神の慈悲なくば ~In a real dark night of the soul~

吉村杏

Prologue

1-1

「――これをうけて飲みなさい、これは私の血のさかずき、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる、新しい永遠の契約の血である……」

 このくだりまでくると、俺はあくびをかみ殺して、硬い木のベンチの上でお行儀よくしていたせいでカチカチになった体を、バレないようにもぞもぞ動かす。

 俺が座っているのは祭壇に向かって右側の最前列で、そこからだと、通路に並んでいる信者の口に司祭が聖体パンを入れているのがよく見える。

 いまどき、ダルい日曜の礼拝ミサに真面目に通ってくるやつらがどれだけいるのか正直疑問だけど、狭い聖堂の通路は人でいっぱいだった。老いも若きも、みんなうっとりして、神父の手からちっちゃくて薄い白いパンを受け取っている。特におばあちゃんなんかは、「アーメン」って唱えるたびに年甲斐もない感激で声が震えるくらいだ。

 それもそのはず、なんたって、ミサをしてるクリス・マクファーソン神父がすごい美人だから。

 ちょっと長めの淡いブロンドにブルーの瞳。髪と同じ色の長いまつげと通った鼻筋は、ステンドグラスから抜け出した天使みたいだって、スミス未亡人が言ってたのを聞いたことがある。前にこの教会にいたイタリア系の神父はスーパーマリオみたいな体形カッコだったって話だから、それに比べりゃ月とスッポンチョークとチーズだ。

 ほんと、油断するとすぐはねる強情な黒髪に、地味な黒い眼の俺なんかとは大違いだ。

 マクファーソン神父に気があるのはばあさん達だけじゃない。通路の左側の席に陣取って、聖体拝領が始まっても出ていかずに小声できゃあきゃあ言い合ってる三人組の女の子たちがそうだ。たぶんカトリックじゃない――ひょっとするとキリスト教徒クリスチャンでもない――彼女たちはあのパンをもらえないんだ。まあ、俺もだけど。

「あいつら、あんたを見にきてるんだよ」と俺は言ったことがある。

「それでいいわけ?」

「べつに構わないよ。どこで神に出会うかはわからないんだから、興味本位で教会に通うことがきっかけになるかもしれないだろう?」

「甘いね、クリス」俺はマクファーソン神父の目の前で人差し指を立てて振った。「あいつら、献金皿に一セントペニーだって入れないぜ」

 実際、今日も俺が献金皿を回すと、彼女たちはくすくす笑って、さっさと次のやつにパスしてしまった。

 ミサが終わって献金皿を回収して戻る途中にまだ彼女たちがいたので、横を通るときにちょっとにらんでやった。

「やあだ、なんであんたがここにいるのよ」

 赤毛をポニーテールにして、Tシャツの裾をヘソの下ぎりぎりで結んだ、アマンダって子が言った。

「いちゃ悪いのかよ。俺は手伝ってるんだよ。お前らこそ、教会に来てタダ見とかナシだろ」

 俺は献金皿を彼女たちの目の前にぐいと突き出したが、やっぱり無視された。

「大体なあ、なんで日曜に来るんだよ。クリス――マクファーソン神父になら学校でだって会えるだろ」

 彼は俺たちの高校ハイスクールのカウンセラーでもあるのだ。

「クリス、だってぇ――ねー、ディーン、あんた神父さまの親戚かなにか? だったら紹介してくれない?」

 ブルネットをふわふわの逆毛に立てたポーラが言った。

ちげぇーよ」俺は舌を出した。

 俺の名前――ディーン・ラッセルと、アイルランド系のマクファーソンとのあいだには、先祖に遠いつながりがあるかどうかの可能性も含めてなんの関係もない。

「そんなにお近づきになりたいんなら、告解でもすりゃいいだろ。どうせザンゲするネタは山ほどあるんだろうからさ」

 俺は正面扉の横にある、電話ボックスみたいな木の箱を指さした。

「げ――ぇ」アマンダは腐ったものでも食べたみたいな声を出したが、残りのふたりは、

「ねー、逆によくない? あんな狭いとこで神父サマと二人っきり、なんてー♡」

「わたしなんでも告白しちゃうー♡」

「……」

 クリスに聞かれてやしないかと俺は内心ひやひやしたが、クリスはクリスでばあさん連中にとり囲まれていてそれどころじゃなさそうだったのでほっとした。

「いいからもー、お前ら帰れよ」

「やーよ。なんであんたに命令されないといけないわけ」

「あたしたちが神父サマとお話ししたっていいでしょ」

「クリスは忙しいんだよ」

「ほらまたファーストネームで呼んだー! あんた何様のつもり……」

「ディーン、スミスさんも帰られたからそろそろ片づけを……」

 いっけね、女どもの相手に夢中でクリスがそばに来たのに気づかなかったぜ。

「君たちは……ディーンの友達? 高校一年生九年生?」

「えッあっハイ!!」

 三人全員勢いよく立ち上がったので、誰かが信徒席の前の棚に膝をぶつけたらしいゴツンという音がした。

 友達じゃねーよ、という俺のつぶやきは聞こえなかったらしい。

「お友達が来てくれるのは嬉しいよ。彼は学校でのことをあまり話してくれないから。でも午後からバザーのための不用品回収のボランティアがあって、彼の手を借りないといけなくて――それとも私になにか相談ごとだったかな?」

 よくやるよ。俺はクリスを横目で盗み見た。そのへんの男がやったら嫌味にしかならないしぐさも笑顔もサマになっている。

「いえっあの……わたしたちその……」

「神父さまのお邪魔をするつもりなんか全然ないです!」

 ……あーあ、真っ赤になっちゃって。アメフト部の全員と付き合ったことがあるって噂のアマンダでさえこうなんだからな。

「そう、じゃあまた来週、学校でね」

「ハーイ」

「ディーン、またね」

 バタバタと出ていく彼女たちを見送って、

「……神様があんたを神父にするって決めて正解だったと思うな。でなきゃ今ごろ、結婚詐欺師かなんかになってたと思うよ」

「人聞きの悪いことを言うんじゃない」

 とクリスは言ったが、怒っていない証拠に目が笑っていた。堅物に見えるけど、クリスはそんじょそこらの神父じゃないのだ。

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