#6 魔術特異症

「むぐぅ」


 俺の申し出に一番最初に反応したのは丸テーブルの上に寝かされたゴブリンだった。

 勢いよく身を乗り出したとき、俺の右手がゴブリンのお腹を押してしまったのだった。


「ご、ごめんっ」


 丸テーブルの上のゴブリンは目をぱちくりさせてから周囲を見渡し、その後おもむろに俺へと飛びついてきた。

 完全に油断していた。

 右手を背中に回して手斧の鞘の留め具を外す。だが手斧を取り出すよりも早く、ゴブリンの伸ばした右手が俺に届いた。


 ゴブリンは俺の胸元に飛び込んでくるやいなや、俺の顔をベロベロ舐めようとする。まさか毒のヨダレとかか?

 避けようと下がるが、そこは狭い室内。手斧を取り出せるスペースを確保できない俺は素手に切り替え、両手でゴブリンの肩をつかんで引き剥がす。

 そのときのキョトンとした表情は意外にも、元の世界のマンガも含めた今までの人生で見たどのゴブリンよりも、純粋無垢なものに見えた。


「ありがとうです! 助かったです! 僕、生きてます!」


 このゴブリン、獣種の言葉を喋れるのか? それに心なしか腰を軽く振ってないか?

 ルブルムがゴブリンの首根っこをつかんで俺から引き剥がしてくれて、事態はようやく少しだけ落ち着く。

 なにがどうしたんだ?


「いいぞ。そしてこの反応見る限り、犬種アヌビスッだな」


 犬種アヌビスッ? ゴブリンが? テニール兄貴と同じ犬種アヌビスッ


「ゴブリンにも獣種があるんですか?」


「いや、ゴブリンはゴブリンという種だ。しかし彼だけは特別なようだ。恐らく『取り換え子』だろう」


「取り換え子? カエルレウム様がゴブリンにおかけになった呪詛と関係ありますか?」


 ゴブリンに診察っぽいことをしていたカエルレウム師匠は俺の顔を見て微笑む。神々しい。


「あるにはあるが、まず『取り替え子』の説明をしよう。ゴブリンはときどき自分の赤ん坊と、獣種の赤ん坊とを取り替える。もちろんただの交換ではない。外側はそのままで交換するのだ。ゴブリンには彼らがずっと伝え続ける独特の魔法があってな、そんな魔法の一つで赤ん坊同士の魂を入れ替えてしまうのだ」


 リテルの記憶の中のゴブリンは単なるイタズラ者のようだが、なかなかに凶悪な輩じゃないか。

 自分がそんな目にあったらと考えるだけでゾッとする……ああ、でも。俺の魂も今、リテルの体を乗っ取っているようなもんだよな。

 ゴブリンに投げたブーメランが戻ってきてとしてるに刺さる。


「ゴブリンは本来、獣種に比べ身命がそれほど長くはない。しかし『取り替え子』されたゴブリンは獣種並みの身命と知性を持ち、体も一般のゴブリンとは比べ物にならないくらい丈夫になる。この傷でも生きているのは『取り替え子』のおかげだろうし、普通のゴブリンはこれほど流暢には獣種の言葉を話せやしない」


「うわ……ゴブリンが取り替え子をしまくったら……大変なことになりますね?」


「リテルのように考える者が増えると、事実とは異なる不安や恐怖から誤解の物語が生まれがちだ。ゴブリンが人を襲い子を孕ませる類いの悪名はそうやって広まったのだ。実際には襲ってせいぜい小動物。普段は木の実や果実や昆虫などを食べる平和な連中だ。この傷口は刃物のようだが、誰がつけたと思う? ゴブリンは金属を加工する技術を持たない。となると鋭い刃物を持った別の誰かが森に入って、ということになる」


 ハッと思い出す。領監さんから託された手紙のことを。


「あのっ、カエルレウム様は寄らずの森の魔女様なのでしょうか」


「いかにも」


「ストウ村に滞在中の領監さんより手紙を預かってきています!」


 革ベルトにくくりつけた革袋より丸く巻かれた羊皮紙を取り出し、カエルレウム様へお渡しする。その場で広げて目を通した後、小さなため息をついたカエルレウム様は羊皮紙を持ったまま奥の扉へと消える。

 すぐに羊皮紙をもう一枚と鳥の羽根を何本か、それとインク壺を乗せた椅子をもう一脚持って戻ってきた。


「リテル、ストウ村の者たちには迷惑をかけたな。すまない。それからゴブリンの君はこちらの椅子に座りたまえ」


 椅子の上にあった物が全て丸テーブルの上へと移されると、ルブルムさんはゴブリンから手を放した。


「僕ですか! 椅子に座ります!」


 ゴブリンはあてがわれた椅子を俺のすぐ隣までずらし、ちょこんと座る。その間ずっと目をキラキラさせて俺を見つめながら。

 カエルレウム様は丸テーブルの上の羊皮紙を広げ、羽根の尖った先をインク壺に付け、おもむろに何かを書き始めた。


「返事を書きながらで済まないが、状況を簡単に説明しよう。私がゴブリンたちにかけた呪詛が、このゴブリンの魔術特異症により運悪く獣種にも伝染するように変異した。彼を襲った者は、また運の悪いことに変異した呪詛に伝染し、ストウ村でそれを広めた」


