第13話

「シャノバさんは、どういう人間だったんですか?」


 場の空気を変えようと思ったのか、ルアンが逆に尋ねてくる。

 そんなパートナーの気づかいに感謝しつつ、どこから話したらいいものかと、俺は少しだけ考えてから話し始めた。


「兄弟のいない俺は、小学生の頃に両親が離婚して、母さんが女手一つで仕事と子育てを両立して、俺を育ててくれたんだ」


 裕福とは言えない家庭だったが、それでも息子に不自由をさせないよう、ツラい様子を一切見せずに働いていた母親の顔が、俺の記憶に強く残っていた。


「お陰で中学校、高校と、友達もたくさんできて、部活にも打ち込めて。何不自由なく過ごせたんだ」

「素敵なお母さんですね」

「ああ。穏やかで他人に優しい、俺の自慢の母親だよ。母のもとに生まれたことを誇りに思ってる」

「ふふっ。お母さんが聞いたら泣いてしまいますね」


 母親のような微笑みを浮かべるルアンに、俺は悲喜こもごもの息を短くこぼす。

 それは昔の母の思い起こし、喜び半分、物悲しさ半分といった気持ちの表れだった。


「大人になって仕事を始めたら、稼いだお金で母さんを楽にさせてあげよう、親孝行しようと思ってな。良い大学に入って、給料の高い仕事に就けるようにって、頑張って受験勉強もしてたんだ」


 遠い日の想い。かつての願い。

 夢の実現に向けてひたすらに、ガムシャラに頑張っていた自分に思いを馳せる。

 若さが生み出す情熱。まだ小さな世界しか知らないがゆえの、執念に似た全力投球。

 たった一人の肉親のためにという、命の燃やし方が確かにあった。


「けれど、命懸けで勉強して大学試験を受けに向かったその日。車の事故に遭って、目が覚めたら召喚獣になっていた」


 漫画や小説であれば、地球での人生に悔いなく、転生した異世界を存分に楽しんで謳歌しようとするストーリーが多いだろう。

 けれど俺は、親より先に旅立ってしまったことを心底悔やんだ。

 母親にはたくさんのことを教えて貰い、たくさんの愛情を注いで貰った。

 だが自分はどうだ? 母親に何かしてあげる、恩返しする前に目の前からいなくなってしまった。


 金銭的な苦労を減らして楽をさせてあげたい。旅行にも連れて行ってあげたい。結婚して子供を作って、孫を見せてあげたい。

 たくさんの〝してあげたい〟があったのに、何も叶えることができず、何も返してあげられなかった。

 人類の危機に降臨して助けるという契約があったので、地球の様子や時代の流れだけは、映像で見たり伝聞で知る機会は多々あった。

 しかしそれは、任意の場所や光景を見ることはできず、テレビのように受け身で情報を得るための手段で、俺の母がどう生きてどう過ごしているかを知る術は皆無だった。


「異世界転生みたいで楽しんで過ごしてたって言ったが……心の奥底では、人類が危機に陥って地球に帰還することがあって、もし母親が生きていたら命懸けで助けたい。そのために、万に一つの可能性に備えて修行してたってのも本音だ」


 母親のもとに帰ることも、様子を見ることもできないのであれば、万全の準備だけはしておきたい。けれどそのために、ツラく苦しい日々を過ごしていたら、いざ母親に会えたときに悲しい想いをさせる。

 だからこそ、獣界やリージョンゲームを楽しみながら力を身に着けていくことに注力した。


「お母さんには会いに行かなかったんですか?」


 核心を突く形でルアンが尋ねてくる。

 召喚獣になってから十一年であれば、母親はまだ生きている可能性が充分にある。それほど想っているのならば、地球に降臨した際に母親に真っ先に会いに行っているはずと思ったのだろう。


「会いには行った。目に入る魔物を倒しながら、記憶を頼りに母と一緒に住んでいた家へ向かった……だが……」


 俺は言葉に詰まりかけるが、それでも話しておいたほうが良いと、意を決して続きを口にした。


「俺たちの住んでいた一軒家は、魔物に壊されていた」


 衝撃の事実を聞き、ルアンは自身の口元を手で覆う。

 その先は言わずとも想像がつくだろうが、今まで他人に話したことのない出来事を口にすると、感情が溢れてきて止まらなかった。


「俺は必死に捜した。瓦礫の下にいるんじゃないかと思って懸命に掘り起こした。だがそこには母さんの持っていた思い出の品しか見つからなかった。その後も近所を捜したり最寄りの避難所にも行ったが、どこにも母さんの姿は見当たらなかった」


 見覚えのある品が実家だった建物跡にいくつもあった以上、すでに引っ越していたという線はない。

 実家にいないのであれば、魔物が襲ってくるという緊急時には、どこかに避難するのが普通だ。

 けれど、周辺や避難所で聞き込みをしても、母を見た人は誰もいなかった。

 魔物が現れるという人類初の大混乱の中であれば、見落としは十二分に考えられることではあるが、目撃証言がなければ俺には捜しようがなかった。


「そうこうしているうちに、他の地に召喚されたり、魔物退治に奔走したりして、いつの間にか【決別の日】を迎えていた」


 最悪の事態を考えたくなくて、直視せず逃げていたのも事実だ。

 目を背けたくて必死に戦いに身を投じて、母との永遠の別れを確定させたくなかった。

 事態も落ち着いた現在、時間をかけてでも真実を直視しようと、〈アナライズ〉で召喚獣仲間と同時に母のことも捜していた。


「獣王になる目的の一つに、名実ともに有名になれば、どこかで生きている母親に会えるかもしれない。自分が立派になった姿を見せてあげられるかもしれないって気持ちもあるのも本音だ」


