「ゼロの偽証」 ヘキサゴンタワー襲撃事件

「遅い」

 レラジェが怒気を滲ませながら言う。

 エレベーターが開いた途端にこれだ、まじめに転職でも考えようか。

 エレベーター前の空間からはエントランスが直接見えないのだから、自分なんかに構わずさっさと向こうに行ってしまえば良かったではないか、そう心の中で叫んだ。

「言ったはずでしょう、野暮用があるって」

「ともかく、遅いものは遅いわ。どうせまた地下射撃場にでも入り浸ってたんでしょ」

「なんでわかるんですか」

 保安局のお偉いさんが来るまではあと七分。

 レラジェはエーリッヒにもらったコーヒーを一息に飲み干し、カップを近くのごみ箱に捨てる。

 手持無沙汰になったからか、レラジェは自分の愛銃、タクティッシュクリーガーを整備し始める。四十五口径、ポリマー素材を使って反動制御がしやすいよう軽量化され、かなり取り回しやすいスペクターの標準装備。

 レラジェはスライドに羽の刻印を加え、通常弾より火薬の量が多い強装弾を撃てるようバレルを換装している。

「さて、役割分担ね。あなたは外で控えてて、以上よ」

 そう言って、レラジェはイポスに小型の自動拳銃と消音器、マガジンを二つ渡してくる。

 マガジンを見ると、一方は真鍮色の銃弾が九発、マガジンいっぱいに入っているが、もう一方のマガジンには赤い銃弾が二発しか入っていない。

 赤い銃弾が入ったマガジンを自動拳銃に差し込み、スライドを引いて初段を薬室に送り込んで、消音器を銃口の先端に取り付ける。

 消音器込みの長さでおよそ十八センチ程度だろうか、無理なく懐に忍ばせられる大きさだ。

 そのままスーツで隠れた左胸のホルスターに入れる。

「へいへい」

 面倒な仕事だ、と思いながら返事をすると、レラジェに脇腹を小突かれる。

「エーリッヒ中将も私も期待してるのよ、応えてくれるわよね?」

「もちろん」

 そう答えて、持っているマテバのトリガーガードに指をかけ、銃をスピンさせながらイポスはロータリーへ、レラジェはエレベーターへと向かう。


 黒い車が三台、ヘキサゴンタワーのロータリーに停まる。

 中央の車の後部座席から二名の黒スーツの護衛と小太りのリリガル副大臣が降りてきた。

 車は随分と硬そうだ。ガラスは防弾、ボディとドアには恐らく強化繊維が使われているように見える。副大臣の乗っていた車を護衛していたのであろう前後の二台は乗っていた残りの護衛達を下ろしてそのままどこかへ走り去っていく。

 前後の車から降りた八人程度の護衛たちは、大ロビーに向かっていく。

「遠路はるばる、お越しいただきありがとうございます。リリガル副大臣」

「出迎えご苦労。だが、下らん口上などは要らん、エーリッヒ中将は何処だ」

 随分と不躾で横柄な態度だが、権力を手に入れた人間なんてこんなもんだろう。内心の本音は隠しつつ、抑揚のない声で二七階です、と答える。

 副大臣と護衛二人はイポスを置いて足早にエレベーターの方へと一直線に向かっていく。

 どうやら、相当急いでいるようだ。

 離れていく副大臣たちの背中を見送りながら、左胸のホルスターに入った拳銃を見えないように取り出して、背後にあるリリガル副大臣の乗っていた車のナンバープレートに向けて二回、自分の身体と上着で隠しながら引き金を引く。

 消音器と亜音速弾によって銃声は騒がしい街の音に掻き消され、銃弾はナンバープレートに二つの穴を開けた。

 十秒も経たないうちにその車は行ってしまう。

「ジョン、ナンバープレートに二発、トレーサー弾を撃ち込んだぞ」

 独り言のように、言葉を紡ぐ。

『相も変わらず、良い腕だな』

 骨伝導イヤホン越しに、ジョンの声が聞こえてくる。これが、エーリッヒがジョンに頼んだ仕事だ。副大臣の相手をしなければならないエーリッヒの代わりに、ジョンがオペレーターを務めている。

