第3話「……はしたない女の子は、嫌かな?」

 市街地へと足を踏み入れた走。

 エリカから逃れるために路地をメチャクチャに曲がりながら走り、そうしてどこかの通りに出た瞬間に人とぶつかった。


「キャッ!」

「ウワッ!?」


 相手を弾き飛ばしながらも、走自身も大きくバランスを崩して倒れる。一度尻もちをついてしまえば、全力疾走の疲労と追われていた恐怖で、すぐに動くのは難しかった。


「どこ見て――って、走ちゃん!」

「美緒……か?」


 目の前で自分と同じように尻もちをついていたのは、走の223番目の元カノである美緒だ。薄手のニットにロングスカートという衣服も、ハーフアップにした髪型も、清楚という言葉がぴったりな見た目の女性である。


「走ちゃん! 会いたかった!」


 美緒はぱっと走に抱き着くと、そのままシクシクと泣き始める。思わず美緒の肩に手を回し、そのまま背中を撫でる走。

 その姿はあたかも戦争や親の都合で引き裂かれて長い間会うことができなかったカップルのようだ。事情を知らない人が見れば、恋愛映画の感動的なエンディングにすら見えてしまうような光景である。


「走ちゃん! 走ちゃん!」


 泣きじゃくる美緒はそのまま走の頬や首筋にキスを落とす。

 啄むように何度もキスをしながら、ティーシャツの下に手を入れた。


「ちょ、美緒!?」

「私分かったの! 走ちゃんがいなくって、寂しくって、」

「待って、待ってくれ!」

「他の女の子のところに行っちゃったって思ったら悲しくって、」


 言いながらティーシャツを脱がそうとペロリとめくる。白魚のような指がろっ骨をなぞる。


「だから、走ちゃんに死んでもらおうと思って。ほら、気持ちなんて移り変わっちゃうものだし」

「ッ!?」

「でもその前に走ちゃんとの愛の結晶が欲しいの。そしたら走ちゃんが私と愛し合ってたって事実は残るでしょ?」


 だから、と言葉を付け加えて艶やかな唇から悪夢のような言葉を紡いだ。


「死ぬ前に私とシよう? 何だかはしたない言い方になっちゃったね、えへへ」


 それから窺うような上目遣いで走を見つめる。

 熱に浮かされたその視線はまるで告白でもするかのようないじらしさがあった。


「……はしたない女の子は、嫌かな?」


 はにかむ美緒の瞳は、どす黒く濁っていた。


「ちょ、ちょっと待って。こんな往来で」

「だって、また逃げられたら悲しいし。すぐシて、すぐ殺したいんだもん」


 拗ねるような言葉遣いには、一切の呵責が感じられなかった。走はなんとか美緒を引き剥がすと、ぶつかったときに零れた婚姻届けと金庫を拾う。

 電子音を響かせながらも開錠して中身を確認し、婚姻届けとともに美緒へと渡した。


 外れだったのだ。


「ほら、これ」

「あっ」


 美緒はそれらを受けとると、うっとりと頬を染めた。


「婚姻届け……えへへ、走ちゃんから渡してもらえるなんて夢みたい」

「いや、そういう意味じゃ、」


 思わず否定しようと口を開いたが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。


「見つけたァ……!」


 髪を振り乱したエリカが現れたのだ。

 どこかで転んだのか、額を切って血を流したエリカは流れた血をぬぐうことすらせずに走を見つめていた。

 目を伝った血液が流れ落ちるその姿は、血涙を流すかのようだった。


「すぐ私も逝くからね!」


 アイスピックを振り上げたエリカだが、美緒からの体当たりを受けて大きくよろめく。


「私の走ちゃんに何してるのよ!」

「はぁ? 走くんは私のだよ?」

「走ちゃん! だれ、この子!」

「走くん……走くんの前にこの雌豚を殺してもいい?」


 走は答えずに再び駆け出した。

 その後ろ姿に、二つの怒声が響く。


「逃げるなァァァッ!!!」

「私を抱いてェェェッ!!!」

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