第24話
体育祭も終わり、また日常が戻ってくる。氷岬は足を痛めている為、タクシーで登校しているが、俺はいつもと変わらぬ徒歩登校だ。
週末には汐見とのデートも待っている。今週はそれを考えただけで乗り切れそうだ。
「おはよう、藤本くん」
「おはよう汐見」
学校に着くと、汐見が声を掛けてくる。ああ、今日も汐見は可愛いな。笑顔が天使だ。
「氷岬さん、足は大丈夫?」
「ああ、しばらくはタクシーで登校させるから大丈夫だよ」
「そっか。でも困ったことがあったらいつでも声掛けてね。その」
そう言うと汐見はそっと俺の耳に口を寄せてくる。
「……ふたりの秘密を知ってるのは私だけなんだから」
汐見の囁く声に耳が震える。なんだこれ。すごい不思議な感覚だ。
「ああ、ありがとう。恩に着るよ」
「うん。あと今日は私たち日直だからよろしくね」
「ああ、そうだったか。よろしくな」
汐見と日直か。日直の仕事はそれほど多くはない。移動教室の際の戸締り、黒板消し、それから学級日誌をつけること。それぐらいだ。だが、汐見と一緒になにかをするというのがもうテンションが上がる。
氷岬の宣戦布告から俺は警戒を怠ってはいない。氷岬が俺と汐見の仲を邪魔してくるかもと注意を払っているが、今のところそんな素振りはない。
1時限目が終わる。次の授業は移動教室の為、生徒たちは次々と教室を出て行く。氷岬は足を引きずりながら教室を出て行こうとする。
「黒板消しは私がやっておくから行ってあげて」
汐見が俺にそう言う。本当に優しい子だと思う。
「すまんな。さすがにあれを見て放っておくわけにはいかないからな」
そう断って、氷岬のもとに向かう。
「ふふ、やっぱり来てくれた」
「こんなの見せられたら放っておけないだろ」
「せっかくの汐見さんとの日直なのにね」
「それは確かに残念だが、それとこれとは話が別だ」
俺はそう言うと氷岬に肩を貸す。氷岬は体重を俺に預けてふっと息を漏らす。
「楽になったわ。ありがとう拓海くん」
「おい、氷岬。当たってはならないものが当たってるんだが」
「当てているのよ。それぐらい察しなさい」
氷岬は照れることなくそう言うと、微笑んだまま足を動かす。こうした氷岬との距離感を見れば、誰だって恋人だと信じて疑わないだろう。まんまと氷岬の策略に嵌っている気がするな。
向かう先は美術室だ。階段を上っていかなければならないから、転倒しないように体を支えてやる必要があった。
無事に美術室に着いた俺は氷岬の席まで連れ添う。周囲から指笛が吹かれ冷やかされるがもうそれも気にならなくなってきた。
俺は自分の席で授業が始まるのを待っていると汐見が遅れてやってきた。
「黒板消し任せて悪かったな」
「ううん、言ったでしょ。困ったことがあったらなんでも言ってほしいって。氷岬さん移動教室のときは大変だろうから藤本くんが手伝ってあげて」
友達のひとりでもいりゃ、俺が手伝う必要もないだろうに。残念なことに氷岬には友達と呼べる存在が見当たらない。最近、汐見とは打ち解けてきたみたいだが。
「今日の授業って確か2人1組になって互いにデッサンする授業だったよね」
「ああ、そうだな。俺と汐見がペアだったはずだ」
「そっか。なんだか恥ずかしいな。藤本くんに描かれるの」
汐見がもじもじと体を捩る。俺も恥ずかしい。でも、汐見を正当な理由でガン見できるチャンスだから俺は張り切っている。問題は俺は絵の才能がとことんないことだ。俺の下手くそな絵を汐見に見られるわけにはいかない。
そうこうしているうちにチャイムが鳴り、美術教師が入ってくる。今日の授業内容を説明し、2人1組のペアとなる。
俺と汐見は互いに向かい合い、緊張しながら鉛筆を握る。
「その、よろしくね、藤本くん」
「あ、ああ。こちらこそよろしくな汐見」
そう言って作業に取り掛かる。汐見な滑らかなタッチで、慣れた手つきで俺とスケッチブックを交互に見ながらデッサンしている。俺はと言えば、そんな汐見の様子を見つめたまま、全く作業が捗らない。
長いまつ毛、艶めく唇。相変わらずミディアムの黒髪がよく似合っている。胸はそこそこあるし、女の子らしい体つきをしている魅力的な女子だ。ああ、可愛い。俺にひとつだけ能力があるのならこの可愛さを描ける画力が欲しかった。
「……大丈夫、藤本くん、まったく手が動いていないけど」