「頑丈そうな車だ。三〇〇口径の完全被甲フルメタルジャケット弾でも貫徹出来るかどうか分からない。まるで鋼の怪物だ」

『副大臣とはいえ、対テロに於いては重要な人物よ。万一のことがあっては困るんでしょう。副大臣は?』

 答えたのはレラジェだった。レラジェは今、二十七階のオフィスでエーリッヒと共に副大臣の到着を待っている。

「随分と急いでエレベーターに一直線、遅刻寸前の学生を見てる気分だ」

『カメラで捉えた。今はエレベーターに乗ってそっちに向かっている。初めての場所だからか、汗を拭うハンカチを握りしめてるよ』

 ジョンは現在、地下二階にある自分の個人用オフィスで十数枚あるモニターを操作していた。

 その大半はヘキサゴンタワー全ての監視カメラの映像で埋め尽くされている。

 その中で、ジョンの目の前にある最も大きなモニターには、エレベーター内の映像────リリガル副大臣とその護衛二人が映っている。

 さて、仕事の始まりだ。

 イポスはスーツのジャケットを整え、ヘキサゴンタワーの中へと戻った。


 外で待機、そう言われた通り、二階からロビーに残った警護の保安局員を監視、というよりただ眺めていた。

 ふと、違和感があった。

 妙な動き、というほどでもないだろう。黒服の保安局員たちのトイレがほんの少し長かったり、顔が少し引き攣っていたり、小指が微妙に震えていた、そんなもんだ。

 それ以外は、寧ろ完璧だ。道に迷う事もなく、タワー内部を不自然にジロジロと眺める事もない。

 だが、それが一層違和感を強くしていた。勘というやつがイポスの後頭部を強くたたいているような感覚だ。

 骨伝導イヤホンからはエーリッヒの冷たい言葉とリリガル副大臣の怒気を含んだ言葉が絡み合う、なんとも居心地の悪そうな会話が聞こえてくる。

『我々は、この国の安全を保障するという大義の下で動いているのだ。それは君たちも同じだろう!』

 リリガル副大臣の言葉には焦りと怒りが混じっていることがイヤホン越しでもわかる。

『落ち着いてください、副大臣』

「焦り……?」

 ふと、立ち止まって独り言を漏らす。何か感じていた違和感、緊張感のある保安局員達。

 彼の目にロングコートを着た保安局員が入ってきた瞬間が映ったその時、違和感は疑念へと明確に変わった。

 その局員は地下駐車場の方向へ一人で向かう。

「ジョン、確かこのタワーの詳細な内部構造は開示されていなかったよな?」

『ああ、国家安全機密法百二十六条で秘密保持が義務化されている。閲覧資格があるのはここの職員か、年一でメンテにくる建築省の奴ら程度だな』

「なら保安局の連中がここの内部構造を事前に知る由なんか無いわけだ」

 疑念は、確信へと変わっていた。

 副大臣も、職員もここのことを知りすぎている。

「……連中、一人でトイレに迷わず向かっていた」

『なるほどな、奴ら相当下調べをしたらしい。なんか企んでいるな』

 思い返せば、大臣達もガイドなしに真っ直ぐエレベーターへ向かっていた。

 秘匿されている筈の情報を知っている。疑うには十分すぎる理由だろう。

 話しながら目で追っていたロングコートを着た保安局員はトイレに入ったようだ。

「今トイレに向かった保安局員を追う。ジョンは他の職員の監視を頼んだ」

『了解、気をつけろ』

 階段を降りて地下駐車場へと向かう通路の途中にトイレはある。周りの人から見えないようにレラジェから貰った銃のマガジンを実弾のものに交換し、セーフティを外す。

 スライドを引き、初弾を装填しながらトイレの入り口を見ると、黄色の清掃中の看板が出ているのに気がついた。

 足音のしないように慎重に歩いてトイレの内部へと入ると、二人の男の話し声が聞こえる。恐らく一方が先ほどの局員だろう。

「作戦に変更?」

「ああ、会談中に人質に取る予定だったんだが護衛が三人いるらしい。予定変更をして見送りに来たところを見計らって実行する」

「調べでは十二人だったが今のところ八人しかいないようだし、無理はなさそうだな」

「頼んだぞ、こいつが今回の得物だ」

 金属音がする、恐らく銃だろう。慎重に片目を壁から出して見てみると小型のサブマシンガンだ。

「お前が頼みだ。世界の安寧の為に」

「任せておけ、世界の安寧の為に」

 保安局のスローガンを最後に、足音が二つ迫ってくる。

 どうする。やり過ごすか、或いは。

 既に抜いた自動拳銃を、強く握る。どっちだ、どっちが正解だ。

『会談がもうじき終わるぞ』

 時間はない、ジョンの言葉はそれを語っていた。

 隠れていた壁を飛び出す。

 驚いたような顔をするロングコートの男と、その後ろにいる清掃員の制服を着た男。その両方がこちらに気づくと同時に銃を抜こうとする。

 だが、既に自動拳銃を構えたイポスの方が引き金を引くのは早い。

 引き金を引く。一発目の弾丸は、ロングコートの男の頭蓋骨を砕いて貫通することなく脳を引き裂く。

 スライドがガス圧で後退し、空薬莢を吐き出す。

 間髪あけずに二度目の発砲、次の銃弾は銃に向かおうとしていた清掃員の右手を撃ち抜く。

 痛みに耐える叫びを清掃員の男が発すると同時にロングコートの男が倒れる。

 それを視界の端で確認しながら清掃員の左肩を撃ち抜き、脇腹と左脚にも穴を開ける。

「一階、西側トイレ。一人死亡、もう一人は重度の負傷。メディックを頼む」

『手荒だな、イポス』

 ジョンがため息交じりにそんなことを言う。

 当たり前ではあるが、人を殺すというのは気分の良いもんじゃない。何なら吐き気がするレベルには嫌なことだ。さらに、確信も持てていないのにこんなことをすれば大変な処罰が待っているだろう。しかし、この方が良いと理屈じゃない何かがイポスの身体を突き動かしたのだ。

