02_リノ

 棚の中身を整理していると、これまた可愛らしい機械が出てきた。スポイトのような注射器のような部品が長方形の箱から伸びていて、箱には指でつまんで回せそうなツマミの付いた円盤が備わっている。円盤の上側には『CHERRY』の文字が円周に沿って掘ってあり、下側には回転の向きを示す細い赤矢印がちょうどスマイル顔の口元のように描いてある。それから赤い丸の付いた手のような部品がバンザイをするように両方に伸びて円盤の縁に収まっている。カメラに疎い人なら、いや詳しいとしても最近の人にはこれが何の機械なのか分からないかも。写真サークルの皆さんならどうかな。実はこれはセルフタイマーを実現する小さな機械だ。デジカメならボタン一つでセットできるけれど、昔の機械式カメラにはセルフタイマー機能が付いていないものがあった。ツマミで中に入っているゼンマイを巻くと、『ジー』という音を立てて「撮りますよー」とアピールするようにバンザイの手が開き、最後に注射器のような先端から金属の棒が少し飛び出してカメラのシャッターを物理的に押し込む。カメラ側のシャッターボタンにはこの注射器がセットできるようにネジ山が切ってあるのだ。昔の人はよく考えたものだねー。おや、こっちはCanon製だ。バンザイお手手がない。へぇー。


「おっと、整理整頓整理整頓」


 これは何だろう。『BEWI PICCOLO』? おしゃれな革ケースの形状からするに露出計かな。……当たり! 黄ばんだ古い紙に機械の名前を書いたのは多分祖父で、二つをまとめてジップロックに入れたのは店長だろう。レンズ以外にも見たことのない古い機械がどんどん出てくる。

 私の母方の祖父、“銀塩の源蔵”こと塩田源蔵は、中々に名を馳せた写真家だった。ところが父はカメラも写真も全く興味なし。祖父のカメラと写真愛は自然に私へと注がれた。と言っても祖父からこれらを押し付けられたような記憶はない。確か私が興味本位でカメラに触らせてもらって、機材の価値も分からないままどうやって写真を撮るかを教えてもらって、それからカメラと写真について帰省する度に少しずつ教わった。物静かだと思っていた祖父はカメラや写真のことを話す時には子どものように表情豊かになり、どこか得意げにもなって身振り手振りも元気いっぱいになる。そっちの姿でイメージがすっかり上書きされてしまったくらいだ。病気をこじらせて病室に囚われてしまった祖父はお見舞いに来た私に『源蔵ブック』のことを教えてくれた。彼があふれる熱意を書き溜めた、写真とカメラと“写真家”の全て。病室のベッドの上でもまだ続きを書いていたという。


――リノちゃん。俺のカメラは全部リノちゃんにやる。リノちゃんは俺よりずっといい写真を撮れるからな。


 じいちゃんの得意げな、誇らしげな、良い笑顔だった。もし私がこの時カメラを持っていたら、きっと写真に収めただろうに。……なんてことを考えてもいないであろう二つ結びで口が半開きな私の姿がきちんと写真で残っている。炬燵でみかんを食べる私も、縁側でカメラを興味津々で触る私も、家族の写真より私の写ったものが枚数がずっと多い。流石は銀塩の源蔵、構図もぼかしの使い方も光の加減も今見返してみると実に上手だ。この続き、私が彼の部屋で源蔵ブックを手に取った瞬間は私が自分で撮った。

 こうして私は無事カメラと写真が好きな女子大生になり、写真サークルに入ってカメラ屋でアルバイトをしている。けれども写真家になるかどうかは決めかねている。趣味のカメラと写真でも不都合は無いし、両親もその方が安心するだろうし。


「よし片付けおしまい」


 このカメラ屋は祖父の開いたものではない。店長はカメラ好きの個人で、銀塩の源蔵を尊敬しているらしい。紆余曲折あって私の父がここに祖父の資材の一部を持ち込んだけれど、店長は売らずに整理してそれぞれの意義(価値ではなく、機材ごとの意義と言っていた)を調べて、納得したらなら店に並べて、そうでないなら一度持ち帰るように私に言ってくれた。


「店長ー、終わりましたー」


 店員のよく伸びる返事。私が伸ばしたから?

 さて、今日の日記には良いネタがある。私の話を聞いてお店のカメラを買ってくれたお兄さんが現れた。あともう一つ、何だっけ、ああそうだ。メモ紙に走り書きで『M532』『リノウ』と書いて切り取ってポケットに入れた。私の名前と“リノウ”とどっちが先か調べるんだった。塩田理乃のリノが『写真の妖精リノウ』から取ったものなら……ならば、どうしよう。まずは両親が付けたのかじいちゃんが付けたのか、教えてくれないなら少し前に起きた“リノウちゃん”ブームの前のオリジナルのリノウの起源を調べよう。

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