小学生の遠足かよ

 咄嗟にその人物の顔を確認するが、見知らぬ人だった。


「あの、どちら様?」


 俺は用を足しながら訊ねる。

 せめて終わるまで待ってくれたらいいのに。


「俺の顔を忘れたのか? 中学時代、同じ陸上部だった二宮だよ」

「あ」


 そう言えば昔、そんな名前の奴がいたような。

 なにかにつけて俺をライバル視して、ことあるごとに勝負を挑んできた記憶がある。

 正直この男にはあまり良い思い出はない。

 俺がすぐに気づかなかったのは、当時と今とではだいぶ雰囲気が変わっていたからだ。

 あの時は眼鏡をかけていたし、前髪を七三分けにして、いかにも良いところのお坊ちゃんといった風貌だった。

 ところが今、目の前にいる男はパーマをかけて、格好もバリバリのスポーツ選手といった感じで、まるで別人である。


「そうか、お前もこの学校だったのか。それで、なにか用か?」

「『なにか用か?』だと? ククク……言わなくてもわかるはずだ」

「いや、わからないから訊いてるんだが……」


 なぜか無駄に芝居がかった言い回しで、フィクションの悪役っぽく笑う二宮。

 アニメとかドラマの見過ぎじゃないか。


「とぼけるな、もうすぐ体育祭があることは、この学校の生徒なら誰もが知っている。体育祭と言えば陸上部が活躍する日。当然、お前も参加するんだろうな?」

「え、そりゃまあ強制参加だからな」


 というかなぜそんなことを訊くのだ。しかもトイレ中に。


「俺はこの日が来るのをずっと待ち望んでいたんだ。大勢が見ている中で、お前を打ち負かす日を……」

「はい?」

「いいか、俺は中学の三年間、ずっとお前の二番手に甘んじてきた。なにをするにしても、常にお前の控えだった。俺はお前を越えようと血の滲むような努力をしてきた。しかしいざ勝負を挑もうとした時にはお前は部活を辞めていたんだ。わかるか? リベンジを果たせなかった俺の悔しさがお前にはわかるか?」

「……その顔を見ればなんとなく」


 言っていることは微妙に意味不明だが、男が物凄い形相でこちらに近づいてくるので、どれほど悔しいかだけは伝わった。

 というかトイレ中に顔を近づけないで欲しい。

 自慢じゃないが陸上部にいた頃の俺は、短距離で結構良い成績を収めていて、有名な高校からも注目されるほどだった。

 中学時代にそこそこモテたのも、そのおかげだった。まさに人生の全盛期と呼んでも過言ではない。

 まあその後、色々な事情が重なって陸上部を退部することになるのだが、それが彼にはお気に召さなかったらしい。


「俺はこの体育祭で長年の雪辱を果たすつもりだ。さあ、お前の出場する競技を言うがいい。どんな競技でも俺は受けて立つぞ!」

「そっちはやる気満々でも、俺は受けて立ちたくないんだが」

「なんだ逃げるのか? 中学生の頃にした約束を忘れたのか?」

「お前みたいな奴となにかを約束した覚えはない」

「いいや、俺は鮮明に覚えているぞ。あれは中学二年生の冬休みの日。朝練を終えて友達と弁当を食べていたお前に俺が再戦を申し込んだんだ。その二日前の練習で俺はお前に挑んで負けたからな。俺が『もう一度、勝負しろ!』と言ったら『気が向いたらなー』と答えた。ここにその時の映像がある」


 そう言って二宮はポケットからスマートフォンを取り出して、当時の出来事を撮影した動画を再生し始めた。

 その動画では、さっきこの男が説明したのと一字一句、同じ言葉を俺が喋っている。

 思い出した。あの時は確かコイツがあまりにもしつこくて、無意識の内に適当なことを口走ったような気がする。

 しかしまさかこんな動画を撮っていたとは、抜け目がないというか用意周到というか。


「だがその後なんだかんだで再戦の機会に恵まれず、そうこうしている内にお前は陸上部を辞めてしまった。俺はこう思ったよ。お前は俺との勝負を恐れて逃げたんじゃないか、とな」

「いや違うから。辞めた本当の理由にかすりもしてないから」

「さあどうする? もし約束を破ったら俺はお前のことを一生、卑怯者と罵り続けるぞ。それが嫌ならさっさと出場する競技を言え」


 相変わらず面倒臭い奴だな。

 俺のことを一方的に敵視しているようだが、逆恨み以外の何者でもない。


「あー別に嫌じゃないからこれで失礼させてもらうわ。じゃあな」

「オイオイオイ、ちょっと待て! 悪かった、今のは冗談だ。誰もお前のことを臆病者呼ばわりしたりしない。よしわかったこうしよう。もしお前が出場する協議を教えてくれたらなんでも好きな物を買ってやるぞ? ただし三百円までな」

「……小学生の遠足かよ」


 俺が手を洗ってトイレを出ようとした途端、急に腰が低くなった。

 そもそも俺は別に部内で一番優秀だったわけではない。

 同学年にもう一人、陸上で有名な高校に進学した奴がいて、そいつがダントツで一番、俺が次点という形だった。

 つまり二宮は実質三番目なのだ。

 多分、一番には敵わないから、実力が近い俺に対抗心を燃やしたのだろう。でもそんなこと、こっちは知ったことではない。


「別に言ってもいいけど……二人三脚だぞ」

「は?」


 二宮は拍子抜けした表情で眼を見開く。


「な、なんだそれは。なぜリレーや徒競走に出ないんだ?」

「なんでもなにも、もう陸上部じゃないし」

「担任にお前が元陸上部だと話せばいいだろう。変えてくれるかもしれんぞ」

「そんなことをして俺になんのメリットがあるんだ」

「俺との決着をつける為さ。お前も有耶無耶のままだと嫌だろう?」

「いや全然」


 自分をスポーツ漫画に出てくるライバルキャラだとでも思っているのかしら。

 付き合い切れない。


「そうか仕方ない。この手は使いたくなかったが、お前がそこまで言うなら最終手段を使わせてもらおう……」


 と、そんなふうに前置きをした後で、なにを言い出すのかと思いきや、次に口にした台詞はとんでもないことだった。


「もし出なければお前が現役アイドルと同棲していることをバラすと言ったらどうする?」

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