「副大臣たちは?」

『オフィスを出て、現在エレベーターの中。見送りはいらない、だそうよ。トイレの二人の会話は聞いていたけど、行動を起こすとしたら今でしょうね。私も土産を持ってそっちに向かうわ、足止めして』

 レラジェの声だ。

 どうやら状況はかなり逼迫しているらしい。気を失っている清掃員の懐からイポスに向けるつもりだったらしい拳銃を抜き取ってごみ箱に捨ててから、トイレを急ぎ足で出る。

「ジョン、正面入り口を塞げるか?」

『非常時シャッターをオンにする。……少し時間がかかるな、二分くれ』

 二分間、つまり百二十秒、クソ長い。

 最悪、というより考え得る限り武力衝突は避けられない。八人の警備とイポス一人、相手は十人以上で未確定、一般職員を庇いながら。

「二分も持たせるのかよ……?」

 そうぼやきながらも大ロビー全体が一望できる、一階正面入り口の前に行く手を阻むように立つ。

 保安局員たちは明らかに緊張している。顔が引き攣っている、そわそわしている、とにかく落ち着きがない。

『エレベーターが到着した! 近くの警備も急ぎそちらに向かわせている。頼むぞ、イポス』

 ジョンの声は無線越しでもわかるレベルで焦りが見えている。

 ふと、背後のロータリーを見る。そこには黒い怪物のような車は無い。

「ジョン、トレーサー弾を撃ち込んだ車の現在地は?」

『ちょっと待て……地下駐車場で動いていない』

 地下駐車場、清掃員、車、人質。導かれる答えは何だ?

 エレベータホールの方向から歩いてきた副大臣は、二人の護衛と共に大ロビーの中央で立ち止まった。

「見送りはいらないと言ったはずだが?」

 ジョンが非常用システムを作動させるまで残り一分半。

 副大臣の視線の方向、つまりイポスへ大ロビーにいる全員の目が向く。

「いえ、お見送りではございませんよ、副大臣」

 副大臣は訝しげな顔をする。

 表情、間の取り方、口調、切り札の出し方、出すタイミング。それらのどれか一つでも間違えれば、スペクターが被る被害がいかほどに変わるかはわからない。

「ならば早く退きたまえ」

 副大臣は明らかに苛立っている。当たり前だ、帰ろうとした矢先に呼び止められるようなことがあれば多少は苛立つに決まっている。

 だが、副大臣の苛立ちはきっと他のところに原因がある。

「副大臣、人を信用させるのであれば、まずは御自分が信用できるような人間にならなければなりません」

「私が信用できないと?」

 残り一分。まだか、ジョン。

「そうは言いませんが、私たちも慎重になっているんです。最近は保安局の癒着の噂も聞きますから」

「私に何を求めているのか、はっきり言ったらどうかね。私には時間が無いんだ」

「至極単純なことですよ、そこを動かないで頂きたいだけです」

 気づけば、いつでも騒がしい大ロビーは静まり返っている。

 イポスと保安局員たちの間には少しでも触れればちぎれそうなほどに張り詰めた空気が流れていた。

 数秒しか経っていないはずだが、体感では何百倍にも感じる。

 鼓動と自分の呼吸音がうるさい。

「そこを退け」

 副大臣の最も傍に就いていた護衛が静かに言う。

「お断りだ」

 緊張の糸がちぎれた瞬間だった。

 イポスに話しかけた護衛の保安局員が、左の脇腹辺りにジャケットで隠していたのであろう拳銃を抜く。それと同時に、イポスも右腰にベルトで挟んでいたマテバを抜く。

 銃声が響いた。

 早かったのは、イポスだ。

 銃弾は護衛の男の拳銃を横っ面から殴ってその場に弾き落とした。

 腕を伸ばしきった状態で構えることなく、右腰のベルトに親指が触れた状態で手首を軸にマテバを回転させ、左の掌底で撃鉄を起こして発砲する。

 いわゆるファニングと言われる速射技術だ。西部劇などではよく見かけるが、照準をきちんと合わせられない為、実用的な技術とは言いづらい。

 ただし、今回狙い通り弾が当たったのは偶然ではなく、イポス自身の勘と極力マテバの精度を上げるために、引き金を引く時間の短いシングルアクションで撃ったことが起因している。

