「ゼロの偽証」 愛してる。

 耳を両手で押さえても、それすら貫いた大音響。ようやく耳鳴りが収まってからイポスは立ち上がった。

 スタングレネードの中身はマグネシウムを主成分とする炸薬だ。粉末状のそれらを無数に空いた穴から噴射し、燃焼させる。マグネシウムは燃焼する際に凄まじい光を発し、急激な燃焼に伴う大音響を発する。

 スペクターで採用されているスタングレネードはこのように作動し、直径数メートル以内にいる人間の視覚や聴覚を一時的に奪う。

 破片等は発生しない低致死性兵器だ。マグネシウム等を放出して燃焼させるものであるから、至近距離で炸裂すれば火傷やある程度の衝撃が発生することで傷などを負う。

 顔の目前で炸裂させれば、十二分に致命的な兵器となりうる。

 果たして、サイラスは意識を失った。

「これが保安局の怪物?」

「そうです」

 飛んだ大仕事だわ、なんて愚痴りながらレラジェが上体を起こした。ひと足先に立ち上がったイポスがレラジェに手を借す。

「イポス、怪我は?」

「大丈夫です、レラジェは?」

「私も平気。さっさと爆弾を解体しに行くわよ」

 エレベーターの呼び出しボタンをレラジェが押す。

 そこで、無線の呼び出し音が響く。

『こちらベルタ・ワン。地下の電源室を確認したわ』

 何かしらいい知らせであることを願った。

『どうやら爆破したらしくてね、設備がほとんど焼かれてる。予備電源が生きてるのが奇跡よ、多分給電はできない』

 最悪の知らせだ。ちょうどエレベーターが来たが、とても乗る気になれない。

「……わかった、踏んだり蹴ったりね。第二フロアは完全に立ち入り禁止にしておいて」

『わかった。済み次第そちらに応援へ向かうわね』

「頼んだわよ」

 短い通信をレラジェが切って、エレベーターに乗り込んだ。渋々、イポスもエレベーターの箱の中に踏み入る。

 エレベーターの扉をレラジェが閉めたところで、また呼び出し音が鳴る。

 今度の通信はジョンからだ。

『二人とも、無事で何よりだ』

「なんとかね」

『今から第三フロアに向かうんだろう。一応の確認だ』

 無線の向こうは喧騒に包まれている。無理もない、死傷者が続出している上にタイムリミットまであるのだ。慌てるなと言う方が無理だろう。

 エレベーターが動き出した。

『タイムリミットまであと七十八分。爆弾の予想設置箇所はゲイン塔、メンテナンス用足場の最上だ。八階の関係者用扉からゲイン塔に出ることができる』

 矢継ぎ早に話すジョンの言葉を黙って聞く。

『そろそろ、通信限界高度に到達する。君らにしか出来ないことをやりきってくれ』

「了解」

 レラジェと目配せをして、イポスが答えた。

『……幸運を』

 ノイズ混じりになった通信は、ジョンの言葉を最後に何も聞こえなくなった。

 レラジェがタクティカルベストのポケットを漁り始める。そこから出てきたのは煙草のケースだ。

「疲れたわね」

「もうひと頑張りで終わるはずです」

 煙草を咥えたレラジェの口に、ポケットから取り出したライターを近づける。僅かに揺れる火が、暖かく箱の中を照らす。

 煙草の先が紅く色づく。

 レラジェは一吸いした後にそれを左手に持って、紫煙をゆっくりとイポスに吹きかけた。

 イポスは微笑みながら一つため息をついて見せ、満足げに言う。

「今夜、夕飯は一緒にどうです?」

「貴方の誘いにノーなんて言ったことあったかしら?」

「冷蔵庫には何もなかった気がします」

「帰る前にスーパーに寄らなきゃダメね」

 顔を見合わせて笑い合う。どうしようもなく、幸せだ。昨日の買い物当番だったマイクが帰らなかったからだ。マイクには悪いが、その贖罪も兼ねて今日はどこかに泊まってもらおう。

