第2話 音楽室のピアノ、ジェリー・リー・ルイス

 気持ちがモヤモヤしてしまったのでこういう時はストレスを発散するに限る。

 陰キャラ歌下手ソングライターな僕のストレス発散方法は、シンプルに楽器を弾くことだ。


 今日は吹奏楽部の練習がお休みとのことで学校の音楽室ががら空き。こういう時はグランドピアノを占領して思いっきり鳴らしてやろうと思う。


 幸いなことに先客は誰もおらず、音楽室もグランドピアノも貸し切り状態だった。

 僕は周囲に人がいないことを確認して、ピアノ椅子に座って高さを合わせた。鍵盤蓋を開けてキーカバーを取り去ると、白と黒の美しい鍵盤が現れる。


 今からこのピアノは弾き放題、この時間は僕だけのもの。

 数あるレパートリーの中から、先日YouTubeにアップした曲を手グセを交えて弾き始める。


 僕はピアノとギターが弾けるけれども、どちらかといえばピアノ派。自分で作り上げた曲というのは自分自身が正解であるので、弾いていてとにかく気持ちいい。


 気分が乗ってくると自然と歌を口ずさみ始める。事前に誰も周囲にいないことを確認したので、思い切って声を出すことができる。歌が上手かろうが下手であろうが、熱唱することが楽しいことには変わりはない。


 何曲か持ち歌を歌うと、ちょっと疲れたので休憩を挟もうとして演奏を止めた。

 音楽室の近くには自販機があるので、そこで飲み物でも買ってひと息入れようと僕はピアノ椅子から立ち上がる。


 音楽室特有の重いドアに手をかけ、ノブを回して引っ張った時、事件は起こった。


「……えっ?」

「ちょっ……、うわっ……!」


 あれだけ周囲に誰もいないことを確認したにも関わらず、そのドアにもたれかかって外から聞き耳を立てていた人がいたのだ。


 当然僕がいきなりドアを内側に引いたので、もたれかかっていた人は支えを失って転げる。そして、その人はコントロールが効かないまま僕に覆いかぶさるように倒れ込んできた。


 柔らかい感触、ふわりと香ってくるシャンプーだかトリートメントだかの香り。このときばかり僕は、昔嫌嫌やっていた柔道教室で受け身を習っておいて良かったなと思った。


 もし受け身を取れずこのまま後頭部をぶつけて気を失っていたら、気を失ってしまいこんな感触など覚えてはいられないだろうから。


「あいたたた……、ちょっ、ごめん、怪我してない?大丈夫?」


「……だ、大丈夫。……って、どうしてここに鵜飼さんが?」


「えっ……? あっ……、いや、これはその……」


 ドアの向こうにいたのは、まさかまさかの鵜飼さんだった。

 彼女はコソコソ盗み聞きをしていたことに罪悪感を感じているのか、なんだか端切れの悪い言葉を言っている。


 彼女が僕の歌と演奏に聞き耳を立てていたことにびっくりしていたが、それよりも今、仰向けに倒れた僕の上に鵜飼さんが馬乗りになっていることに驚きを隠せない。


 童貞陰キャラの僕には、この視覚情報は刺激的過ぎた。

 服を着てはいるが、これどう見てもあれだ、えっちな本とか動画で見るような、女性上位で騎乗しているやつ。まともに見ていたら岡林紅太郎の岡林紅太郎むすこ岡林紅太郎スタンドアップしてしまう。


「とっ、とりあえず鵜飼さん! 僕の上から降りてもらえませんかっ……!」


「あっ、ごめんごめん。そ、それもそうだね……」


 お互いにぎこちない感じで一旦距離をとる。ここ深呼吸だ。副交感神経を総動員して身体を興奮状態からリラックスモードに戻そう。



 しばらくするとドキドキだった心拍数がやっともとに戻ってきて、ようやく落ち着いた会話ができるくらいになった。


「ごめんなさい! 岡林くんの演奏と歌、盗み聞きするつもりはなかったんだけどつい……」


 呼吸が整ったかと思うと、鵜飼さんは両手を合わせて僕に謝罪してきた。


「あっ……、いや、別にそんな謝らなくても……」


「ほんと……? 岡林くん怒ってない?」


「怒ってないよ。……ちょっとびっくりしたけど」


 鵜飼さんは僕が怒ってないことを確認するとホッとひと息をついた。

 多分だけど彼女も音楽室に用事があったのだろう。のど自慢の本戦に出るとか言っていたし、誰もいない音楽室で練習をしたかったんじゃないかと思う。


「う、鵜飼さんも音楽室に用事?」


「うん、歌の練習をしようかなと思って立ち寄ったんだけど、誰かがピアノを弾いて歌っているからついつい……」


「そういうことだったのか。そんなことなら言ってくれたらすぐに退いたのに」


 予想通りの答えで安心した。

 鵜飼さんに僕の歌がとてつもなく下手であることがバレてしまったのは仕方がないけれど、ちょっとだけ美味しい思いをしたのでプラマイゼロでヨシとしよう。



 ……そこでお話が終わりであれば平和に済んだのだけど、鵜飼さんはさらに僕をびっくりさせるようなことを言ってくる。


「それでね岡林くん、もし違ってたら申し訳ないんだけど……、もしかして岡林くんって、『ベニー』さんだったりする……?」


 僕は鵜飼さんのその言葉を聞いて、全身から血の気が引いた。

 なんで彼女はそれを知っているんだ。誰にもバレたくなかったのに。

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