護身の末

「わたし、不機嫌に見えます?」


 いきなりそう問われて、ついその顔を凝視してしまう。

 若くてキレイな女性だ。しかしその顔には表情らしきものがない。なまじ美人なだけに妙な迫力がある。

 これがデフォルトなのだとしたら不機嫌というより無表情なのだけど、おかしな迫力があるせいで不機嫌に思われることがあるのかもしれない。


「不機嫌とは違うような気がしますが、上機嫌には見えないですね」

「わたし、愛想がないんです」


 まあ、それはそうだろうなと思う。


「自分でいうのもなんですけど、むかしはよく笑う明るい子どもだったんですよ」


 自分が笑顔でいると相手の表情もやわらかくなる。そうすると自分もまた楽しくなる。プラスの連鎖。当時の彼女は、愛想よく振る舞うことになんの疑問もなかった。しかしそれが変わりはじめたのは中学生になったころからだったという。


「笑顔で挨拶しただけで、自分に気があるって勘違いする男子がいました。一人二人じゃありません。何人もです。そのうち女子からは誰かれなく色目をつかう女だと嫌われるようになりました。勘違いした男子につきまとわれて怖い目にもあいました」


 どうすればいいのか悩みに悩んで、やがて彼女は自分を守るために笑顔を封印することにした。


「そしたら今度は親戚とか大人から愛想がないって怒られるようになりました。さいわい母が理解してくれてたので、身内は黙らせてくれましたけど」


 そうして中学、高校、大学と笑顔を封印したまま、社会人となった。

 お高くとまってる(イメージ)だとか、無愛想(事実)だとか、あれこれ陰口を叩かれることにもすっかり慣れた。

 しかしある時、彼女は思いもよらない副作用に気がついた。表情を動かさないようにしていたら、いつしか心もあまり動かなくなっていたのだ。言葉として悲しいとかうれしいとか思うことはあるが、感情がともなわない。驚きなどで心臓がドキッとするようなこともない。


「でも一年ほどまえ、なんの間違いか恋人ができたんです。しかも今もつづいてるんです」

「ほう」


 彼女の顔にはやはり表情らしきものは浮かんでいないが、ほんのすこし、声のトーンがやわらかくなったような気がする。


「恋愛感情というものも正直よくわからないんですけど、こんなわたしを好きになってくれた彼のことは大切にしたいと思ってます。ただ、今度ご両親に会ってほしいといわれて、どうしたものかと」

「なにか不都合が?」

「不都合もなにも、わたしの第一印象は最悪です。知りあいにすら、怒ってるの? と、勘違いされるくらいですから」


 そうだろうか。少なくともぼくは彼女から悪い印象は受けなかった。


「彼は知っているのですよね? あなたが笑わなくなった理由を」

「はい。変な人なんです。酒屋の息子なのにお酒飲めないし、わたしの無表情もツボだっていうし。だから自然に笑える日がきたらいいとは思うけど、そうならなくてもまったく問題はないと」


 それなら心配いらないのではないか。ぼくがそう思ったとき、店のドアがあいた。よく見知った青年が顔をのぞかせる。


「おや、いらっしゃい」

「こんばんは」


 青年は『Lazy』のドリンク類をメインで仕入れている酒屋の次男坊、清和きよかずくんだった。

 現在は会社員で実家も離れているが、学生時代は配達や店番などよく手伝っていた。現在も休日などはたまに手伝いにきているようだ。

 彼はぺこりとぼくに頭をさげてから「おまたせ」と無表情な彼女のとなりに腰かけた。

 なるほど、そういうことか。たしかに恋人は酒屋の息子だといっていた。


「聞けた?」

「まだ。今だいたい話したとこ」

「あ、そうなんだ。タイミング悪かったかな」

「あと十分くらい外で待ってる?」

「え、外寒いんだけど」

「冗談よ」


 彼が客としてくるのは今日がはじめてだ。

 彼女もいっていたが、清和くんはお酒が飲めない。普段、バーという場所に足が向かないのは当然だろう。

 しかし彼がアルコールを受けつけないからこそ、家業である酒屋にはノンアルコール飲料が充実するようになり、彼の父である店主いわく『それが客層を広げることになった』というのだから、なにが幸いするかわからないものである。