 様々なところで悲鳴が上がった。

 これで恐らくは武装した職員と保安局員以外は逃げたことだろう。同時に背後の扉を銀色の防爆シャッターが覆い隠していく。長い二分間だった。

 一方、副大臣の顔は見る間に赤くなり、手は小刻みに震えている。怒りの表れだ。

「貴様ァ! この私を殺そうとしたな!? 立場を弁えたまえ!」

「立場を弁えるのはそちらですよ、リリガル副大臣」

 声の主は、頼れる相棒レラジェだった。

 副大臣たちの背後に立ったレラジェは先ほどイポスが弾き飛ばした拳銃を見ながら副大臣を睨む。

「保安庁の副大臣ともあろうお方が国務安全法をご存じないわけありませんよね?」

 副大臣は口を噤んだ。レラジェは追い打ちをかける。

「国務安全法第三十八条、『政府施設及び政令指定特殊法人施設内に於ける許可の無い銃器の所持は懲役十五年以下の刑に処する』。我々スペクターはそちらの局員が銃器を所持することを許可した覚えはありませんが?」

「黙れ! 私は保安庁の副大臣だぞ! その程度の特権は与えられている!」

 ああ、その件でしたら、とレラジェはスーツの内ポケットをガサゴソと探りはじめ、白い紙を取り出した。

「この通り、裁判所及び行政省の認可を得て、あなたの政府高官特権の剥奪が決定されています」

 遠くてよく見えないが、ぼんやりと裁判所と行政省の印が押されている紙切れが見える。あれが恐らく、レラジェの言っていた土産なのだろう。

 高圧的で権力に執着する副大臣にとって、これほど有効な切り札はそうあるまい。こちら側からは副大臣の顔が見えないが、鬼のような形相をしているのは確かだろう。

 問題なのは、これから副大臣がどう出るかだ。

「副大臣、あなたの身柄を拘束させていただきます」

「黙れ!」

 静かなタワー内部で、副大臣の叫び声は反響する。

 完全に時が止まったような瞬間だった。

「撃て! 奴らを殺せ!」

 副大臣の声に、動く者は居なかった。

「貴様ら! 早く撃て!」

 副大臣の怒号が、周囲の緊張を高まらせる。そして、遂に動いた。

 イポスから見て副大臣の前に立っていた保安局員、恐らくはこの護衛チームのリーダーなのだろう人物が、イポスに向かって発砲。

 さすがにイポスも油断していた。よもや、この状況で動けるほどの勇気があるとは。蛮勇と言うべきかもしれない。

 体を時計回りに少し捻って弾道を逸らす。銃弾は背後のシャッターにぶつかり不快な音を鳴らす。

「銃を抜け!」

 今しがたイポスの命を狙った護衛の声は、同時に鳴ったロックダウンを告げるアラートと共に戦闘開始を告げる鐘となった。

 大ロビーにいる全ての保安局員が各々の銃を取り出す。

 レラジェは受付テーブルの中に飛び込んで射線を切り、イポスはというと近くにいい掩蔽物も無いのでそのままマテバを構える。

 それと同時に、スペクター側の武装警備員が二階に到着、標準装備のサブマシンガンを二階の吹き抜けから打ち下ろすような体勢をとる。

 そして、どちらからということも無く銃声がヘキサゴンタワー中に響き渡った。一人、また一人と保安局員もスペクターの職員も倒れていく。

 血みどろの戦場と化したヘキサゴンタワー、リーダーを潰せばある程度マシになるだろうと考え、マテバの銃口は依然としてイポスに殺意を向けていた護衛のリーダーに向く。

 引き金を引く前に左側へ倒れ込むように地面を蹴る。その間、腕を伸ばして照準をリーダーの心臓に合わせる。

 想定外のイポスの挙動に、リーダーの眼には迷いが映る。即ち、イポスを捉えていた照準が狂ったのだ。

 ほぼ同時の発砲。

 リーダーの銃から放たれた銃弾は空を裂く。

 マテバの九ミリ弾が目標に到達することはなかった。リーダーはそばに居た他の保安局員の腕を引いて、自分の前に動かしたからだ。

 盾にされた局員の首に銃弾は当たり、その局員は血を吐きながらしばらく痙攣していた。

 そんなことを意に介する素振りも見せず、ぐったりとした様子の局員の襟口を左手で掴み、ライオットシールドさながらにそのまま銃を撃つ。

 すぐさま立ち上がって東階段を駆け上がるイポスに銃弾は当たらないが、状況は不利だ。

 スペクター側は二階を陣取って地の利を得てはいるが、彼らの目的地は地下駐車場、入り口からすぐ右手に露出している東階段と違い、地下へ向かう西階段は先ほどのトイレがある狭い通路の先にあるために二階から撃ち下ろすことは出来ない。

