Ⅱ.黄色い蝶々(1)

「わが友よ、迎えに……なんだ、この惨状は?」


 振り返ると、なぜか酷く驚いた様子のチェーザレが部屋の出入り口に立っていた。

 自分の周囲を見回してみる。火災から救い出した物が、床一面に散らばっていた。足の踏み場もない。


「無いのだよ」


「探し物か」


 一言で納得したらしい。こげ茶色の革靴で小物を退け、スカーフを拾いながら近づいてきた。手伝ってくれるようだ。


「で、何を探してる?」


「靴、だ」


「靴というと、今夜履いていく物か。しかし、今日は仲間内の飲み会であって、洒落た」


「違う。娘の靴だ」


「娘というと、エレナ嬢の?」


「そうだ」


 チェーザレは弾かれたように、胸も前で手を叩いた。部屋中に、乾いた音が響く。


「つまり、エレナ嬢が見つかったのか」


「それも違う」


 輝きに満ちた顔が、見る間に暗くなっていく。


「すまない」


 表情を分かりやすいほど変えられると、申し訳ない気持ちになる。謝罪すると、即座に首を横に振られた。


「いや、おまえが謝ることではない。むしろ辛いのは、そっちだ。1人で浮かれてしまって、すまない」


「それこそ、君が謝ることではない」


 ジェラルドの身に降りかかった災厄を我が事のように思っているからこそ、出てしまった仕草なのだろう。そう尋ねると、彼は頷いて話題の方向を変えた。


「では、なぜ彼女の靴を探しているんだ? もう出掛ける時間だというのに」


「時間? そういえば、さっき妙なことを言っていたな。迎えとか飲み会とか、なんの話だ?」


 チェーザレの眉間に、深く皺が寄る。何か悪いことを言っただろうか。


「なんの話とは、なんだ。アントーニの帰国を祝しての飲み会に決まっているだろう。昨日、日時を書いた紙を郵便受けに入れておいたじゃないか。それなのに、人が迎えに来てやっても応答の一つも」


 早口でまくし立てていた彼は、突然黙ると部屋を出ていってしまった。怒って帰ってしまったのかと思ったが、青白い紙を手にして戻ってくる。不在の時間は短かったが、どこか疲れた顔をしていた。


「これ、見てないんだな?」


 目の前に、紙を突きつけられた。流麗な文字で『アントーニ帰国祝賀会』と記されている。見慣れた筆跡は、チェーザレのものだ。家庭教師が、文字に関して厳しかったらしい。子供の頃に愚痴を聞かされた回数は、片手では済まない。


「初めて見た」


「だろうな。もう一つ、質問だ。いつから靴を探している?」


「君と別れた翌朝から」


 答えた瞬間に、なぜか友人は項垂れた。


「2日か。どうりで、やつれているわけだ。その間、なにも食べてないだろう?」


「食べていないが、もう2日になるのか?」


「ああ、なるさ。探している理由は後で聞いてやるから、とりあえず来いっ」


 今度こそ怒ってしまったらしいチェーザレに引きずられるようにして、外で待たされていた馬車に押し込められる。体勢を整えられない内に、馬車は走りだしてしまった。


「今日は、君が御者じゃないのか?」


 揺れる中で座り直す。さすがに王宮と同じものとはいかないが、設えが良い。朽ち葉色の壁紙も落ち着いていて、好感が持てる。派手さより質を重視するチェーザレの人柄がよく表れた所有物の一つだ。


「嫌味だけは忘れないんだな」


 向かいに座った彼は、呆れたと言わんばかりに大きくため息を吐いた。


「今日は飲むつもりだからな。前後不覚に陥るとも限らん。帰りに事故を起こすだなんて、ごめん被る」


 そう話す男が実際に前後不覚に陥ったところなど、一度として見たことがない。酒に強いということもあるだろうが、飲ませ上手なうえ世話焼きなのだ。気心が知れた友と4人で飲む時は真っ先にベネデッドが潰れるため、介抱に回ることが多い。部下に混ざって飲む時も、やはり介抱役になることが多いと聞いた。実際に、何度か招かれた近衛隊の飲み会の席でも、話に聞いた通りだった。


