第4話

 黛さんは、黙って、真顔で、私の話を聞いてくれた。途中で少し元気になったみたいで、

「場所移動するか」

 って言われてファミレスに入った。ユキさんと美晴くんと鳴海さんにメッセージを返して気付く。まだ19時ぐらいだ。そんなに夜じゃない。

「そうなんだよ、そんなに夜じゃねえんだよな」

 夏季限定ロコモコセットを食べながら、黛さんがハスキーな声で言った。

「でもあの……家を出た時には深夜みたいだった、よね?」

「ああ」

 首を縦に振る黛さんは、さっき化粧室でリーゼントとメイクを全部完璧に直してきたところだ。こういう言い方良くないのかもしれないけど、すっごいハンサム。間違いなく女性なんだけど、同期の男の子にもこんなカッコいい子いないよねって思うぐらいのハンサム。そのハンサムが私の目をじっと見て、

「あの時……」

 と呟き、咀嚼に意識を全振りする。うん、クチャクチャしながら食べるのは良くないもんね。カルボナーラを混ぜながら、黛さんの言葉の続きを待つ。

「王城さん、虫がどうとかって言ってたよな」

「う……うん」

 食事の席でするような話じゃないと思うんだけど、黛さんは平気なのかな。小さく頷くと、には、と黛さんはぽつりと言った。

「人間の形の影みたいに見えてたんだ」

「えっ?」

 それは、その、つまり?

「虫だったらそんなに怖くなかったと思う。でも、俺には──冷蔵庫の中からぬるっと人間が飛び出してきて、襲ってきたように見えて……」

 やっぱりあの家、おかしかったんだ。黛さんの証言で納得がいった。

 軽々しく肝試しに使って良いような場所じゃない。でもきっと、小林さんと遠藤さんはこれから先もあそこに人を連れ込もうとするだろう。いっ時の楽しみのために。

「王城さん」

「あ、ハイ」

 黛さんに呼ばれるとちょっと緊張してしまう。背筋を伸ばした私を見て、黛さんはフフッと笑った。

 イ、イケメン、だぁ。

「あんまり気にしねえ方がいいと思う」

「え?」

「あの家のこと」

「あ……」

 黛さんは読心術でも使えるのだろうか。ちょっと困ってしまって口籠ると、あのふたりがさ、と彼女は淡々と続けた。

「他の学生を巻き込んだとして。まずいことになったとして。でもそれは王城さんのせいじゃないだろ?」

 そうなのかなぁ。どうなんだろ。何せ私は、見えて、終わらせることができてしまうから、ちょっと責任を感じてしまう。分かってるのに目を逸らすっていうのは、後味が悪いというか……。

「真面目だね。でも俺はもう、王城さんをあの家には行かせないよ」

「へ?」

「命を救ってくれた人間を、危険な場所に送り込んだりできない」

「ま、黛さん……」

 ヤバい。ヤバい。これはすごくヤバい。

 何がヤバいって、私、恋をしてしまうかもしれない。

 こんなに綺麗な顔の人に、こんなに真っ直ぐ語りかけられるなんて。

 最高。東京最高。


 黛さんは、事故物件までの移動に使ったというバイクの後ろに私を乗せて、相澤邸まで送り届けてくれた。鳴海さんにも丁寧に挨拶をしてくれて、まるで自分が無理やり事故物件に連れ出した、みたいな言い方をするものだから、黛さんが帰ってから鳴海さんとユキさんに言い訳、というか本当に起きていたことを私は必死で説明した。

「事故物件、か」

 帰宅した時には美晴くんはもう自室で眠っていた。リビングには私とユキさんと鳴海さんがいた。

「一応報告しておくか。だいたいの場所とかって分かる?」

「あ、住所、これです」

 報告? 報告ってなんだろう、と思ったけど、メッセージアプリに小林さんと遠藤さんから送られてきた住所が残っていたからそのまま鳴海さんに見せた。グループという形になっていたけど、小林さんと遠藤さんのアカウントは『退室しました』という状態になっている。明日からもまたアトリエには行くつもりだけど、顔を合わせたら嫌だなぁ。何か言われたらもっと嫌。面倒臭い。

「取り敢えず、オワリちゃんも周囲には気をつけてね」

「……? はい」

 鳴海さんは何を知っているんだろう。あの事故物件って関東圏では有名なのかな。足を踏み入れたら呪われるとか?

