第27話


「明日から、十日間ですか?」


 朝の稽古を終え、キャシーが用意した冷たいおしぼりで首の汗を拭きながらナディアが問う。問われたイーサンも、シャツの釦を半分以上開け同じように汗を拭っている。


 涼しい風が火照った身体に気持ちが良い。季節はいつの間にか秋、あと一ヶ月後には結婚式が控えている。


「あぁ、急な話だがやっと仕事の調整がついた。明日から鉱山のある西の地区に行ってくる」


 鉱山はルシアナ国の時代から国の直轄地だった。今は公爵家の直轄となっているが、イーサンはまだ足を運んだことがない。代わりに時折フランクが訪れていた。


「行かなければ、と思いながら随分と先延ばしにしてしまった」


 特にフランクに任せておいても実務上は問題ない。しかし、当主として一度も訪れていないのは体裁的によろしくない。


 ナディアは暫く視線を彷徨わせたあと、おずおずとイーサンを見上げた。


「私も連れて行ってください。公爵家直轄の土地なら一度見てみたいです」

「うーん、しかしなぁ……」


 イーサンは汗で濡れた前髪をかき上げながらさて、どう返事をしようかと迷う。


 ナディアが自分のことを憎からず思っていることは分かっている。大事に思えばこそ、期待を持たせる態度はとりたくない。 


 しかし、その一方で連れて行けば楽しいだろうとも思ってしまう。


 連れて行かない言い訳は幾つもある。連れて行く言い訳も幾つかある。例えばナディアの実家の動きが心配だから一人にできない、とか。


「ナディア様ならご自分で身を守れると思いますが」

「なっ……」


 背後からキャシーが囁く。


「……声に出ていたか?」

「割とはっきりと」


 慌ててナディアを見るが、小首を傾げているので気付いた様子はない。


「どれだけ耳が良いんだ」

「妙な言い訳を作らずとも、一緒に行けばよいではありませんか。……ナディア様! 同行の許可が出ましたよ」

「!!?」


 キャシーの言葉にナディアがパッと笑顔になる。


「本当ですか!? ありがとうございます」


 イーサンはキャシーをじろりと睨んだあと、苦笑いで頷いた。


「…移動に四日弱、滞在は三日の強行スケジュールだ」

「問題ありません」

「だよな。そう言うと思った」


 元騎士だ。それぐらいの移動は経験済みだ。しかも野宿ではなく宿に泊まるのでナディアの中では好待遇だった。


 嬉しそうに微笑むナディアを見てこれで良かったと、とりあえずイーサンは思った。





 さて、出発当日。乗馬服で現れたナディアは、四頭匹の馬車を見て目をパチパチさせる。


(馬車で移動するとは)


 公爵様が何日も馬で移動するはずがない。ちょっと考えれば分かるのことだけれど、なぜかてっきり馬だと思っていた。


「もしかして馬に乗りたかったのか?」

「はい。乗馬は好きでしたから」


 いつの間にか隣に来たイーサンが、乗馬服を着こなし髪を束ねたナディアを見て呆れ顔をする。


「私は馬でもいいですか?」

「乗りたければ止めないが、日中はまだ日差しがきつい。朝夕の涼しい時間に乗ってはどうか?」

「……分かりました」


 ナディアはちょっと唇を尖らせながら頷いた。


(ということは、日中はイーサン様と馬車で二人。もう半年以上王都にいるから気晴らしに馬で遠出をしたかったのに……)


 実に残念だ。それに二人とも口数が多い方ではない。馬車の中で沈黙が続かないかと心配になる。


「申し訳ありません。少しだけ待って頂けますか?」


 そう言うと早足で自室に戻り本棚の前に立つ。会話がなくなったら読もうとその中から数冊選ぶ。あまり興味はないけれど、ラーナから渡された恋愛小説もついでに手にした。これを読むのは最後だな、と思う。


 鉱山に向かうのはイーサンとナディアが乗った馬車と、フランクと荷物が乗った馬車。御者は護衛も兼ねて剣を持っている。この二人に護衛は必要ないけれど、念のためにと剣を使える御者を手配していた。


