第4夜

 深夜に芳一がいつもと同じ場所で琵琶を弾いていた。

 平曲ではない簡単な音。基本を改めてやり直していた。ごっついおっさんの武者の霊が出した課題だった。芳一は自己流だったので、その個性的なクセは残しつつ、足りないと思われる技術の反復練習だった。

 芳一は楽しんでやっていた。

(心地よい音にしたい)

 はじく弦の音が良い。聴く者の気持ちが癒されるようにと。


 しばらくすると、ガシャンガシャンという音がしてくる。

(師範代の足音)

 芳一は手を止めた。琵琶を弾きながらでもおっさんの足音は聴こえた。

 少しするとひたひたという軽い足音。

(お師匠様の足音)

 今日も来てくれたことが芳一は嬉しい。

 何をしていても聞こえるが、小さな足音を聞き逃すまいとしていると、トタタタタというもうひとつ足音。


(おや? 師範代ともお師匠様でもない足音。お師匠様より重いけれど、師範代よりも軽い。落ち着きのない感じがする。お師匠様は軽いなりにゆったりとしていて重みがあるけれど、この足音はムダに軽い)

 芳一の分析だった。


 彼らの気配が芳一の前まで来る。

「いい音が響いておったぞ」

 真っ先に芳一が師匠と仰ぐいつもの子供の声がした。

 芳一がそれを聞いて笑顔でいると、

「その通りでございます」と満足げに肯定するおっさんの声がして、

「なかなかだな!」と知らない男子の声がした。芳一よりも年上な感じがした。


(ボクよりも年上っぽいのに、どうしてこんなに落ち着きがない感じがするんだろう。近くの子供たちに近い音だ)

 たまに芳一と同世代くらいの子供たちが寺で遊んでいることがある。その雰囲気に近かった。


 芳一が不思議そうに新しく来た気配を感じていると、

「そなたの琵琶を聴きに行っているのがバレてしうもてな。やむを得ず連れてきた」

と師匠の子供が言った。

「そうだったのですか」

 では、この者も霊だろうと芳一は思った。けれど特に気に留めなかった。


「皆さまがご執心の琵琶の音、早う聴きとうございます」

 新しく来た子供が嬉々として言ったので、芳一はいつもと同じように琵琶を構える。


「では壇ノ浦の段を」

 新しい聞き手が増えたので、よく練習して少し自信がついてきた所を弾こうとした。すると、

「敦盛の最期がよいぞ」と意気揚々と新参者の子供に言われた。


「え?」

 芳一は勢いをそがれた。

 弾けないこともないが、敦盛の最期は須磨すま(兵庫県)だったので、芳一が住む赤間が関とは関係が薄かった。だから弾いてくれと言われることは少なく、あまり弾いてこなかったので上手に弾ける自信がない。新しく来た子供に聴かせるのもどうかと思ったし、ましてや師匠に聴かせるなど芳一には考えられなかった。


 芳一が固まっていると、

「下手でもよいぞ。下手ならばこの者が居る。しかと鍛錬せい」と師匠が言う。ガチャっという師範代のおっさんがおじぎする音がした。

 力関係が芳一にもわかった。

 この場で一番幼いはずの師匠が最も貫禄があった。


「では」

 芳一がおじぎをして琵琶を弾く。須磨の浜、一の谷の戦いで勝敗が決まり、負けた平家の公達が、源氏の猛者の熊谷直実くまがいのなおざねに首を取られる。若い命が儚く散る敦盛の最期を高い声で芳一が歌うと、新しく来た子供は涙を流した。

 あまりにも下手すぎて泣いているのかもしれないと芳一は心配してしまった。

 しかし、「やはり敦盛の最期は心揺さぶられるぞ」と感動ているようだった。

「だがしかし、おぬしの琵琶はまだまだぞ」と、ことこまかにダメだしをした。


 芳一はコクコクとうなずきながら、

(このひと、敦盛かもしれない)と思った。

 言っていることが自分事だった。


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