「君が潰れる様を、一度見てみたいものだな」


「それは難しい。どんな時でも潰されるようでは、近衛隊隊長は務まらないさ」


「君ほど、自分の仕事に誇りを持っている男もいないだろう」


「それはどうかな」


「そして、そんな男と並び立ち、対と言われることを、私は誇りに思う」


「そういうことを改めて言うな。恥ずかしい奴め」


 困ったような、照れたような。複雑な笑いが、チェーザレの口から零れた。

 しかし、ジェラルドとしては、真摯な思いだ。


「改めて言うことだ。私は、近いうちに職場に復帰しようと思う」


 目をこれでもかと大きく開いた男は、何か付いているかと疑わしくなるほど人の顔を見てくる。距離の近さが煩わしく、手で額を押し戻してやる。


「アントーニが帰国した。祝賀会には参加するのに仕事は放置する、というわけにはいかない」


「確かに、な。悪い。友人が帰ってくることばかり頭にあって、肝心なことを忘れていたよ」


「それは仕方がない。私だって何も無ければ、同じようにアントーニの帰還を喜んださ」


 火災の前にアントーニから手紙を貰った時は、無事と知れて嬉しいものだった。体格にあった大きな字で、各地の様子がつづられている。貴重な情報源でありがたかったが、早く会って直接話を聞きたいと願いもした。


「ああ、それは分かっている。だが、それだけではない。俺は身勝手な男なのだ。おまえがいない酒の席など、つまらなくて考えられなかった」


 それで近衛隊の酒宴に呼ばれたのか、と納得する。思えば、頻繁に呼ばれるようになったのは彼が隊長に就任し、部下の誰からも慕われるようになってからだった。


「それこそ改めて言うな。恥ずかしい奴め」


「しかし、事実だ」


 拗ねたように横を向いてしまう。自分でも今更だと気付いているし、恥ずかしいとも思っているのだろう。


「ジェラルド。無理はしてくれるな」


 目の前の男は、いまだ不貞腐れた顔をしている。復帰のことだと気付くには、少し時間が要った。


「もちろん。陛下にも、ご心配をお掛けしたくはない。しばらくは、職務も午前のみにしていただこうと思う」


「それが良かろう。陛下も、お許しくださるはずだ」


 ジャンルカの顔を思い出す。きっと、笑って歓迎してくれるだろう。


「ところで、飲み会はいつもの所か?」


「そうだ。『黄色い蝶』の主人は、アントーニ贔屓だからな。彼も、帰還を喜んでいたよ」


「だろうな」


 『黄色い蝶』は、いつの間にか行きつけになっていた飲み屋だ。白い口髭が特徴的な主人は、特にアントーニを連れていくと喜んだ。彼の異国の話は仲間内だけでなく、店内に居合わせた客まで巻き込んで盛り上がる。特に今は北東の峠の治安が悪いため、旅をするにも商売をするにも自粛が要請されている。左の足首だけの幽霊が持てはやされるほど新しい話題に飢えているのだから、重宝されるのも無理はない。

 馬車が静かに止まる。飲み屋がある通りは人がすれ違える程度の幅しかなく、歩く以外の手段が取りづらい。馬車に押し込められた時は明るかった空も、今は夕暮れ色に染まっている。チェーザレが御者に迎えの時間を指示し終えると、2人で小道を歩きだした。


「『黄色い蝶通り』も、久し振りに歩くな。いつ以来だろうか?」


「たしか、前に来たのは年末だ。忙しい時に、君が『黄色い蝶』で飲みたいと騒ぎだ」


「すまなかった」


 年末の一件は、チェーザレにとって苦い思い出となったろう。年明けに向けての事務処理を山ほど抱えた内政府に多大な迷惑を掛けた罰として、書庫の整理を手伝わせたのだ。慣れないことをしたため筋肉痛になった、という愚痴を手土産に屋敷を訪問されたのだから、こちらとしても苦い思いはしたのだが。


「分かればいい」


 特に不快になったわけではないが、お互いに黙ったまま歩き続ける。次第に、蝶々を象った看板が見えてきた。

 城下町の通りは、すべて各小道の象徴が名前になっている。この小道は他にも店が並んでいるが、一番細工にこだわった看板であることから『黄色い蝶通り』となったらしい。


「既に盛り上がっているようだぞ」


 店の中を覗いて確認したチェーザレが、こちらを振り返る。笑って頷くと、彼は緑に塗られた木戸を押し開けた。

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