だから汐見麻希は見過ごせない

「佐波黒……プリントはどうした?」

「やっていません」


 三限の授業終わりの直後、数学の男性教師から呼び出しを食らってしまい、休み時間だというのに教室の前で詰問をされている。


「次の授業までにやってくるよう連絡していたはずだが?」

「その日、俺学校休んでました」

「しかし汐見が家まで行ったらしいじゃないか」


 あの女……本当に余計なことを……。俺の休みを無下にしやがって。やはりあの日は居留守を使うべきだった。過去に戻れるのならすぐに戻りたい。

 自分の行動を悔やんでいると、先生が教卓に体重をかけながら溜息を吐く。


「まあ……休んで授業を受けられなかったのなら……プリントの内容は少し難しかったかもしれない。明日まで待ってやるから、友達にでも解き方を教えてもらいなさい」

「はぁ、分かりました」


 先生に覇気の無い返事をしてから席へと戻る。


 あの先生はやるまでとことん追いかけて来そうなタイプだ。目がそう言っていた。

 流石にやらないと次は職員室まで呼び出される予感がする。でも俺には友達がいないので教科書やワークを首っ引きでやろう。気が向いたらな。


 要らん予定が増えてしまい、俺も溜息を吐きながら机の上に広げただけの教科書とノートをたたんだ。


「佐波黒くん」


 今度は何だ? 次の授業で使う教材を探そうかと思ったとき、後ろから声をかけられた。

 やや腹立たしく振り返れば、そこには見知った姿が直立し俺を睨み付けていた。


「私、ちゃんと伝えたわよね、次の授業が提出日だと。なぜやってこなかったの」

「やる必要がないと思ったから」

「課題なんだからやるのは当たり前でしょ!」


 なぜ先生のあと、生徒から怒られなければならないんだ……。


 納得いかないまま汐見のお説教は続く。身振り手振りを交えて何かを必死に訴えているみたいだが、彼女の声を右から左へと受け流して机の中を覗き込み教科書を探す。


 ごちゃごちゃと適当に積まれた教材に手を突っ込み、何回か違う物を手に取ったのち、お目当ての物を見つけた俺は引っ張り出した。


 次の授業場所は第二化学室。少し早いがそこへ向かおうと教室を後にしようとしたが、未だ汐見は口を動かし続けていた。

 飽きもせずよく喋る奴だ……。


「佐波黒くん? 聞いてる?」


 汐見が前のめりになって俺をジッと見据える。


「……ていうか、なんで俺にだけ付きまとうんだよ。他にもやってない奴いただろ……休んでもないのに」


 俺はたまらず頭を掻きながらそんなことを言った。すると汐見は長い黒髪を払って腕を組み、改めて俺に鋭い目線をくれた。


「その人たちにもちゃんと忠告しているわ」

「お前マジかよ……。なに、先生と役割分担してたの? 暇人なの?」

「むしろ忙しいわよ。佐波黒くんみたいな人の世話をしてるのだから」


 自分の利益にも相手の利益にもならないことをよくも一人でできるな。ほんとにコイツのことが理解できない。


「だったらほっといてくれりゃいいのに……」


 吐き捨てるように言ったただの言葉。それに対して、彼女はどこか回顧しながら正面を向いて答えた。


「一人の怠惰な行動がクラスの規律を乱してしまうの。人はどうしても楽な方向へと進みたがってしまうから、あなたのような不真面目な態度が段々と集団を怠けさせていく。だから、一人残らず更生していかなければならないの」


 更生って……コイツは俺のことを囚人だと思っているのか? 

 それに彼女の言い方ではまるで、俺がクラスにとって悪影響な存在だと言っているみたいじゃないか。


 断じて、俺は悪影響ではない。

 というか俺は基本的にクラスメイトから存在を忘れられるほど影響力が無いので杞憂だ。俺はいてもいなくても同じ。


 そして、集団のほうがよっぽど悪ではないか。

 一人では意思決定のできない者たちが群れるのだから集団は個の判断を鈍らせる。選択の責任を自分で背負うことができないから、一人を生け贄にして集団を正当化させる。

 悪い方向へ行ってしまうのは集団に属するそれぞれの個だというのに。一人でいる奴は、俺は何も悪くないのに。どうしていつも多数派は正しいという風潮があるのだろうか。


「――佐波黒くん。佐波黒くん?」


 いつの間にか汐見の顔が近くにあり、彼女は俺を覗き込むようにしていた。

 間近で彼女の顔を見てみると、肌が白いなとかまつ毛長いなとかどうでもいいことに気がつく。


「なにボーっとしているの? 早くしないと次の授業が始まっちゃうわよ」

「……はいはい」

 

 軽く返事はしておいて、俺は歩き始める。

 教科書やらノートやら必要な物を持って教室を出る際に、汐見が不機嫌そうに後ろからついてくるのがわかった。


「……なに? その生半可な返事は。本当に反省の色が見えないわね……」

「だって反省することがないからな」


 頭痛でもするのだろうか、汐見は額に手を当てて悩まし気に目を閉じる。


 ほら俺学校休んでたし、先生は明日まで待つって言ってたし、別に反省する必要はないよね。

 心中で自分に言い聞かせつつ、春風通る渡り廊下を進むのだった。

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