 ゴブリンに呪詛? そもそも何でそんなことを――魔術特異症というのも気になるが。カエルレウム様の書く文字を見つめていたはずなのに、いつの間にかその胸元が「テーブルに乗っかってるな」なんて考えてしまっている自分が恥ずかしい。でもあの破壊力のあるビジュアルは、思考を奪うだけの威力が――じゃなくて。紳士なのは股間だけじゃないか。

 唇を噛み、視線を羽根ペンの先のみへ集中させる。


「あの、呪詛と魔術とは違うものなのですか?」


「呪詛は魔術の一形態だ。魔術は一回発動して終了だが、呪詛は発動に再生産性がある。呪詛に伝染した者を起点に新たなる対象へ呪詛を伝染させるのだ」


 呪詛に触れると広がる……俺はケティから呪詛が伝染して、ケティは恐らくラビツから……カエルレウム様のご説明では、獣種には移らない呪詛だったらしいけど。こうなってしまうともうテロと同じだな。


「カエルレウム様がおかけになった呪詛ということは、簡単に治せるのでしょうか?」


「変異していなければ困難ではなかった。呪詛という魔術は少し特殊でな。様々な条件と効果をレシウム編みのように複雑に組み合わせたもなのだ。その効果を綺麗に取り去るにはそれ専用の呪詛を準備する必要がある。そのためには呪詛を細かく調査しなければならない。例えば鎧を着込んだ者を裸にするには、外側から順番に脱がせてゆく必要がある。鎧を脱がせる魔法の次に腰紐を外す魔法を配置したとしても、鎧の下に予想外に厚着でもしていたら腰紐を外す魔法は失敗する」


 レシウム編みという単語は、リテルにとっては馴染みのある単語。

 記憶を辿ると、テニール兄貴の奥さん、ジョニが得意なレシウム編み。布の縦糸や横糸を抜いてからかがったり刺繍したりして模様を作る。何度か見せてもらったことがある。元の世界の品物だとレースに似ているかも。


「リテル、君も伝染したのだろう?」


 カエルレウム様は書くのを中断し、手に持る羽根ペンを赤髪の少女へと渡して立ち上がり、一方で俺に対しては手を差し伸べた……これ、手を取ったほうがいいんだよね?

 椅子から立ち上がり、恐る恐るその手に俺の右手を重ねてみると、優しく握られる。カエルレウム様の美貌以前に、女性と手を触れ合っているということ自体にやたらドキドキする。手汗をかいちゃわないか心配になってきた。


「そうか。リテルもか。呪詛の解呪にはリテル以外で呪詛にかかった村人の協力が必要だ」


「え、どういうことですか? さっきおっしゃってた変異というのが関係しているんですか?」


 カエルレウム様は俺の手を放し、再び着席する。赤髪の少女は今の間に羽根ペンの先をナイフで少し削り、再びカエルレウム様へと手渡した。


「そうだ。リテル、君も魔術特異症のようだ」


 俺が? そしたら実は俺が転生したのはゴブリンで、リテルの魂と入れ替えられた?

 一瞬で血の気が引くのを感じる。俺がゴブリン?

 にわかには受け入れ難い可能性。

 凍りつきかけた思考の中に、カエルレウム様のお言葉がふわりと降りてくる――「思考を決して手放してはならない」――そうだよ。カエルレウム様は魔術特異症とおっしゃっただけだ。


「……取り替え子以外でも魔術特異症になることはあるのですか?」


「ある。魔術特異症というのは、肉体と魂の関係が正常ではない状態が常態化していることを指す。そのせいで時として魔法の効果が予想外の結果をもらすことがある。緻密に組み合わされた呪詛の場合、特にそれが呪詛内容の変異へとつながりやすい」


「あ、あのっ、そもそもどうしてゴブリンに呪詛をかけたのですか?」


 真実を知りたいはずなのに、思わず話題を変えてしまった。知りたいと同時に、自分の真実を知るのが怖くて。


「実験だ。森の平和の維持のためにな」


 実験……ゴブリンとはいえ、人体実験という単語が頭に浮かぶ。


「ゴブリンは身命が短い分、繁殖力が強い。もともとはゴブリンを捕食する者が多い世界の住民だからな。だがこの世界ホルトゥスはゴブリンの本来の生息地に比べると捕食者が少ない。なので適度に駆逐しないと森の生態系が乱れるのだ。しかしゴブリン自体は数さえ増え過ぎなければ、他の魔獣に比べて危険性も低く害も少ない種族だ。そのために繁殖抑制の呪詛を作った。あるきっかけを与えられるまではオスの性的不能が継続する効果の呪詛を」