 もちろん、二階からも西階段にアクセスすることはできるが、非常に狭いため大型のサブマシンガンを扱う警備職員たちはかえって不利だ。

 一階の通路に正面切って突撃しようにも、あの通路は西階段までに一度折れ曲がっているため足止めされやすい。

「入口を塞いだのは悪手だったな……」

 銃弾の嵐から身を隠すために、強化ガラス製の手すりに背中を預けながら、応戦の為に撃ち切ったマテバのシリンダーを上にスイングアウトして九ミリ弾を込める。

 ヒビだらけでかなり見辛いが、強化ガラス越しに西階段へ続く通路に撤退している副大臣たちが見える。

 地下駐車場に先回りするしか方法はない。しかし、西階段は使えず、ロックダウン中のエレベーターは緊急停止している。

 事態は急を要するが、打てる手が少なすぎる。

「ジョン、地下駐車場に行く為の他の通路は?」

『ちょっと待ってくれ……、一階のエレベータホール横にある制御室の点検用扉がある。そこから行けば地下駐車場に出られるぞ!』

 点検用扉、と言うことは恐らくかなり小さいのだろう。重装備の職員は通れない。

『イポス、私が援護するから行って! 西階段は私が確保する!』

 レラジェの声だった。少し頭を出すと、受付テーブルの裏でこちらに目配せしている相棒が見える。

「頼みます、相棒レラジェ

『任せなさい、相棒イポス

 途切れることのない銃声が響いた。その銃声は警備職員たちとレラジェによる一斉射撃の音だ。

 フルオートでばら撒かれる銃弾は致死の驟雨となって通路の入り口に注がれる。

 イポスは二階から飛び降りて、エレベータホールへと走る。

 エレベーターの右手にある金属扉を押し開けて内部を見渡す。幾つか置かれたモニターと雑多に壁を這うコード、何に使うのかはわからない複雑な機械に埋もれて一メートル四方の点検用と書かれた扉が目に入った。

 急ぎ足で近づき、ノブを捻ると赤や青のコードと配管が縦横無尽に張り巡らされている真っ暗な空間に光がもたらされる。

 スーツの内ポケットからペンライトを取り出して中を照らす。

 どうやら相当深いようだ、底が見えない。幅が五十センチ程度しかなく、大の大人が通るには少し狭いが、この底なしの空間に真っ逆さまということはなさそうだ。

 当たり前だが点検用の空間だ、梯子もある。ペンライトを咥えて急いで中に滑り込み、梯子に手をかけて下へ下へと降りていく。

 たった一階分しか降りていないのにも関わらず、心労は計り知れない。先ほどと同じ大きさの白い扉が目に入った時は思わず安堵のため息が出た。

 ノブに手をかける。しかし、動かなかった。

 外側からしか開けられない仕組みなのか、長らく使われていないせいで錆びているのか、どちらにせよ開かない。

 流石にこれ以上時間をかけるとやばい、そう判断してレラジェから貰った自動拳銃を取り出してノブの部分に二箇所穴を開ける。梯子にかけたままの左手を軸に少し勢いをつけて扉を蹴破り、その勢いで外に躍り出る。

