鬼姫の面

一視信乃

無敵なsmile

「じゃあ、土方ひじかたは?」


 教室から、いきなり聞こえた自分の名字に、あたしはギクリと動きを止めた。

 放課後のひとのない廊下で、ドアに隠れて様子をうかがうと、同じクラスの男女が数人、黒板の前で話をしている。


「えーっ、アイツ、きっちぃじゃーん。なーんか、いっつも怒ってるみてーでさぁ」

「確かにちょっと怖いよねぇ、エラそうだし」

「だろう? な、なおもそう思うよな?」


 えっ、直也って、上川かみかわくん?

 他の悪口もショックだけれど、彼の言葉が一番気になる。

 一年のときから同じクラスで、とても気が合う(と思っている)、あたしの大好きな人。


「まあ、確かにちょっと言い方キツイとこあるかもな」


 ウソ。

 上川くんにまで、そう思われていたなんて。


 言い方キツイって自覚はある。

 家でも、何怒ってんのってよくいわれるし、優しい子になって欲しくてゆうって付けたんだから、もっと優しくしなさいともいわれる。

 でも、しょうがないじゃん。

 はっきりいわないとわかってくんないし、向こうが間違ってるから注意してるだけなのに。


 あたしは忘れ物をあきらめ、学校を飛び出した。


        *


 家に帰るとリビングで、弟が何かを作っていた。

 幼稚園の頃は、しょっちゅう工作とかしてたけど、小学生になってからは、久々に見る光景だ。

 念のため、もう一度涙をぬぐうと、平静をよそおい声をかける。


たくみ、何してんの?」

「お面作ってる」


 テーブルから顔も上げずに彼はいう。


「学芸会で使う、鬼姫おにひめの面」

「鬼姫って、全然鬼っぽくないじゃん」


 横からのぞき込めば、切り抜かれた画用紙にえがかれているのは、色白でふくよかな女の顔だ。

 目も口も弓なりにニコニコと笑っていて、鬼というよりむしろお多福みたいに見える。


「いいんだ、これで」


 お面の両耳あたりにゴムを付け終えた匠が、ようやくおもてを上げた。

 黒目がちな大きな目が、じっとあたしを見つめてくる。


「つうか、姉ちゃん、鬼姫の話、知らないの?」

「知らない」


 正直に答えると、匠は「ふーん」と鼻で笑った。

 人を食った態度にカチンときたあたしは、無理矢理面を取り上げ、じっくりとながめ回す。


「なんかこれ、失敗した福笑いみたいじゃん。作り直した方がいいんじゃない? ヘタクソ」


 八つ当たり半分に思いっきりののしってやったら、一瞬キョトンとした匠は、すぐにわーんと泣き始めた。


「あーもう、ウルサイ」


 そんな弟を無視し、あたしは母が帰ってくる前に、自分の部屋へと戻る。

 ドアを乱暴に閉め、カバンを放るように床へ置いたあと、手の中にあるお面に気付いた。

 なんだ、持ってきちゃったのか。

 ベッドに腰かけ、もう一度それをながめる。

 少しいびつで福笑いっぽさがあるのは本当だけど、匠はまだ小二なわけだし、そう考えればまあ上手うまい方かもしれない。


「だとしても、鬼の姫には見えないけどね」


 愛嬌あいきょうあふれるスマイルに、なんとなく心かれ、自分の顔にかぶせてみる。

 そのままスッと立ち上がり、両目の穴から鏡を見た。


「やっぱヘンなの」


 制服にお面というマヌケな姿にひとしきり笑ってから、耳にかけたゴムを外し面を取ろうとすると、なぜか顔にピタリとり付きがれない。

 えっ、ウソ、なんで?

 接着剤でも付いてた?

 そんな風に見えなかったけど。

 力一杯引っ張ってみても、お面はしっかりくっ付いたままだ。

 破こうとしても、びくともしない。

 どうしよう、匠に聞いて──って、ダメだ。

 またバカにされるに決まってる。

 それは最終手段ってことで、とりあえず、水かお湯で洗ってみよう。

 お面は紙で出来てるわけだし、ふやけて取れるかもしれない。

 あたしは部屋を出て、洗面所へ急ぐ。

 それでバシャバシャ洗ったり、お湯にしばらくひたしてみたけど、やっぱりお面は外れなかった。

 なんで取れないの……?

