第38話
「お姉さま、愛する方が見つかって良かったですね。大丈夫。二人はずっと一緒ですよ。あっ、お姉さまは騎士ですから、相棒、と言った方がよいでしょうか?」
プリシラがクスクスと笑う。
(マシュマロのようなほっぺ。愛らしい唇。なぜそんな物を羨ましいと思っていたのだろうか)
ナディアの心に、プリシラを羨む気持ちは欠片も残っていない。
「相棒……ではないわ。騎士として私が安心して命を預けられるのはイーサン様ではないの」
イーサンの事は信じている。でも騎士としてと言われればナディアの相棒はイーサンではない。ちょっとイーサンが悲しそうな顔をしたのが気になったけれど、ナディアは縛られた両腕をまっすぐ上に挙げた。周りの人間が突然どうした、とその手を見た時だ。
シュット空気を切る音がして、一筋の弓矢が飛んできた。
それは揺れる船の上でナディアを縛っていた両手の麻縄をスパッと切り裂いた。
ナディアは自由になった右手をスカートの下にいれ素早く短剣を抜く。そして背後のフランクに切り掛かり、その右手を突き刺すと、剣を奪いイーサンに投げた。
それは一瞬の出来事で、剣を投げられたイーサンですら唖然とした表情をしていた。しかし、すぐに気を取り直すと左右にいた男に切りつける。
ナディアは南から近寄ってくる一艘の小型の船に軽く手を振る。
大柄な男がフランクを庇うように、ナディアとフランクの間に立つ。男は剣を振りかぶり、ナディアはそれを短剣で受ける。
体躯の割に素早い動きをする男に手こずっているうちに背後にもう一人男が忍び寄ってきた。しかし、ナディアはそれに気づきながらも、振り返ろうとしない。
振り返らなくても分かっている。
安心して背中を預けられる相手がそこにいる。
ナディアが目の前の男の腹に短剣を刺したのと、背後の男の背に弓矢が刺さったのは同時だった。
あまりの息の合いように思わず唇が緩む。きっと矢を射抜いたラーナも同じだろうと、確信に近く思った。
イーサンはその間に既に三人の男を仕留めていた。
「おい、下にいる者を全員呼んで来い!!」
血の滴る右手を押さえ、ナディアから距離を取ったフランクが叫ぶ。
「ふん、これで終わりだと思うな。下にまだ仲間がいる」
フランクの言葉通り下から男達がぞろぞろと上がってきた。どれも手練れのようで構えを見るだけで隙が無いことが分かる。
「イーサン様」
ナディアがイーサンのもとに駆け寄る。イーサンは一瞬だけナディアをぎゅっと抱きしめた。そしてその腕を離すとナディアと逆の方を向く。
「ナディア、俺にも背中を預けてはくれないか?」
「もちろんです。でもご自分を一番大事になさってください」
「断る。惚れた女に守られるのは悪くないが、俺はお前を守りたい」
ナディアの紫色の瞳が大きく見開かれた。それは初めて聞くイーサンからの愛の言葉だった。
あの夜、イーサンの瞳の秘密を知った夜。その時の態度で心を開いてくれたのは分かっていたけれど、はっきりした言葉を聞くのはこれが初めてだだった。
「このタイミングでそれは、ちょっとずるくありませんか?」
「ナディアはいつだってずるいからな。先に言わないと言われてしまう」
「そんなことないとは思うのですが……それより予想より多いですね」
ちょっと赤らんだ頬で、出てきた男達の数を目で数える。
先程の男達を入れると五十人程。
ラーナはその姿が気づかれないように、弓矢が届くギリギリの距離からナディアの縄を射貫いていた。
だからこの船に近づき乗り込んでくるのにはもう少し時間がかかる。
「私、三十人いきます」
「まて、計算がおかしいぞ」
イーサンがやはりそうなるかと思いながら指摘する。その声と同時に、北側の看板に何かがあたる音がした。
