第42話
「お父さん、こんなところで何してるの」
氷岬が氷岬の父親の登場に眉を顰める。
「私は夜勤だからね。昼間は暇しているんだ。娘の様子が心配になって見に来たって不思議じゃないだろう」
「まったく。本当に困ったものだわ」
氷岬がこめかみを抑えながら、溜め息を吐く。
「それよりどういうことだ。雪姫、お前は拓海くんと付き合っているんじゃなかったのか。そこの男の子と親しくしていたようだが」
そう言って氷岬父は駿を見る。駿は突然の氷岬父の登場に事態を飲み込めていないようだった。
「この人は、金子くんはただのお友達よ」
「がーん」
なんだかわからないが駿がショックを受けている。
「本当にそうなのか。拓海くんを放置して話し込んでいたじゃないか」
「それは……」
氷岬が言い淀む。だが、溜め息を吐くと、観念したように言った。
「ちょっと拓海くんをからかっていただけよ。嫉妬してほしかったの」
そう言って氷岬が珍しく顔を赤く染めてぼそぼそと言う。
そうだったのか。じゃあやけに駿と親しくしていたのも全部、俺に嫉妬させる為だったってことか。不覚にも可愛いと思ってしまった。
「そういうことか。それは悪いことをしたね」
「そうよ。お父さんのおかげでネタバラシしちゃったわ。台無しよ」
氷岬は肩をいからせながら、氷岬父に文句を言う。
しかし、まさか氷岬父がこんなストーカー気質の人間だったとは。いや、初対面からそういう気質は見てとれたか。
いつ、どこで見られているかわからない以上、油断できないな。少なくとも家の外では氷岬の恋人の振りを続けなくちゃいけなくなるということで。
それって渚との時間が減るってことでは? それはダメだろう。氷岬父は氷岬のいる場所に現れる。俺が単独で動いているときは、尾行なんてしないはずだ。だったら、恋人の振りをするのは氷岬と一緒にいる時だけでいい。
そう結論を出した俺は厄介ごとがまた一つ増えたと溜め息を吐く。氷岬を連れて帰らせない為に、やれることはやっておこう。
「氷岬、そろそろ許してくれ。俺はもう十分に嫉妬したよ」
咄嗟に即興芝居を演じる。まあ嫉妬したのは本当で嘘ではないので、芝居というのも変な感じはするが。
「そう。だったらやめるわ」
そう言うと、氷岬は腕を絡めてくる。氷岬父に恋人らしいところを見せつける。これでも学校では未だにバレていないのだ。慣れたものだ。
「そうか。私の勘違いか」
氷岬父は納得したのか、踵を返す。
「また様子を見に来る。気を付けて帰りなさい」
そう言って氷岬父は去っていった。いったいなんだったんだ。
「ふー、危なかったわね」
「お前の親父、やばすぎだろ」
「余程私のことが心配なのね。そんなに心配になるのなら捨てなければいいのに」
「まったくだ」
突然の氷岬父の襲来を乗り切った俺たちは、二人して苦笑する。
「それで、そろそろ事情を話してもらえるんだろうな。ここまで完全に無視されてたけど」
気付けば、駿が唇を尖らせる。
「悪い。完全に存在を忘れてたわ」
「ごめんなさい。うちの父の奇行に巻き込んでしまって」
氷岬が頭を下げる。
「へえ。じゃああれが氷岬さんを捨てたっていう親父さんなわけだ」
「そういうことになるわね」
それから、俺たちは駿に先日の氷岬父の襲来事件の話をした。そこで何があったのか、恋人の振りをすることになったという経緯を駿に話した。
「なるほどね。まーた、嘘に嘘を重ねたわけだ、お前は」
駿の避難がましい目が俺に向けられる。無理もない。駿は俺に氷岬への好意を話しているのだ。それを知ったうえで俺は氷岬の恋人の振りをすると言い出したのだから。
「まあでも、俺も氷岬さんが悲しい思いをするのはごめんだね。だから、せいぜいバレないように頑張れよ」
「ありがとう、金子くん」
そんな話をしながら歩いていると、家に着いた。駿はもう少し先になる。
「じゃあな、拓海、氷岬さん」
「さようなら金子くん」
「今日は悪かったな、駿」
「拓海にはまた今度話がある」
「……ああ、わかってる」
駿は手を振って帰っていった。俺と氷岬は家に入ると、リビングで向かい合う。
「拓海くん、お願いがあるの」
「わかってるよ。外で一緒にいる時は恋人の振りをしてくれって言うんだろ」
「話が早くて助かるわ。私は遠慮しないわよ。頼れるものは頼るから」
「俺が言い出したことだろ。言ったからには責任は取る。だから安心しろ」
「うん。そうね。あの時の拓海くんは本当にかっこよかったから」
氷岬が上目遣いで俺を見る。俺は顔を逸らしながら、洗面台へ逃げ込んだ。顔に水を浴びて、頭の中のもやもやを振り払う。乾いたタオルで顔を拭きながら、胸の中に生まれた歪みに頭を悩ませる。
どんどんと逃げられない方向へ追い込まれているような気がする。俺の氷岬に対する感情はこのまま制御していられるのだろうか。
今築いている関係を維持し続けることができるのだろうか。
それともいずれ壊れてしまう日がくるのだろうか。今はまだわからない。
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