第39話
言ってやった。清々しい気分だ。氷岬を見捨てて自分たちだけ逃げた親に、俺は本当のことを言った。だが、この発言を真実だと受け取るのは氷岬の父親だけだろう。
なぜなら俺と氷岬はただの恋人の振りをしているだけの関係だから。氷岬も俺の言葉は聞き流すだろう。
「本当かね」
氷岬の父親がうろたえる。娘のことを好きだと言う男に出会った時の父親の心境なんぞ、俺が知る由もないことだが、いい気味だ。少しは留飲が下がる。
「拓海くん……」
氷岬は俺を見つめて固まっている。どうした。ここは乗っかってきてくれていいんだぞ。
「俺たちは付き合ってる。だから氷岬がここで暮らすことに俺が迷惑に思うことはない」
俺は氷岬の手を取る。するとようやく氷岬の目に光が宿り、俺の腕を組んできた。
「そうよ、お父さん。私、この拓海くんと付き合っているの。拓海くんのお父さんにも一緒に住むお許しをもらってるの。だから、私はまだここを離れたくないわ」
そう静かに告げた氷岬の表情は、火照っていた。どうやら先程の俺の告白を真に受けたらしい。これが振りだというのはわかっているのだろうが、一瞬驚いたのだろう。悪いことをしたな。でもこの父親を納得させるには一番いい手だと思ったから。
俺もまだ氷岬にこの家から出て行ってほしくない。氷岬には笑っていてほしい。父親と一緒に行ってそれが叶うのならそれでもかまわないが、さっきの表情を見ればその答えは明白だ。
「付き合ってるって、君ら、まさか良からぬ関係になっているのではあるまいな。家に置くことを条件に体を要求したりしてるんじゃないだろうな」
その時、乾いた音が響いた。氷岬の平手打ちが、父親の頬を捉えたのだ。
「さっきも言ったでしょ。拓海くんはそんな人じゃないし、私たちは清いお付き合いをしているわ。これ以上、恥の上塗りはやめてちょうだい」
「……私はただ、お前を心配して」
氷岬の父親が打たれた頬を抑えながら、言い訳がましく言う。
「私を心配するなら、始めから捨てないでほしかったわ」
「すまない。それは本当に私たちが悪かった。だが、君たちはまだ十代の高校生だろう。そんな二人が一つ屋根の下で同居というのは常識から考えてもよくはないだろう」
「お父さんが常識を語るのね」
「……」
有無を言わせぬ氷岬の返しに、氷岬の父親は押し黙る。
「とにかく、君らが清い付き合いを本当にしているのか、口だけでは信用できない」
「口で信用してもらうしかないな」
「私はこれでも一応雪姫の保護者だ。私が連れ帰ると言えば、雪姫は帰らねばならないのは君もわかるね」
「それは……」
そこだけは反論できない。どんなに親子関係が崩れていようと、この人は氷岬の保護者だ。その保護責任を放棄したことについては氷岬がうちに泊まったことで明るみになっていない。白を切り通されればそれまでだろう。
「だが、私も娘を信頼できる場所になら預けてもいいと思う」
「どの口が言ってるんだ。氷岬を捨てたくせに」
「私はもとから反対だったんだ。雪姫を置いていくなんて。だから連れて行くように言ったが家内が聞かなかった」
「でしょうね」
「でしょうねって、このおっさんの言ってること信じるのか」
「信じるもなにも事実でしょうから。この人が私を愛しているのは一応本当だと思っているわ。嫁に頭が上がらなかったのは知っていたけど、まさか私を捨てる判断をするとは思わなかったけど」
「私は住む場所さえ見つければ、すぐに迎えに行くつもりだった」
「その期間の氷岬はどうさせるつもりだったんだよ」
気付けば俺は机を強打し怒鳴っていた。あまりにも自分勝手すぎる。それで氷岬がどれほど傷ついたかなんて考えもしていない。親失格だ。
「いいの、拓海くん。怒ってくれてありがとう」
氷岬に肩を抱かれ、俺は渋々引き下がる。
おかしいよ。この親も、氷岬も。俺なら絶対に許さない。
「それで、お父さんが私をここに預けてもいいと思える条件は何」
氷岬が問う。氷岬の父親は人差し指を立てると、おごそかに言った。
「私を一週間、ここで泊めてくれないか」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。泊める? この父親を?
「ちょっとお父さん、いくらなんでもそれは」
「無理なら雪姫を連れて帰る。私を一週間泊めてくれるというのなら、その期間に私は君らの関係を把握し、君らの言葉に嘘偽りがないかを判断する。よく考えて決めなさい」
「そんなの俺の一存じゃ決められないぞ」
さすがに赤の他人を泊めるのは非常識だ。この父親は俺たちに常識がどうのとかいうくせに自分のことはまるで棚上げだ。
「なら、この話はなかったことにしてくれていい」
そう言って氷岬の父親が氷岬の手を取った。それを見た瞬間、俺はもうどうにでもなれとう心境で制止を掛けた。
「待った。いい。泊める。泊めるさ。一週間だろ。いいよ泊めてやる。だからしっかりとその目に焼き付けな。俺と氷岬が信頼できるってところをな」
「ちょっと拓海くん、いくらなんでもそれは」
氷岬が残念そうに嘆息する。わかっている。普通に考えて大迷惑だ。そんな大迷惑をかけてまで氷岬はこの家にいたいと思うだろうか。思うだろう。俺の勝手な思い込みだ。ああ、そうさ。これは俺の思い込みだ。だから俺の思った通りにやる。
「いいんだね」
「ああ、いい。男に二言はねえ」
俺はそう言って氷岬の父親を睨み返した。氷岬の父親も少々面食らっていたが、やがて穏やかに笑った。
「冗談だ」
「……は?」
「当たり前だろう。私なんかを泊めることなんてできるはずがない。私は仕事もあるんだ。ここからじゃ通えない。今のは君を試しただけさ」
そう言って氷岬の父親はイラっとする表情でにやりと笑った。
「君を信頼しよう。娘をこの不出来な親に代わってよろしく頼む」
そう言って頭を下げる氷岬の父親。その頭を殴ってやりたい衝動に駆られながらなんとか抑えた俺は、深く溜め息を吐く。
「任せとけ。あんたらと違って氷岬を寂しくないようにしてやらあ」
そう吐き捨てると、氷岬の父親は高らかに笑った。
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