 外に出るとそこはエレベータホールだった。恐らく制御室があるのは一階のみでそれ以外はエレベータホールと繋がっているのだろう。

 幸い、今のところは誰もいなかったがここまで大騒ぎをすれば誰か確認に来るかもしれない。と思ったのも束の間、既に足音が近づいてきている。

 自動拳銃に残った銃弾は二発、向かってくる足音は一つ、充分だ。

 エレベータホールと地下駐車場を仕切る自動ドアなどはなく、灰色の壁と床が突然白くなるだけになっている。

 即ち、奇襲の妨げとなる扉がないということだ。

 駐車場側から見えないように隠れて、細く呼吸する。足音はもうすぐそこまで迫っている。

 足音が最も近くなった瞬間、飛び出して銃を持っている方の手首を左手で掴んで掲げさせ、右手の自動拳銃を腹部に一発、消音器を密着させて引き金を引く。

 滑らせるように消音器を、今度は顎に密着させて撃つ。

 銃弾はあご骨を砕いて貫き、勢いを殺さず頭蓋骨に到達する。一秒も経たずに銃弾は再び外の空気に触れ、イポスの目の前の保安局員は倒れた。


 西階段に続く通路。乱戦状態となったこの場所は、スペクター側の優勢ではあったが、戦況が変わる気配はない。

「ここは任せる、足止めしろ」

 保安局第二警護部、そのリーダーであるフランツはサブマシンガンを持った部下二人に通路を任せて副大臣を連れて西階段へと向かう。

 既に彼の仲間は彼を含めて六人にまで減っている。

 地下駐車場で待機させた二人、足止めをさせている二人、そして副大臣護衛を担当する自分ともう一人。

 スペクター側はおよそ十五人、非武装の一般職員たちは既に避難をしている、既に計画が破綻している今、出来ることは副大臣を逃すことだけだ。

 事前に得ていた情報、西階段に続く通路は確保が容易ではあったが、維持できるのはもって一分というところだろう。

 もう一人の護衛に副大臣を任せて、先に階段へと向かう。

 大型の三十八口径サブマシンガンを放り投げて、胸ポケットから九ミリ拳銃を取り出しマガジンの底を叩いて少しスライドを引き、初弾が装填されていることを確認する。

 まずは螺旋状に繋がる階段を下る足音がすることを確認し、そのまま段を駆け上がる。

 二階からなだれ込んだスペクターの警備二人と接敵。

 一人がやっとな狭い場所では大型のサブマシンガンはそこら中に引っかかる。初動は拳銃を使うこちらの方が早い。

 まず足を、その次に頭を撃ち抜く。このままではこちらに倒れてくるので手すりに左手をかけ、階段を蹴って身体を浮かせて死んだ警備の胸部を思い切り蹴り上げる。

 死体を抱き抱える形になったもう一人の警備は、そのまま階段に盛大に尻餅をつく。こちらも着地に失敗して数段を転がり落ちるが、器用に転がって足を接地させ、立ち上がる。

 そのまま、背面のベルトループに忍ばせていた三十センチ前後の角張った金属棒を取り出す。よく見ると、この金属棒は四センチほどの幅があるが、それを真っ二つに分離するように切り込みが入っている。

