第20話

 昼休憩も終わり、午後の部が始まる。

 午後の部最初の競技は二人三脚だ。俺と汐見は入場ゲートへ集合する。


「うまくできるか不安だよ」


 汐見がそう口にする。練習も一切していないのだからそう思うのも無理はない。俺だって汐見と初めてペアを組むのだ。緊張で上手くできるかなんてわからない。


「まあ、やるだけやってみようぜ」

「うん、出るからには頑張るよ。せっかくの藤本くんとのペアだし、いい思い出にしたいし」

「ん? 何か言ったか」

「ううん、何も」


 そんなやり取りを交わしながら、開始時間を待つ。しばらくすると入場曲が流れ、それを合図に俺たちは入場する。

 応援席を見れば、氷岬が手を握って見守っていた。あいつの為にも頑張らねえとな。

 スタートラインに着いた俺たちはスタッフから紐を受け取り、互いの足に結ぶ。


「きつくねえか?」

「うん、ちょうどいいよ。ありがとう」


 汐見のオーケーも出たので、紐の結び具合はこれぐらいでいいだろう。問題はここからだ。汐見の体に触れなければならない。


「じゃあ、準備しよっか」


 俺たちの番が迫ってくる。汐見のその一言に俺は頷き、汐見と肩を組む。大丈夫だろうか。俺の心臓の音は汐見に聞こえてやしないだろうか。そんな不安が頭をもたげてくる。


「やっぱり藤本くんの体ってがっしりしてるね」

「これでも男だからな。汐見も女の子らしい体だな」

「……もう、藤本くんのえっち」

「ああ、いやそういう意味じゃなくてだな。その、なんかすまん」

「ふふ、いいよ。お互いにこんなにくっつくことって今までなかったから緊張するよね」

「ああ、その通りだ」


 スタートを待つ時間を使って、俺と汐見はお喋りする。こうして話していると、少し緊張が解れてくる気がする。

 そう思っていたら汐見の次の一言で俺は背筋が凍る。


「氷岬さんとはくっついて寝たりしてたのかな」

「いや、それは」


 声がどもる。不意打ちすぎて言い訳のしようもない。


「嘘。冗談だよ。一緒に住んでる時点で色んなトラブルはあるもんね」

「そうなんだよ。そういうことにしておいてくれ」


 俺は冷や汗を拭いながら、汐見から目を逸らした。


「そろそろ始まるね。最初の一歩はどっちにする」

「右足で」

「了解だよ」


 競技の打ち合わせを終えた俺たちは準備が巡ってきたので、スタートラインで肩を組み、前傾姿勢を取る。


「位置について、よーい」


 ピストルの合図を受け、俺たちは「せーの」と声掛けし、最初の一歩を踏み出す。

 声でペースをはかりながら、俺たちは足を動かしていく。


 ――思っていたよりも、意気が合ってる。


 そう。汐見と俺の意気は絶妙だった。踏み出す足もぴたりと合い、ハイペースで加速していく。スピードを上げても汐見が遅れる様子はない。

 周囲を見れば、今のところ1位だった。


「いち、に、いち、に」


 欲をかかずにこのスピードを維持すれば十分に1位を奪える。そう判断した俺はペースを安定させる。

 結果、そのままの速度を保つことに成功した俺たちはそのまま1位でゴールする。


「やったあ、1位だよ、藤本くん」

「おお、やったな」


 喜んだ汐見とハイタッチを交わす。まさか汐見と練習なしで1位を取れるなんて思わなかった。


「私たち相性抜群だったね」

「ああ。汐見に頼んでよかったよ」

「ううん、こちらこそ誘ってくれてありがとう」


 もう1度ハイタッチを交わした俺たちは意気揚々と応援席へ引き上げる。応援席ではクラスメイトが1位を取った俺たちを労った。

 女子たちが汐見を取り囲み、祝福している。俺はその間に氷岬のもとへ勝利の報告に訪れた。


「氷岬、見ていてくれたか。勝ったぞ」

「ええ、見ていたわ。おめでとう」


 氷岬は俺から視線を逸らすと、ぶっきらぼうにそう言った。


「どうした。何かあったのか」

「何もないわ。最初から汐見さんと組めば良かったのにって思っただけ」


