第15話:夜の追いかけっこ

 夜の街を。クラシックなコンパクトカーが走る。

 丸っこいフォルムのボディに、熊族ベアの男が体を無理矢理詰め込み、そして詰め込み切らず、頭から顔を出している。

 それを追うのは、霊子的に再現されたスポーツカー。

 再現された直列六気筒のスキール音を嘶かせて、クラシックなコンパクトカーに追いたてる。


 一見すると性能差は歴然としている。

 しかし、熊族ベアの男のクルマも、逃げることに関しては負けてはいない。駐停車中の車をすり抜け、角を曲がり狭い路地に入り込み、小回りを活かしてスポーツカーの追撃を交わしていく。

 スポーツカーはそんな、ネズミのように狭い通路に入り込むコンパクトカーに対し、持ち前の加速力とハンドリング性能を活かして路地を先回りし、食らいついていく。


「アクセスキー……そんなものを、リキヤさんはどうしようとしていたの……?」


 スポーツカーの助手席。

 さすがに、声が増えるコッコ。

 わからない話ではない。マスターサーバーさえ掌握できてしまえば、機械生命体オートマトンはもちろん。都市のインフラやネットワークすら手中に収めることができる。

 悪用されてしまったら、とんでもないことになる。


「彼は。どうもしませんでした。放置する考えだったのでしょう。自分には扱いきれない。しかし、破棄してしまうとそれはそれで、万が一の時に対処できなくなると」

「だろうね。リキヤさんらしい判断だと思う」


 コッコは、ほうと胸を撫でおろす。

 田井中リキヤは自由主義であり個人主義だ。

 特定の組織や勢力に肩入れすることなく、常に中立の立場で、自由と混沌を好む。アクセスキーのような存在は、むしろ彼にとっては邪魔で煩わしいモノだったのだろう。

 だが一方で、それならばなぜカヲルがこの情報を知っているのか。


「先にコンタクトをとったのは市長です。彼はツテからアクセスキーの情報を得て、田井中氏と接触に成功したようです」

「ううん……? 市長のツテ……?」


 コッコは首を傾げる。

 そしてちらりと後部座席を見て、転がっていた俺ことイナバを拾い上げた。

 そのまま俺を胸に抱えるようにして、耳打ちする。


「ねえイナバ。今のイズモタウンの市長って、どんな人だっけ?」

「おい。知らねえのかよ」

「だって選挙権ないし……」

「ああ。イズモタウンの選挙権は満18歳からだったか……」


 しょうがない。というわけではないが、理解はしてやろう。

 

「名前はテッド・アライ。月精人ディアナで、洗熊族ラクーンのおっさんだよ」


 通称アライグマ市長。四年前の選挙戦に於いては『都市のエネルギー問題及び食料問題の解決』をうたい、対立候補を押しのけて当選した。

 元は新聞社勤務の政治ジャーナリストであり、政治家を目指す前も新聞や雑誌などで様々な記事やルポルタージュを書き、市民から支持を得ていた。


 当時は機械生命体オートマトンの暴走事件や頻発する停電などで、都市の情勢がやや不安定だった。

 前市長は非常時対応の鈍さから市民の不信を買い、選挙戦は大波乱となった。

 テッド・アライ氏はそこに突っ込んで立候補し、表にも裏にも様々なネガティブキャンペーンを行い、選挙戦に勝利したというわけだ。

 

「元は新聞屋さんだから、耳が早いってコト?」

「弁も立つ。他の政治家に対しズバズバとハッキリモノを言える姿勢も、評判だったからな」

 

 とはいえ。

 言うは易く行うは難しというべきか。彼には政治的才能は無かったらしい。


 選挙戦では『エネルギー問題解決』をうたっていた。そのハズだったが。結論から言えば何も改善しなかったし、解決しなかった。

 むしろ前市長の時より悪くなったかもしれない。食糧問題についてても似たり寄ったりな結果で、見当違いな政策や、意味の分からない条例ばかりが増えていた。

 まあ。よくある話だし、さもありなんである。俺はその時すでに紅港にいたし関係ないことだが、この都市の市民がこの市長を選んだのなら、その結果の責任は結局市民にあるのだろう。

 

「いっつも政治に文句言って、みんなもそれに納得して投票したのに。いざやらせてみたら全然ダメだった……って人なんだね」

「そうですね。現時点での世論を語れば、そんな所でしょう」


 カヲルはあっけらかんと認めて、頷く。

 こいつはその市長の秘書と名乗っていたハズなのだが。


「私は市長の秘書ですから。市長の業務をサポートするのが私の仕事です」

「……それが、アクセスキーをリキヤさんと取引することだったの?」

「はい。市長はリキヤさんとコンタクトをとり、アクセスキーを取引しようとしていました」

 