そうやってガン見していたら汐見に突っ込まれた。見すぎましたすみません。
「悪い。俺絵描くの苦手でさ。どこから描き始めたらいいのかわからないんだ」
「そうなんだ。ふふ、藤本くんにも苦手なことがあるんだね」
「当たり前だ。俺は神様でもなんでもないぞ。まあ、だからその汐見の可愛さを俺は表現できないと思うんだよ。俺が描いたら化け物が生まれちまう。そんなの汐見も見たくないだろ」
「…………」
「どうした汐見」
「ううん、なんでもない」
汐見は顔を赤くして俯いてしまった。今のその表情も可愛い。そっと抱きしめて頭を撫でたい。おっと、欲望がダダ漏れだ。自重しないと。
「まあ、そんなわけでなかなか描く勇気が出ないってとこだ」
「そっか。うん、だったら、私がアドバイスするよ。まずは輪郭から描いて、その次に目を描いてみて。目の位置や大きさを調整しやすいから。あとはデッサンする対象をよく観察することかな」
「おう、わかった」
ちっ、言い訳して書かないでおこうと思ったが思惑が外れてしまった。汐見にアドバイスをもらった以上、描くしかない。
俺はもう1度汐見の顔をよく観察する。
「汐見って本当に可愛い顔してるよな。いつまでだって見てられるぜ」
「…………」
「お、なんか顔赤くないか。唇も引き結んで、なんだか力が入ってるな」
「…………」
「汐見って仕草も可愛いよな。こう小動物みたいっていうか」
「だーっ、ねえ、これ何の罰ゲーム⁉」
汐見が耐え切れなくなったのか突っ込む。
つい興が乗ってしまった。
「あ、また可愛い表情が見れた。ラッキー」
「もう、知らない」
そっぽを向いた汐見は頬を朱に染めたまま、唇を尖らせる。
「悪かった。対象をよく観察しろって言われたから実行しただけだ」
「ふーん、途中からなんだか私をからかっていたでしょ」
「そんなことはない。俺は思ったことしか言ってないぞ」
「あっそ」
汐見がスケッチブックで口許を隠して上目遣いで俺を見てくる。その表情もいいね、ぐっとくる。やっぱり照れている汐見も可愛いな。
「それだけ観察したんならよっぽど上手に描けるんだろうなあ、楽しみだなあ」
「……努力します」
冷や汗が噴き出る。そんなもの、上手く描けるわけがない。俺は手先が不器用な男なんだ。俺に絵心があれば、汐見に頼み込んでスケッチさせてもらっていたことだろう。
俺は意を決して鉛筆を握る。汐見を観察しながら思い切って線を引く。汐見のアドバイスのおかげで、どこから描けばいいという悩みは解決した。だからといって急に絵が上手くなるはずもなく、完成したのは化け物だった。
「それじゃあ、お互いに見せ合いっこしよっか藤本くん」
満面の笑みでそう提案してくる汐見は絶対に怒ってる。ちょっとからかいすぎた。
「これが私が描いた藤本くん。上手く描けているかわからないけど」
そう言って汐見がスケッチブックを差し出してくる。見ると、そこには俺がいた。少し目つきの悪い人相の男。だけど悪い印象を与えない、凛々しい表情が描かれていた。
「どう、かな」
「すげえ上手く描けている。本物よりかっこよくないか、これ。汐見って絵上手いんだな」
「私なんてまだまだだよ。でも真剣に描いたよ。今回の作品はちょっと美化されてるかもだけど」
そう言う汐見が可愛くて抱きしめたくなる。汐見が俺をここまでかっこよく描いてくれたことに感動した俺は大袈裟に喜んでみせる。
「それで、藤本くんは私をどんな風に描いてくれたのかな」
ぎくり。俺は今すぐ踵を返して逃げ出したい衝動に駆られる。だがそんな隙も与えずに汐見が俺からスケッチブックを奪い取る。
「ふーん、これが藤本くんから見た私なんだ。嬉しいありがとう」
その声は棒読みで、笑顔がちょっと怖かった。
「悪かった、謝る。この埋め合わせは必ずする」
「そっか、じゃあ期待しようかな」
汐見は口の前で手を合わせ上目遣いでそう言った。
「ああ、期待しておいてくれ」
俺は自分からハードルを上げてしまう。
「もちろん週末のお礼は私が奢るから。それとは別だよ」
「ああ、わかってる」
こうして俺は汐見と1回目のデートに行く前から、2回目のデートの約束までこぎつけたのだった。うまくいきすぎて怖いぐらいだ。
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