 レラジェが左手の煙草を差し出す。一服どうか、という意味だろう。

 右手でその煙草を受け取り、口に近づけて吸った。肺の中を巡る煙が少しだけ胸を締め付ける。

 煙を吐き出し、また煙草をレラジェに渡す。彼女は受け取った煙草を咥えて右腿のホルスターを探る。

「あ、そういえば蹴られて落としたんだった……」

 先のサイラスとの戦闘で愛銃を落としたらしいレラジェに、イポスは左腿のホルスターに入っている自動拳銃を渡す。

「今日は失くし物が多いですね」

「疲れてるのかもしれないわね、報告書は明後日以降で申請しようかしら」

 そうこう言っているうちに、エレベーターが六階についたことを知らせる。レラジェは煙草を携帯灰皿に捨てて拳銃を構え、イポスはマテバを構えて外に飛び出す。

 六階には誰もいない。

 荒れてこそいるが、あっけらかんとしており誰かいるような気配はなかった。

「いつも思うのよ」

 緊張の糸が解けたのか、拳銃を下ろしてレラジェが口を開いた。

「私が死んでしまったら、貴方やマルガを遺していってしまう。それが気がかりなのよ」

「……そんな悲しいことは言わないでください」

 ふと、レラジェの顔を見る。酷く物憂げで、儚かった。彼女は、ピトフーイと呼ばれた。だが、彼女は誰かを中毒死にするだけではなかった。

 その毒は、彼女自身も蝕んでいたのだ。

「もちろん、死ぬつもりは毛頭ない。だけど、やっぱり気にならないわけじゃない」

 二人は七階へと繋がる廊下を上がる。

「特にマルガはね、気丈だけど脆い側面もある。私が彼女の生きる理由だ、なんて言うつもりはないけれど」

 廊下も全面ガラス張りで、満月が良く見える。

「少なくとも、私は彼女がスペクターに留まり続ける理由の一つではあると思う」

「彼女が、ですか……」

 いつも朗らかなマルガのことだ、きっと好きで留まっているものだと思っていた。無論、それだけでは無いとも思ってはいたのだが。

「人間なんて、どこか一面だけでわかるもんじゃないってことよ」

 レラジェが、その顔に活気を戻して言うのだった。

 第三フロアにはドアがない。円形のフロアの端に互い違いになるよう螺旋状の上層に繋がる廊下、もとい坂がある。

 そして、二人は七階に到着した。七階もまた、静けさに満たされており誰かが居るような気配はない。

 だが。

「いる」

「いますね」

 二人の言葉が重なった。二人の勘は、誰かいると囁く。

 各々が自身の銃を構えて警戒を強める。お互いがお互いの背中を守りながら部屋の中央まで陣取った時、どこからか転がってきた金属製の円筒、スモークグレネードがイポスの足に当たった。

 あっという間に二人を煙幕が包み、一寸先も見えない。

「さっき、言い忘れていたけど」

 背後に立つレラジェがイポスに囁く。背中に触れる彼女の熱だけが、イポスを安心させることが出来る。

「トーカ、だったかしら。あの目隠し女だけは能力に覚えがある」

「どんな能力なんですか」

「『魔力視』、よ。読んで字の如く、魔力を視ることが出来る能力。目隠ししていても物の場所や人の場所がわかる」

「つまり……?」

 レラジェがため息を吐きながら言った。

「煙幕であの女の視界は塞げないってことよ」

 そう言った瞬間、イポスの肩を強烈な衝撃が走る。

「ぐあ……!」

 貫通こそしていないが、凄まじい痛みだ。立っているのもやっとな程で、その場にしゃがみこんでしまう。

 なるほど、消音器付きの自動拳銃を愛用するのはこういうことか。視界が閉鎖された中で唯一頼れる聴覚すらもアテにならなくなった。

「イポス、走って!」

 痛みを無理やり意識から引き剥がし、走った。すぐ後ろを銃弾が飛んでいく音がする。

 どうやらレラジェは反対方向に走っていったようで、もはやそこにいるのが敵か味方も分からなくなってしまった。

「レラジェ!」

 自分の居場所を知らせるために天井に向かって発砲する。マテバの大音響がフロア中に響き渡り、霧散していく。そこで一つ考えが浮かんだ。

 イポスは壁越しに走り続け、ついに大きな窓を発見する。

 マテバを窓に密着させ、引き金を引いた。凄まじい破砕音と共に窓が無くなり、イポスの周りを覆っていた煙幕が外へと流れだしていく。

 一方、レラジェもまた考えが浮かんでいた。どこかへ煙が流れていくのを感じながら、静かに時を待っていた。恐らく、トーカの意識はイポスに向かっている。そして、レラジェは床に手をついた。

