第6話 再会

 憲兵たちの指示で、マリーシャを含めて五人ほど――その内の三人が女性、一人が子供だった――が牢から外に出るように言われた。あまりにも突然のことで彼女も困惑したが、逆らうわけにもいかないので黙って従った。

 彼らは行き先も告げられずに、数人の憲兵に取り囲まれて暗い廊下を並んで歩かされた。

「アタシたち、釈放されるのかい?」

 一人のノルディア人の中年女性が尋ねると、

「いいから黙って歩け」

 憲兵はムスッとした顔で、急かすようにそう一言口にしたのみだった。

 やがて彼らは大尉リュフテナントの自室の前に連れてこられた。ドアを開けて出てきた大尉は疲れのにじみ出た顔で彼らを出迎えた。

 大尉リュフテナントは窓際に彼らを整列させると、無表情でその前に立った。

「ノルディア人どもに告ぐ」

 窓越しに月明りが彼を照らし、片眼鏡に反射した。自分たちの処遇がどうなるのか、彼らは皆緊張した面持ちで大尉リュフテナントが次に何を口にするのか見守った。

 彼の言葉にノルディア人たちはざわつき出した。

「臨時の……隔離区域……?」

 大尉リュフテナントは一度咳払いをして、静かにするよう促した。

「知っての通り、現在王都ザハリスタは厳戒態勢にある。ハルホルトにいる独立分子スィチェーヒを徹底的に洗い出すことは国家の存亡にかかわる最重要課題ではある。だが――」

 ここまで言って一旦話を区切ると、彼は苦虫をかみつぶしたような表情になった。

は一連の事件とは関係性が薄いと判断したまでだ。いずれにせよ、この狭い場所に全てのノルディア人を収容することはできない」

「ハッ、勝手なもんだ」

 先ほどの女性が小声でそう言うと、大尉リュフテナントは彼女を思い切り睨みつけた。彼女は舌打ちしてそっぽを向いた。

「貴様らには当分の間、チルバに居留してもらう」

 大尉リュフテナントがそう言うと、今度はノルディア人の子供が質問した。

「チルバって……、あの川沿いの町ですか?」

 そこはノルディア人が多く住む場所で、貧民街としても知られていた。

 すると大尉リュフテナントは低い声で威圧するように答えた。

「そうだ。貴様らは生活の一切をその町の中で行い、。それだけだ」

 そうして彼はドアを乱暴にバタンと閉め、さっさと自室に戻ってしまった。

 ――これは……、喜んでいいのかしら……?