 でも、今回は、私が一旦終わらせている。黛さんにも害が及ぶことはないはずだ。


 翌日。

 少し時間をずらして、お昼過ぎからアトリエに入った。おはよう、おはようと声を掛けてくるのは顔馴染みの同じ科の同期や先輩たちで、その中には小林さんも遠藤さんもいない。ほんの少しだけ嫌な予感がする。

 アトリエ内の座席は自由に選んで良いことになっているんだけど、なんとなくここはあの人の指定席、とかそういう空気があるから、私はいつも廊下に近い端の方の椅子に座っている。スケッチブックをパラパラと捲りながら、さて、今日はどうしようかな、などとぼんやり考えていたら。

「王城さん! いる!?」

「ふわっ!?」

 黛さんだった。サイケな柄のエプロンを着けた黛さんが、アトリエのドアを開けて立っていた。

「いる!」

「あ、そんなところに。なんでそんな端っこ……いや、それはいいんだ!」

 と、黛さんは右手に握っていた彫刻刀をまるで暗殺者のような動きで片付けると(どこにしまったのか私には見えなかった)、空いたその手で私の手首を掴んだ。

「王城さん借ります!」

「あいよ〜」

 三回生の田中さんがふにゃふにゃの声で応じた。田中さんはこのアトリエではと呼ばれている。田中さんに許可を取ればアトリエ内で何が起きてもまあなんとなく流されるそうだ。怖いですね。

 ぐいぐい引っ張られるようにして廊下を歩き──途中で、「あっ」と言って黛さんが立ち止まった。広い背中に思い切りぶつかってしまった。

「ごめん! 急に連れ出したりして」

「いえ、こっちこそ……ぶつかっちゃった」

「それもごめん。どこも痛くしてない?」

 王子様の顔で黛さんが言う。今日もリーゼントだけど。金髪リーゼントの王子様ってありなんだなぁ。すごいなぁ。都会はすごい。黛さんは東京生まれの東京育ちらしい。それで、大学には三浪して入学したと言っていた。年上だ。お酒も煙草も嗜まれるという。カッコいい。

「ちょっと変なことが起きてるから、王城さんに見てほしくて」

「え? おばけ?」

「おばけだったらいいんだけどな」

 眉を下げて笑った黛さんが、今度は手首ではなく手を握る。大きくてすごく指が長い、素敵な手だった。

 黛さんと手を繋いでやって来たのは、保健室──じゃなくて、保健管理センターだった。油絵科のアトリエからも彫刻科のアトリエからもしっかり遠い。ものすごく辺鄙な場所にある。

 中には常駐の先生がいて、ちょっとした怪我とか具合が悪いとかだったら処置してもらって、それでもダメだったら近くの──大学の本当にすぐ近くにある総合病院がここの学生の指定病院みたいになってるんだけど、とにかくそこに送り込まれるのがルールって入学してすぐぐらいに聞いたんだけど。

「あ、黛!」

「っス」

 中から出てきた白衣姿の男性に、黛さんが小さく会釈する。

「おまえ……いや……あれ、そっちは」

 白衣の男性はどうやら常駐の先生らしい。油絵科の王城です、と名乗ると、

「どうも、保健の弓船ゆみふねです。そんで、黛」

「っス」

 黛さんが保健の──弓船先生を押し退けて中に入る。カーテンで区切られたベッドがふたつ。その両方に誰かが寝ているようだ。

 とても嫌な予感がした。

「嫌だよな? 分かる。俺もだ」

 黛さんは私の手を握ったままで言う。弓船先生が後ろで溜息を吐いている。

「なんでおまえら気軽に事故物件なんか覗きに行くんだよ? ったく……」

「俺と王城さんは巻き込まれた側ですよ。そもそも」

 と、黛さんが空いている方の手でカーテンをシャッと開いた。

 中には小林さんと、遠藤さんが、いた。

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