3.棄教

¬

 呻き声——

 地獄インヘルノに音があるならば、斯様な物であろう——


 臭気と手足の歪みの他は、世界はただこの音であった。


 それは、耳に届いて初めて己が口から生じているものと気付く。


 今は何時なんどきであろうか?

 私はいつからこうしていたのだろうか?

 いつまでだろうか?


 いつまでですか?——


 基督キリストの問いが横切る。


 そう。

 いつまで?

 いつまでなのか?

 この苦しみはいつまで続くのか?


 デウスが善きものであり人々を愛するならば、何故賛美を捧げ、伝教に尽くした我が身に苦きさかずきを与えるのか?


 襤褸ぼろを纏い、奪われ続けるばかりの農民に手を差し伸べ、「地の塩よ」と、呼びかけ、ぬかに汗してなお人として扱われぬ者共に洗礼と主の愛を施してきたではないか。


 異国の言葉を学び、デウスの教えに肉薄し、異国に渡り、皇帝や法王にさえ讃えられる偉業を成し、基督の愛こそが世界の普遍であると示して来たではないか。


 その報いが、この苦き杯なのか?


 なるほど、慥かに我が主基督はその無垢の御身にあって人どもが罪をうけ、御心に任せてその杯を飲干された。


 されど、そこで人どもが原罪は購われたのではなかったか?

 購われてなお、この為体ていたらくなのか?


 今は一切が空しい。


 善き者が失われ、悪しき者が栄え驕っている。

 デウスが善きものならば、何故硫黄の雨をかの地に降らせないのか?

 ソドムとゴモラもかくやの穢土えどの城をば、何故御焼きになられないのか?

 何故、悪の栄えるに任されているのか?


 数多あまたの殉教。

 或は島原での根切り。

 或はその後の弾圧。

 それらによって生じる怨嗟の声。

 そのいずれもが、あなたを動かすには不十分とおおせか?

 あなたの愛に対してはそれでは不足とおおせか?


 私が裏切られ、投獄され、拷問される事も猶、あなたを動かすには不足とおおせか?

 無智な反切支丹どもが嘲り、傲り高ぶるも猶、あなたを動かすには不足とおおせか?


「 既に死んだ人を幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。

  いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。

 太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから」


 詩編の一節が頭をかすめる。

 さよう、空しいのである。


 デウスは何故その御業をお示しになられないのか?


 ノアの代では地上を清められた。

 モーセの世に在っては種々の瑞兆と海を割られた。

 基督ましますときには御子を通じて種々の奇跡を示された。


 それらを今示されれば以てその愛を顕すにあたうではないか。

 デウスと基督と聖母とを慕う切支丹に平穏を齎すではないか。


 真言僧、その密教の秘儀を以て種々の威徳を表し権勢を誇っている。

 或は念仏宗は弥陀でさえ臨終の際には観音を遣わし栄光を示すと云う。


 全能の御身が何故それらを示されないのか?

 何故、暗く、苦しいままなのか?


 何故?

 何故?

 何故——?



 しこうしてまた、元本がんぽんより生じる不安が頭をかすめる。


 そも、デウスは我等人の子を、もとより愛していないのではないか?

 もし然様さようならば、私はただ風を追っていたのだろうか?


 悪が栄えるのを捨て置かれるのも。

 人の子等を愛してはおられないからではないか?


 我等は追放されし末裔。

 元罪抱えし穢れた者共。


 故に、求めても、尋ねても、叩いても応ぬのだろうか?

 故に、如何に恋慕し、供養を重ねようとも、沈黙をのみ示されるのであろうか?

 故に、アルマゲドンが如き企てを、獣共が為すに任されておられるのであろうか?


 或は、デウスは誠に慈父であられるのか?

 慈父ならば、何故自らの子がいたぶられるに任せているのか?

 

 私は慈悲を示されぬモノの為に一生を使ったのか?

 私は応えぬモノの為に辛労を尽くしたのか?


 生まれ出てこなければよかったのか。

 母胎より出でしとき、そのまま墓へと入って居ればよかったのか。


 ただ私の一生は空しかったのか。

 愚者も賢者も、どちらも等しく時にまかせる他は空しくあるように。


 私は何の為にこの穴に吊るされているのか?

 応えぬデウスの為にか?

 私は何の為に、嘗て救った者どもに嘲られるのか?

 自分自身すら救わなかった基督の為にか?


 ふと、足元の「合図」に気が行く。

 ただ、それを出しさえすれば、この苦しみは終わる。


 簡単な事だ。


 それで——

 終わる——



 もし——

 もし、私の行いが悪しきモノならば——

 もし、デウスが、基督が、聖霊が正しきモノならば——


 きっと私の行いを止めるであろう——


 或は——

 或は、私の行いが正しきモノならば——

 或は、デウスも、基督も、聖霊も悪しく思わないならば——


 きっと私の行いをするに任されるであろう——


何故私を見捨てたもうたエリ・エリ・レマ・サバクタニ……」

 ふと口をつく言葉——


 ——


 しこうして私は「合図」を送る。

 転びの合図を。


 止められはしなかった——


「ほ?転びおったぞ」

 役人の声。


 蓋は開けられ、光が見える。

 それは、夜の光。

 夜明けの光。


 遠くで、鶏が鳴いている——


「如何なされた、パードレ?未だ、明け六つにもなり申さぬぞ?」

 奉行所の役人が冷たい笑いの中告げる。


 再び、鶏が鳴いている——


「そこもとの申す『デウスへの愛』とやらは如何なされた?」

 役人は、何事か続けている。


 明けの明星の下、鶏が三度鳴いた——

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