 マリーシャを含め、取り残されたノルディア人たちの多くはこれを本当に心から喜んでいいのか悩んでいるようだった。

 勾留か、隔離か。

 爆破事件があってから、首都にいるノルディア人たちの大半は否が応でもこのどちらかを選択することになったのだった。

 ――でも、とりあえず牢屋から出られてよかった。

 この日何時間も行動の自由を奪われたマリーシャにとっては、少なくとも朗報ではあった。


 マリーシャがやっと屯所の外に出たとき外は真っ暗で、門の前に集まっている黒い群衆の一人がペーティルだということに気づかなかった。

「おーいっ、マリーシャッ!!」

 人混みの中懸命に背伸びして手を振るペーティルを見とめると、マリーシャは笑顔で駆け出した。

「ペーティル!」

 二人は出会い頭に熱い抱擁を交わした。

 実に半年ぶりの再会であった。

「こんなにアナタが恋しいと思ったことはないわ!」

 マリーシャはペーティルを抱きしめてしみじみそう言った。

「本当に心配したんだぞ……。こんな日にハルホルトに呼んじまってごめんな……」

 全部僕のせいだ、と言いながらペーティルは目を潤ませた。

「辛かったろ、まさか牢屋にぶち込まれるなんて……」

 涙ぐむペーティルを前にマリーシャは苦笑した。

「まぁ、確かに今日はタイヘンだったけど、ケガはしてないわ。それより、もうお腹ペコペコよ」

 しかし彼女にとってこの日は、一生を三回繰り返したと思えるほど長い一日であった。

「そうかそうか、まず何か食べなきゃな。今あんまりお金の持ち合わせがないけど、何でも好きな物買ってやるよ、とか」

 ペーティルは涙をぬぐうと、胸を叩いて微笑んだ。

ありがとうターク

 ――ホントは温かいピルティアシチューが食べたいけど……、空きっ腹に固いパンはないわね。

 そんなことを思いつつも、マリーシャは彼の精一杯の好意に感謝の言葉を口にした。

「ところで、この人は?」

 マリーシャは先ほどからペーティルの隣にいる大男の存在が気になっていた。

「俺はベンってもんだ。ハルホルト港でハヴニーフをやってる」

 ベンの隣にいたペーティルが、僕が前に港で働いてたときにお世話になった方だよ、と付け加えた。

「ベンさんがさっきもマリーシャを探すのを手伝ってくれたんだ」

 ベンは何の遠慮もなくマリーシャをジロジロ見ると、

「お嬢ちゃんがマリーシャか。随分とべっぴんさんスマラビアじゃねえか!」

 彼の視線が恥ずかしかったのか、ただお世辞に慣れていないのか、マリーシャは顔を赤らめた。

「ど、どうも……ありがとうございました」

 ここで、ペーティルが思い出しようにこんなことを言い出した。

「それはそうと、自分から海に飛び込むなんてなんてな真似をするんだ!」

 件の話を聞いてから、ペーティルはずっとマリーシャを叱る気でいた。

「アタシは平気よ。人魚マルビアは海に落ちても死なないわ」

 この時マリーシャは少し眉を吊り上げたが、あくまでも冷静なフリをして切り返した。

「溺れた人を助けようとして自分も溺れたらどうするんだよ? まぁ、溺れなくてもケガとかさ」

「アンタと違ってアタシは薄情じゃないだけよ」

 するとペーティルはため息をついた。

「やれやれ、ほど手の付けようのないものはないね」

「だからさっきからバカドゥーダバカドゥーダ言わないで!」

子供のマーリアマリーシャが覚えないことは、大人のマーリアも覚えられないよな……」

「それじゃ『バカドゥーダ』って言ってるのと同じじゃない!」

「『大差ないチェイヴァ・シェイヴァ』ってこと?」

「汚いから、その言葉言わないで」

 まるで口論のようなやり取り――

 いつもの調子を取り戻してきたのか、二人はああだこうだ言い合っていた。それは傍から見ると仲睦まじいようにしか見えなかったに違いない。

「しっかし、こんな子が彼女とは……。ペーティル、お前もやるな!」

 ベンが腕組みをしながらそう言うと、二人は異口同音に全力で否定した。

「いや、私たち付き合ってないですって!」

 その様子を見て、ベンはさもおかしそうに笑った。


 その後、三人はその場で立ち話を続けた。ペーティルとベンの二人はマリーシャを探すのにどれだけ苦労したかを語り始めた。

「――それで、さっきもよ、『正式な市民ではない半人半獣ヒュブリーディは全員拘束する』とかムチャクチャ言うから久々にブチ切れちまってな……。もし嬢ちゃんを外に出さなかったら、俺がクソフェルン憲兵どもをにしてやってたところだぜ!」

「いや、アンタはただ憲兵に個人的な恨みがあるだけだろ」

 そんな話で盛り上がっていると――

「おぉ、僕の愛マ・マーブリア……。やっと外に出られたんだね」

 悪魔ジューヴィルの話をすると何とやら、タイミング悪く現れたのはダーリウだった。彼は仕事の休憩時間にマリーシャたちの様子を見に抜け出してきたのだった。

「ダーリウさん、今日は本当にありがとうございました。何とお礼を言っていいか……」

 かしこまるマリーシャにダーリウはニッコリと微笑んだ。

「君には檻なんて似つかわしくないからね。あぁ、マリーシャ、君の美しさは月明りの下で自由に羽ばたく蝶々マピーシャ――」

 ダーリウが再び愛の詩を読み上げ始めたところで、憲兵嫌いのベンが殴りかかろうとした。

「てめえ、さっきはよくも……!」

「ベンさん、だからこの人は僕の友達でいい人だって――」

「『』なんてのはこの世に存在しねえんだ!」

 ペーティルが必死に止めるも、ベンは聞く耳を持とうとしない。

「ハハ、せっかく出してあげたっていうのに。『どういたしまして!』」

 ダーリウが肩をすくめて皮肉るも、ベンは鼻で笑った。

「ハン、それなら最初から無実の人間を捕まえなきゃいいだろうが!」

 不機嫌なベンを宥めつつ、ペーティルはダーリウに話しかけた。

「ダーリウ、今日はありがとう。君がいなかったら今頃マリーシャも僕もどうなっていたか……」

「いやいや、いいんだ。水から出た『ビーズィ』ならぬ『人魚マルビア』なんて、かわいそうで仕方なくてね……。どうしても助けてやりたかったんだ」

 ダーリウは冗談めかしてそう言ったが、

「でも、僕にできることは精々これぐらいさ」

 どうやら他のノルディア人たちもチルバに集められてるみたいだ、ペーティルの耳元で囁いた。 

「そうか……。しばらく首都から出られそうにないな」

 ペーティルが複雑な表情で俯くと、ダーリウは彼の肩を軽く叩いて励ました。

 ――どうしたのかしら。

 そんな二人の様子を見て、何も知らないマリーシャはただ不穏な空気を感じるのみだった。


 一応市民登録をしているペーティルは自宅謹慎という手もあったらしいが、マリーシャが心配なので彼も結局ついて来ることになった。

 自主的に隔離地域へと向かうため、マリーシャとペーティルが屯所を後にしようとしたとき――

「嬢ちゃんたち、これからチルバへ行くんだろ? それなら俺も行くよ」

 声をかけてきたベンにマリーシャは振り返った。

「ついてきてくださるんですか?」

 するとベンは吹き出して、

「ついてくも何も、俺の家がそこなんだよ」

「なるほど」

 こうしてマリーシャは三人でチルバへ向かうこととなった。

 だがこの時、彼ら三人はそこから始まる長い隔離生活がどのようなものか、まだ知る由もなかったのだった。

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