第10話 篁、寝所を抜け出す。


 冥府の王によって、仲成と薬子の怨霊説は退けられてしまった。

 ならば、魔魅まみを使って官吏たちの魂を集めた首謀者は別にいるということだ。

 いったい誰が────。


「何を考えてるの、タカちゃん?」


 転がって天井を睨むたかむらに、壱子いちこが声をかけてきた。

 ここは藤原邸の壱子の寝室。今夜が二日目の夜だ。

 まだシロタからの連絡は来ない。篁は二重の意味で、壱子の隣で眠れぬ夜を過ごしている。

 今夜も添い寝だけ。そう心に決めているのに、横向きになって自分を見つめてくる壱子の気配に、一瞬負けそうになる。


「おまえの魂が魔魅にさらわれた時、俺は朱雀門の上で黒装束の男を見たんだ。俺の刃から逃れ、魔魅はそいつの元に逃げ込んだ。やつが誰なのか、倒れたきり意識の戻らない官吏たちは無事なのか、気になってしょうがないんだ」


 少しだけ壱子の方へ向き直ってそう答えると、壱子は「そう」とつぶやいて目を伏せた。


「あたし、少しだけ覚えてるわ。獣に咥えられて空を飛んでた時、黒い人が遠くに見えたの。そこに向かって、引っ張られてるみたいだった。もしタカちゃんが助けに来てくれなかったら、あたし……」


 恐ろしかったことを思い出したのだろう。

 両手で顔を覆った壱子が、篁の胸に身を寄せてくる。


「壱子……」


 篁は恐る恐る手を伸ばし、横になったまま壱子の背中に手を添えた。もう一方の手は、幼子にするように不器用に頭を撫でている。

 しばらくそうしていると、壱子は顔からそっと手を放した。


「タカちゃん。あたしたち、夫婦になるんでしょ? あたしのことなら心配いらないよ」

「え?」


 壱子に上目遣いで見つめられて、篁は固まった。


「今日は一日ゆっくりしてたし、身体の具合も悪くないよ」

「いや、そうは言っても……」


 篁はドギマギした。壱子の甘い匂いに頭がくらくらしてくる。


「大丈夫よ」


 壱子の言葉に吸い寄せられるように、篁はその大きな手で彼女の顔を包み込み、その唇にそっと口づけた。


(柔らかい)


 壱子の言うように、いっそこのまま結ばれてしまおうか。明後日の朝が来れば共に餅をみ、夫婦となることは決まっているのだから────。


 シロタが現れたのはそんな時だった。


 御簾で囲まれた寝所にポンッと姿を現したハーフ魔犬は、空気も読まずに宙に浮いたまま叫んだ。


「タカムラ! 魔魅につかまった魂を見つけたんだ!」

「な、何だって?」


 シロタに文句を言うのも忘れて、篁は起き上がった。


「エンマ様に保護するようにって言われてるから、母ちゃんや兄ちゃんたちも助けようとしてるんだけど、苦戦してるんだ!」

「わかった。俺をその場所に連れて行ってくれ!」


 篁は立ち上がり、枕元の剣をつかんだ。


「タカちゃん……」


 しとねの上に起き上がった壱子が、篁を見上げている。


「壱子。夜明けまでには必ず戻ってくる。だから、俺は今夜、ここに居たことにしてくれるか?」

「……わかった。でも必ず、無事に戻って来てね」


 心細そうな壱子にうなずくと、篁はそっと外廊下に出た。


(あっ……)


 庭へと下りるきざはしに、篁のくつはない。今夜も三守ただもりに奪いとられたままだったと思い出す。

 庭には、すでに巨大狼に変化へんげしたシロタが待機している。今から沓を取り戻す暇はないだろう。

 仕方なく、篁は裸足のままシロタの背中に飛び乗った。


「いいぞ、シロタ!」

「しっかりつかまっててよ」


 シロタは空へと飛びあがった。

 四肢を動かし、巨大な白狼は空を駆ける。

 空中に地面があるのかと思うほどの安定した走りで、見る見るうちに家々の屋根は遠くなり、月光に照らされた都大路が見えた。

 都の入口である羅城門を飛び越えた頃には、南へ向かっているのがわかった。


「シロタ、魂たちが居るのは、京の都ではないのか?」


 篁の問いかけに、巨大狼の黒い瞳がギョロリとこちらに向いた。


「そうだよ。魂たちが居るのは平城京なんだ!」

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