 性的不能、あるきっかけ――いや、そこよりももっと大事なことがある。この世界ホルトゥスという単語、そしてゴブリンはこの世界ホルトゥスとは違う世界から移ってきた、という部分。


この世界ホルトゥス……ゴブリンの本来の生息地は異界ということですか? そして行き来できる方法があるのですか?」


 異世界という言葉を発しようとしたが、リテルの記憶から「異界」という単語へ変換されてしまった。

 更に尋ねておきながら、その答えをリテルの記憶の中に見つけてしまう――異界は、この世界ホルトゥスの隣の世界。そこから魔物や魔人がこの世界ホルトゥスへと渡ってくる、という。


この世界ホルトゥスの隣の世界と呼ばれている異界は天界カエルム地界クリープタ。異界へ道を繋ぐ異門ポールタは不定期に開き、魔物や魔人がこちらへやってくる。もちろんこちらから向こうへ渡る者も少なからず居る。私がここに滞在するのは、あちらからのお客さんペルディタが訪れるからだ。この寄らずの森は異門ポールタが開きやすい場所なのだ」


 異界はある、でもとしてるの居た元の世界とは異なる世界。

 話を聞いた限りでは、異門ポールタは転生ではなく転移っぽいし、俺の不能の呪詛はすぐには治らなさそうだし、魔法を習えるかもと上がったテンションが一気にダダ下がる。


「さて、リテル。早速、魔法を使う練習だ」


「え?」


 この流れで?






● 主な登場者


有主ありす利照としてる/リテル

 猿種マンッ、十五歳。リテルの体と記憶、利照としてるの自意識と記憶とを持つ。

 リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様への報告役に志願した。


・ケティ

 リテルの幼馴染の女子。猿種マンッ、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。

 リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。


・ジョニ

 テニール兄貴の奥さん。レシウム編みが得意。出身はストウ村ではない。


・テニール兄貴

 ストウ村の門番。犬種アヌビスッの男性。傭兵経験があり、リテルにとって素手や武器での近接戦闘を教えてくれる兄貴分。


・ラビツ

 久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。


・ゴブリン

 魔女様の家に向かう途中、リテルが思わず助けてしまった片腕のゴブリン。

 ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者のようで、魂は犬種アヌビスッ


・赤髪の少女

 整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種マンッ。魔女様のお使いの人。

 リテルとマクミラ師匠が二人がかりで持ってきた重たい荷物を軽々と持ち上げた。


・カエルレウム

 寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種マンッ

 魔法の使い方を教えてほしいと請うたリテルへ魔法について解説し始めた。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。




■ はみ出しコラム【魔物】

 魔術師たちは自身が住む世界のことを異界と区別してこの世界ホルトゥスと呼ぶ。

 異界とは、ホルトゥスの「隣の世界」として存在が確認されている天界カエルムおよび地界クリープタ、それ以外の未確認の世界の総称となる。

 一般の人々は、自身が住む世界のことを「世界」として認識していないため、特に呼び名を持たない。利照の居た世界の住人が、自分たちの住む場所を「日本」や「地球」などのように地理的な呼び方しかせず、世界そのものを指す言葉を持たないのと同様に、である。


 実は、天界カエルム地界クリープタ側から見ても、自分たちの世界ではない他の世界はまとめて「異界」として呼んでいる。

 それぞれの世界間には時折、異門ポールタと呼ばれる道が一時的に通じ、そこを通して互いに行き来が可能となる。


・魔物

 異門ポールタを通り、自分の世界に出現した異界の生命体を、魔物と呼ぶ。

 例えばホルトゥスの獣種が天界カエルムへ移動しても、天界カエルムにおいては魔物と呼ばれる。


・魔人

 魔物のうち、コミュニケーションを取ることが可能な知的生命体を魔人と呼ぶことがある。

 ただし、コミュニケーションが取れたかどうかについては主観的な価値観に左右されるので「魔人」という表現については恒常的・普遍的なものではない。


・魔物や魔人の定着

 ホルトゥスにおいて、魔物や魔人のことをお客さんペルディタと呼ぶことがある。異界から異門ポールタを通って来たばかりの魔物や魔人のことを指す。

 異門ポールタを抜けて来た存在は瘴気を帯びているため、それと分かる(瘴気については次回コラムにて詳しく説明する)。

 また、お客さんペルディタがホルトゥスに居着き、繁殖した第二世代以降は移住者イミグラチオとも呼ばれる。

 ただし、移住者イミグラチオと呼んでもらえるのは、ホルトゥスの住民と友好的・中立的な存在だけであり、獣種を常食とするような魔物の場合、どれだけ世代を重ねても「魔物」以外の呼称は用いられない。


 ホルトゥスにおいては、魔物は発見次第即討伐推奨な存在なのである。

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