第22話 辺境伯の事情


 プリシラは幼い時から可愛かった。

 誰しもが、人形のような愛らしさに頬を緩め、鈴を鳴らすような声で頼みごとをすれば、その願いは必ずと言っていいほど叶えられた。


 プリシラが四歳、ナディアが七歳の時だ。


 叔母がプレゼントに二人にぬいぐるみをくれた。プリシラは既に幾つも持っていたけれど、ナディアには唯一のぬいぐるみだった。


「このクマのぬいぐるみより、お姉様のうさぎのぬいぐるみがいい」


 そう言えば、うさぎのぬいぐるみが手に入った。


 でも、姉がクマのぬいぐるみを大事に抱いて寝る姿を見ると


「やっぱり、クマのぬいぐるみがいい」


 と言った。そして次の日、ふたつのぬいぐるみはプリシラの物となった。



 プリシラが七歳、ナディアが十歳


 この頃、ナディアは家族と一緒に食事を摂る事はなかった。


「熱いっ、お母さま、このお茶熱すぎます。ひどいわ、お姉さま、私に火傷を負わせようとなさったのね」


「ぬるい、お母さま。お姉さまがこんなぬるいお茶を私に!! きっと私への当て付けですわ。私が可愛いからって僻まれてるのです」


「お母さま! 靴がありません。きっとお姉様がとったのです。……あっ、こんな所にありました。きっとお姉さまが隠したのです」


 罵倒に耐えながら、台所の隅でご飯を食べた。

 お茶会に誘われる年齢だったけれど、ドレスを持っていないので、常に断っていた。するといつの間にか誘われなくなった。


 プリシラ十歳、ナディア十三歳


 ナディアはお茶会に行くプリシラの髪を結い、ドレスを着るのを手伝う。櫛に髪が引っかかっただけでプリシラは泣き、ドレスが気に入らないからと、また泣いた。


 その度にナディアは継母から叱られ食事を抜かれる。

 

 屋敷の掃除や洗濯も他の侍女と同じようにしていた。だから冬場は水仕事で手が荒れ、真っ赤になっていた。



 プリシラ十三歳、ナディア十六歳


「ナディア、あなたはこのまま侍女として働きなさい。我が家にはあなたを貴族学園に通わせるお金はないわ」


 度重なる隣国との戦いで、辺境伯の懐事情は厳しかった。そこに継母とプリシラの散財っぷりが、拍車をかけた。


 そんな時、ナディアに同情したオーランド直轄の騎士が、騎士団アカデミーの話をナディアにした。


 その騎士もそのアカデミー出身で、今年から女性騎士も募集するという。何でも国の武力向上のためだとか。


 特待生になれば、寮、学費無料。実技試験はあるけれど、ナディアが望めばその騎士が教えてくれるという。

 ナディアは騎士の教えを受けることにした。剣だけはプリシラに取られなかった。もうぼろぼろになった、刃をつぶした短剣はナディアの唯一のおもちゃでもある。


 入学希望の用紙に、オーランド辺境伯のサインが必要だった。ナディアは書類仕事も手伝っていたので、サインが必要な書類の中にその用紙を紛れこませた。


 無事入学試験に合格し、特待生に決まってからナディアは父親に騎士団アカデミーに入学すると告げた。今度こそは父も喜んでくれるかと思った。でも返ってきたのは「女の癖にみっともない」という冷めたい言葉だった。


 しかし特待生枠を今更辞退させる訳にもいかず、オーランド辺境伯はナディアを渋々騎士団に入隊させた。






 婚約披露パーティーが終わり会場から出ると、プリシラは頬を膨らませながら歩いた。


(昔から、良いと思うものはいつもお姉さまの手にあったわ。私が食べたかった苺のケーキも、ブルーのドレスも、クマのぬいぐるみも)


 お姉さまばかり、ずるいと思っている。

 それらは全てナディアの手からプリシラの手に渡っているのに。


 プリシラが泣いたから、ナディアは苺のケーキを渡した。代わりに食べかけのチョコレートケーキを貰ったけれど、それも一口食べたら「やっぱりチョコレートがいい」とプリシラがいい、ナディアの前からケーキのお皿が消えた。ドレスも、ぬいぐるみも。ナディアは何も手にしていない。


 プリシラはどちらも手に入れたのに、いつも不満そうにしていた。隣の芝生は青いとばかりに、ナディアの物に手を出すけれど、足るを知らないプリシラはいつも不満に満ちていた。

 


「お父様。やっぱり私がイーサン様と結婚します」


 突然立ち止まり後ろを歩く父親を振り返ると、プリシラは頬を上気させそう告げた。


「しっ、静かにプリシラ。周りに人がいるのにそんな発言をしてはいけない」


 父親が慌てて諫めるも、普段怒られることのないプリシラは不満げにさらに頬を膨らませた。


「だって、お父さまもお姉さまを見たでしょう? あんなに沢山の人に注目されて綺麗なドレスを着て……それに私が持っている物より何倍も大きなダイヤのネックレスをしていたわ。あれは本当なら全て私の物だったのよ」

「でも、ナディアはプリシラが嫌がったから代わりに結婚するんだよ。それにお前にはアンディがいるではないか」


 それを聞きプリシラは鼻白む。


「あれはアンディ様があまりにしつこく言い寄って来るから。私は彼なんて始めっから好きではありませんでした」


 プイっとそっぽを向くプリシラには、さすがに父親も母親も閉口した。


「しかしプリシラ、婚約披露パーティーまでしたのに、今更ナディアの婚約を辞めさせることはできない。お前もそれぐらいはわかるだろう?」


 父親にしては冷たい言葉をプリシラに投げかけた。母親が「その言い方はちょっと……」と言ってきたが彼の頭は今それどころではなかった。


(どうしよう、あのことが明るみに出たら我が家は取り潰しになるやもしれん)


 そのことが気になり、ナディアに探りを入れてみるつもりだったけれど、ナディアがイーサンから離れ一人になることがなかったので何も聞けなかった。


 すでに何かを掴んでいるかもしれないイーサンとは話をしたくなかったので、ナディアの父親であるにも関わらず挨拶にすら行っていない。


 途方に暮れながら馬車乗り場まで行き、沢山の馬車の行列の中から辺境伯の紋の入ったものを見つけた。乗り込もうと歩み寄ると、すっと一人の男が扉の前に立った。


「オーランド辺境伯様、お伝えしたいお話がございます」


▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 その男に会った三日後、プリシラはアンディとの婚約をあっさりと破棄した。理由は彼の浮気と暴力だと主張した。アンディはもちろん否定したけれど、姉から妹へ婚約者を変えるという不義理をした彼の話に耳を傾ける者はいなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る