第8話 篁、父から相談を受ける。


 ──────朝帰りしたその日。

 たかむらが昼頃にのそのそと起き出していくと、ちょうど出仕から戻って来た父岑守みねもりと廊下で出くわした。


「ああ篁、壱子いちこは元気になったのか?」


 三守ただもりから文でも受け取ったのだろう。父は壱子が死にかけたことも、篁が彼女の元に通うことになったことも知っているようだった。


「壱子は大丈夫です」

「そうか。それは良かった」


 岑守は安心したように微笑んだが、何だか疲れたような顔をしていた。


「父上? 何だか疲れてるようだけど、宮城で何かあったの?」

「ああ。昨夜もまた一人倒れたらしいのだ……壱子のように突然倒れて、そのまま目覚めない官吏がここのところ急に増えてな」


 深いため息をついてそうつぶやいた岑守は、「食べながら話そう」と篁を部屋へ促した。


「────不思議なことに、倒れた者は藤原の縁者ばかりなのだ。それも圧倒的に北家の者が多い」

「え、壱子は? 三守様は南家の筋だろ?」

「そうだが……三守も帝の信頼は厚い」

「どういう意味? 倒れた者と、帝の信頼って関係あるのか?」


 篁が追及すると、岑守は困ったように眉尻を下げてこう告げた。


「実はな、仲成なかなりの呪いではないか……という噂が流れているのだ。もしくは薬子くすこの呪いではと」

「は?」


 あまりにも突拍子のない父の言葉に、篁はあんぐりと口を開けた。


 都に藤原氏は掃いて捨てるほどいるが、全てが一つではない。

 藤原鎌足の息子、不比等の四人の息子が興した、南家(長男)、北家(次男)、式家(三男)、京家(四男)の四家に分かれている。

 時には手を組み、時には対立を繰り返し、今では北家が力をつけている────が、以前は式家の天下だったらしい。


「仲成と薬子の呪いって……つまり、十年前の騒ぎが原因だって言うのか?」


 篁は眉をひそめた。

 当時七歳だった篁でも、あの騒ぎはよく覚えている。

 病弱を理由に譲位した上皇が、帝となった弟(今の帝)のやり方に異を唱え、平城京への遷都と復位を目論んだ結果、帝に追い詰められ出家したという政変だ。


「────式家の薬子は、皇太子であった今の上皇様に己が娘を入内させた義母でありながら、上皇様の愛妾となった稀代の悪女。兄の藤原仲成とともに上皇様をそそのかし、帝から政権を奪おうとしたことは、おまえも覚えているだろう。あの兄妹はともに死を賜ったが、帝の手足となって働いた北家の冬嗣殿への怨みが残っていたのではないか、というのが今回の噂の出所だ」


「十年も経っているのに今更?」


 篁は笑い飛ばそうとしたが、その刹那、朱雀門の上に立っていた黒装束の男の姿が脳裏に閃いた。

 魔魅まみと共に陽炎かげろうのように姿を消した男だ。当然、生身の人間ではない。


(まさか……あれが式家の、仲成の怨霊なのか?)


 篁が考え込んでいると、岑守みねもりがついと身を乗り出してきた。


「そなた、壱子が生き返った理由を何か知らぬか? あれだけの祈祷師が反魂はんごんの祈りを捧げても駄目だったものを、そなたが来たとたん目覚めたと言うじゃないか」

「それは……」


 篁は迷った。父に、魔魅や黒装束の男のことを話すべきだろうか。

 その逡巡をどうとったのか、岑守は疲れたようにため息をつくと、楽観論を口にした。


「まぁ、壱子が戻ったのだから、官吏たちもそのうち戻ってくるやも知れぬな」

「……いや、そう簡単にはいかないかもよ」


 壱子が戻れたのは、魔魅のあぎとを逃れたからだ。もしもあのまま連れ去られていたら、壱子とてどうなっていたかわからない。


「篁。そなた、やはり何か知っているのか?」


 父に訊かれて、篁は今度こそうなずいた。


「とても、信じられないと思うけどさ……父上は、魔魅という妖怪を知っているか? 人を惑わし、魂を狩取る妖怪らしいんだ。見た目は狸かむじなのような姿をしている。

 俺は偶然、壱子の魂を咥えた魔魅を見つけた。追いかけて斬りつけたら、そいつは壱子の魂を放したんだ。だから壱子は戻って来れたんだと思う。倒れた官吏たちがどういう状況かわからないけど、もし魔魅に連れ去られたままなら……」


 望みは薄いかも、という言葉は飲み込んで、篁は父を見つめた。


「何ということだ……」

 岑守は額を手で覆った。

「その妖怪は、人の魂を喰らうのか?」


「いや……わからない。でも、気になることはあるんだ。調べてみるから、少しだけ時間をくれ」


 謎の男と冥府のくだりを話さぬまま、篁は立ち上がった。

 もう一度冥府へ赴いて、エンマにこの件を聞いてみるつもりだった。


「それはかまわぬが……篁、くれぐれも、壱子の元へ通うのを忘れるなよ!」


 追いかけて来た父の声に振り向いて、篁は苦笑した。


 【三日夜みかよの餅の儀】は、必ずしも日をあけずに三日通わなければいけない訳ではない。ただ、岑守も、壱子の暮らしがどのようなものかはよく知っている。壱子を心配させるな、という意味なのだろう。


「忘れるもんか」


 そう答えて、篁は今度こそ駆け出した。 

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