いきなり二人の人影がデッキに現れた。デッキにいる人間がラーナの乗る南側の船に気を取られている間に、北側から小舟で近づいてきたその人影は、現れるとすばやくイーサンに駆け寄った。
「申し訳ありません、遅くなりました」
「えっ? 兄さん。私は一番おいしいタイミングで現れたと思うのですが?」
頭を下げるジル。それを相変わらずの無表情で見下ろしながら呟くキャシー。ジルは慌てて、その頭を手で抑え強引に下げさせた。特に特徴のないよく似た顔の二人。イーサンの影だ。
「ジル、持ってきたか」
「はい」
ジルはイーサンに、愛用の大きな刀を手渡した。イーサンはそれを鞘から抜くと一振り。ブゥオンという鈍い空気を切る音が響いた。
「イーサン様、私は右手二十人を引き受けます。キャシー、左手十人いけるな?」
「余裕。兄さん欲張りすぎよ」
キャシーは言うが早いか、もう飛び出している。
「では俺は正面十五人といくか」
「ちょっと待ってください。私、五人しかいません!!」
ナディアの抗議は怒号と波の音にかき消された。
それはまさしくあっという間だった。キャシーの動きは素早く、気が付けば敵は喉から血を流していた。ジルについても、同じ人間に二度剣を振うことはない。確実に一撃で急所を捕らえていた。
イーサンは殴りつけるように切りつけ、ナディアは足の腱を切り動きを封じると、手を突き刺し剣を握れなくした。
残されたのはフランクとロドリックとプリシラ。何度か船内に逃げようとしたが、その度に弓矢が飛んできて動けずにいた。
全てが終わるのにそう時間はかからなかった。敵が戦闘不能となったのを確認してから、イーサンはジルに命じた。
「縛り上げろ」
「はい」
ジルとキャシーが三人を縛り上げていると、ラーナを乗せた船が横付けされた。船からラーナが降りてくる。船を運転しているのはエドワードのようだ。ラーナは眉を顰め、唇を尖らせてナディアに近づいてきた。
「私の出番がないわ」
「大丈夫、多分一番おいしいところ持っていったから」
二人はにこりと微笑みあった後、硬く抱き合った。
その後ろでエドワードが「俺も割と強いんだけど……頑張ったんだけど……」とぼやきながら、所在なさげにうろうろしていたけれど、ナディアの視界には映っていない。
「ラーナありがとう」
「だいたい無茶すぎるのよ。捕まったふりをして敵を炙り出すなんて」
身体を離しながらラーナが呆れ顔で呟く。いつの間にか隣にいるイーサンもため息をついた。
「それについては俺も同感だ」
「でもフランクを捕まえるのにはこれが一番確実だと思いましたし」
後ろでフランクの怒鳴り声が聞こえてきた。縛っているキャシーを怒鳴りつけているようだ。
「どうしてお前がここにいるんだ」
「私を閉じ込めるのに二十人は少なすぎます。それにあなたのことは兄がずっと見張っていましたから、この船のことも計画もバレバレですよ」
「兄だと? 影が二人もいるなんて聞いてないぞ」
「極秘事項ですから」
それだけ言うとキャシーはフランクを誰よりも強く縛り上げた。それでもフランクはまだ話すのをやめない。今度はナディアに向かって怒鳴り始めた。
「全てキャシーのいないタイミングを狙ったのにいつもお前に邪魔をされた」
「私、強いから。でも、ラーナの言葉にもっと早く気づいていれば良かったわ」
ぼやくナディアの言葉の意味が分からず眉を顰めるフランク。その前にナディアはしゃがみ込んだ。
「マルシェから帰ってすぐにラーナは言っていたの。貴方は信用できないって。彼女の勘は外れたことがないのに、つい冗談に紛れて聞き逃しちゃったのよね」
話しながら、ナディアは血で汚れたウェディングドレスの裾を千切り、フランクの口に猿轡をした。
もうこれ以上、彼の話は聞く必要はない。
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