002 冒険者ギルドにて



 冒険者ギルドは、基本的に朝から賑やかなものである。

 一日の始まりと称して、依頼内容を吟味したり仲間同士で相談したり、久しぶりに会う同僚との雑談に花を咲かせることも多い。また、受付カウンターに立つ者は、どういうわけか美人な女性が殆どであり、朝から口説きにかかる男性冒険者の姿も珍しいものではなかったりする。

 とはいえ、ギルドの受付嬢は、基本的に冒険者の誘いに乗ることはない。

 接客スマイルを駆使してあしらうのが日常だ。

 中には質の悪い冒険者もいるが、それもあくまで一握り。大半はあしらわれることを分かっていて、誘いの言葉をかける。いわばコミュニケーションの一種であり、一日の始まりとして気合いを入れる意味も兼ねているのだ。

 それもギルドの中で当たり前のように広がる『風潮』となっており、受付嬢も教育内容の一つとして組み込まれるほど。

 それは、小さな町のギルドだろうと例外ではない。

 今日もそのような光景が見れるはずだと、誰もが思っていた。

 しかしながらその予想は、大きく外れていた。

 端的に言えば、いつもとは真逆の空気がロビー内を支配していたのだった。


「お、おい……どーなってんだよ、今日は?」


 いたたまれなくなった様子を隠そうともせず、とある冒険者の男が仲間の顔に耳打ちするかのごとく、小声で呼びかける。


「なんで薬屋のババアが、朝っぱらからギルドに来てやがるんだ?」

「知るかよ。気になるんなら、お前が声かけりゃいいだろ」

「ゼッテーやだ。薬の犠牲になりたくねぇ!」

「そうなった原因は、お前がポーションをしつこく値切ろうとした結果だけどな」

「だからって激苦ポーションの丸薬はねぇぞ。おかげで三日間、口ん中の苦いの取れなかったんだぜ?」

「色からしてホントにヤバかったもんな」

「ったく、あの老いぼれが……」


 いずれの会話もかなりの小声。しかもその人物とは距離が離れている。だから聞こえるわけがないと、完全に高を括っていた。

 しかし――


「ホッホッホッ。今日は随分と陰口が聴こえてくるもんだねぇ……」


 視線を向けるわけでもなく、その老婆はニヤリと笑った。

 会話をしていた二人はもちろんのこと、周囲にいた他の冒険者たち、そして受付嬢ですらも、ビクッと背中を震わせる。

 見た目は小柄で、紫色のマントとつばの広い帽子を被っている。

 まさにそれは『魔女』と呼ぶにふさわしいだろう。

 しかし周りが怯えた表情を浮かべているのは、単に格好の問題ではない。それだけならばここまでギルドのロビーの空気が張り詰めることはなかった。


 ――誰でもいいからこの状況を変えてくれ!


 誰かの心の中で、そんな願いが唱えられたその時――ギルドの扉が開かれた。


「あれー? なんかやけに静かだなぁ」


 入ってきたのは一人の少女だった。見事な白髪ではあるが、その年齢はどこからどう見ても十代後半程度であり、ハスキーな声も若々しい。

しかしそんな外見は、見ている者たちからすればどうでも良かった。

 ギルド内の空気が確かに変わった。

 そしてそれに気づく由もなく、少女は周囲を見渡している。


「――あ、いた!」


 そんな一言とともに、少女は明るい笑顔を浮かべて走り出す。その先にいたのは、なんと件の老婆であった。


「おっはよーっ。お待たせっ、おババさん!」


 明るい声が解き放たれた瞬間、周りがざわついた。しかし当の老婆は、呆れたように深いため息をつくばかりであった。


「やっと来たかい。遅いじゃないか」

「えー? これでも結構早く出てきたんだけどなぁ……」

「年寄りは早寝早起きが基本だよ。それくらい常識として覚えときな」

「じいちゃんは普通に夜中まで起きてて、朝はなかなか起きてこなかったよ?」

「……あのジジイを参考にするのは良くないね」

「そうなの?」

「あぁ。そうだよ」


 おもむろに少女も『オババさん』と呼ばれた老婆の前に座りながら、自然な形での会話を繰り広げる。

 その場だけ穏やかな空気が展開されており、周りの空気は異様なものだった。

 一体彼女は何者なのか。あのオババと知り合いなのか。二人は一体、どういう関係なのだろうか、と。


「――ん?」


 ヤミがふと周りに視線を向けると、注目していた冒険者や受付嬢たちは、一斉に何事もなかったかのように視線を逸らしてしまう。最初から注目なんてしてませんでしたよ、と言わんばかりに白々しい会話まで始める始末だった。

 そんな周りの様子を見て、少女は首を傾げる。


「なんだろ?」

「気にするこたぁないさ。それよりも……久しぶりだねぇ、ヤミ」

「うん。おババさんも元気そうだね」

「どうだか……最近はどうにも体の節々が痛くてならんよ」

「その程度で済んでるなら、むしろいいんじゃない?」

「ハハッ、随分と言うようになったじゃないか」

「おかげさまでね♪」


 にししっと笑うヤミと呼ばれた少女と、老婆ことオババ。その良好な姿は、まるで祖母と孫のようであった。

 故に周りも戸惑わずにはいられない。

 オババも笑っている。

 仏頂面がデフォルトなはずなのに、あんなふうに笑うものなのかと、オババを知っている人であればあるほど、驚きを示していた。

 当の本人たちは雑談に夢中となっており、気にも留めていなかったが。


「じいちゃんも元気にしてるみたいだよ」

「あぁ。こないだ久々に会ったさ」

「そうなんだ。元気だった?」

「どこまでピンピンすりゃ気が済むんだい、と聞いてやったよ」

「アハハ。そっかそっか」


 呆れ果てる様子のオババに、ヤミは苦笑する。ここでオババは皺だらけの目を、ヤミにスッと向けた。


「そーゆーアンタは、あのジジイと何年も会っとらんそうじゃないか」

「あ、うん。旅立ってから一度も帰ってないからね」

「帰らない理由でもあるのかい?」

「いや、特には……」

「たまには帰ってやんなよ。あのジジイはともかく、例の『弟』もいるんだろ?」

「そだね。あの子も元気にしてるかなぁ」


 頬杖を付きながら、ヤミは懐かしそうに視線を斜め上に向ける。そして自然と笑みを零した。


「なーんか思い出したら久々に会いたくなってきたや」

「だったら帰ればいいだろう」

「うん……オババさんの用事を済ませたら、あの子のところに帰ってみるよ」

「それがいいさね」


 再び笑い合うヤミとオババの空気は、和やかそのものであった。

 周りの者たちからすれば、ありがたい限りだった。二人の関係について詳しいことは分からずとも、悪い空気が取り除かれたことは事実である。

 ならば後は余計な詮索さえしなければいい。

 むしろ余計な藪をつついて蛇が出てこられても困る――そんな気持ちを抱き、周りはようやくいつもの日常に戻ろうとした。

 そこに――


「おっ。今日はなんだか静かだな」


 再びギルドの扉が開かれ、一人の青年が入ってくる。その後ろから続々と数人の男たちが続いてきた。


 和やかだったヤミとオババの表情が、一瞬にして引き締められた――


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