第2話

 一瞬でジト眼になったハーティアに気付くことなく、グレイは謎の美女へと近づき、スンと鼻を鳴らす。


「この匂い……まさかとは思うが――ビアンカか?」

「えぇ。覚えていてくれたようで何よりだわ」

「勿論、覚えているに決まっている。毎年誕生する新しい命は、全て等しく、我が子同然。随分と大きくなったな」

「最後に会ってから、何年経っていると思っているの。もう、五十年以上は優に経っているわ。私だっていつまでも子供なわけがない」

「あぁ、そうだな。歳をとるとどうにも五十年などあっという間に感じられてしまうから、忘れてしまう。だが、定期報告でも、お前の話は聞き及んでいたぞ。ヤード家の神童と呼ばれ、期待されていると」

「そう。それは光栄ね。……おかげで、この若さで役割を勝ち取れたわけだけれど――」


 言葉を切って、純白のクールビューティーは、ジロリ、と意味深な視線をハーティアへと投げる。


「説明してくれる?……どうして、アレが貴方の匂いを纏って、寝室で裸で寝ているの?」


 藍色の瞳が不機嫌に眇められるのを見て、パチリ、とグレイが目を瞬く。


「あぁ――すまない。ついうっかり忘れていた。白狼には、最低限の<夜>との顛末を伝達しただけで、ティアについては一切触れていなかったな」


 何せ、事件解決後は、一秒でも時間を惜しんでハーティアと肌を重ねていたのだ。やっと時間が出来れば、事件の後始末に追われていた。

 グレイの中の優先順位は、ハーティアと<狼>種族全体の安寧が圧倒的な第一位だ。

 北の果てに棲んで独自の文化を築いているが故に、全くこの件に関与しておらず日々穏やかに暮らす同族に、出来事の顛末を詳細に報告することは、どうしても優先順位が落ちてしまうのも仕方がなかった。


「賢いお前のことだから、想像はついているだろう。――私の愛しい、唯一の番だ。ハーティア・ルナンという」

「………………どうも。ハジメマシテ」


 優しく蕩けるような最高の笑みで紹介されるも、ハーティアの頬は引き攣ったままだ。

 グレイが女心に疎いことなど、百も承知だったが――はやく、先ほどの問題発言について詳細な解説をしてくれないか。


「番……ですって……?」


 ビアンカは、ぐっと不愉快の極み、と言わんばかりに顔をしかめた。


「白狼じゃないわよね?どこの<狼>を番にしたの?」

「ティアは、元々は<月飼い>だ。私が守護する北の――」

「ふざけないで!」


 グレイの言葉を遮り、バンッとビアンカは顔を真っ赤にして手近な机を叩く。


「それじゃあ――それじゃあ、私はどうなるの!!?」

「ふむ。……わざわざ来てもらったところ大変申し訳ないが――番ってしまった以上、私はハーティア以外の雌と繁殖行為をしたとて、子を成すことは出来ない。帰ってもらうしかないな」

「何ですって!!?」


 雪のように白い肌が、怒りに染め上げられている。

 冷静沈着なクールビューティーかと思っていたが、意外と激情家なのかもしれない。


「私が、一体どれだけの期間、血の滲む努力してきたと思っているの!?」

「いやそれは――」

「子を作れるようになるまで、必死に身体の成長を待って――資質は十分と言われながら、身体の成長を理由に、毎年他の女を見送るしかないやりきれなさが、貴方にわかるの!?」

「ふむ。しかしだな――」

「ずっと、ずっと、貴方に認めてもらうために私は――!」

「落ち着け、ビアンカ。お前を認めていないなどとは言っていない」


 グレイは困った顔で、興奮して涙目になる美女をなだめる。


「第一、勝手すぎるのよ!いつだって、白狼の群れには思い出したようにしか帰ってこないくせに!」

「それはすまない。だが、定期的に報告は受け取っている。私が不在の間、代理で群れを纏めてくれている者には、万が一の場合はいつでもこちらへ来れるよう手筈も整えてある。決して、お前たちをないがしろにしているわけではない」

「それでも――っ、それでもっ……!じゃあどうして、ヒトなんかを番にしたの!」

「それは――」

「今まで誰とも番わないと明言していたのにっ……同胞の白狼ではなく、他の<狼>ですらなく――よりによって、ヒトだなんて……!貴方は、<狼>種族の長である自覚が足りないわ!」