 リキヤ自身も、他のハッカーからアクセスキーを狙われていて身動きが取れない状況だったらしい。そして彼は他のハッカーの手に渡るよりは、イズモタウンの市長が手にする方がいくらかはマシと考えたのだろう。


「彼が対価として要求したのは、天然のダイヤモンドです。法外……と言うほどの量ではありませんし、それ自体はすぐに用意できました」


 カヲルは巾着袋を取り出して、コッコの手に乗せて見せる。

 ジャラジャラとした感触。そんなに重いものではない。ハズだが、何故だか不思議と強く重みを感じる。

 コッコは中身を見て、しかしそのまぶしさに目をやられてすぐにカヲルに返した。


「ねえこれって、市民のお金?」

「ノーコメント」


 その時。着信。

 見れば前方を走るクルマが。その屋根から突き出ている頭が。頬に携帯電話らしきものを当てている。

 カヲルは巾着袋と入れ違いに携帯電話を取り出し、スピーカーモードに切り替えてドリンクホルダーに立ててみせた。


『やあやあ。追ってきてくれるようだね。これからハイウェイに乗ろうと思うんだけど、一緒にどう?』

「ふざけないでください。適当なところで止まって、さっさとアクセスキーを渡してください」

『いやあ……そうしたいのもヤマヤマなんだけどねえ……こっちも事情があってねえ……』


 のらりくらりと。

 質問にも要請にも答えず、のんびりとはぐらかす。熊族ベアの男はノンキな性格が多いと言われているが、このリキヤに関しては相当だ。

 こちらは急いでいるというのに、妙に気に障る。


「リキヤさん! ボクだよ! コッコだよ! 無事でよかった。心配したんだから!」

『ハッハ。コッコちゃんもしばらくぅ! どちらかと言うと心配したのはオイラの方かな。急に紅港に言ったと思ったら、港湾労働者組合をぶっ潰しちゃうんだもん』

「さすが。耳が早いねリキヤさん。ついでに今ならハグもしてあげられるけど、逃げるのやめてくれない?」

『いやいや。既に恋人のいる女の子にハグされるのは困っちゃうよぉ。ほら、後ろの女の子も凄い睨んでる。やめた方がいい』

 

 後部座席から、携帯電話。あるいはその先のコンパクトカーへ視線が突き刺さる。

 マータがほとんど牙を剥いて、赤い目を見開いて、かなりの形相で熊族ベアの男を睨んでいた。


「ま、マータちゃん落ち着いて……今のは冗談だから……アナトリア系ジョークだから……」

「あいつ! ココねーのハグを断った!」

「そこ!?」

「ココねーをハグするのは気持ちいいのに! すっごい失礼! ありえない!」

「ええ……じゃあボクがリキヤさんとハグするのはいいの?」

「それは嫌! あんなクマの匂いをつけないで!」


 どないせいちゅうねん。

 どうもバーの一件から、マータの精神状態が穏やかな状態ではないらしい。こういう時こそ落ち着くための時間が欲しい所だが、チェイスの最中でそんな余裕があるはずもなく。


 無益な言い合いをしている間で、リキヤの車が進路を変更した。

 見上げると首が痛くなるほどの高さでそびえるバビロンタワー。企業連合体リヴァイアサンの象徴であるそのタワーのふもとに、ハイウェイの入り口が存在する。


「本当にハイウェイに逃げる気ですか……? しかし……」


 奇妙なことだ。

 リキヤが本当に逃げるつもりなら、クルマの小回りを活かして都市を逃げ続ける方が良いに決まっている。ハイウェイに乗ってしまったら、カヲルのスポーツカーから逃げきるのは、クルマの性能差からして難しくなるハズだ。

 なのに。リキヤのクルマはハイウェイの入り口に入り、加速する。

 カヲルもそれを追って、ギアを上げていく。


『オイラにも良心があるからね。善良なる市民を巻き込むのは忍びないよ』

「どういう意味ですか。意図を答えてください!」

『そいつはこういうことさ! 三途の川サンズリバーへようこそ!』


 突如。車内に鳴り響くユーロビート。

 ラジオではない。車内のステレオは電源を入れていない。電源も入っていないのに、勝手に音楽を流し始めたのだ。

 耳をつんざくような爆音に、思わずマータが首を縮める。


『紳士淑女諸君! 夜が燃えているぜ! 存分に飢えて、怯えて、罪に苛まれな!』


 そして、リキヤとコッコ達の前に現れたモノ。

 ちょっとしたダンプカーほどもある巨大なタイヤ。威圧的かつ暴力的なスキール音を轟かせて、マフラーから地獄のような紅い火を吹かせている。しかしそれは二輪でも四輪でもない。三輪だ。その凶悪なマシンは、異形の三輪車トライクなのだ。


「サンズリバークラン……!」


 カヲルとコッコが同時にその名を口にして、拳を握りしめた。

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