 呆然ぼうぜんと鏡を見つめていたら、背後にぬっと黒っぽい影がうつる。


「ちょっと、優。何バタバタやってんの」


 振り向くと、そこには母がいた。

 帰ってきたばかりらしく、グレーのスーツをまとった母は、おどろくあたしを見て一瞬いっしゅん言葉を失ったようだ。


「あんた、その顔……」


 しまった、面!

 まじまじと見つめられ、あわてていいわけを考える。


「これはその、匠が……」


 最後の方はゴニョゴニョとしどろもどろに答えると、母はなぜか笑顔でいった。


「なんかいいことあった?」

「えっ? ないけど?」

「そう? すごくうれしそうに見えるけど」


 嬉しそうって何?

 ヘンなお面被って、浮かれてるみたく見えるってこと?


「まあいいわ。あんまうるさくしないでね。クレームくるから」


 それだけいってきびすを返しかけた母を、あたしは思わず呼び止めてしまう。


「何? 着替えたいんだけど。あんたも制服──」

「このお面なんだけど!」

「お面?」


 母はキョロキョロあたりを見回す。


「どこにあるの?」

「えっ?」

「もうっ、こっちは忙しいんだからヘンな遊びに付き合わせないでちょうだい。まったく、あんたももう中二なんだし、ヒマなら夕飯の支度したくくらい手伝ってよ」


 ぶつくさ文句をいいながら、母はさっさと行ってしまった。

 腹を立てたというより、あきれたような感じだったけど、それはお面のことにじゃない。

 むしろお面に気付いてたなら、ふざけるな、外せってもっと怒られてたハズだ。

 つまりホントに見えてなかったってこと?

 なんで?

 あたしは鏡を振り返る。

 そこにはやはり、場違いな表情を貼り付けた、滑稽こっけいな自分が映っていた。


        *


 昇降口で、あたしは重いため息をつく。

 結局お面は一向いっこうに外れず、仕方なくそのまま登校してきた。

 ホントは休みたかったけど、親に心配かけたくないし。

 昨夜ゆうべ、父にも確かめてみたが、あんじょう、お面は見えてないようだった。


「どうした? そんなニコニコして。いいことあったのか?」


 なんて、母と似たようなこといってたけど、ひょっとしてお面の表情があたしの顔にでも見えているんだろうか?

