺れていたんです。そこを兄上たちが通りかかって、ここへ連れてきました……もしかして、覚えてないんですか?」


 ゆっくりと優希は頷く。

 

 「そうですか。私もそれ以上の事は知らないので兄上に……あ!噂をすれば、帰ってきたみたい。」



 待っていたかの様にふみが慌てて外へ出る。取り残された優希は今のこの状況を何度も考え直す。

 遠くで話し声が聞こえ、だんだんとその話し声が近づいてくる。ドクドクと鼓動が速くなる音に不快感を募らせる。



 一体つぎは何が起きるのか、ふみという少女の兄とはどんな人なのか、身構えるが優希の予想に反して、とても陽気な声が飛び込んできた。



 「おお、起きたか!気分はどうだ?」


 現れたのは、髪を綺麗に上でまとめ上げ、薄芒色の着流しを身に纏った男だった。


 急に横に座り込むその男に圧倒され、何も話せないでいると、文が隣に座り助け船を出してくれた。


 「兄さん、どうも何も覚えてないみたいよ?」


 「本当か?!それは困ったね、名前も覚えてないのか?」


 「ゆ、ゆうき…優希です。」


 「なるほど。私は寅次郎。またの名を吉田松陰と言う。よろしくな、優希。」



優希の顔から血の気が引いていく。聞き覚えのあるその名前に、体が強張っていた。


 ーー今、今なんて言った?!この人自分のこと、吉田松陰って言わなかった?!日本史嫌いな私でも知ってるよその名前。同姓同名?でもなんだかこの状況……。


 冷や汗が流れる優希とは対照的に、ニコニコと手を差し出してくる吉田松陰と名乗る男。その手を取らないわけにもいかず、優希は松陰の手をとった。


 

 暖かいその手に、薄らと記憶が蘇る。海から助けてくれた時、聞こえた優しい声は、間違いなくこの人だ。色々怪しい点はありながらも、優希はお礼を告げていない事に気づき、頭を下げる。



 「あの、助けていただき、ありがとうございます。」


 「あぁ、そっか。覚えてないんだったね……。文、彼女にお茶を用意してあげてくれるかな?」


 「はい。それじゃあ優希さん、失礼しますね。」


 文は何かを察したように、部屋を後にした。扉がピシャリと閉まったあと、松陰は優希に向かい合う。真剣な眼差しに、優希は目が離せなかった。



 「実はね、助けて良かったのか、不安だったんだ。僕達が見た時君は……自分から海へ飛び込んだ。」


 「へ?!そんな、そんなはず……」


 優希は自分の海へ落ちた瞬間を覚えている。頭を抱えながら、優希は海に落ちる前の光景を思い出していた。たしかに自分からと言えば自分からだが、でも望んでいた事じゃない。


 何かがおかしい。起きた時から感じる違和感。そして、何かに気づいた優希は、ハッとした顔で松陰を見る。


 「ここは、ここはどこですか?!」


 「ここは萩……長州だよ。」


 ゆっくりとした口調で答える松陰。

 対照的に優希は背筋が凍った。

 

 ーー何かの間違いだ、いやいやいや、あり得ない。だって、今時長州って……。



 優希の手が震えている。呼吸も荒くなってくる。

 外からは車の音一つ聞こえない。テレビの音もない。部屋の中にある物は見たことがないぐらい古い作りの物。海に落ちたというのなら普通は病院に連れていかれるはず。

 服装も見た目も変だ。着古された着物に男性も長い髪。そして、長州という単語。


 その全てを理解しようにも、優希には到底できなかった。



 「ゆっくり、思い出すといい。それまでここで居てくれていいから……」


 「そうだ、鏡!鏡ありませんか?!」


 折半詰まったように松陰に迫る。その勢いに驚きながらも、部屋の隅にあった小さな鏡の前へ案内した。優希の体はしばらく眠っていたせいもあり鉛のように重く、おぼつかない足元を支えるように、松陰は両肩に手を添えた。


 

 小さな箱の上に簡単に支えられている手鏡程の大きさの鏡を覗き込んだ。


 「私だ……。でも、」


 顔は自分で間違いない。だけど、長い黒髪、自分の顔はこんなに白かったのかと思うほど日に焼けていない白い肌。自分のはずなのに、自分ではない。そんな奇妙な気持ちについていけず、自分の顔をペタペタと触る。


 「……混乱しているようだね。ゆっくり休むといい。」


 そして松陰は部屋を出ていった。



 夢だと思いたかった。

 それから何度も布団に潜り、浅い眠りを繰り返すが、何度眠っても優希はその布団の中から抜け出せなかった。


 「助けてほしかった、生きたかった……。でも、こんなの、違う……。」


 もうあたりは真っ暗で、もちろん時計なんてないその部屋の中で、優希は布団に顔を埋め、声を殺しながら泣いていた。





 安政三年、九月の出来事であった。

 

 


 



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