第13話 篁、竹林の庵へ行く。


 竹林の中の小道をゆくと、小さないおりがぽつんと建っていた。

 朽ちかけた藁葺き屋根。二部屋ほどしか無さそうな庵は、まるで竹林の檻に囚われているかのように周囲を囲まれている。

 この庵から外を見ても、見えるのはほんの小さな庭と、竹林に切り取られた小さな空だけだろう。


 林の中に潜んだまま庵を眺めていた篁は、違和感に首をひねった。


「本当に、こんな所にあの男がいるのか?」


 ついうっかり、疑うような言葉をこぼしてしまったたかむらに、おかっぱ姉弟がギロリと怒りの視線を向けてくる。


「間違いないに決まっているだろう!」

「入って行ったのをこの目で見たのだぞ!」


 サーラとメイヤーが口々に言い放つ。


「わ、悪かったよ。疑った訳じゃないんだ。ただ、あの男が寺院の敷地内に住んでるのが不思議だったんだ」


 篁が言い訳をすると、隣に並んだサラマーが「違うよ」と手を振った。


「ここに住んでいるのは尼僧さ。あの小汚い男は、少し離れたあばら家に住んでいるんだよ」

「え?」


 篁が驚いて目を瞠った時だった。

 ガタガタと音を立てて乱暴に妻戸が開き、まるで蹴り出されるように男が飛び出して来た。

 男は、後ろ向きのまま勢いよく段差を転げ落ちて庭に尻餅をつくと、そのまま平伏した。


「おっ、お許しください白蓮びゃくれん様!」


 男は怯えたように許しを乞うている。

 呆然と男の姿を眺めていた篁は、弾かれたように男の視線の先へ目を向けた。


 開かれた妻戸の向こうに、墨色の衣に薄紫色の頭巾をかぶった尼僧が立っていた。

 頭巾のせいで顔は良く見えないが、母と同じくらいの年頃に見える。ただ、衣から出た手は幽鬼のように痩せていて、今にも消えてしまいそうだった。


わらわは役立たずはいらぬ。わかっておろう宗成! 早うね!」


 尼僧────白蓮は鈴のような声でピシャリと男を断罪したが、男は「お許しを、どうかお許しを……」と繰り返すばかりだ。


(あ、宗成って言った!)


 呆然と成り行きを見守っていたせいで気づくのが遅れたが、どうやら父の予想通りだったようだ。

 それにしても、宗成のあるじのように振舞うあの尼僧は、いったい誰なのだろう。


「あのっ」


 篁は、竹林の中から一歩進み出た。


「……失礼ですが、貴女はこの男とどういう関係ですか?」

「おっ、おまえは昨夜の! 白蓮様、あの方を妨害したのは、この魔物です!」


 平伏していた宗成が飛び起きて、篁に指をさす。


「ほぉ」


 白蓮の眼差しが篁を射抜いた。その眼光の鋭さにゾクリと背筋が粟立つ。


(なんだ……この尼僧は……)


 身体が竦んで動かない。これでは、まるで蛇に睨まれた蛙ではないか。

 空はいつの間にか暗く陰り、竹林の中の庵は闇の中に沈んで見える。


「そなた、人の子か?」

「くっ……」


 返事をしようにも、身体だけでなく口も固まっている。

 そんな篁を確かめるためか、ゆっくりと白蓮が動き出す。

 階を下り、庭を横切り、そのまま篁の方へ近づいてくる。


「タカムラ!」


 人型のシロタが竹林から飛び出して来て、篁を庇うように前へ出た。


「ほぅ。そっちは魔物か。可笑しな組み合わせじゃの」


 尼頭巾の中の目が弓なりに笑う。

 とたんに身体のこわばりが解けて、篁は肩で息をついた。

 そんな篁と白髪の青年シロタを等分に見比べて、白蓮は興味深げに首を傾げる。


「そなたら、なぜ上皇の味方をする?」


「上皇の味方をした訳じゃない! 俺たちは、魔魅に狩られた魂を助けに行っただけだ! あんたこそ、この男を使って何をしようとしているんだ!」


 篁は威圧するように言い放ったが、白蓮は満足気に笑って篁の顎に手を伸ばす。


「見目の良いおのこは好きじゃ。そなたは男らしく精悍で、こちらの魔物は妖しげで美しい。魔魅に狩らせた魂とどんな関わりがあるのか興味深いが、上皇の味方でないなら、妾の味方にならぬか?」


「は?」


 白蓮の言葉に思わず唖然としたが、篁はすぐに頭を切り替えた。


「あんたが上皇を狙う理由は何だ? 魔魅やぬえ、それに伊予いよ皇子の怨霊を動かしているのもあんたなのか?」


「妾が上皇を狙う理由?」


 白蓮は堪えきれずにクツクツと笑い出した。


「恨んでいるからに決まっておろう。そなたは、妾が誰か知らぬのか? 何も知らずにここまで来たのか? ほんに若いとは恐れを知らぬことじゃな」


 散々笑ったあと、白蓮は口端をこれでもかというほど吊り上げた。


「妾のかつての名は藤原蓮子。あの上皇の妻であり、天下の大罪人、藤原薬子の娘であった女じゃ」


 白蓮が言い放った言葉は、篁を凍りつかせた。

 篁は、薬子の娘のことなど何も知らなかったのだ。

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