 馬車が進むにつれ建物が減っていく。庭の広い平屋建ての家が目立つようになり、さらに進むと庭と畑の区別がつかなくなってきた。舗装された道はがたがたとした畦道へと変わっていく。


 そこは公爵家の馬車。多少のでこぼこは優れたクッションが吸収してくれて乗り心地はすこぶる良い。


 気候にも恵まれ旅は順調だった。朝夕は馬車を引く馬を二頭にして、残り二頭にナディアとイーサンが乗った。夜は立派な宿に泊まり、周辺の街の様子を視察した。どこも活気にあふれていて、政権が変わっても市民の暮らしが落ち着いていることに二人はほっとした。


 心配していた馬車の中は、やはり会話は少なかった。しかし、馬車の窓から見える景色を一緒に見て、時折あれは何かと話をするうちに、いつの間にか気付けば時が経っていた。無言で過ぎる時間さえ居心地の良いものへと変わった。




 順調な旅の雲行きが怪しくなってきたのは三日目。

 峠を越えれば目的地というところでナディア達は立ち往生をしていた。細い山道に落石があり道が塞がっていたのだ。


「イーサン様、ここを通るのは無理です。いったん昨夜泊まった街に戻りましょう」

「そうだな。迂回する道がないか町の人間に聞いてみるか」


 イーサンの十倍以上もある岩石を動かすのは無理だと判断した。時刻は正午前、宿を出てから三時間ほどしかたっていない。ここで誰か来るのを待って一緒に岩石を動かすより、戻って違う道を聞いた方が早いと結論づけた。


 村と呼んだ方がよいぐらいの小さな街に戻った一行は、とりあえず手近な食堂に入り遅めの昼食を摂った。


 近くの山では羊の放牧が盛んらしく、ラム肉を使った料理を出す店だった。骨つきのラムチョップはブラックペッパーとニンニクが食欲をそそる。豪快にイーサンがかぶりつく横で、ナディアは控えめに口にした。


 その間に、フランクが食堂や宿の人間に聞いてくれた。どうやら、山肌を沿うように細い道が山の向こうまで続いているらしい。しかし、遠回りになる上に馬車では通れない。


「どうしますか」

「うーん、この機会を逃すといつ来れるか分からないからな。今から馬で出て、今日中に山を越えれるのは可能か?」


「それは無理ですね。聞いたところ、宿が山の中腹あたりにあるそうです。何でもこの辺りの川は魚釣りの穴場のようで。ただ、庶民向けの山小屋のような宿らしいのですが」


 腕組みをして考えるイーサンの隣で、ナディアは食後のデザートとして出てきたプラムを口にした。甘酸っぱい味が口の中に広がり思わず頬が緩む。


(騎士団の時もだけれど、どうして男所帯って肉ばっかりなんだろう。もっと野菜や果物も食べたらいいのに)


 果物を堪能しているナディアをイーサンがチラリとみる。


「私は野宿でも平気です」

「だろうな」

「屋根があれば恵まれた寝床だと感じます」

「ちょっと騎士団長と待遇について話す必要があるな」


 もう少し騎士団の予算を増やして、天幕ぐらいは用意させようと思った。


「では馬車はこの街に置いて行こう。御者も置いて行けば盗まれる心配もないだろう」

「護衛がいませんが大丈夫でしょうか?」


 フランクの問いにイーサンとナディアが顔を見合わせる。


「私が護衛を務めます。彼らよりは強いですよ」

「それを言うならナディアより俺の方が強い」

「……そのうち勝ちます。盗賊が出てきたらどちらが多く仕留めるか競いませんか?」

「…………いや、頼むからその時は大人しく守られてくれ」


 イーサンの言葉にナディアがクスクスと笑う。


 フランクはスッとその場を離れ御者の元に行った。イーサンの話を伝え、体力があり比較的温厚で扱いやすい馬を三頭選ばせると鞍を準備させた。


 日が暮れるまでに山小屋に着くことを考えれば、そう時間はない。準備ができるとフランクは二人を呼びに行き、少し黒い雲が出始めた空の下、三人は馬を走らせ始めた。

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