 人間たちの間でも、獣王ライズの名前だけは広く知れ渡った。自分がその立場になれば、テレビやインターネットで母親が見て、再会を果たせるかもしれない。

 すべて可能性の域は出ないし無謀とも言える試みだが、何もしなければ可能性はゼロになる。


「自分の希望と願望をいくつも詰め込んだ、独りよがりの道だけどな」


 他人のため自分のため。どんなにキレイな言葉を並べようと、結局は自分が望むように世界を書き換えたいというエゴに自嘲の笑みが浮かぶ。

 自分の考えは、世間を知らないまま育ち、ワガママを通したいという子供のようだ。それを自覚していたからこそ、今まで誰にも話さずにいた。

 きっとルアンも呆れるだろうなと思っていると。


「シャノバさんは人想いですね」


 予想に反して、慈愛に満ちた笑顔の華を咲かせた。


「こんなの、自分勝手なだけだろ」


 謙遜ではなく、やりたいことだけをやりたい。酸いも甘いも知った大人になりきれない自分に、崇高な理由なんてなかった。


「そんなことありません。他人に迷惑をかける行為であれば、自己中心的と言われるかもしれません。ですがシャノバさんの願いは、獣王になって他者を助けつつ母も見つけたい。誰も傷つけず、むしろ多くを救う行為じゃないですか」


 自分の理知外だったルアンの見解に、俺は伏せがちだった視線を上げる。


「理由はなんだって構わないんです。小さかろうと大きかろうと。自分の行いが巡り巡って、他者だけでなく自分も幸せになれるのなら、それは絶対に良いことです」


 言い切る形で背中をポンッと言葉で押すルアンに面喰らい、俺は圧倒されてわずかに身を引いた。

 獣王となって召喚契約を復活させ、人間たちを魔物の脅威から守りたい。その気持ちに嘘はない。 

 自分が隠していたもう一つの理由は、誰にも賛同されず、場合によっては侮辱される類の願望だと信じ込んでいた。

 しかしそれを〝素晴らしいこと〟だと、目の前のパートナーは言ってくれた。


「……そう思っても、良いの……か?」

「良いんです! 誰がなんと言おうと、シャノバさんの夢を私は支持します!」


 自信なく口を開く俺に、ルアンは力強く断言する。

 お世辞でもない、口から出任せでもない。本気でそう思っていると感じさせる気迫。

 自分の考えを肯定してくれる人がいるという事実に、俺の心臓はグッと熱くなった。


「……ありがとう。それ以外の言葉が出てこないが……本当にありがとう」


 感謝しか口にできない俺に、ウサギ耳の召喚獣少女は何も言わずに微笑みを返す。

 天使が手を差し伸べてくれたような一幕は、俺の心の塞がりをスッと解放してくれた。

 押し寄せる喜びの波に浸りながら見つめていると、ルアンは何かを迷うように視線を下げる。

 しかし意を決したのか、ゆっくりと確認する口振りで問いかけてきた。


「あの……それで、ちょっと試してみたいことがあるんですけど……シャノバさんのお母さんが愛用していた物、何か持っていませんか?」


 突然のことに意図がわからず、俺は困惑した表情を返す。


「実家に行ったときに、いくつか持ち出した物はあるが……」


 そう言って自分の領域空間から取り出しテーブルに置いたのは、母が愛用していた手作りの赤い布のポケットティッシュケース。

 母がバッグにいつも入れて、持ち歩いていた一品だ。


「一度も試したことはないので、上手くいかない可能性もありますが……私の能力で、愛用品を帰巣本能を持つ鳥に変えれば、お母さんのいる場所に案内してくれるかもしれません」


 ルアンからの思いもよらない発想と展開に、俺は大きく目を見開く。

 〈アナライズ〉では、母だけにフォーカスする使い方が思いつかず、色々試しても能力の影響範囲外にいるのか捜すことはできなかった。


「そんなことが可能なのか!? ぜひお願いしたい!」


 どんなに情報を得ようと駆け回っても、何一つ手掛かりが得られなかった。そこに光明が差す天啓のような話に、俺は即座に食いついた。


「あくまで〝もしかしたら〟です。それに成功しても失敗しても、私の能力を使うと愛用品は消滅してしまいますが……それでもやりますか?」


 ルアンが迷っていた理由は、母の愛用品を失ってしまうこと。

 成功の可能性はゼロではないが確実性もない。一度も試した経験がない以上、あくで〝できるかもしれない〟という曖昧さは拭えない。しかも、成否に関わらず母愛用の品が失われるのは確定する。

 ギャンブルに等しい行為なのに、ベットした掛け金だけは没収される内容に、躊躇してしまう者も多いだろうが。


「どんな結果になろうと、母に会える可能性があるなら、俺は実行したい」


 ほんの少しでも心の雲が晴れるならと、俺は悩まずに即答した。

 仮に成功しても、母が生きているかどうかもわからない。もしかしたら最悪の真実を知ることになるかもしれない。

 不安がないと言えば嘘になるが、目を背けずに現実に向き合う覚悟はとっくにできている。


「わかりました。今日はもう遅いので、明日になったら実行してみましょう」

「ありがとう。何から何まで、ルアンにはお世話になりっぱなしだな」

「そんなことないですよ。私もシャノバさんに、たくさんのもの貰ってますから」

「俺が何かしてあげたことってあったか?」


 戦闘面ではリードしたかもしれないが、ルアンには短期間で驚くほど助けられたという認識がある俺は、純粋に疑問を覚えたのだが。


「ふふっ、それは内緒です」


 ルアンは唇に人差し指を当てて、悪戯っぽく笑って誤魔化した。

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