手拍子、感嘆、入場曲

 来てしまった。

 御盆前の水曜日、第一試合開始の午後7時まであと10分。

 新宿歌舞伎町のビルの中のプロレス会場、事前予約で買ったチケットはレディースシート。


 ロビーにはライブ会場のような物販が出ている。サインポートレートは事前予約限定、その場で買えそうなものはTシャツやタオルのようなグッズ類が目立つ。


 会場に入ると黒を基調とした簡素な内装で、四方を客席としたライブハウスのような印象を受けた。


 すでに席についている客層は、ほとんどが男性。女性もちらほら見えるけど、選手のお母さんかな? と思うような年の人が多い。

 いずれにせよ、若く見ても30か40より上という人ばかりの客層、選手名と思しきロゴの入ったティーシャツ姿の人も結構いる。


 そんな中に私は、香水効かせたペールブルーのシャツに青スカート、流行色のパンプス、いかにも夏のOLという格好で来てしまった。自分が、少し異物に思えた。

(私、ここにいていいのかな。場違いじゃない?)という気後れを抱えながら、自分の席を探した。


 感染対策で全席は一つ飛ばしになっている。レディースシートは自分を含めて10席ほど。私が自分の席についたときは、半分ほどが埋まっていた。

 一つ飛ばしの隣の席は白髪交じりでぽっちゃりとした、ティーシャツにデニムという気軽な装いの方である。


 ここが中野の飲み屋か下北のカレー屋ならお互い違和感もないのだろうけど、プロレス初体験の私としては、私はこれでいいのかが心配で仕方ない。


 席についてほどなく、試合の前説と思しき人達が会場中央のリング上に上がった。

 太腿がむき出しになった派手な生地のマイクロレギンスにティーシャツのお姉さんと、飾り布のひらひらとしたロングタイツにティーシャツのお兄さんである。


「はい皆さんこんばんわー! 今夜も暑いですねー。水分補給、しっかりできてますかー!」


 客席から拍手の返事が返ってくる。


「はーい、皆さん元気そうでなによりです。試合中は飲食禁止ですからね、飲むなら今のうちに一口飲んでおいてください。もちろんアルコールや蓋の閉められない缶類の持ち込みは禁止です。お酒は熱中症対策にはなりませんよ! 途中休憩ありませんので、トイレも始まる前に済ませておくことをおすすめします。」


「皆さんもうおなじみかもしれませんが、改めて説明させていただきます! 感染症対策のため、応援は声出しNGです。 拍手、手拍子、足踏みとペンライトだけでよろしくおねがいします」


「はい、続きまして、試合の撮影ですが、まず動画は……」


 おそらく今日まで何十回と繰り返されてきたのだろうな、と感じさせる流暢な説明を聞きながら、売出中のアイドルかなにかのライブ会場に来てしまったような錯覚を覚えた。


 いままでの人生でライブハウス通いのような趣味はなかった。

 大学時代に思い出作りで野外フェスに行ったり、同期がKーPOPにハマっていて、そのライブに連れて行ってもらったことはあった。

 どちらも感想は「人だらけで疲れた」だった。いうまでもなくそれっきりだ。


 元々、私はずっとそういう人なのだ。

 東京ドームや日本武道館を満員にしたり、真夏の苗場で会場の大半の客を集めてるようなグループを、とても遠くに感じる。


 その練習生時代の話や、ストイックな楽曲制作のドキュメンタリーなどを見ると、説得力やその世界の厳しさに、感心はする。


 そういう厳しい世界で生き残ってすごいね、勝ち残って立派だね。

 という敬意は感じても、それ以上に『私には無理だ』という感情が最初に浮かび、心が離れてしまう。


 これはスポーツもそう。サッカーや野球に通いつめる気持ちがわからない。オリンピックもろくに見なかった。

 というより『凄すぎる人』に共感や感動といったことができないのだ。

『自分とは違う。私なんかが、ああなることは絶対にない』

 という、自己否定に落ち着いてしまう。


 唯一、自分が高校時代やっていたバスケだけは、体感的に理解できる。だから選手の凄さや競技の面白さを感じることはできる。

 それでもNBAのトップスター選手の異様な身体能力を見ると『あれは別世界だ』と心の底の冷たいところが突き放す。


 リング上から前説の二人がはけると、ほどなくアイドルソングのようなポップな曲が会場に流れ始めた。


 それに合わせて、入場口からスポットライトを浴びながら何人かの、きらきらした服装の……サンバカーニバルや水着に比べれば布面積が多いものの、お腹や腿、腕は腋までがっつり見えているような格好の、女の人たちが登場してきた。

 髪の色も皆鮮やかで、顔も舞台化粧のようにしっかりとしている。


 遠目にはしっかり判別はできないが、私とそう変わらないような感じの年頃の、キラキラした服のお姉さんたちがリングに上がり、それぞれマイク片手に歌って踊り始めた。

 このお姉さんたちは、マスクをしていない。


 対面の客席を見ると、歌と踊りに合わせて、色の変わるペンライトやグループのものと思しきタオルを広げて体を揺らしているおじさんたちが見える。

 その近くにほとんど興味が無いという様子でスマホをいじっている人などがいるのを見ると、なんとも過ごし方が自由で、少し気が軽くなった。


 自分が魅入られる間もなく、高い熱量で応援することを強いられる空気、そういうのも私は苦手なのだ。

 だから登場した瞬間から最高潮が始まるアイドルのコンサートもついていけなかった。


 リングアナウンサーがチーム名と選手名を呼ぶと、お姉さんたちの半分がリングを降り、残る二人だけが四角いリングの角の二つ、緩衝材のようなマットの組み込まれた柱のようなところに登った。その上段でポーズを決めていると、すぐに会場が暗くなる。


