第23話 もずく

 ◆回想


 僕が小学校5年生だった頃、従兄妹である梓とは同じピアノ教室に通っていた。


 当時は仲が悪いとかそういうことは全くなく、お互いに良きライバルとして切磋琢磨していた。

 小学生にしては僕も梓もピアノが上手い方だったようで、地元のコンクールでよく賞を争うようなことを繰り返していた記憶がある。


 ただ、やはり梓には才能があったのだろう。

 いつからか彼女は何かコツみたいなものを掴んだのか、急激にピアノが上達し始めたのだ。


 最初は僕も梓に負けまいと練習に練習を重ねた。

 それでも、伸びしろ十分だった梓はぐんぐんと成長し、僕はといえば取り残されるような感じで彼女に遅れをとった。


 悔しいなとは思いつつ、やっぱり梓は凄いんだなと感心していた僕は、いつからか彼女と競い合うようなことはしなくなった。

 競い合っても梓のほうが上手いのは自明だし、それでは僕がどんどんピアノを弾くことが嫌になってしまう。


 この時から僕は、自分が楽しくなればそれでいいやという気持ちでピアノを弾くようになった。コンクールなんかにも無理に出ることはしなくなったし、流行りのポップスなんかもよく弾くようになった。


 あとから考えれば、これが曲作りを始めるきっかけとなったわけだ。

 けど当時の僕としては、自分より優れた才能を目の当たりにしたときの、ただの逃避行動だったに過ぎない。


 そんな僕の腑抜けた姿を見ていた梓は、あるときこんなことを言い出す。


「次のコンクールで勝負しましょ」


「勝負って……、そんなの梓が勝つに決まってるじゃん」


「やってみなければわからないでしょ? あなた、最近あまり大会にも出てないんだもの、たまには出なさいよ」


 梓のことだ、コンクールで僕に実力差を見せつけて奮起を促そうとしているのだろう。

 でももうそれはちょっと遅い。既に僕は梓との実力差を感じすぎていて、まともな勝負になるとは思えなかったから。

 梓が圧倒的演奏で優勝して、僕は片隅で拍手を送る。そんな光景が始まる前から見えてしまっているのだ。奮起をするなんて、とても無理。


 それでも梓の誘いを断るのはなんだか悪い気がしてしまったので、僕はとりあえずコンクールに参加する旨だけは彼女に伝えた。

 多分、これが梓と一緒に出る最後のコンクールだろう。

 中学とか高校に上がったら、梓は僕とは別世界で活躍していく人になるだろうから。


 そしてそのコンクールの日。

 僕はとにかく情けない演奏はしないようにと練習をした。コンクールが終わったあと、梓が呆れて物も言えないようになってしまうのはさすがに良くないと思い、今の自分が出せる最高の演奏をしようと努力はした。


 でもやっぱり、僕は持っていない人間なのだなと思った。


 その日、僕を襲ったのは40℃の高熱だった。肺炎も起こしてしまい、即日入院。

 まともに外へ出られたのは10日後。僕の身体の貧弱っぷりがよくわかる。


 体調が整うと、僕はピアノ教室へ向かった。コンクールに出られなかったことを正直に梓へ謝ろうと、お詫びの焼き菓子まで携えて。


 でも、そこには梓の姿はなかった。

 今日は珍しく休みなのかなと、ピアノの先生へ尋ねると、思いもよらない答えが返ってくる。


「梓ちゃんは家庭の事情で、この間のコンクールが終わったら大阪に引っ越すって言ってたけど……。もしかして、岡林くん知らなかったの?」


「えっ……、そんなの初耳ですよ! なんで教えてくれなかったんですか!」


「ご、ごめん、てっきり知っているかと思って……」


 従兄妹でありながら僕は、梓が引っ越してしまうというそんな情報すら知らなかった。ましてや、梓本人もそんなこと全く言わなかった。


 後になってその理由がわかった。

 梓の両親――香苗さんと、当時の旦那さんは離婚寸前だった。自分のことをあまり話したがらない梓は、離婚だの引っ越すだのといった話をわざわざ僕に言わなかったのだと思う。


 だからあのコンクールは梓にとって、僕と一緒に出場できる最後のコンクールのはずだったのだ。

 それを自分の落ち度で欠場してしまったとなれば、僕は彼女に対してどう詫びたらいいのかわからない。


 そんなモヤモヤを抱えたまま僕らは大きくなり、高校生になる少し前に、梓と香苗さんはこの街に戻ってきた。

 香苗さんは新しい旦那さんとカフェを開き、梓は僕と同じ高校に入った。クラスは僕がF組で梓がC組だから、まず会うことはない。


 僕は、梓にどう接していいかわからないくせに、それでも彼女に近づかなければならないと自分自身のなかでせめぎ合う。

 その結果が、香苗さんのカフェには通うけど、梓のいる木曜日には近づかないという中途半端な状態だ。


 どう考えても僕と梓の関係はまともな状況ではない。


 鵜飼さんがいなかったらこうやって再会することもままならなかったかもしれない。


 今更謝って許してくれるのだろうか。

 お店で梓からあんなに辛辣に言われてしまったのだ。相当怒っているに違いない。

 謝り倒すだけではもう駄目かもしれない。それぐらい、過ぎてしまった時間を取り戻すのは難しいことだ。


 でも、できることなら、あの頃の梓ともう1度やり直したい。

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