 これをすれば、恐らくはレラジェの意識はなくなってしまう。だが、彼女の、トーカの目を眩ませるにはこれしかないのだ。

『イポス』

 イポスのインカムはレラジェの声を拾う。通信圏外でも使える短距離無線通信だ。

『後は頼んだわね』

 一筋だけ、煙が晴れた。イポスの目前に、トーカが迫っている。

 レラジェは満身の力を籠めて叫ぶのだ。

『聖痕』スティグマ!」

 床面を蛇のようにヒビが走っていく。それは真っすぐにイポスとトーカの方へ向かっていき、それは二人を取り囲んだ。

 転瞬、ヒビが破裂する。それは床材ごと破壊し、直下の六階へと少し大きな穴を空ける。

 重力が消えた。二人は下の階へと堕ちていき、強かに身体を打ち付ける。

「見えない、見えない……!」

 一歩先に起き上がったトーカが、拳銃を片手に地面を這いつくばっている。

 何とも滑稽だ、イポスは立ち上がりながら彼女を見る。そこで気づく、マテバが無い。ふと足元を見れば少し離れたところに落ちている。

 それを拾い上げ、トーカを見た。

 恐らく、レラジェの能力は魔力由来なのだろう。その影響をまともに受ければ、魔力が自分自身に纏わりつく、のかもしれない。

 形勢逆転だ。

 マテバを構え、照準を合わせた。その時、ぐらりと視界が揺れた。

 唐突に訪れた吐き気と眩暈に膝をつくイポス。すぐに原因がわかった————マジック・リコイルだ。高強度な魔力を短時間に浴びすぎたのだ。

 口を押さえてうずくまったイポスを知ってか知らずか、トーカは上層へと向かう廊下を目指している。

 何としてでも阻止しなければ。

 揺れる照準を無理やりトーカに合わせて発砲、当たらない。そうこうしている内にもトーカは本来の調子を取り戻してしまう。

「トー……カッ!」

 恨みがましく彼女の名前を呼んだ。揺れの振れ幅が小さくなる。だが、トーカの視界も徐々に戻ってきているはずだ。

 早かったのはトーカだ、廊下に到達した時には二足歩行を取り戻している。一歩遅れて、サイラスの視界が元に戻る。

 既に駆けだしたトーカの下半身を狙う。銃声の後、九ミリ弾は彼女の左ふくらはぎを撃ち抜いた。だが、彼女は止まることなく、遂に七階に到達してしまう。

 イポスが追いかけた。レラジェの無線、最後の言葉は。

 あまりに遅すぎた。ふらふらと足取りも覚束ないのに坂を無理やりに上って見たのは。

「動くな!」

 トーカが力を使って気を失ったレラジェの首を左腕で拘束して、先ほどイポスが割った窓のすぐ前に立っている。

「銃を置け!」

 トーカが右手の拳銃をサイラスに向けて叫ぶ。気づかれないようににじり寄るイポスの足元を、一度トーカが撃った。

「動くなと言っている!」

 レラジェは微動だにしない。やがて、その銃口をレラジェに向く。

「銃を置け! いいか、これが最後の忠告だ!」

「わかった、わかった。言うとおりにする」

 トーカの言う通りに両手を挙げて、ゆっくりとマテバを床に置いた。

「俺の命でも、なんでも差し出す。だから、頼む。レラジェを……その女性を解放してくれ」

 イポスの脳内を、先ほど交わしたレラジェとの約束が駆け巡る。トーカが鼻を鳴らして笑った。

 背後の月は高く、淡く光っているので逆光ではなかった。だが、トーカの目は見えない、距離が十メートルは無いだろうが相当離れている。

 銃口だけでは弾道が読めない。

「見上げた自己犠牲ね。いいわ、望み通りあなたから殺してあげる!」

 銃口がレラジェから、イポスに向く。

 その瞬間だった。レラジェの腕が動いた。それがトーカの腕を掴んで、銃口をイポスの方へ向けたままにほんの少しだけ逸らす。

 見える、銃口が、弾道が、何故ならイポスを狙っているのはトーカではなく、レラジェなのだから。

 抑制された銃声が響いた。イポスが上体を反らして銃弾を避ける。

————避けれた、反撃ができる!