 その金属棒の端を持って素早く振り下ろすと、軽い金属音と共に金属棒が根元を中心に黒い扇のようなものになる。

 それを目の前の警備たちに向かって投げると、空中でその黒い扇は傘のように開いて、その端がコンクリート壁に食い込んで、即席のバリケードとなる。

 黒い布は遮光性の軽量防弾繊維であり、残念ながらライフル弾などは防げないものの、一般的な拳銃弾などはある程度防ぐことのできるものだ。

 強度が無いため期待はできないが、ある程度は足止めをしてくれるだろう。

 フランツは踵を返して一階へと戻り、副大臣ともう一人の護衛を連れて階段を降りる。


 西階段へ続く通路、その入り口。レラジェは愛銃のクリーガーを握りしめながら、タイミングを測っていた。

「デルタ鎮圧チームは?」

政治部ホワイトハンドがまだ渋っているみたいです」

 レラジェは苛立ちを隠せない。政治部は恐らく、鎮圧できなかった場合の言い訳でも考えているのだろう。

 そこら中に転がっている死体を見ても、政治部のお偉いさん方は気が変わることはない。無性に腹が立った。

 流石に時間がかかりすぎている、いくら腕が立つとはいえイポスが心配だ。

「レラジェ少佐、そろそろ……」

「わかってる。援護は任せるわよ」

 警備の職員は頷いて、他の職員に合図を出して通路の向こうに一斉射撃を始める。

 それを確認した後、壁に左手を添える。そして、イメージするのだ。

「……『聖痕』スティグマに、祈りを。」


 転瞬、コンクリート製の壁に一本の亀裂が入る。

 その亀裂————『傷』は壁の中を蛇のように素早く這って、ちょうど反対側、即ち銃撃から保安局員を守っていた壁に無数の傷を走らせ、それは瓦礫の奔流となって爆発する。

 まるで壁の中にプラスチック爆弾でも仕込まれていたかのような衝撃が、保安局員と持っていたサブマシンガンを吹き飛ばして床に臥せさせる。

「撃ち方止め!」

 そう叫んで、レラジェは一目散に通路を駆け出す。

 立ち上がった保安局員は、サブマシンガンが瓦礫に埋もれているのを確認すると、ジャケットで隠していた自動拳銃を取り出し、金属製の嵐が降り止んだ通路へと身を乗り出す。

 その瞳に映ったのは、鬼神の如く向かってくるレラジェの姿だった。予想外の距離の近さに、保安局員の照準が一瞬ぶれ、引き金にかかった指が躊躇をする。

 その一瞬が命取りだった。レラジェに銃弾を避ける隙を与えてしまったのだ。

 レラジェは、愛銃クリーガーごと右手を壁に添える。そして、床から足を浮かせて、両足と右手を壁に添えて壁を掴み、膝のバネを使って思い切り踏み切る。

 彼女の身体はしなやかに宙を舞い、彼女を狙った弾丸はコンマ数秒前までの彼女の居場所を滑空する。

 滑らかに彼女は反対側の壁に背中をつけて着地し、クリーガーを左手で抱えるように構えて二度発砲、九ミリ弾は保安局員の左胸と肩を抉る。

 左手で素早く背後の壁を叩いて、その反動で身体を右方向に投げ出し、こちらに向いた保安局員の拳銃の射線から消える。

 倒れこむようにしながら、右手を伸ばしてクリーガーの引き金を三度引く。

 銃弾はそれぞれ、右肩、左大腿、腹部を撃ち抜いて保安局員を動かなくさせる。

「ご無事ですか、『ピトフーイ』少佐」

 警備の職員がこちらに近づいてくる。

 顔がしかめるのを我慢して、口を開く。

「問題ないわ。君たちはデルタ鎮圧チームの到着まで周辺の安全確保と負傷者の介抱を」

 埃を払いながら立ち上がったレラジェは彼らの顔を見ずに西階段へと向かう。

 警備職員は敬礼と共に、第二部隊の最高戦力と呼ばれる女性、レラジェ・フォーラスの背中を見送った。


 最悪だ。目の前の敵に気を取られてその後ろにいるもう一人の保安局員に気づかなかった。

 イポスは後ろを向きながらしゃがみ、目の前で頽れる死体を背中で支えて即席の盾にする。間一髪と言ったところか、銃撃が死体を通じて鈍い衝撃が背中を圧迫してくる。

 弾切れになった自動拳銃を投げ捨てて、マテバを取り出し、銃弾が込めてあることを重みで確認してから相手を見ずに勘で三度発砲。

 銃撃が止んだことを確認して、死体を振り落とすようにして保安局員の方に向き直りながら、マテバを構えて立ち上がる。

 どうやら、局員に当たったのは一発のみ、運よく右肩に当たったようで足元に拳銃が落ちているのが見える。

 腹部、両の大腿部を狙って発砲。狙い通りに着弾し、局員は頽れる。

 気にする余裕がなかったが死人に口なし、証言者は多くいた方がいい。無闇に死体を増やせば、事件隠蔽にも影響を与えかねない。

 マテバのシリンダーをスイングアウトして空薬莢を全て排出し、一発一発込めていく。今のところ、このマテバは想像通り、いや想像以上にこの手に馴染む。

 前世からの縁、のようなものだろうか。

 くだらない事を考えている暇は無いと思い直して地下駐車場を見渡す。

 例の黒い車はパッと見ただけでは見つからない。と言っても、数秒で全て見切れる程狭い地下駐車場ではないので、見つけ出すにはそれなりに時間がかかるだろう。

 そう思った矢先だった。

 ドアを開ける、重い金属が擦れる音。西階段の方からだった。

 開いた瞬間、そこに現れたのは副大臣とフランツ、それからもう一人の護衛。

 マテバの銃声がドア越しに聞こえていたのだろう、既に護衛二人の得物の銃口はこちらに向いている。

 不利、身体は弾かれたように傍の車の影に吸い込まれていく。

 銃弾の大半は、コンクリートか車のボディに当たったが、一発だけが左の頬を掠めた。

「痛てぇな」

 傷口をそっと左手の指で撫でると、痺れるような痛みと血液が滲む。

 指についた血をスーツのジャケットで拭ってマテバを握りなおす。

 銃撃が止んだ、恐らく弾切れだ。好機と思ってマテバを構え、車の影を飛び出して走り出す。

 その瞬間、イポスの視界を支配したのは黒い六角形の軽量防弾シールドだった。恐らく銃声に紛れて近づき、展開したのだろう、既に副大臣とリーダーでない方の護衛はそこには居なかった。必然的に、前に居るのはフランツだ。

 反射的に引いた引き金がファイアリングピンを自由にし、それが弾底の雷管を叩いて発火。

 その炎は火薬に引火して、燃焼ガスとなって弾頭を音速以上に加速させる。

 放たれた銃弾は炭化チタン合成繊維製のシールドに弾かれどこかへと飛んでいくが、軽量なシールドも衝撃に耐えられず弾き飛ばされてしまう。

 イポスは、シールドに身を隠したフランツが拳銃のリロードをしているものだと思い込んでいた。その先入観が、フランツの初撃を許してしまう。

 フランツの右手に握られていたのは、拳銃ではなく、特殊警棒だった。

 弾き飛ばされたシールドに隠れて、フランツの斜めに振り上げた特殊警棒はイポスの右手首を捉え、握られていたマテバを叩き落とす。

 イポスは鈍い痛みに耐えながら、振り下ろされる次の一撃を後ろに跳躍しながら避け、フランツと二メートル程度の距離を取る。

 この距離では、下手に銃に頼ればむしろ不利になりかねない。

 ジャケットから手のひらから少しはみ出るほどの大きさの円筒、一端に十五センチほどの鎖、その先に指を一本通す小型のグリップリングのついた物体────実働部隊の標準装備の一つである二式警棒を取り出す。

 グリップリングに中指を通して、警棒を握り締め、フランツの左目を睨む。

 緊張の風が流れた。

 口火を切ったのはフランツ、特殊警棒を振りかざして一気に距離を詰めてくるが、イポスは少し右足を引いて、身体を右に少し回転させて避ける。

 振り落とされたフランツの右手をイポスは左手で掴んで、右肘目掛けて二式警棒の底を思い切り外側から叩きつける。

 ゴキッという音と共に、本来曲がらない方向にフランツの右腕が曲がる。

 苦痛の叫び声を上げるフランツの左頬に、今度は右手を開いて自由になった二式警棒を自分の右肩に当たらないようにヌンチャクの要領で遠心力と勢いで殴りつける。

 同時に掴んでいたフランツの腕を離すと、彼は衝撃を逃すようにコンクリートの床に投げ出される。

 痛みを紛らわせるためか、フランツは血を吐きながらただ喚いている。

 怒りか、それとも仕事の為か、どちらにせよ痛みを堪えて少し上体を持ち上げたフランツの右頬を、身体ごと時計回りに回転させて二式警棒で再びヌンチャクのように殴りつける。

