……どうしよう

 来たるべき日がついに来てしまった。

 短い期間でありながら、俺にとっては数ヶ月のように長かった春休みが終わり、期待と不安が入り混じった学生生活がスタートする。

 まあ俺の場合、不安のほうが圧倒的多数を占めるのだが。


「じゃーん! 見て見てみーくん、似合ってるでしょ?」


 朝っぱらから元気なサヤは、俺の前でダンスをするようにクルッと一回転して見せた。


「ああ」


 朝食の後、リビングでテレビを見ていたら、俺が通う高校の制服を着たサヤが突然現れた。

 コスプレではない。

 この春から人気アイドルグループ、マジカル・セプテットのリーダーである紫苑紗花が、同じ学校に通うのだ。

 大袈裟かもしれないが、学校中の女子が束になっても彼女の可愛さには敵わないと思う。

 それくらい似合っていて、つい見惚れてしまった。


「どうかな? ちゃんと着てると思うんだけど……どっか変なところない?」

「そーだな。強いて言うなら、スカートの丈はもう少し長くした方がいいぞ」


 さっきから動く度に際どい所まで見えて目に毒なんだよ。

 もしや今履いているのは昨夜のピンクの……いや、何でもない。


「あー今からみーくんと一緒の学校に通うの待ち遠しいなあ、なんだかすっごくワクワクするね!」

「ああ。と言っても芸能人は一緒のクラスにはなれないけどな」


 元々うちの学校は他にも何人か芸能人を受け入れており、専用のクラスがある。

 しかしさすがにサヤくらいの有名人が入学してくるのは今回が初めてで、一般の生徒が大騒ぎするのは容易に予測出来る。

 だから俺はどちらかというと楽しみよりも心配の方が大きかった。

 もし他の生徒に俺達の関係がバレたら、俺は学校に居場所が無くなるし、サヤにとっては致命的なイメージダウンに繋がりかねない。

 サヤもその事は重々承知しており、学校では他人同士でいるよう予め取り決めてある。

 なので十分に注意すればバレる心配はないとは思うが、それでも油断は出来ない。


「小学校の頃の友達に会うのも楽しみだよねえ。二人共、元気にしてる?」

「まあな。最近はアイツらとはそんなに話してないけど、電話でサヤのこと話したら会いたいって言ってたぞ」

「そっかぁ。私も早く会ってみたいな」

「ちなみに二人にはちゃんと俺達のこと内緒にするよう言っといたから、安心していいぞ」

「うん!」


 といっても、相手が相手なので、どこまで約束が守られるかは少々疑問だが。


「じゃあ私、そろそろ時間だから先に行くねっ」


 転入の手続きがあるので、サヤは早めに登校することになっている。


「ああ、俺も後から行くから」


 と言っても、学校では会うことはないだろうが。


「じゃあ、行って来まーす!」


 チュッ。


 サヤは当たり前のように俺の頬にキスをしてから笑顔で家を飛び出した。

 一応、俺達はまだ付き合ってはいない為、唇にしてくる事はないが、頬にならサヤは、ここは欧米諸国かと錯覚するくらい幾度となく頻繫にキスしてきた。

 おはようのキス、おやすみのキス、行って来ますのキス、ただいまのキス、そして何でもない時でも、したくなったら隙を見つけて即刻キス、キス、キス。

 ある意味で、下手なホラーゲームよりも心臓に悪い。

 でも嫌な気持ちは全然しないのだから――むしろ嬉し……ゲフンゲフン――本当に困ったものだ。

 サヤが出て行く際、キスの余韻に浸っていた俺は「行って来ます」の返事をすっかり忘れていた。

 ちょうどその時、偶然にもテレビにマジカル・セプテットのCMが流れてきて、ようやく我に返った俺は、画面越しのサヤに返事をした。


「行ってらっしゃーい……」


 一人ぼっちのリビングで、心ここにあらずといった声が虚しく響く。




「……さてと、そろそろ俺も行くか」


 時間になったので、見ていたテレビを消して、鞄を持って家を出る。


「…………」


 通学路を歩いている途中、俺はある違和感に気づいた。

 なにかおかしい。なにかがいつもと違う。

 景色はいつも通り、聞こえてくる音にも不審な点はない。着ている制服もいつもと一緒。

 残るは……。

 考えに考え抜いた末、違和感の正体は右手に持っている鞄にあると確信した。

 持った時の感触が、いつもと違うのだ。


 ――まさか。


 嫌な予感がして、念のため鞄を隅から隅まで観察してみる。


「……やっぱり」


 家を出てからなんとなく不自然な気がしたが、これは俺が使い古した鞄にしては妙に真新しい。

 それもそのはず、実際に新品なのだから。

 そう、これはサヤのものだ。昨日、見せてもらったから断言出来る。

 基本的にしっかり者のサヤがこんなミスを犯すとは。きっと転校初日だから浮かれていたのだろう。


「まいったなあ……」


 今日は始業式だけだから、大した荷物は入れてなかった。

 しかしサヤの場合は学校終了後にそのまま仕事に直行することになっており、鞄に必要な道具を入れていた。

 つまりこれがないとサヤは非常に困った事態になるということだ。

 なんとかバレないよう、こっそりサヤに届けるしかない。

 渡すタイミングがあるとすれば学校の中だけ。万が一、渡すところを学校の生徒に見られたら大変なことになる。


「……どうしよう」


 新学期初日からこんなトラブルに見舞われるとは。

 イーサン・○ントもびっくりなミッショ○・イン・ポッシブルである。

 まったく先が思いやられる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る