第19話


 婚約披露パーティーの日は朝から忙しかった。


 湯を浴び、肌をつやつやに磨き、髪には薔薇から抽出したオイルを馴染ませる。それでなく艶のあるナディアの黒髪は絹糸のように輝いた。


 スザンヌが選んだドレスを見てナディアは、ほおぅっとため息をついた。


 いや、確か選んだその場にナディアはいたはずだし、いろいろ聞かれた気もするけれど生返事をしていて記憶にない。こだわりはないし、フリフリピンクじゃなければそれで良かった。


 ホルターネックの濃紺のドレスは、金色の糸で繊細な刺繍が施されている。ナディアの引き締まったウエストを強調するかのように少し太めのサッシュが巻かれていて、柔らかな生地は膨らみすぎない自然な流れを作り背の高さを引き立たせる。


「この前のドレスと全然違うわ」


 鏡の前で呟くナディアの背後では、スザンヌがイーサン付きの侍女キャシーと話をしている。何でもキャシーは化粧が得意らしく、自ら化粧係に名乗り出てくれたらしい。


「イーサン様が暮らしていた国のメイクを少し取り入れましょう」


 ナディアの肩をドレッサーの方へ軽く押しながらキャシーが言う。イーサン様が暮らしていた国? とナディアは少し不安に思う。でも、ここまできたら早を括るしかないと、大人しく鏡台の椅子に座った。


 白粉をはたくのは同じ。そのあとキャシーが取り出したのは貝殻だった。その二枚貝の上側を開ければ、中には練られた赤い紅が入っていた。

 ナディアだけでなく、ラーナやスザンヌまで興味深そうにその貝を覗きこんだ。


 キャシーはそんな目線を気にすることなく、べにを筆でとりまなじりにスッと入れた。ただそれだけで、ナディアの切れ長の目がパッと華やかになる。次いで、唇にも同じ紅を入れ、サッと頬紅をはたいた。


 ナディアは鏡越しに、ラーナとスザンヌが目を丸くして顔を見合わせるのを見た。自分もパチパチと瞬きをして鏡を見つめる。


 髪をどうするのだろう。クリクリしたのは嫌だな、と思っていると、キャシーは暫く顎に手を当て考えたあと、高い位置に一つに纏めた。根元に宝石で花を模したピンを刺しただけで、毛先はさらりと下に流した。

 シンプルなだけれど、髪の美しさを引き立てられている。


「化粧の仕方でこうも変わるものなのね」


 思わず鏡を見つめ呟いたところで扉を叩く音がした。先程から手持ち無沙汰にしていたラーナがいそいそと開けると果たしてそこにイーサンがいた。


 そして、イーサンの隣にもう一人。イーサンの兄であるカーデラン国王太子、ウィルだ。ブラウンの髪と海の底のような深みのあるブルーの瞳。背はイーサンより低く細身ではあるが引き締まった体躯をしている。年齢はイーサンより八歳年上の三十三歳。二児の父親だが若々しく見える。


 ナディアは王太子の前に進むと、練習の成果とも言えるカテーシーで挨拶をする。


「オースティン辺境伯の長女、ナディアと申します」

「カーディラン国王太子のウィルだ。会場ではゆっくり話が出来そうにないので、突然で申し訳ないがこちらに来させて貰った。それにしてもキャシーから話は聞いていたが、イーサンが留学していた国の美人画から飛び出してきたような女性だな。お前もそう思うだろう?」


 そう言ってウィルがイーサンに話もふるも、返事が返ってこない。


「おい、見とれすぎだ」


 兄に肘でつつかれイーサンは、はっとしたように目を開いた。それから体裁を整えるように咳払いをする。


「その、とても綺麗だ。よく似合っている」

「お前な、『貴女があまりにも綺麗で見とれてしまった。その陶器のような白い肌も、濡れたように輝く黒髪も周りを惑わすので、今宵はずっと俺の隣にいるように』ぐらい言えないのか?」

「言えるか! そんな事」


 イーサンが耳を赤くしながらウィルを睨んだ。


(結構兄弟仲がいいのね) 


 ちょっと意外だ。王太子と第二王子は同腹だけれど、イーサンは違うと聞いていたので実はギスギスした関係なのでは? と思っていたのだ。でも、長年離れて暮らしていたにも関わらず、気兼ねなく言いたいことを言っているように見える。


 妹の我儘に振り回されてきたナディアは、二人の仲の良いやり取りが少し羨ましかった。


 そんな風に冷静に兄弟を観察していたナディアに、ウィルは一歩近づいた。


「ナディア、イーサンの心無い噂を聞いているだろうがどれも真実ではない。彼の母親は望んで側妃となったわけではなかった。子供が生まれても、……いろいろと複雑な気持ちがあったようでイーサンを乳母に預け育児を放棄した。母親からそのような扱いを受けるイーサンを、周りはさらに貶め継承争いから脱落させようとした。」

「兄上!!」


「お前の気持ちは分かるが、できるだけ・・・・・きちんと話を聞いてもらった方が良い。確かに不正を働いた者を厳しく罰したこともあったし、部下に暴力をふるう騎士団長を殴り飛ばしたこともある。すべては不器用で生真面目な性格が招いたことだ。だが、周りはそこに漬け込み、悪意ある噂を流していった。説明しずらい事情もあるが、噂のような男でないことは俺が保障する」


 ナディアは切れ長の瞳を数回瞬かせウィルを見る。


 どうして会ってすぐに王族の恥にともなる話を聞かせるのだろうか。その真意を探ろう深い海のような青い瞳を覗き込んだ。


 だけれど、そこにあるのはただ弟を心配する兄の表情。


(イーサン様には親身になってくれる家族がいる)


 安心すると同時に、自分にはそのような家族はいないことが少し悲しくなった。


「ウィル殿下、教えて頂きありがとうございます。私も一ヶ月ではありますが一緒に過ごして、噂とは違う方だと感じていました。イーサン様はお優しいです」


 ナディアが切れ長の目を細めふわりと笑う。その笑顔を見てウィルは目を瞬かせると弟を振り返った。

 

「優しいだって……」

「頼む、兄上。ちょっと黙ってくれ」


 片手を口に当て顔を赤らめながら、イーサンが絞り出すような声を出した。


 ナディアは紫色の瞳を細め、嬉しそうに兄弟のやりとりを眺めた。ウィルが言った『説明しずらい事情』という一言が引っかかったけれど、白い結婚の自分が踏み込むべきことではないと、その言葉を胸に収めるだけにした。

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