 肝心かんじんの匠はといえば、あたしのしたことにヘソを曲げたのか、話しかけようとすると、あからさまに無視された。

 それでもなんとか捕まえて謝ると、彼はまた黒い大きな目でじっとあたしを見上げ、妙に大人びた顔つきでいった。


「いいよもう。学芸会のは、また作ればいいし、そんなに気に入ったなら、それ姉ちゃんにあげる。


 らしくない物分かりの良さと、最後の言葉がすごく気になり聞き返せば、匠はスッと目をらし母のところへ行ってしまった。

 まったく、何がどうなってんのか、さっぱりわからないままじゃない。

 うわきを勢いよく下ろしたとき、後ろから「おはよう」という声が聞こえた。

 振り向くと、上川くんが立っている。

 一番会いたくなかったのに、真っ先に会っちゃうなんて。

 彼もあたしの顔を見て何かビックリしたようだったが、やっぱりお面のことには触れない。

 それどころか、昨日の悪口すらなかったように、親しげな笑みを向けてくる。


 そう、これはあとから気付いたことだけど、彼以外の人たちもなぜかあたしの顔を見たたん、とてもにこやかな顔つきになった。

 そして、そんな顔を見てると、あたしも気持ちが安らいでくる。

 イラつくことも少なくなって毎日すごく楽しいし、クラスメートとの関係も前よりちょっと良くなった気がする。

 これって全部、このお面のおかげだろうか、なんて思い始めた矢先、あたしはまた上川くんたちの会話を偶然耳にしてしまった。


「最近の土方、なんかいいよなぁ」

「まあね」

「前よか優しくなったよな。な、直也もそう思うだろう?」


 あたしはこぶしにぎりしめ、上川くんの言葉を待つ。


「ああ。すごくいいと思う」


 よっしゃーっと叫びたくなるのを、ドアのかげで必死にこらえる。

 これはもう、お面さまさまよね。

 最近すっかり慣れてきちゃったし、ずっとこのままでいいかもしれない。

 そんな風に思えるほど、あたしはとても幸せだった。


        *


「土方」


 ある日の放課後、あたしは上川くんに呼び止められた。

 そして、ひとのない体育館裏まで連れていかれる。

 これってもしや、なんてドキドキしてたら、彼はいった。

 真剣な顔であたしを見下ろし、たった一言。


「好きだ」


 時が止まったような静寂せいじゃくの中、彼はさらに言葉を重ねる。


「オレ、土方のこと好きなんだ。土方はオレのこと、どう思ってる?」


 どうって、そんなの決まってんじゃん。


「好きだよ。あたしも上川くんのこと、ずっと前から好きだった」


 答えると、彼は長く息を吐き出す。


「よかったぁ。最近土方いい感じだし、誰かに先越されんじゃねーかと思ったら気が気でなくて」

「最近?」


 そういえば、上川くん、あたしのこと、キツいって思ってたんだよね。

 なのに急に好きになったっていうの?

 それってつまり、お面を付けてるあたしが好きで、ホントのあたしは好きじゃないってこと?

 すごいショックを受けたけど、よく考えれば悪いのはあたしだ。

 不可抗力とはいえ、お面の力でみんなのことだましてるんだから。


「ごめん! あたし、上川くんに好きとかいってもらう資格ない。信じてもらえないかもしれないけど……」


 あたしは、すべてを打ち明けた。

 弟から取り上げたお面を被ったら、取れなくなったこと。

 他の人にはそれが見えなくて、ただ笑ってるように見えてるらしいこと。

 そして、お面を被ってから、人に優しくなれたことも。


「上川くんが、いいっていってくれたあたしは、ホントのあたしじゃないんだ。だから──」

「待て、土方。面とか、よくわかんねーけど、オレが土方好きになったの、別に最近のことじゃねーから」

「え?」

「そりゃあ少し言い方キツいとこあったけど、それって土方が真面目で一生懸命だからだろ? オレ、知ってたよ。土方が思いやりのあるいいヤツだってこと。だから、好きになったんだから」


 しんに語る彼の姿が、だんだんぼんやりかすんでくる。

 涙のせいだと気付いたとき、急にベロリと面が剥がれた。

 まるで世界が変わったように、視界が明るくなった気がする。


「うわ、なんだこれ? お面? いったいどっから?」


 足元に突然とつぜん落ちてきた面に、上川くんは目を見張った。


「だからいったじゃん。お面被ってたって。ほらっ、前みたく笑えてないでしょ?」


 聞くと彼は、素早く面を拾い上げ、あたしの横にかざす。


「これ、土方そっくりじゃん。ほら、おなじ顔」

「えーっ! あたし、そんな顔してる?」

「してるしてる。つうか、泣くか笑うかどっちかにしろよ」


 からかうような笑いを見せたあと、また上川くんは真顔になった。


「それで、さっきの返事なんだけど」

「え?」

「オレのこと、どう思ってる?」

「それはもちろん──」


 今度こそ、あたしは告げる。

 ありのままの笑顔で、ありったけの想いを。


        *


 じょうげんで家に帰ると、匠がまたリビングで面を作っていた。

 ギクリと立ち止まったあたしをチラッと見た弟は、「なんだ、取れたのか」と低くつぶやく。

 えっ、待って、今のどういうイミ?

 やっぱりあんた、お面見えてたの?

 問い詰めてもはぐらかされるような気がして、あたしは質問を変える。


「そういえば、鬼姫の話ってどんな話?」


 まただんまりかと思ったが、今度はちゃんと答えをくれた。


「気性がはげしく鬼姫なんておそれられてた大石おおいしさんとこの辰姫たつひめさんが、おきなから取り上げた面の霊験れいげんで、優しき心を手に入れ、良き夫をもる話だ」

「おきな? れいげん?」


 聞き慣れない言葉に、目を白黒させるあたしを見て匠はにっこり笑う。

 どこかあの面にも似た表情で。

 そして、何もなかったように、再び面を作り始めた。



〈了〉



※大石さん……関東管領・上杉氏重臣として武蔵守護代を任されていた大石氏のこと。ちなみに『鬼姫の面』は、大石氏の居館跡などがある八王子市下由木の昔話である。

※辰姫……正しくはたつ姫。一人娘だから甘やかされて育ち、ワガママになったらしい。


◎参考書籍 『八王子のむかしばなし』1988 菊地正監修 (八王子市)

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