 歯が数本飛んだ、恐らく顎の骨も砕けているだろう。フランツはその場に倒れたが、恐らく気絶はしていない。

 だが、大きさの割にかなり重い二式警棒を顎に結構な速度で当てたのだ、三半規管がイカれて少しの間は動けなくなるだろう。

 強敵との戦いが終わり、緊張の糸が解けた瞬間だった。

 油断という言葉が似合う瞬間でもあった。

『イポス、気をつけろ!』

 ジョンの声が無線越しに響く。

 その瞬間、イポスの身体は宙を舞う。視界の端に見えるのは、一階のロータリーで見た黒い車。フランツに気を取られすぎたのだ。逃がされた護衛が副大臣を車に乗せて、援護に来たというところか。

 コンクリートに投げ飛ばされる。肋骨が折れた感覚もある。口の中が血の香りで満たされて、気分が悪い。運転席から降りた護衛が肩を貸してフランツと席を交代しているのが薄れゆく視界に見えた。

 息も絶え絶えになりながら、なんとか這いずって、マテバに手を伸ばす。

 黒い車がバックで遠ざかっていく。イポスのことを置いて、さっさと外に出るつもりなのだろうと思った矢先、十分な距離をとった車は再びこちらに加速して迫ってくる。

 運転席には髪を振り乱して怒りの表情を浮かべるフランツが座っている。

 怒りに身を任せて轢き殺すつもりなのだろう。

「甘いんだよ、ルーキー」

 痛みなど意識の外に追いやって立ち上がり、マテバを拾い上げて車に向けて五回発砲。

 ボディやタイヤ、フロントガラスに銃弾は当たるが、そのどれもが弾かれ、傷もつけずに銃弾は失速していく。

 イポスは目の前に迫った車を横に転がるようにして避け、しゃがんだままシリンダーの中の薬莢を全て排出する。

 アスファルトとタイヤが擦れる耳障りな音が駐車場中に響く。

 ドリフトで車を百八十度回転させて、再び鉄の怪物はイポスの方を向く。

 イポスは闘牛士のように道の真ん中へ立って、ポケットの中に入った赤い筋の入った九ミリ弾を二発、シリンダーに込めてマテバに戻す。

「来い、小細工じゃ埋められない差ってやつを見せてやる」

 車が加速する。

 同時に、それに向かってイポスも走り始める。

 フランツは一瞬驚いたような顔をしたが、構わずアクセルを踏み込み続ける。

 手を伸ばせば車に触れられる、そんな至近距離になったその時、イポスの身体は浮き上がった。ぶつかる寸前に跳躍したのだ。

 次の瞬間、彼の足は車のボンネットを叩く。

 その勢いを殺すことなくイポスはルーフを走って、左足で思い切り踏みきる。イポスの身体が宙に浮いた。腕を振り、膝を胸の辺りに持ってくるように抱え込むと、イポスの身体は空中で半回転する。

 ゆっくりと景色が流れる中、イポスは宙を舞いながら右腕を伸ばす。驚愕した顔で後ろを覗き込んでいたフランツの頭に、マテバの照準は合った。

 引き金が引かれる。

 銃口から放たれたタングステン弾芯の九ミリ徹甲弾は、防弾のリアガラスを突き破ってフランツの眉間から入り込み、脳内を衝撃波で掻き乱しながらそのまま抜けていく。

 フランツの脳を貫通した徹甲弾はフロントガラスも粉々に砕いて、向かいのコンクリート壁へと突き刺さった。

 鉄の怪物を制御するものが死に、速度は緩まらずに壁へと突っ込む。

 イポスの身体は、コンクリートに強く打ち付けられる。

 一瞬、呼吸が止まった。その次には血の混じった咳を幾度となく繰り返した。

「あなたも大概無茶するわね」

 咳を何とか沈めた仰向けのイポスの顔を覗き込むようにして、傍にレラジェが手を差し出しながら立っていた。

「俺を育てたのは、貴女ですよ」

 差し出された手を掴んで、イポスは立ち上がる。

 口元の血を袖で拭いながら、見るも無惨な姿になった車の方に視線を向けると、もう一人の護衛と彼の肩を借りている副大臣が後部座席から出てきた。

「意外としぶといものね」

「耳塞いでください」

 イポスは彼女にそれだけ言って、副大臣たちがある程度車から離れたことを確認してからマテバを構え、発砲。

 ガソリンタンクへと貫通した徹甲弾は火花を散らし、車は爆発、炎上する。

 爆風に煽られてバランスを崩した副大臣たちに、レラジェは近づいていく。

「あなた達を、国務安全法及びテロ特別措置法に基づいた重要参考人としてスペクターの名の下に身柄を拘束します」

 レベルⅢ事案緊急鎮圧部隊————通称、デルタ鎮圧チームがようやく出動したようだ。イポスの背後からゾロゾロと現れたフルフェイスヘルメットとバトルアーマーに身を纏った職員たちがレラジェと倒れた二人を囲む。

 ロックダウンから僅か六分間の出来事だった。

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