「ふむ。これはなかなか手厳しい」


 困ったように苦笑して、グレイはビアンカの言葉を受け入れる。

 反論することはいくらでも可能だが、今の興奮状態にあるビアンカには論理的な主張は無意味だと思ったのだろう。幼子が泣きながら八つ当たりするのを受け止める懐の深い年長者然とした様子で、優しい瞳でビアンカを見守る。

 それにさらに怒ったのか、ビアンカは美しい白い頬に涙を伝わせながら、唾を飛ばしてグレイをさらに糾弾する。


「貴方の遺伝子は、優秀な個体を残す、特別なものなのよ!他の<狼>たちとは一線を画した特別な存在なの!」

「……ふむ」

「それを、脆弱なヒトごときに与えると言うの!?<狼>種族のために、優秀な種を残すと言う長の責務から逃げるつもり!?」

「逃げてはいない。当然、ティアとも子を成していく。だが――規格外の長寿を得たティアが身体を成長させ、子を成せるようになるまでは少し時間がかかりそうだ。お前が生きているうちに、私が責務を果たすところを見てもらえるかは賭けだな」

「っ……!」

「……言いたいことは全てか?」


 黄金の瞳が、少し寂しそうに、若い<狼>を見る。

 まるで、赤子が大人に反抗しているかのような無力感に、ビアンカはぐっと言葉に詰まった後、ハーティアへと振り返る。

 涙に濡れた藍色の瞳に、明確な殺意にも似た敵意が浮かんだ。

 ひゅぅ――と風が啼くような音がして、ビアンカの右手に徐々に不可視の力が集まっていく。


「この番を殺せば――グレイは再び――!」

「――――――――ビアンカ」


 ぞくりっ……と背筋を震わす、低い声が室内に響いた。

 見ると、グレイが後ろからそっとビアンカの右手を制すように捉えただけで、集まりかけていた力は跡形もなく霧散してしまったようだった。

 黄金の瞳が、冷ややかに――その奥に確かに燃える昏い炎を湛えて――同種の<狼>を見据える。


「長の責務だ。きちんと説明をしなかったことは悪かった。近いうちに、私が直接群れへと赴き、必ず、白狼が皆納得するように、心を尽くして説明すると約束しよう。それでも納得が出来ぬと糾弾される分には構わない。白狼の族長として相応しくないと言うのなら、それも甘んじて受け入れよう。だが――」


 言葉と表情は淡々と落ち着いていて、そっと添えられただけの右手は決してビアンカの身体を拘束するようなものではないのに、彼女は指先一つ動かすことが出来なかった。


(こ――こわ、い――!)


 顔を見なくても、後ろから本気の殺気が飛んできているのが嫌でもわかる。恐怖で、振り返ることすら出来ないのだから。

 真冬だと言うのに、長身の頭の先から足のつま先まで、全身じっとりと汗で濡れそぼっていくのを感じる。


「ティアに危害を加えることだけは許さん。何者かがティアを脅かすと言うのなら、私は<狼>の長ではなく、一人の愛する番を持つただの雄として、その敵と対峙する。例え同胞が相手であっても、容赦はしない。我が子同然の<狼>らであっても、だ。どんな弁解も、命乞いも、決して聞き入れぬ。……それをよく、覚えておけ」

「っ……は……は、い……」


 ガタガタと恐怖に身体を震わせながら、歯の根が合わないまま必死に返事を返す。

 グレイは小さく息を吐いてからそっとビアンカの手を解放する。


「今日のお前は、冷静さを欠いているようだ。一度、群れに帰ると良い。近日中に、私も群れへと向かうから、準備をしておくよう、皆に伝えてくれ」

「っ……!」


 泣きながらこくり、と小さく頷くと、再びどこからか、ひゅぅ――と風が啼く音が聞こえた。

 程なくして、ふぉんっ……と小さな音共に、長身美女の姿が掻き消える。戒で転移をしたようだ。


「全く……候補者選出試験の合格基準には、私の番に対する考え方に意見しない、という項目があっただろうに……審査したものに苦言を呈さねばならんな。神童と言われていても、やはりまだ精神的には幼い子供か」


 完全にビアンカの姿が掻き消えた後、困ったように言いながら、グレイはハーティアを振り返る。


「すまなかった、ティア。怖かっただろう。……大丈夫だ。どんなことがあっても、お前の身は私が必ず守――」

「――グレイ」


 いつものように砂を吐きたくなるほど甘い声で甘い言葉を口にするグレイを遮り、にこり、と笑ってハーティアは口を開く。

 有無を言わさぬその空気に、ぴくり、とグレイが動きを止めた。


「――――お座り」


 笑顔のままこめかみに青筋を浮かべて、ハーティアは問答無用で床を指さしたのだった。

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