 お姉さんたちの歌の雰囲気とはまるで違う、重低音の打ち込み音楽と共に紫のライトが会場に灯る。


 入場口にスポットライトがあたり、現れたのは真っ赤な髪と覆面姿の、筋肉質にすこし脂肪がのった感じの体格をした二人の女子レスラーだった。

 赤い髪のほうは化粧が濃い。まるでロックミュージカルの登場人物のような顔に仕上がっている。


 二人はリングに上がると、リングアナウンサーがチーム名と選手名を呼ぶ。

 これに合わせておそろいのロングコートのようなガウンをはだけてポーズを決め、そのガウンを脱いでリング下に控えたティーシャツ姿の女の人に投げて渡した。


 リングアナウンサーが最後にレフェリーの名を呼ぶ。

 レフェリーだけが、リング上で普通のマスクをつけている。


 レフェリーは慣れた所作で、選手たちの手足をぱたぱたと触る。ここから続く全ての試合でもこのレフェリーによる手足ぱたぱたはあった。

 後でまつりさんに聞いたところ、これはボディチェックといって、ルール違反の凶器などを持ち込んでいないかを確かめているのだという。


 第一試合は女子のタッグ戦だ。

 昔、年末にテレビで見ていた格闘技とは、だいぶ毛色が違うように感じた。

 まず、プロレスはほとんどガードをしないのだ。


 最初の立った状態の組み合いから、互いに首を抑え合ったり、手首をひねり上げあったりという展開がある。それらも仕掛けられた技をパズルのように解くための挙動や、次の展開を予想して先回りした行動はとっても、最初から無下に払い落とすような仕草はない。

 相手に投げ飛ばされたら受け身を取り、担ぎ上げられたら手足をばたつかせてそこから技に展開される前に降ろさせるなどはしている。

 けれど、基本的に繰り出された技は見栄えがするほどきれいに受ける。


 そしてマットに伏せての組技も、相手が即座に降参するほどきつくないのか、それともただ単に我慢強いのか、這いつくばってロープに捕まり、レフェリーが技を解くように指示するくらいの余裕がある。


 特に担ぎ上げての投げ技は、すこし理不尽に見えるものもある。

 相手を担ぎ上げたまま、自分ごと倒れるのだ。それも会場の隅までリングの床の、おそらく板材かなにかに、ひと固まりになった二人の人間が叩きつけられる音が聞こえるほど激しい勢いで。

 そんなことをしたら倒れた分、自分の体も痛そうなのに。

 そして後半にもなると、実際に技を繰り出した後に、繰り出した側も一緒になって痛みでマットにのたうち回っていたりする。


 ぎりぎりまで追い詰めて、マットに押さえつけ、2カウントで返される。

 その拍子の両者の顔は対照的だった。

 相手選手をマットに押さえつけていた、有利だった方が激しく悔しがって叫び声を上げていた。

 対して片腕を突き上げるようにして押し返した劣勢の方は、天井を仰ぎ見たまま冷静にも見えるうつろな顔で息をしている。


 その表情の饒舌さに気づいて、私は吸い込まれるように戦いに魅入られた。


 コーナー際で伏せた仲間選手が、2カウントを返した選手を励ますように拍子よくマットを叩く。これに合わせて会場から応援の声のように手拍子が高まる。

 ゆらりと起き上がったところに、すかさず胸元めがけて飛び蹴りが見舞われる。これによろけて、踏ん張って立ち、はたと目が覚めたようにロープに走る相手選手の背中に飛びかかる。

 そのままロープまで半歩手前のところで、後ろから体当たりをかます。


 そして、それを見て観客は拍手を送り、選手の誘いを受ける形で手拍子を鳴らし、選手が足踏みを望む仕草をみせれば、足踏みを鳴らした。まるで試合展開と客の反応が、コールアンドレスポンスのように呼応していた。

 

 そこまで見て、私は気づいた。


(ああ、これは、客に見せるための戦いをしているのだ。言ってしまえば子供向け特撮ヒーローの大人版だ。大人が見てもしっかりと感情が乗せられるほどに激しいアクションをしている。それも映画の格闘シーンのようなスマートな強さではなく、生々しい興奮と、痛みと感情への共感を掻き立てるような戦いだ)


 そんなことに気づく間に、第二試合までが終わっていた。

 なんとなく顔に手を当てると、興奮で毛穴が開いて、汗が浮いているのがわかった。

 ハンカチを出して軽く顔に当てながら、前のめりに座った自分の背筋を軽く伸ばした。


 次の第三試合、私にとってここからが本番だった。

 男女混合ミックスドタッグ、15分1本勝負。

 ジョン・テラー&竹下ユキ組対、三浦剣&竜胆まつり組である。


 このリングネーム『竜胆まつり』が、私の知るまつりさんである。

 バッグから携帯電話を出し、カメラモードを起動する。


 動画での撮影は一度に1分まで、SNSに上げていいのは静止画だけ。

 最初に聞いた注意を思い出しながら、静止画モードの倍率を上げた。

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