 状態を戻し、トーカたちの方を見た。レラジェが、トーカに思い切り頭頂部を顔に当てて怯ませている。

 反撃のチャンスは十二分にある、きっとそうだ。イポスが走る。

 そして。


 レラジェが優しく、イポスに微笑みかけた。

 イポスの背中を、冷たい何かが撫でる。嫌な予感とは、的中するものだ。

『イポス』

 短距離無線。この距離なら、レラジェの口の動きもわかる。そしてその身体が、壁の無い方に倒れかかっているのもわかった。

 認めたくなかった。レラジェと彼女の身体がどんどんと小さくなる。

『……』

 ノイズがインカム越しに聞こえた。

 もう、この距離では彼女の腕を掴むことなんてできない。分かっている。だが、それでもイポスの足は止まらなかった。


————貴方は……


 ただ、それだけだった。通信圏外に出てしまったのだ。その先を聞くことはなかった。

 窓の縁に膝をついて下を見た。地上四百メートル。もはや、豆粒ほどにしか見えないその影が誰のものであるかなんて、わからなかった。

 そして、小さなシミが地上に一つできあがった。



「レラジェ、イポス!」

 廊下から七階に上がってきたマルガが二人の名を呼んだ。

 意に反して、そこにあるのは窓際にへたり込んだ人影が一つだけだった。

「……イポス」

 声が震えているのは、マルガが一番よく分かっていた。嘘であって欲しい、勘違いであって欲しかった。

「マルガは……?」

 イポスは口を開かず、窓をただ指差した。

「あ、ああ……」

 嗚咽が、マルガの喉から溢れ出る。

「トーカと、化物の生き残りと戦った。相打ちだった」

 淡々と、必死に感情を抑えてイポスが言った。

「あんたは、あんたは何をやってたのよ!?」

 イポスにマルガが掴みかかった。

「のうのうと生きて、あんただけが生きて……! どうしてレラジェが死ぬのよ!」

「俺だって、……俺だって何とかしたかったさ!」

 マルガの手を振り解いた。振り解いた瞬間、マルガの拳がイポスの右頬を殴った。

「中尉!」

 背後にいたハルが仲裁に入った。二人の怒号とその応酬は数分間も続いた。


 互いに反対側の壁に向き合って座るマルガとイポス。イポスの元にハルが近寄った。

「隊長、レラジェ少佐のことは……心中、お察しします」

 ハルが優しく肩に手を置いた。

「厳しいことを、伝えさせてもらいます」

 ハルが両肩を掴んで、イポスと向き合った。イポスの顔は青白く、生気がなかった。

「苦しいのは分かります。背中を預ける誰かが居なくなるのは本当に怖いものですから」

 諭すようにハルが言葉を連綿と繋げる。

「ですが、隊長。貴方はレラジェ少佐の死を無駄にしないためにも、立たなければならないんです。この仕事は……」

 ハルが大きく息を吸い込んだ。

「貴方にしか完遂できないのですから」

 イポスの目が見開かれた。ハルはそれに少し怯える。だが、イポスはハルの予想に反して立ち上がった。

「……そう、だな。レラジェの死を雪ぐのは、俺にしかできない。ありがとう、ハル」

 マルガは気に留める様子もなかったが、イポスはマテバを拾って八階へと急いだ。


 関係者用の扉を開いた。高さおよそ五百メートル。

 金網の足場を恐る恐る踏みしめ、ゲイン塔の周りをぐるぐると逆巻いていくメンテナンス用の足場を一段一段、上がっていく。

 目的地までは百段以上ありそうだ。ふと時計を見遣れば、二十一時過ぎ。急ぐ必要はなさそうだった。

 一段踏みしめるたびに、レラジェとの過去が瞼の裏に浮かぶ。

  初めて西方を共に旅したあの日、何でもない会話で笑い合い、酒に酔い潰れたレラジェを介抱したあの日。ランドンの名物の時計台を見て、目の前の橋で買ったホットドッグを食べたんだ。

 気づかないうちに、イポスの頬を大粒の涙が這った。袖で拭ったイポスは、気づかないうちに最上階の足場を踏めしている。

「やあ」

 ゼクス・アハトを構えた。そこにいたのは小太りの男、ブース・フィリーだ。

「よく辿り着いたもんだ」

「あんたの目的は?」

「決まっているだろう」

 ブースが街並みを眺めながら言った。星と月がきれいだ。

「この国に住む全員が、幸せに暮らすために必要なことだった。それだけだ」

「ふざけるな!」

 イポスが声を荒げた。

「人を殺すことが正義か!? 他者の為に誰かが犠牲になることがそんなに正しいと思うか!」

「思わんよ」

 ブースが静かに言った。

「だから、私はその忌々しい爆弾の動きを止めた。もう爆発することは無い」

 意味が分からない、なぜこの黒幕は殺戮兵器の動きを止めたんだ?

「そして、まだやることがあるんだ」

 ブースは両手を広げて言った。

「道を踏み外した私たちを裁くことだよ」

 ブースがイポスの両肩を掴む。二人は安全用の鉄柵を飛び越え、宙を舞った。

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