 どうやら拗ねているらしい。確かに氷岬とはあれだけ練習しても1位を取れるかどうかわからなかったのに、汐見とは練習しないで1位を取れたもんな。


「ああ、お前もそう思うよな。俺と汐見相性抜群に良かったんだよ」

「ふーん。そ。私は悪かったものね」

「お前が悪かったのは運動音痴なとこだろ。相性自体はそれほど悪かったとは思ってねえよ」

「でも、汐見さんには負けるわ」

「そりゃな。でもそんなに拗ねなくてもいいだろ」

「別に拗ねてないわ。私というものがありながらあなたが鼻の下を伸ばしていたのが気に食わないだけよ」

「あのなあ」


 俺は頭を掻く。めんどくせえ。俺は氷岬の為に頑張ったのに、当の氷岬は不貞腐れている。少しは労いの言葉があってもよさそうなもんだが。


「でも、汐見さんのおかげで拓海くんが出場できたのよね。そこは感謝してるわ」

「最初から素直にそう言えっての」

「あら、少しぐらい不満を口にしたっていいじゃない」

「俺は氷岬、お前の為に頑張ったんだからよ」

「本当に私の為? 大好きな汐見さんと一緒に走れて嬉しいとか思ってない?」

「思ってるが」

「ほら」


 それとこれとは話は別だろ。汐見と走れたのは嬉しいに決まってる。でも氷岬のことを思って走ったのも本当だ。どうすればわかってくれるだろうか。


「ひとつ言っておくがな。俺は汐見と走れたことも嬉しかったし、それで1位を取れたことも嬉しかったよ。けどな、本当はお前と一緒にゴールしたかったってのが本音なんだぞ」

「…………本当に?」

「本当だ。あれだけ一緒に練習したんだ。そう思うのが普通だろ」

「そっか」


 氷岬はそう呟くと、口の端を上げた。どうやら少し機嫌は直ったようだ。


「えっと、拓海くん」

「なんだよ」


 氷岬は俯きながら眉を顰めると、申し訳なさそうに言った。


「私が捻挫しちゃってこれからの生活、迷惑をかけると思うわ。だから先に謝っておこうと思って、ごめんなさい。もし必要なくなったのなら、いつでも捨ててくれてかまわないわ」


 こいつは何を言っているのだろうか。

 俺はため息を吐きながら氷岬の頭を小突いた。


「いたっ」

「馬鹿言うな。こんなことで捨てるぐらいなら最初から拾ってねえんだよ。ちゃんと最後まで面倒みるさ。つっても金を出してるのは親父だから俺はあんまり威張れねえが」


 俺は苦笑しながら氷岬を見る。氷岬は俺が小突いた箇所を嬉しそうに抑えながら、頷いていた。


「あ、いたいた藤本くん」

「おー、汐見。今日は本当にありがとうな。おかげで二人三脚、出場できたよ」

「ううん、いいよ。それより氷岬さん、足痛む」


 汐見は氷岬の足を見て痛々しそうに顔をしかめた。


「ええ、しばらくは安静にするように言われたわ。私からもお礼を言うわ。拓海くんを出場させてくれてありがとう」

「気にしないで。困った時はお互い様だよ。私も困ったことがあったら氷岬さんに頼るね」


 汐見は笑顔でそう返す。こう言っておけば、氷岬が気に病むことはないだろう。そんな気遣いができる汐見が好きだ。

 そう思っていたら氷岬に小突かれた。


「鼻の下伸びてるわよ」


 小声で囁いてくる氷岬に俺は顔をしかめながらそっぽを向く。

 別に鼻の下伸ばしたっていいだろ。汐見が可愛いのがいけないのだ。

 汐見を見ると、汐見もこちらを見ていた。俺たちは互いにアイコンタクトでやり取りすると笑い合う。

 結果的に1位を取れたし、汐見に頼んで良かった。氷岬がちょっと拗ねたのがあれだが。

 あとは俺の出場する競技は最後のリレーを残すのみ。そこでいい走りをして、汐見にいいところを見せるのが今日の最終目標だ。


「絶対1位を取る」


 うちのクラスの団結力なら可能だろう。俺は密かに気合を入れ、拳を強く握った。

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