「じゃあぼくから聞いちゃお。ねえ、マスター。どう思います? ぼくの両親は彼女のことを否定すると思いますか?」


 またずいぶんと面倒なことを聞いてくれる。おそらくは、彼の両親を知っている第三者ということで質問相手にぼくがえらばれたのだろうけれど。


「どうでしょうね。頭ごなしに人を否定するような方たちではないと思いますが」


 それはあくまで商売上のつきあいから感じることであって、『息子の恋人』に対してどんな態度に出るかなどぼくにわかるはずもない。


「先ほどぼくに聞かせてくれたように、まずは彼女自身の口から話してみるしかないのでは。少なくとも聞く耳は持っているご両親だと思いますよ」


 それもやはりぼくが感じる印象でしかないけれど。

 清和くんと彼女は無言で顔を見あわせた。それから同時に正面、ぼくのほうに顔を向ける。ぼくはなにかおかしなことをいっただろうか。


「マスター……」

「すごい」


 またしめしあわせたように、二人はほぼ同時に口をひらいた。二人が仲よしなのはぼくにもよくわかった。


「キヨくん、もしかしてマスターに根まわしした?」

「してないよ!」

「だって、キヨくんとまったくおなじこといってるじゃない」

「うん、ぼくもちょっとびっくりしたけど、ほらいっただろ。うちの親、単純ていうか、わかりやすい人たちだから」

「そういう問題なの?」


 どうやら、息子から見た両親の人物像と、他人であるぼくから見た夫妻の人物像が一致していたということらしい。


「マスターからもいってくださいよ。ぼく、根まわしなんかしてませんよね」

「まあ、そうですね。された覚えはありませんけど、こういうときって否定すればするほど嘘っぽくなりませんか」


 これはなんなのだろう。事実を訴えれば訴えるほど嘘っぽくなる現象。そうなると誤解を解こうとしても解けないし、場合によっては冤罪がつくりあげられることもある、恐るべき現象である。

 それはともかくとして、なんとなく、清和くんが彼女の無表情を『ツボ』だというのがわかるような気がした。

 豊かなのだ。無表情なのに。彼女はとても豊かだ。


「わかった。信じる」


 しばらくのあいだ清和くんとぼくを交互に見つめていた彼女は、やがてこくりとうなずいた。


「よかったー。さすが、レイちゃん」


 人間というのはおもしろいものだと思う。

 声のトーンや視線、手の動きや身体の角度にもその人の気持ちがあらわれるものだが、それはたとえ表情筋が死んでいても伝わるものらしい。むしろ表情が動かないからこそ、全身から伝わるものがあるのかもしれない。


 彼女の心はたぶん今もちゃんと動いている。だが、本人はそれをほとんど知覚できていない。

 おそらくは、多感な時期に受けた恐怖だったり心ない言葉だったりが原因となったのだろうけれど、なにがどう絡まってこんなふうになったのか。

 いっけん無表情な彼女の、無自覚な豊かさ。相反するある種の歪みが彼女独特の魅力になっているような気がする。


 とじた心はひらかねばならない。心にまとった鎧は脱がねばならない。ありのままでいいといいながら心をひらけと迫る。それがよいことだと信じて疑わない。時折そんな人間に出くわすことがあるけれど、日常生活に支障がなく、それで本人が楽に生きられるなら、心に鎧を装着していようが頑丈なカギをかけていようが本人の自由だろう。

 ぼくなどは感情が薄いだけでべつに心をとざしているわけではないのだけれど、そう思ってくれない人間もいる。そして運悪くそういう相手に遭遇してしまうと、本心が見えないとか素顔を見せろとかいわれたりするのだ。こちらとしてはこれが『ぼく』なんですけど、としかいえないわけだが、『とじている』『隠している』と思いこんでいる人間には信じてもらえないから厄介だ。

 彼女も、護身のために笑顔を封印したのだとしても、それを他者が無理にとり戻させようとするのは違うように思う。

 清和くんはその点、相手がとじていても『ほうっておける』人間、いいかえるならば、ほんとうの意味で相手を尊重できる人間なのかもしれない。


「あのー、マスター。ここ、バーですよね」

「看板では、そうですね」


 首をかしげている清和くんが見ているのはメニュー表である。


「肉じゃがとかさばの味噌煮とか、メニューが定食屋なんですけど」

「よくいわれます」

「ここってもしかして、お酒飲めなくてもウエルカムな感じですか」

「それはもちろん」

「なんでいってくれないんですか!」

「聞かれなかったので」

「ええぇ……」


 ぼくが店をだす際にバーという形態をえらんだのは単純に朝が弱い夜型人間だからだ。

 特別酒にこだわりがあるわけではないし、料理にしても一生懸命に修業して——なんてのはごめんである。いろんな面でバーという形態がぼくには都合よかった。それだけである。


「ご両親はご存じですよ。たまにお客としていらっしゃいますから」

「えー。兄貴は」

「ご存じですね」

「マジかー」


 彼と家族の違いは酒が飲めるか否かなので、たぶん意図的に隠していたわけではないだろうが、清和くんとしてはショックだったらしい。なんだか微妙にへこんでしまった。


「キヨくん、どんまい」


 へこむ彼をおかしな迫力を持った無表情で励ます彼女。なかなかにシュールな光景である。

 清和くんの顔がふにゃと笑った。

 いいカップルだ。


「ありがと、レイちゃん。あ、マスター! 彼女のことはまだ親や兄貴にはいわないでくださいね。話すのこれからなんで」


 この二人ならきっと大丈夫だろう。どう転んでも手をとりあっていけそうな感じがする。ぼくは「わかりました」とうなずいて、二人は仲よくメニューえらびにとりかかった。


     (護身の末——おしまい)


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